第二十一話:父が語る過去、尾張の風
西暦1559年(永禄二年)・七月
国友村での視察を終え、賢政は小谷城へと帰還した。
館の奥、父・久政が待つ一室へ向かうと、そこには鷹揚に茶を喫する父の姿があった。賢政が今浜代官所の運営状況、そして国友村で目の当たりにした鉄砲の威力と課題について報告を終えると、久政は少しだけ目を細め、静かに茶碗を置いて賢政を見つめた。
その眼光は、単なる父の慈しみではない。息子が今浜と国友を見て、何を読み取り、何を考えたのか。次期当主としていかほどの見識と才を秘めているのか。その深淵を覗き込もうとする、冷徹な試問の眼差しであった。
「……新九郎。お主、今浜の発展と国友の筒を見て、何を思った」
賢政は背筋を正し、淀みなく答えた。
「正直に申し上げます。かつて『武の誉れ』と信じていた槍や弓の時代が、あの一挺の鉄の筒によって覆されようとしていることに、戦慄を覚えました。されど、同時に確信もいたしました。あの武器を、硝石の補給線を含めて完全に支配下に置くことができれば、浅井は近江を統べるに足る力を手にできると。今浜や塩津で富を積み、それを国友の技術へと還元する……この循環こそが、我が浅井の強固な基盤になると考えます。硝石の確保という難題はあれど、その先にあるのは、数による圧倒ではなく、戦の理を変える知略の支配にございます」
久政は沈黙を守ったまま、表情一つ変えない。その沈黙は、賢政の言葉の裏にある「戦略の真意」を値踏みしているかのようだった。やがて、久政は小さく頷き、静かな口調で過去の記憶を紐解き始めた。
「そうか。……お主の考えは理解した。だが、鉄砲の威に驚くのは今更よ。十年ほど前のことだ。尾張の織田弾正忠家から、突然の使いが参った」
「……織田が、我が浅井に?」
賢政は怪訝な顔をした。当時の織田といえば、尾張の一守護代に過ぎず、近江の浅井とは縁もゆかりもない。
「そうだ。弾正忠家の重臣、平手五郎左衛門政秀が参上し、当主の名において国友筒を五百挺、発注したいと申し出てきたのだ。平手はあくまで『弾正忠家としての公的な要請』として頭を下げていたが、その眼差しには異様な熱がこもっていたわ」
「五百挺……! 尾張の一勢力が、それほどの数を?」
「当時の国友の職人たちも腰を抜かしたわ。五百挺といえば、軍勢の主力を鉄砲で構成するに等しい数だ。今の我らでさえ、ようやく百挺を整えたというに。あまりの数に供給の算段がつかず、一度は返答を保留せざるを得なかった」
賢政は息を呑んだ。平手五郎左衛門政秀といえば、織田家の重鎮中の重鎮である。その男が浅井に頭を下げたという事実は、当時の尾張勢にとって国友の技術がいかに喉から手が出るほど欲しいものであったかを物語っている。
「その後、尾張から再度使いが参った。今度は織田孫三郎信光という男だ。信秀の実弟であり、弾正忠家の屋台骨を支える猛将よ。その信光が、申し訳なさそうに頭を下げて小谷へ参上したのだ」
「当主の実弟がわざわざ……? 依頼は取り下げられたのですか」
「うむ。信光は『可愛い甥の三郎信長が、どうしても鉄砲の力を見てみたいと先走ってしまい、平手に無理をさせた』と、苦笑しながら平謝りであった。お詫びとして尾張の名産である津島の銘菓――『あかだ』と『くつわ』を持参し、それはもう丁寧な詫び状を置いていった。戦の携行食としても重宝される、あの硬く素朴な菓子を噛み締めながら、私は思ったものだ。……織田には、とんでもない若造がおる、とな」
久政の述懐を聞きながら、賢政の脳裏には一つの輪郭が浮かび上がる。
織田三郎信長。その名は尾張の風聞として耳にすることはあったが、十年前にすでに、これほどの規模の鉄砲運用を構想していたというのか。
(十年前に五百挺……。ただの守護代の嫡男が、武士の常識を覆す軍備を、十年も前に描いていたというのか)
賢政の胸に、奇妙な高揚感が広がった。それは、自身が今浜という物流の拠点を作り、ようやく鉄砲の可能性を見出した今、その遥か先を行く未知の同世代への強烈な興味であった。
「……父上、その時、何か答えは出されたのですか」
「私は孫三郎殿の誠意を受け取り、国友筒を一挺、その三郎信長という者へ譲ることにした。若い知的好奇心を潰してはならぬ、という老人の気まぐれよ」
久政は少しだけ笑みを浮かべた。
賢政は、父がそのとき何を想い、何を息子である自分に伝えようとしているのかを理解した。父は、過去の失敗や驚きを語ることで、次期当主である息子に「戦国の先を見通す目」の重要性を説こうとしているのだ。
「……信長、か」
「どうした、新九郎」
「いいえ。……父上、その織田という家、そして三郎信長という男。いつか……いずれ必ず、この賢政がその眼で直接確かめてみせます。その才が本物か、それともただの狂気か。そして、その才を超えてみせましょう。今浜という物流の拠点と、国友の鉄砲の結合こそが、浅井が誇る力となるはずですから」
「さようか…」
賢政の言葉に、久政は面白そうに髭を撫でた。
尾張の地で、すでに鉄砲の未来を予見していた男。そして、今浜を拠点に琵琶湖の経済を統べることを夢見る自分。二人の若き当主の魂は、まだ出会わぬ先から、戦国という大きな渦の中で引き寄せられているのかもしれない。
賢政の心には、鉄砲の威力への驚き以上に、その「先見の明」を持つ未知の男への強烈な興味と、父に認められたいという静かな闘志が、確かな情熱となって灯っていた。




