一生再生する
夜、星宮からの連絡は結局しばらく続いた。
撮影が終わったあとも、控室で飲んだ温かい紅茶の写真や、今日の衣装の袖口だけを写した写真が送られてきた。芸能人らしい華やかな世界の断片なのに、送ってくる内容は妙に生活感がある。
『この紅茶、甘すぎた』
『でも清太、こういうの好きそう』
『いや、俺は甘すぎるのはそこまで』
『じゃあ今度、清太が好きな飲み物教えて』
そんなやり取りをしているうちに、気づけば寝る時間を過ぎていた。
星宮莉乃。
テレビや雑誌に出る、遠い世界の女の子。
それなのに、俺のスマホの中では、甘すぎる紅茶に文句を言い、俺の返信が少し遅いだけで『寝た?』『ねえ、寝た?』『まだ起きてるよね?』と連投してくる。
芸能人としての星宮と、俺にだけ見せる星宮。
その差が、最近やけに胸に残る。
俺は布団の中でスマホを見つめながら、『青春いらない!!』の主人公を思い出していた。
あいつもよく、ヒロインの本音に気づかないふりをする。
気づいているのに、踏み込めば関係が変わるのが怖くて、冗談に逃げる。読んでいる側からすれば「そこで行けよ」と言いたくなるのに、今の俺は少しだけわかってしまう。
踏み込んだ先にあるものが、甘いだけとは限らない。
だから怖い。
でも、踏み込まないままでいることも、同じくらい苦しくなってきている。
翌朝、寝不足気味で教室へ入ると、星宮はすでに原と篠崎に囲まれていた。
昨日の撮影の話をしているらしい。原が興味津々で身を乗り出し、篠崎は眠そうな顔のまま、スマホで何かを見ている。
「莉乃、これ昨日の撮影?」
「え、もう出てるの?」
「公式のストーリーにちょっとだけ上がってる」
篠崎のスマホ画面を、原が覗き込む。
俺は自分の席へ向かいながら、見ないようにした。
見たら負けな気がした。
だが、星宮はそんな俺にすぐ気づいた。
「清太、おはよ」
「おはようございます」
「昨日、ちゃんと寝た?」
「誰かさんが連絡を続けてきたので、少し寝不足です」
「私のせい?」
「だいたい」
星宮は一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした。
けれど次の瞬間、少し嬉しそうに笑った。
「でも、清太が返してくれたから」
その言い方が、また心臓に悪い。
原がにやける。
「朝から距離近いねぇ」
篠崎もスマホをひらひらさせた。
「高原くん、これ見た?」
「見てません」
「見たほうがいいよー。莉乃、めっちゃ彼女感ある」
彼女感。
その単語が胸の奥に引っかかった。
星宮の表情が、ほんの少しだけ止まる。
「咲、それ清太に見せないで」
「えー、なんで?」
「清太が変な顔するから」
「変な顔って」
俺が言う前に、篠崎が画面をこちらへ向けた。
そこには、昨日の撮影で撮られたらしい星宮が映っていた。
夕暮れの通学路のようなセット。隣に誰かがいる構図なのだろう。星宮は横を見上げるようにして笑っている。柔らかくて、甘くて、まるで本当に好きな人と放課後を歩いているみたいな顔。
綺麗だった。
同時に、少し嫌だった。
その表情を向けられている相手が、画面の外にいる誰かだと思うと、胸の奥がむずつく。
仕事だ。
わかっている。
でも、わかっていても、気分はそう簡単に言うことを聞かない。
「清太」
星宮の声がした。
彼女は俺の顔をじっと見ていた。
俺が何かを飲み込んだことに、たぶん気づいた。
「……仕事ですし、似合ってると思います」
俺はなんとか言った。
星宮の瞳が少し揺れる。
嬉しそうで、でも不満そうだった。
「それだけ?」
「え?」
「それだけなんだ」
まずい。
また地雷を踏んだ。
星宮の目元の光が、ゆっくり薄くなる。原と篠崎が「あ」と小さく声を漏らした。
俺は慌てて言葉を探す。
けれど、教室でクラスメイトがいる中、どこまで言っていいのかわからない。
俺は少しだけ声を落とした。
「……少し、嫌でした」
星宮の指が止まった。
「他の人に、そういう顔を向けてるように見えたので」
言った瞬間、教室の音が遠くなった気がした。
星宮は固まっていた。
原が口を押さえ、篠崎が珍しく目を開いている。
俺は顔が熱くなるのを感じながら、視線を逸らした。
完全に言いすぎた。
いや、でも本音だった。
星宮はしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと俺の袖をつまんだ。
「清太」
「はい」
「今の、もう一回言って」
「言いません」
「お願い」
「無理です」
「じゃあ、私の中で一生再生する」
「やめてください」
星宮は俯いた。
その肩が、わずかに震えている。
泣いているのかと思った。
違った。
笑っていた。
ただ、笑いながら泣きそうな顔をしていた。
「よかった」
彼女は小さく呟いた。
「清太の中に、ちゃんと私いるんだ」
その声は、あまりにも切実だった。
原も篠崎も、からかうのをやめていた。
教室の中心でいつも輝いている星宮莉乃が、俺の一言でこんなにも表情を崩す。それが少し怖くて、でも目を逸らせなかった。
星宮は顔を上げる。
もう笑顔を作っていた。
でも、瞳の奥にはまだ濡れたような熱が残っている。
「清太、今日の昼も別荘ね」
「マイホームです」
「うん。私たちの場所」
「勝手に共有名義にしないでください」
いつものやり取り。
それなのに、今日は少しだけ意味が違って聞こえた。
授業が始まっても、俺の頭にはさっきの星宮の顔が残っていた。
俺の中に、ちゃんと私いるんだ。
その言葉が、ページに書かれた『青春いらない!!』の名台詞みたいに、何度も頭の中で再生される。
ラブコメは、画面や紙の中だけにある夢物語だと思っていた。
現実の青春なんて、もっと苦くて、痛くて、俺みたいな人間には縁がないものだと思っていた。
けれど、今の俺の隣には、重くて、面倒くさくて、芸能人として輝きながらも俺の言葉ひとつで曇るヒロインがいる。
そして俺は、そのヒロインから目を逸らせなくなっている。
昼休みまで、まだ三時間以上ある。
それなのに俺は、もう倉庫裏で星宮と何を話すかを考えていた。
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