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第二十七話:尾張の冬、清洲城の論議

永禄二年(一五五九年)・十二月


尾張の冬は平坦な地形ゆえに、北近江のような激しい積雪はなく、ただ乾燥した冷たい風が吹き抜けていた。北の一色家との抗争と、東の今川家という巨大な圧迫を前に、織田弾正忠信長の執務室は、外の寒気とは裏腹に、張り詰めた熱気に満ちていた。


帰国したばかりの丹羽五郎左衛門尉長秀は、主君・織田弾正忠信長の前で静かに膝をついていた。


「……されば、浅井新九郎なる者、器は大きく、目線は常に近江の覇権を向いておりました。六角の腐敗も見抜いており、当家との連携に極めて前向きにござる。しかと肯定はしませんでしたが、観音寺や一乗谷に噂を流す強かさもございます」


信長は、膝を立てたまま愛刀の柄を指で弾き、無言で窓の外の冬空を見つめている。五郎左衛門尉長秀は報告を続けた。


「北近江が美濃への盾にならぬことは承知しております。しかし、彼らが存在感を示し、六角の支配を揺らせば、一色(斎藤)治部大夫義龍といえど近江の動向を無視できぬはず。新九郎賢政殿を動かし、義龍の視線を西へ向かわせる。それが、当家が必要とする牽制の要と存じます」


その報告を聞き、信長の口元に薄い笑みが浮かぶ。


「であるか……浅井新九郎。己を縛る古い枷を、己の手で断ち切ろうとする男よ。面白い」


信長は、ふと何かを思い出したように、壁の飾り棚に置かれた一挺の火縄銃に目を留めた。それは、十年前、浅井久政から贈られた、国友鉄砲鍛冶の傑作であった。


「五郎左、この国友筒を見るたびに、十年前の愚かな発注を思い出す」


「……あの、国友筒五百挺のご注文の件でございますか」


「そうだ。あの若き日、我が父の名を勝手に騙り、国友の衆へ法外な発注をした。父がそれに気づき、激怒して沙汰やみにした際、気まぐれに我が手元へ贈られてきたのが、この一挺よ。左兵衛尉久政は、あの無鉄砲な若造の振る舞いを面白がったのか、それとも『この尾張の若者は面白い』と考えたのか」


信長は立ち上がり、その国友筒を手に取った。


「浅井は、ただの国人ではない。たかだか、北近江三郡を支配する程度の分限でありながら、その対応には父上も唸ったものよ。左兵衛尉久政はその火縄の価値を理解していた。よかろう、織田は織田として美濃を討つ。浅井は浅井として六角の牙城を崩す。互いに己の力量を試し合う形になろうが、それが共鳴すれば、美濃と近江の勢力図は一変する」


その場に招集されていた重臣たちが、報告を受けて思案顔を見せる。


筆頭の林佐渡守秀貞が慎重に口を開いた。


「美濃の、一色(斎藤)治部大夫義龍は、道三様を弑した仇でございます。これは討たねばなりませぬ。ですが、浅井を使って牽制を掛けるのは良いとしても、浅井が六角に敗れれば、全てが無に帰す事になりかねませぬ」


佐久間右衛門尉信盛も頷く。


「同感です。浅井に頼り、美濃戦線で我らの布陣に隙ができるようなことがあれば、今川の軍勢を誘うことにもなりかねませぬ。ここは、今一度六角と和する道を探るべきでは⋯」


しかし、柴田権六勝家が不敵に笑う。


「お二方、案ずるな。新九郎殿の器量は五郎左が見てきた通りでござる。もし浅井が自力で六角の首を狙える力があるならば、それは織田にとってこれほど頼もしい援軍はなかろう。己の力量を証明してみせよと突き放し、それに耐え抜いた者だけが、御屋形様の盟友となる資格があるというもの」


信長は、国友筒を棚に戻し、家臣たちを鋭い眼光で射抜いた。


「六角など、直に朽ち果てるあばら家にすぎぬ。使者を送るに及ばず。五郎左、再び小谷へ行け。新九郎に伝えよ。我ら共に道を創る者。浅井の力、存分に期待したいと。彼らが己の力だけで近江の空気を変えたとき、その時こそが我らと浅井が真の盟友となる時ぞ」


「御意」


丹羽長秀は深々と一礼し、短く拝命した。


尾張の風は、北近江の運命を変える嵐へと変わりつつあった。小谷の浅井新九郎賢政と、尾張の織田弾正忠信長。距離を超えて共鳴し始めた二人の若き野心家が、古い戦国の常識を焼き払おうとしていた。

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