テレビの中の人
昼休みが終わり、午後の授業が始まってからも、星宮はどこか落ち着かない様子だった。
普段の彼女なら、授業中はきちんと前を向いている。ノートも綺麗に取り、教師に当てられれば完璧に答える。芸能活動をしているからといって、学校生活を疎かにしていると思われたくないのだろう。
けれど今日は違った。
右隣の席から、時折こちらへ視線が飛んでくる。
俺が気づくと、星宮はすぐに前を向く。だが数分経つと、また視線が戻ってくる。まるで、そこに俺がいることを確認しなければ落ち着かないみたいだった。
放課後、彼女は仕事へ向かう。
インタビューだと言っていた。
星宮莉乃として、誰かの前で笑い、質問に答え、求められる姿を見せる時間。
俺とは関係のない世界。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
別に嫉妬ではない。
たぶん、そうではない。
ただ、星宮が俺の知らない場所で、俺の知らない顔をすることを想像すると、妙に落ち着かなかった。
そして、それを認めるのが一番嫌だった。
放課後になると、星宮のスマホがすぐに震えた。
彼女は画面を見て、ほんの少しだけ唇を結ぶ。
「迎え、来たみたい」
「そうですか」
「うん」
星宮は鞄を持って立ち上がった。
周囲の生徒たちが、自然と彼女を見る。仕事へ向かう星宮莉乃。教室の中にいるだけでも目立つ彼女が、芸能人としての時間へ戻っていく瞬間だった。
原と篠崎が軽く手を振る。
「莉乃、仕事がんばってねー」
「あとで話聞かせてよー」
「うん。行ってくるね」
星宮は笑った。
完璧な笑顔だった。
だが、その笑顔のまま俺を見る。
一瞬だけ、表情の奥が揺れた。
「清太」
「はい」
「連絡するから」
「……わかってます」
「ちゃんと返してね」
「気づいたら返します」
「気づくまで送る」
「それは本当にやめてください」
星宮は小さく笑った。
それでも、瞳の奥にはまだ不安が残っている。
俺は何か言うべきか迷った。仕事がんばってください、くらいなら普通に言える。でも、それだけでは彼女の不安には届かない気がした。
だから、少しだけ言葉を変えた。
「終わったら、連絡してください」
星宮の目が丸くなった。
「……うん」
その声は、さっきよりずっと柔らかかった。
彼女は教室を出ていく。
廊下へ消える直前、もう一度だけ振り返った。俺が見ていることを確認すると、ほんの少しだけ口元を緩める。
その表情は、テレビに映る星宮莉乃ではなかった。
俺だけに向けられた、少し頼りない笑顔だった。
彼女がいなくなった教室は、急に色が薄くなったように感じた。
俺は自分の席に座ったまま、鞄を持つ手を止めていた。
「高原くんさー」
原の声がした。
「莉乃のこと、めっちゃ見送ってたね」
「見送ってません」
「いや見送ってたよー。篠崎、見てた?」
「見てたー。高原くん、完全に彼氏未満の顔してたー」
「彼氏未満ってなんですか」
篠崎は机に頬杖をつき、眠そうな顔で笑う。
「友達以上、恋人未満ってやつ?」
「違います」
「否定早いねー」
原が楽しそうに笑った。
俺は反論しようとして、言葉を飲み込む。
違う。
そう言い切るには、最近の俺は星宮を意識しすぎている。
でも、そうだと認めるには、まだ怖い。
その曖昧な距離に名前をつけられるのが、今の俺には一番困る。
「……帰ります」
「はいはい。莉乃から連絡来たらすぐ返しなよー」
「篠崎まで」
「だって莉乃、返事来ないとたぶん沈むよー」
冗談めいた言い方だった。
けれど、否定できなかった。
俺は小さくため息を吐いて、教室を出た。
帰り道、スマホが気になった。
まだ連絡は来ていない。
当たり前だ。仕事が始まったばかりのはずだ。
それなのに、ポケットの中のスマホがやけに存在感を持っている。
家に帰ってからも同じだった。
カードの整理をしようとしても、手が止まる。アニメを再生しても、内容が入ってこない。気づけば、スマホの画面を確認している。
星宮からの連絡は、まだない。
俺は何をしているのだろう。
たかがメッセージを待っているだけだ。
なのに、こんなにも落ち着かない。
夜になって、ようやくスマホが震えた。
星宮莉乃。
『終わったよ』
短いメッセージだった。
俺はすぐに返事を打とうとして、手を止める。
早すぎると変だろうか。
いや、待てと言われていた。返事をする約束もした。変に時間を置くほうが面倒なことになる。
『お疲れ様です』
送る。
すぐに既読がついた。
『ちゃんと返してくれた』
その文字を見た瞬間、胸の奥が少しだけ緩んだ。
続けて、写真が送られてきた。
控室らしき場所。小さな鏡台。ペットボトル。台本。そこに映る星宮は、制服ではなく仕事用の衣装を着ていた。
清楚で、大人びていて、どこか遠い。
星宮莉乃。
誰もが知る芸能人としての彼女。
俺は画面を見つめた。
綺麗だった。
そして、少しだけ寂しかった。
『どう?』
メッセージが来る。
俺は迷った。
何と返せばいいのかわからない。
綺麗です、と送るのはあまりに直球すぎる。似合ってます、なら無難かもしれない。でも今の俺が感じたものは、無難な言葉に収まらなかった。
『星宮さんって、本当に芸能人なんですね』
送ってから、後悔した。
何だその感想は。
もっとまともなことを言えなかったのか。
既読がつく。
少し間が空いた。
『遠く見えた?』
俺は画面を見つめた。
たった五文字なのに、星宮の不安が滲んでいる気がした。
彼女はたぶん、俺に遠いと思われるのが怖い。
星宮莉乃として輝けば輝くほど、高原清太の隣から離れてしまうように感じている。
俺は少し考えて、返信した。
『遠く見えました。でも、昼に卵焼きくれた人と同じ人だとも思いました』
送信。
今度はすぐに既読がついた。
しばらく返信が来ない。
そして。
『清太、そういうこと言うのずるい』
続けて。
『今すぐ会いたくなった』
俺の心臓が跳ねた。
画面の向こうにいる星宮の顔が浮かぶ。
仕事終わりの控室で、衣装のまま、スマホを握っている彼女。芸能人としての顔を外したあと、俺の言葉に表情を揺らしている彼女。
その想像だけで、胸が落ち着かなくなる。
『今日は会えません』
そう返すと、すぐに既読がついた。
少し遅れて、返信。
『わかってる』
『でも、明日は会えるよね』
俺は画面を見ながら、小さく息を吐いた。
重い。
やっぱり重い。
でも、その重さを待っていた自分もいる。
『学校でなら』
『うん。学校で』
『昼休み、別荘ね』
『俺のマイホームです』
『私の別荘でもあるよ』
そのやり取りに、思わず少し笑ってしまった。
星宮莉乃は、遠い世界の芸能人だ。
でも、俺の昼休みに入り込んできて、俺のマイホームを別荘だと言い張る、面倒くさい女の子でもある。
その二つが同じ人間なのだと、ようやく少しだけわかってきた。
そして俺は、そのどちらの星宮からも、目を逸らせなくなっていた。
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