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第十三話:浅井の連枝、若き龍たちの誓い

西暦1559年(永禄二年)・二月


評定が幕を閉じ、大殿・田屋明政の観音寺城への出立が内々に決まった数日後。

山麓の浅井館の裏手に広がる修練場には、小気味よい風が吹き抜けていた。新九郎賢政は一人、木刀を手に構え、己の型を確かめるように静かに汗を流していた。


「兄上ーーっ!」


静寂を破り、弾んだ声が響く。修練場の木戸を勢いよく開けて走ってきたのは、三弟の新五郎であった。当年八歳になる新五郎は、同世代の子供たちに比べて一回りも二回りも体躯が大きく、その頑健な骨組みは賢政によく似ている。


その新五郎の後を追うように、一人の逞しい武者が穏やかな笑みを浮かべて歩み出てきた。新五郎の武芸指南役を務める、藤堂源助虎高とうどうげんすけとらたかである。

虎高は犬上郡の数村を支配する土豪で、浅井家においては外様の身であった。しかしその経歴は異色である。十六歳で近江を離れて甲斐の武田氏に仕え、その才を寵愛されて主君・武田信虎より「虎」の偏諱を授かったほどの器量持ちであった。その後、理由は不明ながら武田家を辞し、一時期は越後の長尾為景にも仕えたという。

近江帰国後に藤堂家の婿養子となり、京極氏を経て現在は浅井氏に仕えているが、過去の放浪時代に培った諸国の人脈、人当たりの良さ、そして何より確かな武芸の腕前は、浅井の家中でも高く評価されていた。


「今しがた、遠藤様の講義が終わったのです! その後、藤堂様にもたっぷりと揉んでいただきました。兄上、俺に稽古をつけてくだされ! 兄上のような強い武芸者になるのが、俺の夢にございます!」


背丈ほどもある木刀を抱え、賢政への純粋な憧れを口にする新五郎。虎高は人当たりの良い笑みを浮かべ、賢政に向けて一礼した。


「新九郎様、お邪魔いたします。新五郎様は実に熱心でしてな。私の稽古だけでは物足りぬと、こうして新九郎様のもとへ馳せ参じた次第にございます。日に日に先代の亮政公や新九郎様に似て、頼もしくなっておられますよ」


外様ながらも一門への敬意を忘れない虎高の言葉に、賢政の峻厳な面持ちが自然と和らいだ。


「源助、いつも騒がしい弟の指南、かたじけなく思う。……新五郎、喜右衛門のしごきの後だというのに、元気なものだな」


「これしきのことでへこたれていては、浅井の侍にはなれませぬ!」


新五郎が大きな体を揺らして笑う。その無邪気な頼もしさに賢政が頷きかけた時、木戸の影からもう一人、静かに歩み出てくる少年がいた。


次兄の新七郎、当年十一歳である。

物静かで、その瞳には年齢にそぐわぬ深い智謀の光が宿っていた。新七郎は大殿・田屋明政から軍略や政治への取り組みを直に叩き込まれている愛弟子であり、家中でも「才気煥発」と将来を嘱望される存在であった。


しかし、今日新七郎の表情はどこか沈んでおり、眉間には深い苦悩の皺が刻まれていた。虎高はその様子を見るや、流石の察しの良さで一歩下がり、兄弟たちの空間を邪魔せぬよう静かに見守る姿勢をとった。


「新七郎、どうした。いつになく暗い顔をしているな」


賢政が声をかけると、新七郎は兄を見上げ、ついに堪えきれぬといった様子で言葉を絞り出した。


「……兄上。大殿様が、六角の『連絡役』として観音寺城へ赴かれる件にございます。私は……どうしても納得がいきませぬ」


新七郎の小さな拳が、衣の袖の下で白くなるほど握り締められていた。


「書状の『連絡役』などという言葉が、新たなる人質を要求する六角の薄汚い罠であることなど、私にも分かります。六角は、我が浅井の一枚岩を切り崩そうとしている。……なればこそ、なぜ浅井の長老であり、我が師でもある大殿様が、あのような奴らのもとへ行かねばならんのですか。大殿様ほどの御方を差し出すなど、浅井の敗北も同然にございます!」


悔しさに声を震わせる新七郎。六角の思惑を正確に看破しているのは流石であったが、それゆえに、最敬愛する師が敵地に身を晒すという現実が、十一歳の少年の理智と情を激しく引き裂いていた。


賢政は木刀を傍らに置くと、新七郎の前に歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。


「新七郎。お前が大殿様から何を言われたか、私に話してみよ」


兄の静かながらも威厳ある声に促され、新七郎は小さく息を吸った。


「……大殿様には、『情を捨てよ』と叱責されました。『浅井のために何が第一か、己の頭で良く考えよ』と。儂が動くことで六角に油断が生まれ、浅井に時という、代え難い利がもたらされる。それが見えぬお前では、儂の弟子とは呼べぬ……と、厳しく諭されました」


新七郎は一度言葉を切り、今度は愛おしそうに目を細めた。


「ですが、去り際に大殿様は、私の頭を撫でてくださり、こうも仰ったのです。『小谷に戻ってきたら、またお前に六韜三略の講義をしてやる。それまでに、しかと学んでおけ。手を抜くで無い』と。……私は、大殿様の覚悟を理解せねばならぬと分かっておきながら、それでも……!」


師の深い情愛と、己の未熟さへの歯がゆさ。新七郎の涙を堪える顔を、賢政は真っ直ぐに見つめ返した。将来の当主としての揺るぎない覚悟が、その瞳に宿っている。


「新七郎、大殿様の仰る通りだ。大殿様は、浅井の未来のために自ら盾となられた。ならば、残された我らがすべきことは、悲しむことではない。大殿様が稼いでくださる時を一刻も無駄にせず、六角を打ち滅ぼす牙を研ぐことだ」


賢政の言葉は、冷徹でありながらも確かな力強さに満ちていた。


「お前には、才がある。大殿様の直弟子として、その軍略と政治の教えを、誰よりも深くその身に刻め。そして将来、私が戦場で采配を振るう時、お前の知恵で私を支えてくれ。頼れるか、新七郎」


兄からの信託の言葉に、新七郎の瞳の曇りが晴れていく。十一歳の少年は、涙を拭い、深く首を縦に振った。


「……はい、兄上。この新七郎、大殿様の教えを必ずや我が血肉とし、兄上の下で、浅井の軍配を預かるようになってみせます」


「よし。ーー新五郎、お前もだ」


賢政が振り返ると、大きな体を縮めて二人の話に聞き入っていた新五郎が、弾かれたように背筋を伸ばした。


「新七郎が知恵で支えるなら、新五郎、お前はその無双の武勇で浅井の軍勢を率い、敵陣を打ち破る先鋒となれ。お前が目指す武の道は、浅井の命運を担う盾となるのだ」


「おおっ! 兄上、お任せくだされ!」


新五郎の楽天的な、しかし実直な声が修練場に響き渡る。


「俺が誰よりも強くなって、兄上も、新七郎も、大殿様も、みんな俺が守ってみせます!」


新五郎の屈託のない言葉に、賢政も新七郎も、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。


その様子を静かに見守っていた藤堂虎高は、内心で深く感嘆していた。


(甲斐の武田、越後の長尾……天下に名だたる大名家を見てきたが、これほど美しく、力強い絆で結ばれた若き兄弟は見たことがない。兄の賢政様はすでに人を動かす力を持ち、新七郎様には深い知謀が、新五郎様には武の片鱗がある。浅井の未来は、この若き力が担うのだな……)


外様である己が、この地で浅井のために腕を振るうことの意味を、虎高は改めて噛み締めていた。


賢政は再び木刀を手に取ると、新五郎に向き直った。


「では、新五郎。望み通り、兄が稽古をつけてやろう。源助、新七郎、我らの型を見ていてくれ!」


「応!」

「はい!」


若き龍たちの声が、冬の青空へと高く突き抜けていった。

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