表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/50

いつもそばにいて

 星宮と一緒に校門をくぐった瞬間、周囲の空気が少しだけ変わった。


 もう慣れたはずだった。


 星宮莉乃がいる場所には、視線が集まる。声が潜む。誰かが足を止め、誰かがスマホを取り出しかけて、慌ててしまう。


 それは彼女が芸能人だからだ。


 ただの美少女ではない。テレビに出て、雑誌に載って、広告の中で笑う人間。校内でどれだけ普通の制服を着ていても、星宮莉乃という名前は彼女より先に歩いてしまう。


 だから俺は、彼女と並んで歩くたびに妙な緊張を覚える。


 俺なんかが隣にいていいのか、という感覚。


 同時に、隣にいるのが俺で少しだけ嬉しいという、認めたくない感情。


 その二つが胸の中で喧嘩していた。


「清太、顔固いよ」


「周りの視線が痛いので」


「大丈夫。私が慣れてるから」


「星宮さんが慣れてても、俺は慣れてないんです」


 星宮は少しだけ笑った。


 けれど、その笑顔はいつものものより薄かった。


 昇降口に近づいたところで、彼女のスマホが震えた。星宮は画面を見る。そこに表示された名前までは見えなかったが、彼女の表情が一瞬で仕事用に切り替わった。


 柔らかいが、距離のある顔。


 星宮莉乃としての顔。


「ごめん、マネージャーさんから」


「出たほうがいいんじゃないですか」


「うん。少しだけ」


 星宮は俺から半歩離れ、廊下の端に寄った。


 その背中を見て、少しだけ実感する。


 俺が見ている星宮莉乃は、彼女の全部ではない。


 彼女には仕事がある。スケジュールがある。マネージャーがいて、事務所があって、ファンがいて、世間に見せなければならない顔がある。


 俺と倉庫裏で弁当を食べたり、カードショップではしゃいだり、朝から家の前で待ち伏せしたりする彼女だけが、星宮莉乃ではない。


「はい。放課後ですか? ……大丈夫です。インタビューですよね。はい、学校終わったら向かいます」


 その声は、俺に向けるものとは違っていた。


 丁寧で、落ち着いていて、隙がない。


 それを聞いて、胸の奥が少しだけざわついた。


 俺は何を勘違いしていたのだろう。


 星宮は俺の隣にいる。


 でも、俺だけの世界にいるわけではない。


 通話を終えた星宮が戻ってくる。


「今日、放課後少し仕事入っちゃった」


「そうなんですね」


「うん。だから、昼休みは一緒にいて」


 星宮はそう言って、俺の袖をつまんだ。


 周囲には見えないくらいの、小さな動き。


 けれど、指先に込められた力は弱くなかった。


「仕事があるから、放課後は無理。でも昼休みは清太といたい」


「……別に、昼はいつも通りマイホームに行きますけど」


「私の別荘でもある場所ね」


「まだ言うんですか」


 星宮は小さく笑った。


 でも、目元にわずかな不安が残っていた。


 放課後、俺の知らない場所へ行く。


 仕事をする。


 誰かに星宮莉乃として見られる。


 そのことを俺がどう思うのか、彼女は気にしているのかもしれない。


 いや、違う。


 たぶん星宮は、俺がその間に自分から離れることを怖がっている。


 俺の行動に対する信頼と不安が、彼女の中で同時に存在している。


 重い。


 けれど、わかるようになってきた。


 教室に入ると、原と篠崎がすぐにこちらへ気づいた。


「おはよー、高原くん。朝から莉乃と登校とか攻めてるねぇ」


「篠崎さん、朝からそういうのやめて」


「いやー、もう夫婦感出てるし」


「出てません」


 篠崎が眠そうな目でにやにや笑う。


 原も机に頬杖をつきながら、楽しそうに俺たちを見ていた。


「莉乃、今日仕事?」


「うん。放課後ちょっとだけ」


「大変だねー。さすが芸能人」


 原の言葉に、星宮はいつものように笑った。


「そんなことないよ。好きでやってることだから」


 完璧な答えだった。


 でも、俺は見てしまった。


 星宮の指先が、机の下でほんの少しだけ俺の袖を探したことを。


 俺はその手に気づかないふりをした。


 気づいてしまったら、きっとまた彼女のほうを見てしまうから。


 そして見てしまえば、たぶん俺はまた意識する。


 昼休み。


 俺と星宮はいつもの倉庫裏へ向かった。


 校舎裏の空気は少し湿っていて、遠くからグラウンドの声が聞こえる。星宮は俺の隣に座り、弁当箱を開けた。


 けれど今日は、箸の進みが遅かった。


「食べないんですか」


「食べるよ」


「仕事のこと、気にしてます?」


 星宮の箸が止まった。


 彼女は少しだけ目を伏せる。


「清太って、たまにちゃんと見てくるよね」


「たまにですか」


「うん。たまに。だから困る」


 星宮は笑った。


 その笑顔は薄かった。


「私ね、仕事のときはちゃんと星宮莉乃でいられるの。笑って、答えて、求められる私を出せる。でも最近、少しだけ怖い」


「怖い?」


「清太が、私のいない時間に慣れちゃうこと」


 星宮は弁当箱を見下ろしたまま言った。


「私が仕事してる間に、清太が原さんや篠崎さんと話して、私がいなくても平気になって。私が戻ってきたときには、清太の中の私の場所が少し狭くなってたら嫌だなって」


 重い。


 やっぱり重い。


 けれど、その声はただの独占欲だけではなかった。


 芸能人として人に囲まれているのに、清太の中から消えることを怖がっている。


 そんな矛盾した寂しさが、そこにあった。


「狭くなりませんよ」


 気づけば、俺はそう言っていた。


 星宮が顔を上げる。


「だって、星宮さんが騒がしすぎて、もうだいぶ場所取ってますし」


「……それ、嬉しいこと?」


「たぶん」


 星宮の瞳が揺れた。


 次の瞬間、彼女は弁当箱を置き、俺の袖を掴んだ。


「清太」


「はい」


「今日、仕事終わったら連絡する。絶対返して」


「絶対は」


「絶対」


 星宮の目に光がなかった。


 でも、声は震えていた。


「私が星宮莉乃でいる間も、清太の中に私がいるって、ちゃんとわかるようにして」


 俺は息を吐いた。


 面倒くさい。


 本当に面倒くさい。


 なのに、その願いを無下にできない。


「……返します。気づいたら」


「気づかせるくらい送る」


「怖いです」


「清太が悪い」


 星宮はそう言って、少しだけ笑った。


 その笑顔に、やっと薄く温度が戻る。


 俺は弁当の卵焼きを口に運びながら、心のどこかで思った。


 星宮莉乃は、たくさんの人に見られている。


 けれど、彼女が本当に見てほしい相手は、たぶん少しずつ俺になっている。


 そして俺もまた、彼女が誰かの前で星宮莉乃として笑うたびに、その笑顔の裏側を知っていることを意識してしまう。


 友達以上。


 恋人未満。


 その曖昧な距離は、今日も少しだけ熱を持っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ