それはもうただの関係じゃない
週末。
俺は駅前のロータリーで、待ち合わせ時間の十分前から立っていた。
別に楽しみにしていたわけではない。
いや、楽しみにしていないと言えば嘘になる。
京介から「久々に遊ぼうぜ」と連絡が来て、俺はそれに「行く」と返した。たったそれだけのことなのに、前日の夜から妙に落ち着かなかった。
中学時代の友人と遊ぶ。
昔なら、それは普通のことだったはずだ。
だが、俺にとっては少しだけ勇気のいることになっていた。
中学の途中から、人と関わることが怖くなった。教室に行くことが重くなった。誰かの視線や言葉の裏を考えすぎて、何もかもが面倒になった。
京介とは完全に切れたわけではなかった。
けれど、俺が勝手に距離を取った。
自分から離れておいて、心のどこかでは「置いていかれた」と思っていた。身勝手にもほどがある。そんな自分が嫌で、さらに人から離れた。
だから今日、こうして待ち合わせ場所に立っているだけで、俺の青春コンプレックスはすでに小さく震えていた。
スマホが震える。
莉乃からだった。
『清太、もう着いた?』
俺はすぐに返す。
『着きました。まだ誰も来てません』
既読は一瞬でついた。
『緊張してる?』
『少し』
『逃げたくなったら?』
俺は画面を見つめ、少しだけ息を吐く。
『逃げる前に言います』
すぐに返信が来た。
『えらい』
『あと、女の子いたら報告』
『そこは忘れないんですね』
『重要だから』
俺は少し笑った。
莉乃の重さは相変わらずだった。
でも、その重さに救われる自分がいる。
誰かが自分の帰りを待っている。
それだけで、足元が少し安定する。
「おーい、清太!」
声が聞こえた。
顔を上げると、京介が手を振りながら走ってきた。その後ろには、見覚えのある男子が二人いる。
ひとりは背の高い佐伯拓斗。中学の頃、よく京介と一緒にカードショップに入り浸っていたやつだ。もうひとりは丸顔の三枝航。昔から妙に聞き上手で、俺が『青春いらない!!』の話をしても「へえ、ヒロイン何人?」と雑ながら聞いてくれた男である。
「久しぶりだな、高原!」
「生きてたかー?」
「勝手に死亡確認しないでくれ」
俺がそう返すと、三枝が笑った。
「いや、京介がさ。清太誘ったって言うから、ちょっとびっくりした」
「俺も自分で少しびっくりしてる」
「そりゃいいじゃん。今日は遊ぼうぜ」
京介が俺の肩を軽く叩いた。
その力加減が、昔と変わっていなくて、少しだけ胸が痛んだ。
変わらないものがある。
それは嬉しい。
でも同時に、自分だけがどこかで止まっていたみたいで苦しくもなる。
「で、どこ行く?」
佐伯が聞く。
京介は当然のように言った。
「まずカードショップだろ」
「昼からカードは重いな」
「清太、デッキ持ってきた?」
「一応」
「さすが」
俺は鞄の中のデッキケースを少し押さえた。
空色のスリーブ。
莉乃と選んだスリーブだ。
そのことを思い出した瞬間、心臓が少し跳ねる。
俺はもう、昔の友人と遊ぶ場所にも、莉乃との記憶を持ち込んでいる。
それが不思議だった。
カードショップでは、思ったより自然に時間が流れた。
京介は相変わらず攻撃力で押し切るデッキを使い、佐伯はやたら理屈っぽいコントロールデッキを回し、三枝は「楽しければよくね?」と言いながら妙なコンボを決めてくる。
俺も久しぶりに声を出して笑った。
「そこでそのカード出すの性格悪くない?」
「戦略と言ってほしい」
「清太、昔からそういうとこあるよな」
「あるある。普段静かなのにカードだと急に冷酷」
「俺の評価どうなってるんだ」
笑いながらカードを出す。
勝って、負けて、また笑う。
それだけの時間が、やけに懐かしかった。
中学の頃にも、こういう日があった。
放課後、制服のままカードショップに寄って、くだらないことで盛り上がって、帰りにコンビニでアイスを買って食べる。そんな時間がずっと続くと思っていた。
でも、続かなかった。
俺が勝手に離れたからだ。
「清太、次どうする?」
京介が聞く。
「俺は何でも」
「じゃあゲーセン行こうぜ。三枝が太鼓でイキってるから潰す」
「潰すなよ」
三枝が笑う。
俺もつられて笑った。
カードショップを出て、俺たちは駅前のゲームセンターへ向かった。
そこでも、時間は普通に楽しかった。
格ゲーで佐伯に負け、京介がクレーンゲームで変なぬいぐるみを取ろうとして失敗し、三枝が音ゲーで妙に上手くて周囲の知らない人に見られる。
「お前、いつ練習してたんだよ」
「孤独な努力」
「急にかっこいいこと言うな」
俺は笑いながら、ふと莉乃と来たときのことを思い出した。
クレーンゲームの前で莉乃が真剣な顔をしていたこと。
格ゲーで負けず嫌いを発揮していたこと。
俺に「次も清太がいい」と言ったこと。
その記憶が胸に浮かんで、少しだけ頬が熱くなる。
「清太?」
京介が俺の顔を覗き込んできた。
「なんか今、顔ゆるくなかった?」
「なってない」
「いや、なってた。さては例の幼馴染ちゃんのこと考えてたな?」
「幼馴染ではない」
「まだそれ言ってんの?」
京介はけらけら笑った。
佐伯と三枝が食いつく。
「え、何それ」
「清太に幼馴染?」
「違う。いろいろ複雑なんだ」
「複雑な幼馴染って何?」
説明できない。
幼馴染ではないのに幼馴染を自称し、現役トップアイドルで、俺に重い感情を向けてきて、名前で呼び合い、手を繋ぎ、俺の青春コンプレックスを殴ると言った女。
要約すると怪文書になる。
「大事な人、みたいな」
俺がそう言うと、三人が固まった。
「……清太が?」
「今、大事な人って言った?」
「お前、そんな青春側の台詞言うキャラだったっけ?」
「自分でも驚いてる」
京介がにやりと笑う。
「よかったじゃん」
その言葉は、からかいではなかった。
だから俺は少しだけ返事に困った。
「……うん」
小さく頷くと、京介はそれ以上茶化さなかった。
その距離感がありがたかった。
俺たちは夕方まで遊んだ。
最後に駅前のファストフード店に入って、ポテトをつまみながらどうでもいい話をする。
中学の頃の教師のあだ名。
カードショップの店長がまだいるかどうか。
佐伯が高校でなぜかバスケ部に入った話。
三枝が文化祭実行委員に押し込まれた話。
京介が最近バイトを始めようとして落ちた話。
くだらない。
でも、悪くなかった。
俺は笑っていた。
たぶん、自然に。
だからこそ、油断したのだと思う。
「そういや、高原って中学のとき途中から来なくなったよな」
佐伯が何気なく言った。
悪意はなかった。
本当に、ただ思い出しただけの口調だった。
けれど、その言葉が俺の胸の奥を叩いた。
ポテトをつまむ指が止まる。
「いや、悪い。変な意味じゃなくてさ」
佐伯が慌てる。
「なんか、あの頃急に距離できたから。俺らもどう声かけたらいいかわかんなくて」
三枝も少し気まずそうに頷いた。
「ごめん。俺も、あのとき何もできなかった」
胸の奥が冷えていく。
来なくなった。
距離ができた。
何もできなかった。
全部、事実だ。
だからこそ、痛い。
俺は一瞬で中学の教室に戻された気がした。
自分の席。
周囲の声。
黒板。
誰も悪くないのに、自分だけが息苦しかった日々。
藤宮の言葉。
教師のため息。
『そんなんじゃ、お前は何もできないぞ』
『君の親も苦労するよ』
『お前のせいで周りが困ってるじゃないか』
頭の奥で、昔の声が重なる。
今いる場所はファストフード店なのに、呼吸が浅くなる。
「清太」
京介の声が聞こえた。
俺は顔を上げる。
京介は笑っていなかった。
「無理に答えなくていい」
その言葉で、少しだけ現実に戻った。
逃げる前に言う。
莉乃の声が頭に浮かぶ。
怖くなったら言って。
そしたら私、待つから。
俺は膝の上で拳を握った。
「……ごめん。ちょっと刺さった」
言えた。
小さな声だったけれど、言えた。
佐伯と三枝が目を見開く。
「悪い、高原。ほんとに悪い」
「いや、いい。佐伯が悪いわけじゃない」
俺は息を整えながら続けた。
「あの頃の話、まだちょっと苦手なんだ。でも、聞かれたこと自体が嫌っていうより、自分が戻される感じがして」
言葉を探しながら話す。
昔なら、笑って誤魔化した。
いや、全然。
気にしてない。
そう言って、あとで一人で沈んだ。
でも今は、少し違う。
「俺、あの頃、自分から逃げたんだと思ってる。でも同時に、置いていかれたとも思ってた。勝手だよな」
京介は首を横に振った。
「勝手じゃねえよ」
「勝手だろ」
「しんどいやつがそう思うのは、勝手じゃねえよ」
京介は真面目な顔で言った。
「俺らもさ、どうしたらいいかわかんなかったんだ。でも、だからって清太が一人で全部悪いみたいに思う必要はない」
佐伯も頷く。
「俺、距離できたって言い方したけど、別に責めたかったわけじゃない。ただ、今日普通に遊べてよかったって思っただけ」
三枝がポテトを一本持ち上げたまま、少し笑った。
「そうそう。清太、カードやってるとき普通に楽しそうだったし。あれ見て、ああ戻ってきたんだなって思った」
戻ってきた。
その言葉に、胸が詰まった。
莉乃にも言われた。
過去から帰ってきた、と。
俺は、どこかに戻ってきているのだろうか。
昔失くした場所に。
いや、同じ場所ではない。
中学の頃には戻れない。
でも、違う形でまた座れる場所があるのかもしれない。
そのとき、スマホが震えた。
莉乃からだった。
『清太、今大丈夫?』
タイミングが良すぎる。
もはや監視されているのではないか。
いや、莉乃ならあり得る。いや、さすがにないと思いたい。
俺は少し迷ってから返信した。
『少し過去の話になって、刺さりました』
既読。
すぐに返ってくる。
『逃げてない?』
『逃げてません』
『えらい』
『でも少し声聞きたい』
俺はそのメッセージを見て、固まった。
声を聞きたい。
それは俺が送りたい言葉だった。
莉乃から来た言葉なのに、まるで俺の中を読まれたみたいだった。
京介が俺を見る。
「莉乃ちゃん?」
「……うん」
「電話してくれば?」
「でも」
「いいよ。俺らここにいるし」
佐伯も頷く。
「行ってこい。戻ってこいよ」
三枝が軽く手を振る。
「ポテト残しとくから」
俺は少し笑った。
それから席を立ち、店の外へ出た。
夕方の駅前は少し冷えていた。
俺は店の横の人通りが少ない場所で、莉乃に電話をかける。
ワンコールで繋がった。
『清太』
その声を聞いた瞬間、胸の奥にあった冷たいものが少し緩んだ。
「莉乃」
『大丈夫?』
「……大丈夫、ではないかも」
いつものように「大丈夫です」と言いそうになって、止めた。
敬語。
丁寧な言葉。
俺は莉乃に対して、ずっとそれを使っていた。
距離感のため。
礼儀のため。
そう思っていた。
でも、本当は違うのかもしれない。
敬語は俺にとって、逃げ道だった。
丁寧に話していれば、踏み込みすぎないで済む。相手との距離を一定に保てる。拒まれたときに「そこまで近づいたわけじゃない」と自分に言い訳できる。
莉乃を名前で呼ぶようになっても、俺はまだその壁を残していた。
『清太?』
「ごめん」
自然に出た。
敬語ではなかった。
俺は自分の口から出た言葉に少し驚いた。
通話の向こうで、莉乃も息を呑んだ気配がした。
『清太、今……』
「ごめん、莉乃。ちょっと、昔のこと思い出して苦しくなった」
言葉が続いた。
敬語ではない。
でも、乱暴でもない。
ただ、近い。
俺自身の言葉だった。
「でも、逃げなかった。京介たちにも、少し刺さったって言えた。今も、戻るつもりでいる」
莉乃はしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐く。
『うん』
声が震えていた。
『清太、今、敬語じゃない』
「……そうだな」
『無理』
「今それ言う?」
『だって、清太が……私に、近い声で話してる』
近い声。
その表現に、胸が熱くなった。
「莉乃」
『うん』
「俺、敬語使ってたの、たぶん癖だけじゃない」
『うん』
「怖かったんだと思う。近づきすぎるのが。丁寧にしてたら、逃げ道を残せる気がして」
『うん』
「でも今、莉乃の声聞いたら、そういうのいらない気がした」
言ってから、手が震えた。
恥ずかしい。
とんでもなく恥ずかしい。
でも、不思議と嫌ではなかった。
莉乃は何も言わない。
その沈黙が怖くなりかけたとき、彼女が小さく言った。
『清太』
「なに?」
『もう一回、そうやって呼んで』
「莉乃」
『もう一回』
「莉乃」
『……好き』
「今それをぶつけるな」
『だって無理。清太が、逃げ道を少し捨ててくれた』
その言葉に、俺は苦笑した。
捨てた。
たしかにそうかもしれない。
完全にではない。
まだ怖い。
また敬語に戻ることもあるだろう。
でも今、少しだけ壁を低くした。
「莉乃」
『うん』
「まだ全部は無理だと思う。たぶん、癖で敬語も出る」
『うん』
「でも、今みたいに話してもいいなら……少しずつ、そうする」
通話の向こうで、莉乃が息を詰めた。
『いいに決まってる』
声が涙混じりだった。
『清太のその声、私だけにして』
「重い」
『うん。重いよ。でも本気』
「知ってる」
『清太』
「なに」
『戻っておいで。友達のところに』
その言葉に、胸が少し痛くなった。
莉乃は、俺を自分のところにだけ閉じ込めようとはしなかった。
戻っておいで。
友達のところに。
それは、莉乃なりの優しさだった。
「うん。戻る」
『終わったら連絡して』
「わかった」
『敬語じゃない清太、ずるい』
「それ、今日あと何回言う気だよ」
『数えきれないくらい』
俺は少し笑った。
通話を切る前に、莉乃が小さく言った。
『清太、頑張ったね』
「……ありがとう、莉乃」
電話を切る。
スマホを握ったまま、俺は少しだけ空を見上げた。
夕方の空は、もう夜に近づいている。
胸の奥にはまだ痛みが残っている。
でも、さっきより息がしやすかった。
店内に戻ると、京介たちは何事もなかったようにポテトをつまんでいた。
「おかえり」
京介が言う。
戻ってきた。
その言葉が、今日は少しだけ重くて、温かかった。
「ただいま」
俺がそう返すと、三人が一瞬だけ驚いた顔をした。
それから京介が笑った。
「おう」
俺は席に座る。
三枝が残しておくと言ったポテトは、ちゃんと少し残っていた。
「清太」
佐伯が少し気まずそうに言った。
「さっきは悪かった」
「もういい。俺も、言えてよかった」
自然にそう言えた。
京介が目を細める。
「なんか、少し変わったな」
「そうか?」
「うん。前より、ちゃんと怒ったり痛がったりするようになった」
「褒めてるのかそれ」
「褒めてる」
俺は小さく笑った。
昔の俺は、痛がることすら怖かった。
でも今は、少しだけ言える。
それはたぶん、莉乃が隣で待つと言ってくれたからだ。
そして、京介たちが俺を戻る場所として扱ってくれたからだ。
その日の帰り道。
俺は莉乃にメッセージを送った。
『今終わった。ちゃんと最後までいた』
すぐに既読がつく。
『おかえり、清太』
俺は少し迷ってから、返信する。
『ただいま、莉乃』
送信したあと、もう一文を打つ。
『今日、少しだけ普通に話せた気がする。莉乃とも、京介たちとも』
莉乃からの返信は、少し間が空いた。
やがて届いた文字を見て、俺は駅前で立ち止まった。
『清太の近い言葉、もっと聞きたい』
『でも、急がなくていい』
『私、待つから』
俺は画面を見つめながら、小さく息を吐く。
敬語という壁。
青春コンプレックスという棘。
過去に置いてきた友人との時間。
それらが今日、一度に揺れた。
痛かった。
怖かった。
でも、逃げなかった。
そして俺は、莉乃に対して少しだけ近い言葉を使った。
たったそれだけ。
けれど、俺にとっては大きな一歩だった。
『ありがとう。明日、話したい』
送る。
莉乃からの返信はすぐだった。
『うん』
『明日、いっぱい聞かせて』
『清太の声で』
俺はスマホを閉じ、夜に変わり始めた空を見上げた。
青春コンプレックスは、まだ消えない。
でも今日、その棘の隙間から、少しだけ新しい自分の声が出た気がした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




