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第十話:小谷の出迎え、浅井の血脈

西暦1559年(永禄二年)・二月


今浜の視察を終えた一行は、夕闇が迫る北国街道を北上し、ついに浅井家の本拠・小谷山の麓へと辿り着いた。見上げる山頂には難攻不落の山城・小谷城が聳えているが、平時において軍事要塞に籠ることはない。賢政らの馬が向かったのは、山麓に広がる広大な政務の場、浅井館あさいやかたであった。国衆との対面や日々の領国経営は、全てこの山麓の館で行われている。


周囲の館に比べて立派な門の前に、帰還を待ちわびていた一族の面々が居並んでいた。


中央に立つのは、当主・浅井左兵衛尉久政。

その左右には、賢政の弟である浅井新七郎(後の浅井政元)と浅井新五郎(後の浅井政之)。

さらに、一門を支える親族衆の浅井与次亮親、浅井玄蕃允政澄、浅井七郎井規、浅井福寿庵。

そして浅井の文武を担う宿老、海北善右衛門綱親と雨森弥兵衛尉清貞の姿があった。


馬から降り立った新九郎賢政の身を包むのは、鮮やかな青地の直垂ひたたれである。澄んだ空を思わせる青地の上に、浅井家の象徴である「三つ盛亀甲に唐花菱」の紋が白く気高く浮かび上がっている。若武者らしい清冽さと、次代を担う者にふさわしい威厳が、その青き装束から放たれていた。


「新九郎、そして梢殿。待っておったぞ。よくぞ無事に戻った」


久政が声をかけた。その表情には、六角への人質という苦渋の選択を強いた息子への申し訳なさと、立派に成人した姿への安堵が入り混じっていた。


「梢殿、見知らぬ土地で不安も多かろうが、ここが今日からの貴殿の家だ。心安らかに過ごされるが良い」


しゅうととなる久政の温かい言葉に、隣の梢は野菊のような愛らしい笑顔を咲かせた。


「温かきお言葉、誠にありがとうございます。新九郎様をお支えし、浅井の家に尽くしてまいります」


梢が頭を垂れて感謝を伝える一方で、その隣で籠から降りた正室・小野殿へ、久政は「……苦労をかけたな」と短くそっけない言葉を添えるに留まった。小野殿もまた、多くを語ることはせず、静かに深く頷くのみであった。長年、領国の重圧をそれぞれに背負ってきた夫婦の、不器用な距離感がそこにはあった。


「兄上! お懐かしゅうございます! 観音寺での元服の儀、小谷までその噂は届いておりました。平井加賀守殿を烏帽子親に迎えられるとは、誠に重畳にございました」


物静かで知的な光を瞳に宿した新七郎が、理知的な笑みを浮かべて兄との再会を喜んだ。


「兄上! 青の直垂、実によくお似合いです! お体の骨組みも一層逞しくなられましたな。明日からは、ぜひ俺に武芸の指南をくだされ!」


まだ少年らしさを残す新五郎は、溌剌とした声を響かせ、兄の帰国に胸を躍らせていた。二人の弟の純粋な慕情に、賢政の頬が自然と緩む。


そこへ、宿老の海北善右衛門綱親が一歩前へ進み出た。


「新九郎様、これからは左兵衛尉様を支え、この江北の地を我らと共に盛り立ててまいりましょう。御堂々たるお姿、頼もしく存じます」


海北の重みのある言葉に対し、賢政は相手を真っ直ぐに見据え、堂々とした態度で言葉を返した。家臣である海北に対し、若き主君としての威厳を崩さず、決して頭を下げることはない。それでいて、親愛の情と感謝は欠かさない。それが、人質生活の中で彼が身に付けた、人の上に立つ者としての処世であった。


「善右衛門、弥兵衛尉。留守中の差配、大儀であった。これからはこの小谷の地にて、父上を支え、浅井の家名に恥じぬよう、課せられた役目を果たしていく所存である」


賢政はただ謙虚に、しかし毅然と言葉を返した。

観音寺の市場で見た楽市の活気、今浜の岸辺で思い描いた代官所の構想――。己の胸の内に渦巻くそれら「浅井独自の未来図」は、今はまだ誰にも見せる時ではない。父・久政が周囲の国衆たちを泥臭く繋ぎ止め、最前線の佐和山城を使って肥田城の調略を進めている今、自らが動くべきは、その「影の戦い」を静かに見極めることだと理解していたからである。


(漸く…漸く、戻ってきた。この小谷の土を踏みしめ、皆の顔を見て、改めて確信した。この温かくも武骨な浅井の血脈を、決して六角の贄にはさせぬ。父上の地道な布石を私が受け継ぎ、清冽に、そして雄大に広げてみせる)


その時、親族衆の筆頭格である浅井玄蕃允政澄が微笑みながら一同を見渡した。


「左兵衛尉様、新九郎様。長旅でお疲れの梢様も、これ以上の夜風は体に障りましょう。此度の帰国を祝う宴の席は、この館の奥の間に設けております。まずはそちらへお進みくだされ」


政澄の落ち着いた案内により、張り詰めていた空気がふわりと緩んだ。

賢政は梢の隣に寄り添い、優しく頷きかけると、浅井の一族、そして重臣たちに囲まれながら、自らの真の戦場たる浅井館の奥へと足を踏み入れた。

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