第九話:次代の息吹と今浜の夢
西暦1559年(永禄二年)・二月
佐和山城の朝は早い。霧に包まれた山あいに、出発を告げる貝の音が低く響き渡った。
浅井新九郎賢政一行は、城主・磯野丹波守員昌の丁重な見送りを受け、再び北へと馬を向けようとしていた。
城門の前、員昌の傍らには一人の少年が控えていた。
員昌の庶長子、磯野辰若(後の磯野行信)である。未だ九歳という若年ながら、父譲りの骨太な体躯を持ち、その立ち姿には早くも武家の端くれとしての矜持が漂っていた。
「辰若、新九郎様へご挨拶を」
員昌に促され、少年は迷いのない足取りで賢政の前へ進み出ると、深々と頭を垂れた。
「磯野辰若にございます! 新九郎様のご帰還、心よりお慶び申し上げます。いつの日か、父のように浅井の御為に戦えるよう、日々精進いたしまする!」
ハキハキとした、澱みのない声であった。賢政は馬を降り、少年の視線に合わせて腰を落とした。賢政の大きな掌が辰若の肩に置かれる。
「……良い目だ、辰若。貴殿のような若き芽が育っていること、浅井の未来は明るいな。丹波守、いずれこの者を私の側仕えとして小谷へ出さぬか。私の手元で、次代の浅井を担う柱に育てたい」
その言葉に、員昌は相好を崩した。
「おお……! 勿体なきお言葉。辰若、これほどの名誉はあるまいぞ」
皆が別れ際の談笑に花を咲かせる中、赤尾美作守清綱と遠藤喜右衛門直経が、員昌と親しげに肩を並べて談笑していた。
「しかし、丹波守手ずからの酌とは、なによりの馳走であったな。浅井の先鋒大将も、随分と丸くなったのではないか?」
清綱が笑いながら、員昌に声をかけた。
「なんの、美作守様。元来は細やかな気性なのでござる。某をいったい何だと思われていたのやら」
員昌がにこやかに反論すると、直経が畳み掛けてきた。
「なにをいうか、丹波守よ。そちの戦場での突進に、我の細やかな策が何度台無しにされたか、そちには、わかるまいよ。儂の気苦労をこそ、細やかな配慮と言うのだがな」
ついには、賢政もくわわる。
「私も、丹波守の気遣いには驚かされた。いつ、あのような細やかさを会得したのやら」
「これは、したり」
頭をかく員昌を囲み、四人は顔を見合わせ笑いあっていた。観音寺城での張り詰めた監視の目から解放され、気心の知れた同志として、浅井の行く末を語り合う男たちの顔には、柔らかな笑みが浮かんでいた。
一行は中山道を北上し、鳥居本から北国街道へと入った。
本来ならばそのまま北国脇往還に入り、小谷城へ直行するのが最短の路であるが、賢政はあえて西へと舵を切り、琵琶湖畔の今浜(後の長浜)へと立ち寄ることを命じた。
「……新九郎様、今浜へ寄られますか。あそこはまだ葦が茂る湿地も多く、旅の女人方には少々足場の悪い道になりますが」
美作守が問いかけると、賢政は湖から吹き付ける風を正面に受けながら、遠く広がる水面を見つめた。
「構わぬ。美作守、喜右衛門。私は、ここをただの湿地で終わらせるつもりはないのだ」
今浜の岸辺に立った賢政の瞳には、荒涼とした景色ではなく、未来の都市が映っていた。彼は並び立つ二人の重臣に、確固たる口調で告げた。
「ここに代官所を置きたいと考えている」
「代官所、にございますか?」
「左様だ。今浜は水運の要。北陸からの荷が塩津に入り、そこから湖を渡って南へ下る際、この今浜を経由する。中山道を通り、京・大坂に向かう荷も、水運を利用しやすくすれば、必ず今浜を通る。今、ここに代官を置き、物流を統制し、座を通さぬ自由な商いを奨励するのだ。父上が小谷で土を固め、水を治めた。ならば私は、この湖の縁に銭と人を集める拠点を築く」
喜右衛門は、主君の言葉に深く頷いた。
「……構想の第一歩ですな。ここを拠点とすれば、六角の経済圏を脅かし、浅井の独自色を打ち出せましょう」
「そうだ。代官には、土地の利に明るく、かつ商人の機微を解する者を充てねばならぬ。小谷へ戻り次第、父上と相談し、人選に入りたい」
(母上や梢を乗せた籠はゆっくりと進む。その速度は、私がこの領地をじっくりと観察する時間を与えてくれた。一歩進むごとに、浅井が真に自立するための形が見えてくる)
遠回りとなった今浜での短い滞在であったが、それは浅井家が「戦国大名」として脱皮するための、極めて重要な視察となった。
夕闇が迫る頃、一行は再び北を目指して動き出した。
小谷城の威容が、夕焼けの中にそのシルエットを現し始めていた。




