表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/49

それはもうただの関係じゃない

 週末。


 俺は駅前のロータリーで、待ち合わせ時間の十分前から立っていた。


 別に楽しみにしていたわけではない。


 いや、楽しみにしていないと言えば嘘になる。


 京介から「久々に遊ぼうぜ」と連絡が来て、俺はそれに「行く」と返した。たったそれだけのことなのに、前日の夜から妙に落ち着かなかった。


 中学時代の友人と遊ぶ。


 昔なら、それは普通のことだったはずだ。


 だが、俺にとっては少しだけ勇気のいることになっていた。


 中学の途中から、人と関わることが怖くなった。教室に行くことが重くなった。誰かの視線や言葉の裏を考えすぎて、何もかもが面倒になった。


 京介とは完全に切れたわけではなかった。


 けれど、俺が勝手に距離を取った。


 自分から離れておいて、心のどこかでは「置いていかれた」と思っていた。身勝手にもほどがある。そんな自分が嫌で、さらに人から離れた。


 だから今日、こうして待ち合わせ場所に立っているだけで、俺の青春コンプレックスはすでに小さく震えていた。


 スマホが震える。


 莉乃からだった。


『清太、もう着いた?』


 俺はすぐに返す。


『着きました。まだ誰も来てません』


 既読は一瞬でついた。


『緊張してる?』


『少し』


『逃げたくなったら?』


 俺は画面を見つめ、少しだけ息を吐く。


『逃げる前に言います』


 すぐに返信が来た。


『えらい』


『あと、女の子いたら報告』


『そこは忘れないんですね』


『重要だから』


 俺は少し笑った。


 莉乃の重さは相変わらずだった。


 でも、その重さに救われる自分がいる。


 誰かが自分の帰りを待っている。


 それだけで、足元が少し安定する。


「おーい、清太!」


 声が聞こえた。


 顔を上げると、京介が手を振りながら走ってきた。その後ろには、見覚えのある男子が二人いる。


 ひとりは背の高い佐伯拓斗。中学の頃、よく京介と一緒にカードショップに入り浸っていたやつだ。もうひとりは丸顔の三枝航。昔から妙に聞き上手で、俺が『青春いらない!!』の話をしても「へえ、ヒロイン何人?」と雑ながら聞いてくれた男である。


「久しぶりだな、高原!」


「生きてたかー?」


「勝手に死亡確認しないでくれ」


 俺がそう返すと、三枝が笑った。


「いや、京介がさ。清太誘ったって言うから、ちょっとびっくりした」


「俺も自分で少しびっくりしてる」


「そりゃいいじゃん。今日は遊ぼうぜ」


 京介が俺の肩を軽く叩いた。


 その力加減が、昔と変わっていなくて、少しだけ胸が痛んだ。


 変わらないものがある。


 それは嬉しい。


 でも同時に、自分だけがどこかで止まっていたみたいで苦しくもなる。


「で、どこ行く?」


 佐伯が聞く。


 京介は当然のように言った。


「まずカードショップだろ」


「昼からカードは重いな」


「清太、デッキ持ってきた?」


「一応」


「さすが」


 俺は鞄の中のデッキケースを少し押さえた。


 空色のスリーブ。


 莉乃と選んだスリーブだ。


 そのことを思い出した瞬間、心臓が少し跳ねる。


 俺はもう、昔の友人と遊ぶ場所にも、莉乃との記憶を持ち込んでいる。


 それが不思議だった。


 カードショップでは、思ったより自然に時間が流れた。


 京介は相変わらず攻撃力で押し切るデッキを使い、佐伯はやたら理屈っぽいコントロールデッキを回し、三枝は「楽しければよくね?」と言いながら妙なコンボを決めてくる。


 俺も久しぶりに声を出して笑った。


「そこでそのカード出すの性格悪くない?」


「戦略と言ってほしい」


「清太、昔からそういうとこあるよな」


「あるある。普段静かなのにカードだと急に冷酷」


「俺の評価どうなってるんだ」


 笑いながらカードを出す。


 勝って、負けて、また笑う。


 それだけの時間が、やけに懐かしかった。


 中学の頃にも、こういう日があった。


 放課後、制服のままカードショップに寄って、くだらないことで盛り上がって、帰りにコンビニでアイスを買って食べる。そんな時間がずっと続くと思っていた。


 でも、続かなかった。


 俺が勝手に離れたからだ。


「清太、次どうする?」


 京介が聞く。


「俺は何でも」


「じゃあゲーセン行こうぜ。三枝が太鼓でイキってるから潰す」


「潰すなよ」


 三枝が笑う。


 俺もつられて笑った。


 カードショップを出て、俺たちは駅前のゲームセンターへ向かった。


 そこでも、時間は普通に楽しかった。


 格ゲーで佐伯に負け、京介がクレーンゲームで変なぬいぐるみを取ろうとして失敗し、三枝が音ゲーで妙に上手くて周囲の知らない人に見られる。


「お前、いつ練習してたんだよ」


「孤独な努力」


「急にかっこいいこと言うな」


 俺は笑いながら、ふと莉乃と来たときのことを思い出した。


 クレーンゲームの前で莉乃が真剣な顔をしていたこと。


 格ゲーで負けず嫌いを発揮していたこと。


 俺に「次も清太がいい」と言ったこと。


 その記憶が胸に浮かんで、少しだけ頬が熱くなる。


「清太?」


 京介が俺の顔を覗き込んできた。


「なんか今、顔ゆるくなかった?」


「なってない」


「いや、なってた。さては例の幼馴染ちゃんのこと考えてたな?」


「幼馴染ではない」


「まだそれ言ってんの?」


 京介はけらけら笑った。


 佐伯と三枝が食いつく。


「え、何それ」


「清太に幼馴染?」


「違う。いろいろ複雑なんだ」


「複雑な幼馴染って何?」


 説明できない。


 幼馴染ではないのに幼馴染を自称し、現役トップアイドルで、俺に重い感情を向けてきて、名前で呼び合い、手を繋ぎ、俺の青春コンプレックスを殴ると言った女。


 要約すると怪文書になる。


「大事な人、みたいな」


 俺がそう言うと、三人が固まった。


「……清太が?」


「今、大事な人って言った?」


「お前、そんな青春側の台詞言うキャラだったっけ?」


「自分でも驚いてる」


 京介がにやりと笑う。


「よかったじゃん」


 その言葉は、からかいではなかった。


 だから俺は少しだけ返事に困った。


「……うん」


 小さく頷くと、京介はそれ以上茶化さなかった。


 その距離感がありがたかった。


 俺たちは夕方まで遊んだ。


 最後に駅前のファストフード店に入って、ポテトをつまみながらどうでもいい話をする。


 中学の頃の教師のあだ名。


 カードショップの店長がまだいるかどうか。


 佐伯が高校でなぜかバスケ部に入った話。


 三枝が文化祭実行委員に押し込まれた話。


 京介が最近バイトを始めようとして落ちた話。


 くだらない。


 でも、悪くなかった。


 俺は笑っていた。


 たぶん、自然に。


 だからこそ、油断したのだと思う。


「そういや、高原って中学のとき途中から来なくなったよな」


 佐伯が何気なく言った。


 悪意はなかった。


 本当に、ただ思い出しただけの口調だった。


 けれど、その言葉が俺の胸の奥を叩いた。


 ポテトをつまむ指が止まる。


「いや、悪い。変な意味じゃなくてさ」


 佐伯が慌てる。


「なんか、あの頃急に距離できたから。俺らもどう声かけたらいいかわかんなくて」


 三枝も少し気まずそうに頷いた。


「ごめん。俺も、あのとき何もできなかった」


 胸の奥が冷えていく。


 来なくなった。


 距離ができた。


 何もできなかった。


 全部、事実だ。


 だからこそ、痛い。


 俺は一瞬で中学の教室に戻された気がした。


 自分の席。


 周囲の声。


 黒板。


 誰も悪くないのに、自分だけが息苦しかった日々。


 藤宮の言葉。


 教師のため息。


『そんなんじゃ、お前は何もできないぞ』


『君の親も苦労するよ』


『お前のせいで周りが困ってるじゃないか』


 頭の奥で、昔の声が重なる。


 今いる場所はファストフード店なのに、呼吸が浅くなる。


「清太」


 京介の声が聞こえた。


 俺は顔を上げる。


 京介は笑っていなかった。


「無理に答えなくていい」


 その言葉で、少しだけ現実に戻った。


 逃げる前に言う。


 莉乃の声が頭に浮かぶ。


 怖くなったら言って。


 そしたら私、待つから。


 俺は膝の上で拳を握った。


「……ごめん。ちょっと刺さった」


 言えた。


 小さな声だったけれど、言えた。


 佐伯と三枝が目を見開く。


「悪い、高原。ほんとに悪い」


「いや、いい。佐伯が悪いわけじゃない」


 俺は息を整えながら続けた。


「あの頃の話、まだちょっと苦手なんだ。でも、聞かれたこと自体が嫌っていうより、自分が戻される感じがして」


 言葉を探しながら話す。


 昔なら、笑って誤魔化した。


 いや、全然。


 気にしてない。


 そう言って、あとで一人で沈んだ。


 でも今は、少し違う。


「俺、あの頃、自分から逃げたんだと思ってる。でも同時に、置いていかれたとも思ってた。勝手だよな」


 京介は首を横に振った。


「勝手じゃねえよ」


「勝手だろ」


「しんどいやつがそう思うのは、勝手じゃねえよ」


 京介は真面目な顔で言った。


「俺らもさ、どうしたらいいかわかんなかったんだ。でも、だからって清太が一人で全部悪いみたいに思う必要はない」


 佐伯も頷く。


「俺、距離できたって言い方したけど、別に責めたかったわけじゃない。ただ、今日普通に遊べてよかったって思っただけ」


 三枝がポテトを一本持ち上げたまま、少し笑った。


「そうそう。清太、カードやってるとき普通に楽しそうだったし。あれ見て、ああ戻ってきたんだなって思った」


 戻ってきた。


 その言葉に、胸が詰まった。


 莉乃にも言われた。


 過去から帰ってきた、と。


 俺は、どこかに戻ってきているのだろうか。


 昔失くした場所に。


 いや、同じ場所ではない。


 中学の頃には戻れない。


 でも、違う形でまた座れる場所があるのかもしれない。


 そのとき、スマホが震えた。


 莉乃からだった。


『清太、今大丈夫?』


 タイミングが良すぎる。


 もはや監視されているのではないか。


 いや、莉乃ならあり得る。いや、さすがにないと思いたい。


 俺は少し迷ってから返信した。


『少し過去の話になって、刺さりました』


 既読。


 すぐに返ってくる。


『逃げてない?』


『逃げてません』


『えらい』


『でも少し声聞きたい』


 俺はそのメッセージを見て、固まった。


 声を聞きたい。


 それは俺が送りたい言葉だった。


 莉乃から来た言葉なのに、まるで俺の中を読まれたみたいだった。


 京介が俺を見る。


「莉乃ちゃん?」


「……うん」


「電話してくれば?」


「でも」


「いいよ。俺らここにいるし」


 佐伯も頷く。


「行ってこい。戻ってこいよ」


 三枝が軽く手を振る。


「ポテト残しとくから」


 俺は少し笑った。


 それから席を立ち、店の外へ出た。


 夕方の駅前は少し冷えていた。


 俺は店の横の人通りが少ない場所で、莉乃に電話をかける。


 ワンコールで繋がった。


『清太』


 その声を聞いた瞬間、胸の奥にあった冷たいものが少し緩んだ。


「莉乃」


『大丈夫?』


「……大丈夫、ではないかも」


 いつものように「大丈夫です」と言いそうになって、止めた。


 敬語。


 丁寧な言葉。


 俺は莉乃に対して、ずっとそれを使っていた。


 距離感のため。


 礼儀のため。


 そう思っていた。


 でも、本当は違うのかもしれない。


 敬語は俺にとって、逃げ道だった。


 丁寧に話していれば、踏み込みすぎないで済む。相手との距離を一定に保てる。拒まれたときに「そこまで近づいたわけじゃない」と自分に言い訳できる。


 莉乃を名前で呼ぶようになっても、俺はまだその壁を残していた。


『清太?』


「ごめん」


 自然に出た。


 敬語ではなかった。


 俺は自分の口から出た言葉に少し驚いた。


 通話の向こうで、莉乃も息を呑んだ気配がした。


『清太、今……』


「ごめん、莉乃。ちょっと、昔のこと思い出して苦しくなった」


 言葉が続いた。


 敬語ではない。


 でも、乱暴でもない。


 ただ、近い。


 俺自身の言葉だった。


「でも、逃げなかった。京介たちにも、少し刺さったって言えた。今も、戻るつもりでいる」


 莉乃はしばらく黙っていた。


 それから、小さく息を吐く。


『うん』


 声が震えていた。


『清太、今、敬語じゃない』


「……そうだな」


『無理』


「今それ言う?」


『だって、清太が……私に、近い声で話してる』


 近い声。


 その表現に、胸が熱くなった。


「莉乃」


『うん』


「俺、敬語使ってたの、たぶん癖だけじゃない」


『うん』


「怖かったんだと思う。近づきすぎるのが。丁寧にしてたら、逃げ道を残せる気がして」


『うん』


「でも今、莉乃の声聞いたら、そういうのいらない気がした」


 言ってから、手が震えた。


 恥ずかしい。


 とんでもなく恥ずかしい。


 でも、不思議と嫌ではなかった。


 莉乃は何も言わない。


 その沈黙が怖くなりかけたとき、彼女が小さく言った。


『清太』


「なに?」


『もう一回、そうやって呼んで』


「莉乃」


『もう一回』


「莉乃」


『……好き』


「今それをぶつけるな」


『だって無理。清太が、逃げ道を少し捨ててくれた』


 その言葉に、俺は苦笑した。


 捨てた。


 たしかにそうかもしれない。


 完全にではない。


 まだ怖い。


 また敬語に戻ることもあるだろう。


 でも今、少しだけ壁を低くした。


「莉乃」


『うん』


「まだ全部は無理だと思う。たぶん、癖で敬語も出る」


『うん』


「でも、今みたいに話してもいいなら……少しずつ、そうする」


 通話の向こうで、莉乃が息を詰めた。


『いいに決まってる』


 声が涙混じりだった。


『清太のその声、私だけにして』


「重い」


『うん。重いよ。でも本気』


「知ってる」


『清太』


「なに」


『戻っておいで。友達のところに』


 その言葉に、胸が少し痛くなった。


 莉乃は、俺を自分のところにだけ閉じ込めようとはしなかった。


 戻っておいで。


 友達のところに。


 それは、莉乃なりの優しさだった。


「うん。戻る」


『終わったら連絡して』


「わかった」


『敬語じゃない清太、ずるい』


「それ、今日あと何回言う気だよ」


『数えきれないくらい』


 俺は少し笑った。


 通話を切る前に、莉乃が小さく言った。


『清太、頑張ったね』


「……ありがとう、莉乃」


 電話を切る。


 スマホを握ったまま、俺は少しだけ空を見上げた。


 夕方の空は、もう夜に近づいている。


 胸の奥にはまだ痛みが残っている。


 でも、さっきより息がしやすかった。


 店内に戻ると、京介たちは何事もなかったようにポテトをつまんでいた。


「おかえり」


 京介が言う。


 戻ってきた。


 その言葉が、今日は少しだけ重くて、温かかった。


「ただいま」


 俺がそう返すと、三人が一瞬だけ驚いた顔をした。


 それから京介が笑った。


「おう」


 俺は席に座る。


 三枝が残しておくと言ったポテトは、ちゃんと少し残っていた。


「清太」


 佐伯が少し気まずそうに言った。


「さっきは悪かった」


「もういい。俺も、言えてよかった」


 自然にそう言えた。


 京介が目を細める。


「なんか、少し変わったな」


「そうか?」


「うん。前より、ちゃんと怒ったり痛がったりするようになった」


「褒めてるのかそれ」


「褒めてる」


 俺は小さく笑った。


 昔の俺は、痛がることすら怖かった。


 でも今は、少しだけ言える。


 それはたぶん、莉乃が隣で待つと言ってくれたからだ。


 そして、京介たちが俺を戻る場所として扱ってくれたからだ。


 その日の帰り道。


 俺は莉乃にメッセージを送った。


『今終わった。ちゃんと最後までいた』


 すぐに既読がつく。


『おかえり、清太』


 俺は少し迷ってから、返信する。


『ただいま、莉乃』


 送信したあと、もう一文を打つ。


『今日、少しだけ普通に話せた気がする。莉乃とも、京介たちとも』


 莉乃からの返信は、少し間が空いた。


 やがて届いた文字を見て、俺は駅前で立ち止まった。


『清太の近い言葉、もっと聞きたい』


『でも、急がなくていい』


『私、待つから』


 俺は画面を見つめながら、小さく息を吐く。


 敬語という壁。


 青春コンプレックスという棘。


 過去に置いてきた友人との時間。


 それらが今日、一度に揺れた。


 痛かった。


 怖かった。


 でも、逃げなかった。


 そして俺は、莉乃に対して少しだけ近い言葉を使った。


 たったそれだけ。


 けれど、俺にとっては大きな一歩だった。


『ありがとう。明日、話したい』


 送る。


 莉乃からの返信はすぐだった。


『うん』


『明日、いっぱい聞かせて』


『清太の声で』


 俺はスマホを閉じ、夜に変わり始めた空を見上げた。


 青春コンプレックスは、まだ消えない。


 でも今日、その棘の隙間から、少しだけ新しい自分の声が出た気がした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ