カードショップ
「高原くーん」
「うちら、このあと街のほう行くけど来るー?」
放課後。
帰り支度をしていた俺に向かって、原清華と篠崎咲が手を振ってきた。
原はいつも通り、明るいピンクがかった髪を揺らしながらにやにやしている。篠崎は机に半分もたれかかるような姿勢で、眠そうな目だけをこちらに向けていた。
この一ヶ月で、二人との距離も妙に近くなってしまった。
いや、俺から近づいた覚えはない。星宮の周囲にいる二人が、勝手に俺のことを面白がって構ってくるようになっただけだ。
「いや、大丈夫。今日は帰ってからやりたいことあるから」
俺がそう答えると、原の口元がさらに悪戯っぽく吊り上がった。
「やりたいことぉ? 莉乃とイチャイチャかー?」
「違う」
「ヒュー。熱いね〜。青春って感じじゃん」
篠崎がゆるい声で乗っかる。
「違うって言ってるだろ」
「はいはい、照れない照れない」
「高原くん、反応が初々しいから良きー」
二人は好き勝手言うだけ言って、楽しそうに教室を出ていった。
相変わらず明るくて騒がしい人たちだ。
俺は小さくため息を吐いた。
ただ、少しだけ安心もした。
よかった。
今の会話を星宮に聞かれていたら、また面倒なことになっていたかもしれない。
莉乃とイチャイチャ。
そんな言葉を星宮が聞いたら、絶対に変な方向へ受け取る。いや、変な方向へ受け取るというより、都合よく解釈して既成事実の材料にする。
「清太!」
「はひっ!?」
背後から名前を呼ばれ、俺は情けない声を出した。
振り向く。
そこには星宮莉乃がいた。
いつの間に近づいていたのか、彼女はにこにことした顔でこちらを見ている。教室の窓から差し込む放課後の光が、彼女の髪を淡く照らしていた。
聞かれていたのか。
いや、どこから。
原たちの発言まで聞かれていたのか。
俺の背中に、嫌な汗がにじむ。
星宮はゆっくり俺の前まで歩いてきた。笑顔は柔らかい。だが、星宮莉乃の笑顔は柔らかいときほど油断できない。
「ねえ、清太。今日、時間ある?」
その一言で、俺の脳裏に原の声が蘇る。
莉乃とイチャイチャかー?
違う。
違うはずだ。
ただ放課後に誘われているだけだ。イチャイチャなどではない。だいたい、俺はこのあと家に帰ってカード整理をする予定だった。昨日買ったカードをデッキに入れるかどうか、試し回しもしたい。
「ごめん。俺、このあと家の予定が……」
「……そっか」
星宮の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
消えたわけではない。
けれど、目元の光が薄くなる。口元は上がっているのに、そこにあった温度だけがすっと引いていく。
「清太にも予定あるよね。わかってるよ、それくらい。ごめんね、急に誘ったりして」
声は静かだった。
責めているわけではない。
むしろ、こちらに負担をかけまいとしている言い方だった。
だからこそ、胸に刺さる。
なんで、そんな顔をする。
俺はただ、家に帰ってカードを整理したいだけだ。別に星宮を嫌がったわけではない。星宮との時間を拒否したわけでもない。
なのに、彼女の中では今の断りが、少しだけ違う意味に変換されているように見えた。
また置いていかれる。
また拒まれる。
そんな感情が、薄くにじんでいる。
俺の中に、罪悪感が積もっていく。
「……少しだけなら、いいですよ」
言った瞬間、星宮の瞳が揺れた。
「ほんと?」
「ほんと。別に帰ったらカード整理するだけだったし」
「じゃあ、少しだけ私に付き合ってね」
星宮はぱっと表情を明るくした。
その変化があまりにもわかりやすくて、俺はまた少しだけ負けた気分になる。
彼女は自然に俺の手を握った。
指と指を絡めるような握り方ではない。けれど、ただ引っ張るだけでもない。まるで長年そうしてきた関係のように、当然みたいに俺の手を取る。
心臓が一拍遅れて跳ねた。
「星宮さん、手」
「人が多いから」
「まだ教室です」
「じゃあ、迷子防止」
「高校生です」
「清太、すぐどこか行っちゃうから」
星宮はそう言って、俺の手を離さなかった。
教室に残っていた何人かの視線がこちらへ向く。
俺はもう、何も見なかったことにした。
※ ※ ※
星宮が付き合ってほしいと言った場所。
そこにたどり着いたとき、俺は思わず目を見開いた。
女子がよく行くようなカフェでも、服屋でも、雑貨店でもなかった。
街中に新しくできたカードショップ。
その看板が、俺たちの目の前にあった。
「か、カードショップ!? なんで!?」
「え? だって清太、清太がやってるカードのこと、全然教えてくれないじゃん」
星宮は当たり前のように言った。
「どこのカードショップに行ってるかも教えてくれないし。だから、ネットで近場のカードショップ調べたの。ここ、新しくできたんだって」
「調べたんですか」
「うん」
星宮の瞳は輝いていた。
その目を見て、すぐにわかった。
これは俺に気を遣っただけではない。
星宮は本当に、俺の趣味に興味を持っている。
俺が好きなものを知りたい。
俺がどんな場所で安心するのか見てみたい。
そういう気持ちが、彼女の顔にはっきり出ていた。
「……見るだけですよ」
「うん!」
星宮は楽しそうに頷いた。
俺たちはそのまま店内に入る。
新しくできたばかりの店らしく、内装はかなり綺麗だった。白い壁に、明るい照明。ショーケースには高額カードが整然と並び、奥には対戦スペース。棚には構築済みデッキやスリーブ、プレイマット、ストレージボックスがぎっしり置かれている。
俺も初めて来る店だったが、雰囲気は悪くない。
「へー、ここがカードショップの中かー!」
星宮は子どもみたいに目を輝かせていた。
ショーケースを覗き込み、ストレージを眺め、壁にかかったサプライを見ては小さく声を上げる。
「清太、これ全部カード?」
「そうです」
「同じカードでも値段全然違うんだね」
「性能とかレアリティとか需要とかで変わります」
「この一枚で五千円?」
「それは見なかったことにしたほうがいいです」
「カードって怖いね」
「怖いですよ」
星宮は真剣に頷いた。
そんな彼女の存在に、周囲のカードゲーマーたちがちらちらと視線を向けている。
無理もない。
カードショップに女子高生が来るだけでも、場所によっては目立つ。ましてや、それが星宮莉乃レベルの容姿を持った少女ならなおさらだ。伊達眼鏡もしていない。完全な制服姿。店内の空気が、彼女の登場で明らかに変わっていた。
「え、あの子めっちゃ可愛くない?」
「星宮莉乃に似てない?」
「いや、本人じゃない?」
「撮影とか?」
小声が聞こえてくる。
店員まで一瞬、手元を止めていた。
星宮はそういう視線に気づいているはずなのに、あまり気にしていないように見えた。いや、気にしていないのではなく、今はそれ以上にカードショップそのものへ興味が向いているのだろう。
「星宮さん、本当にカードゲームやるんですか?」
「うん! 清太が好きなこと、私も好きになりたいし!」
星宮は笑顔で言った。
その微笑みで、周囲の空気がさらに揺れた。
男女問わず、何人かが完全に見惚れている。
やはりトップアイドルは恐ろしい。
ただ笑うだけで、その場の人間を巻き込む力がある。
「清太、初心者って何買えばいいの?」
「まずは構築済みデッキがいいと思います。必要なカードがまとまって入ってるので」
「じゃあ、それにする」
「ただ、ちゃんと遊ぶなら少し改造したほうがいいかも」
「清太が選んで」
「俺が?」
「うん。清太が私の最初のデッキ作って」
言い方。
その言い方は本当にやめてほしい。
周囲の何人かが反応した気配があった。
俺は咳払いをして、初心者向けの構築済みデッキを手に取る。
「これなら扱いやすいと思います。動きもわかりやすいし、改造もしやすいので」
「じゃあ、それ」
「即決ですね」
「清太が選んでくれたから」
星宮は嬉しそうにデッキを抱えた。
次に、改造用のカードを数枚選ぶ。
あまり高額なものは避けた。初心者にいきなり高いカードを勧めるのは違う。安くて使いやすく、デッキの動きをわかりやすく補強できるもの。そういうカードを選んでいく。
星宮はその説明を真剣に聞いていた。
「このカードは?」
「相手の動きを止めるカードです」
「妨害?」
「そうです。ただ使いどころを間違えると弱い」
「清太みたい」
「俺は妨害カードなんですか」
「清太は、自分のこと弱いって言いながら、たまに私の心臓を止めるから」
「物騒な表現やめてください」
星宮は楽しそうに笑った。
最後にスリーブを選ぶ。
星宮は棚の前でかなり悩んだ。可愛いもの、シンプルなもの、アニメ調のもの。いろいろ見た末に、淡い空色のスリーブを手に取った。
「これにする」
「星宮さんっぽいですね」
「そう?」
「アイコンも空の写真でしたし」
俺がそう言うと、星宮は一瞬だけ目を丸くした。
それから、少し頬を赤くする。
「覚えててくれたんだ」
「まあ、印象に残ってたので」
「そっか」
星宮はスリーブを胸元に寄せるように持った。
「清太が覚えててくれたなら、これにする」
また、周囲の空気が変な方向に甘くなる。
俺は何も聞こえないふりをした。
会計のとき、俺は一応財布を出そうとした。
だが、星宮はすぐに首を振った。
「これは私が買う」
「でも、俺が選んだし」
「だからこそ、自分で買いたいの。清太が選んでくれたものを、私のものにしたいから」
重い。
だが、そこまで言われると引っ込めるしかない。
星宮は自分のお金で構築済みデッキ、改造用カード、スリーブを買った。店員は最後まで少し緊張したような顔をしていた。
※ ※ ※
外に出ると、空はすっかり夕暮れになっていた。
街のビルの隙間から、オレンジ色の光が差している。カードショップの袋を手にした星宮は、店の前で深く息を吸った。
そして、こちらへ振り向く。
「清太!」
「はい」
「今度、対戦しよ! 清太のデッキ、見てみたい!」
星宮の目は本当に楽しそうだった。
さっきまでの不安も、曇った表情も、今はほとんど見えない。幼馴染の好きなものに触れられたことを、純粋に喜んでいる顔だった。
「わかりました。受けて立ちます」
「やった!」
「でも、最初はルール説明からですよ」
「うん。清太が教えて」
「ちゃんと覚えてくださいね」
「覚えるよ。清太のことも、カードのことも」
「俺はルールブックじゃないです」
「でも、大事だから覚える」
星宮はそう言って、袋を大切そうに抱えた。
その姿を見て、俺は少しだけ笑ってしまった。
トップアイドルが、街中のカードショップで初心者用デッキを買って、嬉しそうにしている。
数日前の俺なら、そんな光景を想像できなかっただろう。
その後、しばらくの間、そのカードショップでは「とてつもない絶世の美少女が来た」「星宮莉乃に似ていた」「いや本人だった」という噂が流れることになる。
もちろん、その横にいた冴えない男子についても、ついでのように語られることになるのだが。
それを知るのは、もう少し後の話だった。
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