第三十ニ話:肥田の決断、沈みゆく月と昇る陽
肥田城の主の間には、未だかすかに林檎酒の芳醇な香りが漂っていた。
高野備前守賢信は、ひとり闇の中で盃を弄んでいた。先刻まで、そこに若き浅井新九郎賢政がいたとは信じ難い。あの若者は、己の命という最も高価な切り札を、平然と盤上に置いたのだ。理知的と呼ぶにはあまりに狂気、勇気と呼ぶにはあまりに無謀。しかし、その瞳に宿っていたのは、濁りのない未来への意志であった。
「浅井新九郎……なんと恐ろしい男よ⋯」
賢信は独りごちた。
彼が心の中で反芻していたのは、賢政が口にした浅井領の情勢であった。賢政は、湖北三郡の統治において、家柄や血筋に拘らぬ登用を行っているという。その顕著な例が、一介の国人に過ぎない石田藤左衛門正継である。本来であれば、古くからの名門に囲まれるべき今浜という要所を、実力ある若き知恵者に与え、領国の富を最大化させんとしている。未だ発展途上だが、近い将来に今浜が軍事・政治・経済の要衝になり得る可能性がある事に気付かされた。
六角の重臣として、長年見てきた肥田の地。今の六角家であれば、石田のような才覚ある若者は、派閥争いの中で煙たがられ、追放されるか、飼い殺しにされるのが落ちだ。
しかし、浅井では違う。新九郎は、彼らに「場所」を与え、民を潤し、兵を鍛え上げている。その活力は、観音寺城下の澱んだ空気とは対極にある。
(あの若者に、我が首を預ける値打ちはあるのだろうか⋯⋯)
賢信は、己の老いを感じていた。
六角家への忠節。それは父祖の代から染み付いた血であり、魂である。しかし、今の六角家はどうだ。当主・左衛門督義治は、己を過信し、忠臣を疑うことしか知らぬ。耳に痛い進言をする者は遠ざけられ、甘い言葉を囁く奸臣ばかりが取り巻いている。
そして、賢信の元には不穏な密報が届いていた。
義治の側近たちが、「高野備前守は浅井と通じている」との讒言を重ねているという。近いうちに観音寺から使者が来るだろう。それは問責という名の下の、死刑宣告に等しい。釈明の機会など与えられぬまま、城を囲まれ、首を討たれる――六角家内での賢信の将来など、もはや一片の灰すら残っていない。
「忠義を尽くした末に、主君の手で首を跳ねられる……それが、今の六角家の武士の末路か」
賢信は苦笑した。武門の誉れとは、何なのだろうか。
主君のために死ぬことが忠義であるならば、主君が道を見失った時、死を以て諫めるのが家臣の道だ。しかし、義治は諫言など耳にも入れぬ。彼に必要なのは忠義者ではなく、己の疑念を肯定する傀儡だけだ。
ならば、己の命、そして肥田城の兵たちを、このような滅びゆく城の露と消すことが、真の忠義と言えるのか。
(新九郎は、私を『男』として遇した。……この老いた武士を、駒ではなく、一人の武将として見ていた)
暗闇の中で、賢信の眼光が鋭く走った。
浅井への寝返り。それは裏切りであり、武士として恥ずべき汚点となるかもしれない。しかし、賢信の胸に去来したのは、汚名への恐怖よりも、このまま朽ち果てていくことへの、抗いがたい拒絶であった。
もし浅井が勝てば、新九郎という「昇る陽」の下で、湖北の地はかつてない繁栄を迎えるだろう。そこでならば、兵たちも、民も、正当に報われる。己の武勇も、六角の冷たい石床で腐らせるより、戦国の風の中で燃やし尽くす方が、武士としてどれほど幸福か。
「……六角に、愛着がないと言えば嘘になる」
賢信は、盃に残った林檎酒を一気に飲み干した。喉を焼く熱さが、迷いを溶かしていく。
「だが、義治殿……いや、左衛門督⋯⋯貴殿は、私という人間を、そして私が守り抜いてきたこの地を、最後まで信じることはなかった。ならば、私とて、貴殿と共に滅びる義務はない」
彼は立ち上がり、部屋の灯火を見つめた。
決意は固まった。観音寺からの使者が来る前に、打てる手を打たねばならぬ。賢信は、己の愛刀に手をかけた。その鞘には、六角家臣としての誇りが刻まれている。しかし、それを解き放つ時が来たのだ。
「浅井新九郎賢政。貴殿のその無謀な誠意、この老骨が引き受けた。……近江の地、いずれ貴殿が塗り替えるというなら、その最初の筆致、この肥田の地から見せてくれよう」
肥田城の夜は、静かに更けていた。しかし、賢信の心の中では、六角という古い古木を焼き払い、新しい時代を植え付けるための火が、すでに燃え上がっていたのである。賢信は静かに机に向かい、小谷城へ送るための密書を、震えぬ手で書き始めた。




