周囲への告白
教室へ入った瞬間、俺は自分の判断が甘かったことを思い知らされた。
文化祭翌日の教室には、祭りの余韻がまだ色濃く残っていた。壁には剥がし切れていない橙色の装飾が揺れ、黒板の隅には誰かが書いた『喫茶・夕暮れ、大成功!』という文字が残されている。登校してきたクラスメイトたちは写真を見せ合いながら文化祭の出来事を語り、普段よりも明るい声があちこちで交わされていたのだが、俺と莉乃が並んで扉をくぐった途端、その賑やかだった空気が不自然なほど静かになった。
原因は明白だった。
俺たちは、手を繋いでいた。
コンビニ前から学校までずっと繋いでいたせいで、それがあまりにも自然になり、教室へ入る直前にも離すことを忘れていたのである。以前から手を繋ぐ姿を目撃されていたとはいえ、今日は文化祭の後であり、俺たちが最後まで二人で教室へ残っていたことを原と篠崎は知っている。そこへ、昨夜までとはどこか雰囲気の違う俺たちが揃って現れれば、察するなというほうが無理だった。
「おはよー……って、ちょっと待って」
最初に口を開いたのは原だった。彼女は俺たちの顔と繋がれた手を交互に見比べたあと、ゆっくりと目を見開き、隣にいた篠崎の肩を叩いた。
「咲、これ、私の勘違いじゃないよね?」
「たぶん正解だねー。二人とも、昨日までより空気が甘いしー」
「空気の味を判定するな」
反射的に言い返したものの、繋いだ手を離すことはできなかった。正確には、離そうとした瞬間、莉乃の指へ力がこもったため諦めたのだが、俺自身も教室へ入った途端に距離を置くことで、昨夜の告白までなかったことにするような真似はしたくなかった。
原は俺の返答を完全に無視し、莉乃へ顔を近づける。
「莉乃。あの日、何があったの?」
「清太が好きって言ってくれた」
教室全体が凍りついた。
もう少し段階というものがあるだろう。俺が聞かれたら否定しないと言ったのは事実だが、質問へ対して結論だけを最短距離で投げ込めという意味ではない。
「それで、付き合ってくださいって言ってくれたから、付き合うことになった」
莉乃は幸せを隠す気など一切なく、むしろ胸の中に収めておくほうが苦しいとでも言いたげに続けた。次の瞬間、教室を揺らすほどの歓声が上がり、俺の周囲にはあっという間に人垣ができた。
「マジで!?」
「高原から告白したの!?」
「いつ!? どこで!?」
「文化祭のあと二人で残ってたよね!?」
四方から飛んでくる質問に、頭が追いつかない。注目されることへの恐怖は確かに残っており、今すぐ教室を抜け出したいという衝動も胸の内側で暴れていた。それでも、隣にいる莉乃が繋いだ手を離さず、時折こちらを見ては、本当に嬉しそうに微笑んでいる姿を見ていると、自分の選択を恥じるように俯くことだけはしたくなかった。
「俺から告白した。文化祭が終わったあと、この教室で」
どうにかそれだけ答えると、再び歓声が上がった。
頬が熱い。心臓も痛いほど速く鳴っている。しかし、誰かに笑われても、それはかつて俺が恐れていた嘲笑とは違った。驚きと祝福と、長い間じれったい関係を見せられてきた者たちの解放感が混ざった笑いだった。
「高原くん、やっとだねー」
篠崎が眠そうな目のまま拍手する。
「やっとって何だよ」
「本人たち以外は、かなり前から付き合ってるように見えてたからー」
「付き合ってないのに、毎朝一緒に登校して、昼も二人で食べて、放課後も手を繋いで帰ってたもんね」
原が指折り数えるたび、俺は自分たちがどれほど異常な距離感で過ごしていたのかを突きつけられた。莉乃はまったく反省しておらず、むしろ隣で誇らしげに頷いている。
「これで堂々と恋人らしくできるね」
「今まで以上に何をする気だよ」
「まず、席をもっと近くしたい」
「机は動かすな」
「昼休みは膝の上に座る?」
「学校だぞ」
「放課後は毎日一緒に帰って、仕事がある日は電話して、休日は全部デートにする」
「俺の予定を先に埋めるな」
周囲から笑い声が上がる中、莉乃は冗談ではなく本気で今後の予定を組み始めていた。恋人になれば少しは安心して落ち着くのではないかと考えていた昨日の自分を呼び出し、その見通しの甘さを説教したい。莉乃の感情は、関係が曖昧だったから生まれていたのではなく、好きな相手へ近づくための制限が外れたことで、むしろ加速し始めていた。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
困るし、恥ずかしいし、時には一人で過ごす時間も必要になるだろう。恋人になったからといって、俺の人間関係への恐怖や過去の傷がすべて消えるわけでもない。莉乃の愛情が重すぎて、息苦しくなる日が来るかもしれない。
けれど、そうなったら話せばいい。
怖くなったと伝え、少し待ってもらい、また戻ればいい。文化祭を通して学んだのは、失敗しないことではなく、失敗しても一人で消えなくていいということだった。
「清太」
莉乃が机の下で、繋いだ手をさらに深く絡める。
「なに?」
「皆の前で、もう一回聞きたい」
「何を?」
「私のこと、好き?」
教室中の視線が集まる。
前までの俺なら、絶対に答えられなかっただろう。冗談で誤魔化し、話題を逸らし、二人きりになってからでなければ言えないと逃げたはずだ。
しかし今、莉乃は俺の恋人として隣にいる。その事実を、誰かの視線を恐れて隠したくなかった。
「好きだよ」
口にすると、莉乃の瞳が大きく揺れた。
「もう一回」
「一回で十分だろ」
「足りない」
「学校では一日一回まで」
「家では?」
「回数制にするな」
莉乃は幸せそうに笑い、俺の肩へ寄りかかった。教室には再び歓声と冷やかしの声が広がったが、俺はもう彼女から離れなかった。
文化祭は終わった。
けれど、俺がようやく手に入れた青春は、昨日で終わったわけではない。何も起きない日常も、恋人になった莉乃に振り回される騒がしい毎日も、これから少しずつ俺たちの思い出になっていく。
そしてその始まりとなった朝、俺はクラス全員の前で、初めて好きな人を好きだと隠さずに言うことができた。
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