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第三話:砂上の合議、崩れゆく均衡

西暦1559年(永禄二年)・正月


猿夜叉の巨躯が大広間から消え、重厚な扉が閉まると、広間には肌を刺すような沈黙が流れた。

先ほどまで平身低頭していた若者の残像が、畳の上に重くこびりついている。


沈黙を破ったのは、上座の傍らに座す前当主、六角左京大夫義賢であった。


「……皆、今の猿夜叉をどう見た」


義賢の問いに、六宿老の筆頭格、後藤但馬守賢豊が静かに応じる。


「隠しているつもりでしょうが、なかなかの器量にございますな。あの大柄な身を縮め、右衛門督様の言葉を受け流す様……。あれはただの臆病者ではございませぬ。己の力を完全に制御し、時を待つ者の所作にございます」


(但馬守の言う通りだ。あの眼……伏せてはいたが、時折漏れる光は、獲物を狙う鷹のそれであったわ)


加冠役を務めることになっている平井加賀守定武が、少し複雑な表情で口を添えた。


「左様。拙者の娘、梢も、猿夜叉殿の前では不思議と背筋が伸びると申しておりました。浅井の血は、左兵衛尉(久政)殿の代で枯れたかと思うておりましたが、どうやら亮政公の荒魂は、あの若者に宿っておるようですな」


「加賀守、身内に甘すぎるのではないか」


苛立ちを隠そうともせず吐き捨てたのは、現当主、六角右衛門督義治であった。彼は父や宿老たちが猿夜叉を高く評価するのが面白くない。


「あのような田舎侍、我ら六角の軍門に降った敗残者の子に過ぎぬ。元服させ、加賀守の娘をあてがえば、一生北近江の地で我らのために土を掘っておれば良いのだ。何をそう怯える必要がある」


義治の言葉に、広間の空気がわずかに冷えた。自分の暴言が猿夜叉だけでなく、身内ですらも傷つけている事に気付かぬ様子であった。宿老の一人、蒲生下野守定秀が、諭すような口調で割って入る。


「右衛門督様、油断は禁物にございます。今、近隣の情勢は風雲急を告げております。美濃の斎藤治部大輔(義龍)殿は父・道三公を討って家中を固め、尾張では織田上総介という若造が頭角を現しつつあると聞き及びます。背後の北近江に不穏な火種を残すことは、六角の屋台骨を揺るがしかねませぬ」


(下野守までが、俺の言葉を遮って猿夜叉を語るか……。この広間に、俺の味方はおらぬのか)


義治は拳を握りしめた。当主としてこの場に座ってはいるが、議論の主導権は常に父・義賢と、海千山千の宿老たちが握っている。自分が何かを言えば、彼らは「若さゆえの浅慮」とばかりに、丁寧な言葉でそれを否定する。


「……ならば、どうする。あの猿夜叉が危険だと言うなら、元服の儀の前に毒でも盛るか? あるいは、今すぐ浅井を攻め滅ぼすか?所詮、浅井は国人連合の総領に過ぎぬ。身代も北近江三郡。戦となれば、我ら六角の敵ではあるまい」


投げやりな義治の問いに、義賢が鋭い視線を投げた。


「右衛門督、短慮は慎め。浅井を完全に潰せば、越前の朝倉家との境界が剥き出しになる。朝倉は、守護代からの成り上がりとは言え、大国よ。西に三好を抱える我らは、周囲に敵を作るは愚か。浅井は、朝倉に対する防波堤として生かしておくのが上策。そのための、今回の元服と婚姻よ」


義賢は再び一同を見渡した。


「左兵衛尉(久政)は、領内の治水や土塁拡張に余念がないと聞く。あれは執念だ。国人衆の反発を買いながらも、浅井の領国を盤石にしようとしておる。その結晶が、あの猿夜叉よ。我らは浅井を『生かさず殺さず』、六角の臣下として飼い慣らさねばならぬ。但馬守、北近江の監視を強めよ。少しでも不穏な動きがあれば、即座に梢を通じて探りを入れさせる。故に、梢を我が娘とし浅井を六角が親類にするのよ。その後、猿夜叉を小谷に返し家督を継がせる。奴が、我らの意のままになるかはわからぬが、梢はそこに打ち込む楔よ。その上で、浅井からは新たに人質を出させる」


「ははっ。承知いたしました」


合議は、義治を置き去りにしたまま、整然と進んでいく。義治は、自分に向けられない宿老たちの敬意と、父の冷徹な政治判断の狭間で、呼吸が苦しくなるような疎外感を覚えていた。


(父上も、宿老たちも……。結局は俺を信じておらぬのだ。俺が当主として認めてもらうには、目に見える『力』が必要なのだ。浅井……猿夜叉よ。貴様のその余裕が、俺を苛立たせるのだ。元服の時、貴様の鼻柱を叩き折ってくれるわ)


一方、議論の中心に据えられた猿夜叉は、すでに自室に戻り、静かに瞑想に入っていた。


(随分と嫌われたものだが、それも良い。小谷は雪に埋もれているだろうか⋯)


外では雪が、すべてを覆い隠すように降り続いていた。

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