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第二十話:焔の銃口、国友の技術

西暦1559年(永禄二年)・七月


北近江の夏は、湿り気を帯びた緑の香りに満ちている。姉川の南岸、坂田郡に位置する国友村は、他村とは明らかに異なる空気を纏っていた。道行く先々で耳にするのは、農具を打つ音ではなく、鉄を叩く規則正しくも硬質な響きである。


賢政は、父・久政の命を受け、この鉄砲生産の聖地を訪れていた。供には、浅井家の軍事の要であり、寡黙ながらも賢政の鋭い感性を評価する宿老・遠藤喜右衛門直経が付き従っている。


村の入り口では、鉄砲衆の頭である野村藤左衛門直隆と、坂田郡の有力旗頭・堀家を支える家宰、樋口三郎兵衛直房の二人が待機していた。二人は相婿という間柄であり、長年、堀家と浅井家が国友の技術を共有し、共にこの地を庇護してきた絆がある。


「新九郎様、遠路遥々ようこそお越しくださいました。こちらが、我が国友が誇る『鉄砲』の鍛錬所でございます」


直隆の案内で、村の奥深くに設えられた試射場へ向かう。そこには、職人たちが丹精込めて作り上げた銃身が整然と並んでいた。

賢政は、直隆が構えた一挺の鉄砲に目を留めた。それは、以前見かけたものよりも銃身が長く、重心がしっかりと取られた見事な一品であった。


「直隆、その筒の扱いを見せてくれぬか」


「御意に」


直隆は静かに頷くと、一連の動作に入った。

まず、彼は火縄の先にわずかな火種を移し、吹き消えぬよう注意深く管理する。次に、筒口から適量の火薬を流し込み、槊杖さくじょうを用いて底までしっかりと突き固める。そこへ鉄の弾丸を装填し、再度、槊杖で押し込む。最後に火皿ひざらに細かな「口薬」を振りかけ、火蓋を閉じる。


一連の動作には、全くの無駄がない。直隆は狙いを定め、息を止め、静かに引き金を引いた。


――乾いた音と共に、轟音が響く。


直隆の肩がわずかに跳ね、白煙が視界を覆った。数十間先にある藁の束は、見えない衝撃に弾き飛ばされたかのように、中心から無残に粉砕されていた。


(……なんと、この威力か。弓矢とは比べ物にならぬ。この焔が、戦の理を根底から塗り替えるのだ)


賢政は驚愕を押し殺し、その銃身を興味深げに覗き込んだ。弓の熟練には数年の修練が必要だが、この鉄砲であれば、短い訓練で弓をも凌ぐ打撃を放つことができる。戦の様相は、確実に変わる。


「藤左衛門、三郎兵衛。この村には、今どれほどの数の鉄砲があるのだ?」


樋口三郎兵衛が恭しく答える。


「浅井家には約百挺を献上し、我が堀家では単独で二百挺を蓄えております。新九郎様、これらは近江の守りとして、また特産として、これからも増産を続ける所存にございます」


しかし、賢政の高揚を冷やすように、直隆が表情を曇らせた。


「……新九郎様、過分なご期待を頂く前に、この筒の『弱点』も知っておいていただかねばなりませぬ」


直隆は鉄砲の銃身を撫でながら、静かに語り始めた。


「この筒は、火の力を用いるもの。故に、雨には極めて脆うございます。雨が降れば火縄は湿り、火薬は燃えませぬ。すなわち、雨天の戦場ではただの鉄の棒に成り下がるのでございます。加えて、熟練した鉄砲手であっても、一発撃つたびにこの装填の手順が必要となります。弓のように連射は効かず、敵の突撃を許せば一溜まりもありませぬ」


賢政は深く頷いた。物理的な弱点であれば、戦術で補える。しかし、直隆の言葉はさらに厳しい事実を告げた。


「そして、最も頭の痛い問題がございます。この鉄砲を動かす『火薬』の材料である硝石しょうせきにございます。この国において、硝石はほとんど産出いたしませぬ。火薬の先進国である、遠き明(中国)からの輸入に頼らざるを得ないのが現状。……ゆえに、安易に撃ち続ければ、すぐに火薬が底をつくのでございます」


賢政は、その言葉の重みに表情を険しくした。鉄という武器は作れても、それを動かす動力源が途絶えれば、鉄砲はただの重い金属片に過ぎなくなる。


視察を終え、村外れで遠藤直経と馬を並べた賢政は、重い沈黙の中で口を開いた。


「喜右衛門、聞いたか。兵器そのものの強さ以上に、補給線の維持が戦の命運を握るということだ」


遠藤喜右衛門直経は、賢政の横顔をじっと見つめ、静かに答えた。


「その通りにございます。しかし、新九郎様。それでもなお、この国友の技術は浅井にとって、これからの戦場において『切り札』となりまする。鉄砲の量産を急ぎつつ、今浜の物流を使い、敦賀の商人と結んで硝石の入手ルートを確保する……そうすれば、浅井家は他家を圧倒する軍事力を持つことができます」


「……その通りだ。今浜での富の循環が、ここで実を結ぶ。私は決めた。藤左衛門、国友の職人たちに最高の待遇を約束し、この技術を浅井の直轄軍に組み込む。父上にそう進言しよう」


賢政の瞳には、焔のように熱い闘志が宿っていた。

雨という天候、装填の遅さ、そして硝石の確保という高い壁。しかし、それらを克服し、国友の技術を完全に手の内に収めたとき、浅井は湖北のみならず、近江一円を狙える「質」を備えた軍勢へと変貌を遂げるはずだ。


「喜右衛門、来たるべき六角との決戦に向け、この国友筒を我らの最大の武器にしよう。戦の世のことわりを、我らが書き換えるのだ」


賢政の言葉に、遠藤直経は力強く首肯した。

古い時代の弓や槍の時代は、静かに終わりを告げようとしている。今、国友村で鍛えられる小さな鉄の筒が、数年後の北近江を動かす「運命の火種」となることを、賢政は確信していた。

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