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いても、いなくても

 翌日の昼休み。


 俺はいつものように弁当を持って、倉庫と倉庫の隙間へ向かった。


 校舎裏の空気は、教室より少しだけ冷たい。人の声は遠く、グラウンドから聞こえる運動部の掛け声も、ここでは薄い膜を通したみたいにぼやけていた。


 俺のマイホーム。


 そして、星宮いわく彼女の別荘。


 その場所に入った瞬間、すでに星宮はいた。


 膝の上に弁当箱を置き、片手には文庫サイズの漫画。表紙には『学園ラブコメに青春はいらない!!』の外伝タイトルが躍っている。


「早いですね」


「清太を待ってたから」


 星宮は顔を上げて笑った。


 その笑顔は、昨日送られてきた仕事用の写真とはまるで違った。衣装もメイクもない。制服姿で、少しだけ気を抜いた顔。


 それなのに、俺にはこっちのほうがずっと眩しく見えた。


 俺は隣に腰を下ろした。


 いつの間にか、そこに座ることに違和感がなくなっている。それが少し怖い。


「昨日のインタビュー、どうでした?」


「ちゃんと言えたよ。好きな人は、私を私として見てくれる人がいいって」


 星宮は弁当箱の蓋を開けながら、なんでもないことのように言った。


 けれど、耳の先が少しだけ赤い。


「それ、記事になったら大変じゃないですか」


「大丈夫。名前は出してないもん」


「名前を出してなければいいって問題でも……」


「でも、清太にはわかるでしょ?」


 星宮は俺を見た。


 その瞳の奥には、昨日より少し強い光があった。


 星宮莉乃として誰かに向けた言葉。


 けれど、本当は俺に向けていた言葉。


 それがわかってしまう自分がいた。


「……まあ、少しは」


「少し?」


「かなり」


 俺が観念して言うと、星宮は嬉しそうに目を細めた。


 その顔を見た瞬間、胸の奥がまた騒がしくなる。


 最近の俺は、本当におかしい。


 星宮の表情ひとつで、気分が簡単に揺れる。


 弁当を食べ始めると、星宮は外伝漫画を俺のほうへ寄せてきた。


「これ、昨日の仕事帰りに読んだんだけど、すごく良かった」


「外伝ですか」


「うん。ヒロインが主人公の知らないところで、主人公に救われてたって話」


「星宮さんが好きそうですね」


「好き」


 即答だった。


 彼女はページを開き、あるコマを指さした。


 そこには、主人公が無意識にヒロインへ言葉をかけている場面が描かれていた。主人公にとっては何気ない一言。けれどヒロインにとっては、ずっと忘れられない救いになる。


 俺はそのコマを見て、少しだけ黙った。


 星宮が俺を見る。


「清太、こういう主人公嫌い?」


「嫌いではないです。ただ、無自覚で人の心に残ることをする主人公は、責任を取れと思います」


「それ、清太が言う?」


「……俺が言うから重いんです」


 星宮は小さく笑った。


 でも、その笑顔はすぐに薄くなる。


「私はね、こういうヒロインの気持ち、わかるよ」


 星宮は漫画を閉じた。


「相手は何気なく言っただけでも、こっちにはずっと残るの。何回も思い出して、その言葉の意味を勝手に増やして、大事にして。気づいたら、その人がいない時間まで、その人のことでいっぱいになる」


「……それは、ちょっと重いですね」


「うん。重いよ」


 星宮は否定しなかった。


 むしろ、静かに認めた。


「でも、清太がそうしたんだよ」


 その言葉に、俺は箸を止めた。


 風が倉庫の隙間を抜ける。


 星宮の髪が少し揺れた。


「私、仕事でいろんな人に褒められるよ。かわいいね、綺麗だね、さすが星宮莉乃だねって。でも清太は、そういうふうには見なかった。私の好きな漫画を拾って、私の怖かった気持ちを見て、名前を聞かずに隣にいてくれた」


 星宮の声は穏やかだった。


 けれど、底に沈んでいる感情は重い。


「だから私は、清太の中に残りたい」


 彼女は俺の袖をそっと掴んだ。


「星宮莉乃としてじゃなくて、莉乃として」


 俺は何も言えなかった。


 芸能人としての星宮。


 学校の人気者としての星宮。


 幼馴染を自称して、俺の日常に入り込んでくる星宮。


 その全部が、目の前の一人の女の子に繋がっている。


 そして俺は、その全部から目を逸らせなくなっていた。


「……もう、残ってますよ」


 気づけば、そう言っていた。


 星宮の指が止まる。


「え?」


「星宮さんはもう、俺の中にだいぶ残ってます。というか、残りすぎて困ってます」


 言った瞬間、顔が熱くなった。


 終わった。


 俺は何を言っているんだ。


 星宮は固まっていた。


 弁当箱を持ったまま、瞬きもせずに俺を見ている。次第に頬が赤くなり、耳まで染まっていく。


「清太……」


「今のは忘れてください」


「無理」


 即答だった。


「絶対忘れない。今日のこれ、私の中で特別な思い出になった」


「また思い出を増やさないでください」


「増えちゃったから仕方ないよ」


 星宮は袖を掴む手に少しだけ力を込めた。


 その瞳には、嬉しさと不安と、逃がしたくないという感情が混ざっていた。


「清太」


「はい」


「私、今日の仕事も頑張れる」


「今日も仕事あるんですか?」


「うん。夕方に撮影。だから、放課後は一緒に帰れない」


 星宮の表情が、ほんの少し曇った。


「でも、昼休みに今の言葉もらえたから平気。たぶん」


「たぶんなんですね」


「清太が返事遅かったら平気じゃなくなるかも」


「善処します」


「絶対」


「……気づいたらすぐ返します」


 星宮はようやく笑った。


 その笑顔を見て、俺も少しだけ息を吐く。


 やはり面倒くさい。


 重いし、距離が近いし、すぐ俺の言葉を思い出にしてしまう。


 でも、そんな彼女と『青春いらない!!』の外伝を語っている時間が、俺はもう嫌いではなかった。


 むしろ、少し待っている。


 昼休みのこの場所に来れば、星宮がいる。


 そう思っている自分がいた。


 予鈴が鳴る。


 星宮は名残惜しそうに弁当箱を閉じた。


「戻ろっか」


「はい」


 立ち上がると、星宮は俺の隣に並んだ。


 倉庫の隙間を出る直前、彼女が小さく言う。


「清太、明日もここ来てね」


「いつも来てるじゃないですか」


「うん。でも、言ってほしかった」


 俺は少しだけ考えてから答えた。


「来ますよ。星宮さんがいても、いなくても」


 星宮は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、私は絶対いる」


 その言葉は重かった。


 でも、その重さに胸が少し温かくなる。


 俺はもう、星宮莉乃という存在にかなり侵食されている。


 それを否定するには、彼女と過ごした昼休みが増えすぎていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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