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意識してしまう

 星宮と一緒に登校することになった朝は、いつもの通学路のはずなのに、まるで違う場所みたいに感じた。


 住宅街の細い道。塀の上に残った朝露。遠くから聞こえる自転車のブレーキ音。今までなら、ただ学校へ向かうためだけに通り過ぎていた景色が、今日は妙に輪郭を持って見える。


 理由は、隣に星宮莉乃がいるからだった。


 彼女は当たり前みたいに俺の横を歩いている。制服姿で、鞄を両手に持って、時々こちらを見上げてくる。そのたびに朝日が髪に触れ、細い毛先が薄く光った。


 心臓に悪い。


 昨日までは、星宮が近いと困るから動揺しているのだと思っていた。


 でも今朝は違った。


 困っているのに、嬉しい。


 その矛盾した感情が、胸の奥でずっと音を立てていた。


「清太、歩くの早いね」


「そうですか?」


「うん。私と一緒にいるの、そんなに緊張する?」


 星宮は少しだけからかうように笑った。


 俺は反射的に否定しようとして、言葉に詰まった。緊張していないと言えば嘘になる。けれど、緊張していると認めるのも、それはそれで負けた気がする。


「……朝なので」


「朝だと緊張するんだ」


「そういう意味じゃないです」


 星宮はくすりと笑った。


 以前なら、その笑顔を見ても「また面倒なことを言っている」と思うだけだったかもしれない。けれど今は、その笑顔が少し長く目に残る。


 家の前まで来ていた理由を考えれば普通に怖い。


 住所を教えていないのに、登校ルートや帰宅方向から推測して現れたのだから、冷静に考えるとかなり危険な行動だ。


 それなのに、目の前で嬉しそうに笑う星宮を見ると、怒る気持ちが薄れてしまう。


 彼女は俺の日常に入り込んでくる。


 許可を取る前に、もう隣にいる。


 その強引さに振り回されているはずなのに、いつの間にか俺は、彼女が隣にいる朝を受け入れ始めていた。


「清太」


「なんですか」


「昨日のこと、まだ気にしてる?」


 昨日。


 星宮の部屋でカードをして、帰ろうとした俺の手首を彼女が掴んだ。ベッドに倒れ込んで、距離が近くなって、彼女に言われた。


 逃げなくていい。


 私のそばでは。


 思い出しただけで、顔が熱くなる。


「……気にしてないと言えば嘘になります」


「そっか」


 星宮の声が少しだけ柔らかくなった。


 彼女は前を向いたまま歩く。けれど、鞄を握る指先がほんの少し強くなったのが見えた。


「私も、気にしてる」


「星宮さんも?」


「うん。清太が逃げないって言ってくれたから」


 その言葉は小さかった。


 けれど、俺には妙にはっきり聞こえた。


 星宮は俺の顔を見なかった。見ないまま、朝の道を歩いている。耳の先が少し赤い。照れているのか、それとも言葉にしたことで不安になっているのか、判断がつかなかった。


 俺はその横顔を見て、胸の奥がまた落ち着かなくなる。


 星宮は重い。


 面倒くさい。


 こちらの境界線を平然と越えてくる。


 でも、時々ひどく弱い。


 俺が少し距離を取るだけで、瞳の奥の光が薄くなる。俺の言葉ひとつで、嬉しそうに笑ったり、不安そうに黙ったりする。


 その変化を見てしまうたび、俺はもう彼女をただの厄介なアイドルとして片づけられなくなっていた。


「……できる範囲で、ですけどね」


 俺はそう付け加えた。


 星宮がこちらを見る。


「うん。それでいいよ」


 朝日を受けた彼女の笑顔は、昨日より少し近く感じた。


 学校が近づくにつれて、登校中の生徒の数が増えていく。


 当然、星宮は目立った。


 最初はただ振り返るだけだった生徒たちが、俺と並んで歩く彼女を見て、次第にざわつき始める。視線が刺さる。声を潜めた囁きが聞こえる。


 星宮莉乃。


 隣の男子、誰。


 高原じゃないか。


 幼馴染って噂の。


 俺は無意識に歩幅を乱した。


 星宮はそれに気づいたのか、少しだけ俺のほうへ近づく。


「大丈夫」


「何がですか」


「清太が思ってるより、私は隣にいるの得意だから」


 その言葉は頼もしいようで、少し違った。


 星宮は周囲の視線に慣れている。


 でも、それは傷つかないという意味ではない。


 たぶん彼女は、見られることに慣れすぎているだけだ。


 だから俺は、小さく息を吐いて、歩幅を戻した。


 逃げない。


 できる範囲で。


 校門が見えた。


 門の前にはすでに多くの生徒がいて、俺たちを見つけた瞬間、ざわめきが一段大きくなる。


 星宮は笑顔を作った。


 学校の人気者としての顔。


 けれど、隣にいる俺にだけわかる程度に、彼女の指先は鞄の持ち手を強く握っていた。


 俺は何も言わず、ほんの少しだけ彼女の歩幅に合わせた。


 星宮がこちらを見た。


 目が合う。


 彼女は一瞬だけ、驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに目を細めた。


「清太」


「なんですか」


「今日のお昼も、別荘行く?」


「俺のマイホームです」


「じゃあ、私の別荘でもある場所」


「まだ言いますか」


「うん。だって、あそこも清太との思い出だから」


 俺は返事に困った。


 思い出。


 その言葉を、星宮は簡単に言う。


 でも、俺の中でもそれは少しずつ否定できなくなっていた。


 倉庫裏。


 カードショップ。


 星宮の部屋。


 そして今日の登校路。


 星宮と過ごした場所が、俺の中で増えていく。


 友達以上。


 恋人未満。


 そんな言葉がふと浮かんで、俺は慌てて打ち消した。


 違う。


 まだ、そういうものではない。


 そういうものではないはずだ。


 けれど、隣で笑う星宮を見ていると、その否定が以前よりずっと弱くなっていることに気づいてしまう。


「……昼は、行きます」


 俺がそう言うと、星宮は花が咲くように笑った。


「うん」


 その笑顔を見て、また胸が鳴る。


 最悪だ。


 俺は確実に、星宮莉乃を意識している。


 そして、たぶん彼女はそれに気づいている。


 校門をくぐる直前、星宮が小さく囁いた。


「清太、今日も逃げないでね」


 俺は前を向いたまま答えた。


「……できる範囲で」


 星宮は満足そうに笑った。


 その横顔を見ながら、俺は思った。


 俺の平穏な高校生活は、とっくに失われている。


 でも、その代わりに始まったこの騒がしい日々を、少しずつ嫌いではなくなっている自分がいた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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