表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/51

幼馴染のこと好きなの?

 俺には、好きな人がいた。


 過去形だ。


 今でも好きだとか、未練があるとか、そういう綺麗な話ではない。ただ、俺の中学時代に確かに存在していた、ささやかで、情けなくて、痛みだけを残した感情。


『もう私に近づかないでくれる? あと、私のクラスにも』


 その言葉は、どんな刃物よりも鈍く、深く刺さった。


 別に、彼女だけが原因で学校に行けなくなったわけではない。俺が引きこもるようになった理由は、もっといろんなものが絡み合っている。教師からの言葉。周囲の視線。自分の弱さ。空気を読みすぎて、呼吸の仕方までわからなくなった日々。


 けれど、彼女のその一言で、胸の中にぽっかり穴が空いたのは確かだった。


 ああ、俺は近づくだけで誰かに嫌がられる人間なのか。


 そんなふうに思ってしまうくらいには、痛かった。


 そんな昔のことを思い出しながら、俺は教室に入った。


 入学式から、だいたい一ヶ月が経っていた。


 一ヶ月もあれば、学校という小さな社会の中にはそれなりの構造ができあがる。目立つ者。目立たない者。いつも人に囲まれる者。教室の隅で静かに過ごす者。話しかけやすい者。話しかけづらい者。


 そして当然、星宮莉乃は目立つ側の中心にいた。


 彼女の周りには、今日も人がいる。


 有名アイドルという肩書きだけではない。単純に顔が良く、話し方が柔らかく、相手に合わせるのがうまい。人が集まらない理由がない。


 俺の視線の先では、星宮と二人の女子が話していた。


 一人は、少しピンクがかった明るい髪をしたギャルっぽい女子。名前は原清華(はら・せいか)。派手めな見た目だが、妙に人懐っこく、クラスでもすでに中心寄りの立ち位置にいる。


 もう一人は、灰色がかった髪をゆるく下ろした、眠そうな目の女子。篠崎咲(しのざき・さき)。口調はゆるいが、観察力が鋭い。無気力そうに見えて、面白そうなものにはかなり食いつくタイプだ。


 この二人もまた、星宮ほどではないにせよ目立つ側の人間だった。


「おやおやぁ? 高原くんじゃないか〜」


「おっす、高原」


 原がにやけながら手を振り、篠崎がゆるく片手を上げた。


「……おはよう」


 俺は控えめに返した。


 その瞬間、星宮が二人の間を抜けて、こちらへ歩いてくる。


「おはよ、清太!」


 明るい太陽みたいな笑顔だった。


 朝から眩しい。


 いや、眩しすぎる。入学して一ヶ月経っても、星宮莉乃の笑顔の光量にはまだ慣れない。俺が少し目を細めると、原が横からひょいと顔を出した。


「高原くん、朝から莉乃に見惚れてる〜?」


「いや、そういうわけじゃ」


「照れてんじゃーん」


 原の指が、俺の頬をつついた。


 反射的に一歩引こうとしたが、今度は反対側から篠崎がぬるっと近づいてくる。


「高原くん、可愛い陰キャ感あって沼るよねー」


「沼らないでください」


「反応がまたいいんだよねー」


 篠崎の指が、反対側の頬をつついた。


 左右から頬をつつかれる。


 状況が意味不明だった。


 俺の中学時代は、女子から近づかないでくれと言われて終わったはずなのに、今はクラスでも目立つ女子二人に頬をつつかれている。青春の方向性がおかしい。


 しかも、目の前には星宮莉乃がいる。


 星宮は頬を膨らませていた。


 ただ、可愛らしく拗ねているだけではなかった。瞳の奥の光が、すっと薄くなる。笑顔の形は消えていないのに、そこに宿っていた温度が一段下がった。


「二人とも」


 星宮の声は柔らかかった。


 けれど、なぜか背筋が伸びる。


「私の幼馴染なんだけど」


「えぇー? いいじゃーん。減るものじゃないし〜」


 原がにやけながら言う。


「そうだよー。高原くんのほっぺ、触り心地いいしー」


 篠崎もゆるい声で続けた。


 俺は二人から逃れるように、二歩ほど後ずさった。


 おかしい。


 俺の青春は明らかにおかしい方向へ向かっている。


 傷だらけで、何もなかったはずの青春が、一ヶ月でよくわからない形にねじ曲がっている。しかも、傷が癒えているというより、変な方向へ固まり始めているような感覚があった。


 一本の木が、まっすぐ成長するのではなく、途中で何度も曲がって、妙な形のまま枝を伸ばしているような。


 そんな歪な青春。


「清太」


 星宮が一歩近づいてきた。


「私だけ見て」


 まっすぐだった。


 あまりにもまっすぐで、俺は固唾を呑んだ。


 星宮は俺の両手を取る。人前だというのに、ためらいがない。いや、ためらいはあるのかもしれない。ただ、それ以上に俺を自分のほうへ向かせたい気持ちが勝っている。


 彼女は笑っていた。


 笑っていたが、瞳の光はまだ戻っていなかった。


 それは笑顔というより、笑顔の形をした何かだった。


「ねぇ、高原くーん」


 篠崎が灰色の髪を揺らしながら、にゅっと距離を詰めてくる。


「莉乃と幼馴染なんでしょー? 思い出話、聞かせてよー」


「それいいじゃん! うちら、莉乃の昔話とか全然知らないし!」


 原も興味津々の顔で乗ってきた。


 その声に反応するように、教室中の視線がこちらへ集まってくる。


 最悪だ。


 星宮との幼馴染の思い出。


 そんなものはない。


 あるわけがない。


 一ヶ月前に出会い、彼女が勝手に幼馴染設定を作り、それに俺が流され続けているだけだ。


 俺は星宮を見る。


 星宮は俺を見ていた。


「清太、あるよね」


 彼女は優しく言った。


「教えてあげようよ。私たちの一生分の思い出をさ」


 重い。


 一生分。


 その言葉が、あまりにも自然に出てくるのが怖かった。


「一生分はさすがに盛りすぎじゃ……」


「盛ってないよ」


 星宮の手が、俺の手を少しだけ強く握る。


「私は覚えてるもん」


 覚えているはずがない。


 だが星宮は、本当に思い出を語る人間の顔をしていた。


「清太は昔から、好きなものの話になると急に早口になるの」


「それは今の話じゃ」


「小さいころもそうだったよ。私が知らないアニメの話をして、途中で自分だけ楽しくなって、でも私がついていけてないって気づくと、ちょっとだけ申し訳なさそうな顔をするの」


 原と篠崎が「へぇー」と声を揃える。


 俺は何も言えなかった。


 今の話を、過去に変換している。


 星宮は巧みだった。


 完全な嘘ではない。俺が実際に星宮の前で見せた反応を、あたかも昔からの思い出のように語っている。だから妙に現実感がある。聞いている側からすると、作り話には聞こえない。


「それでね」


 星宮はさらに続けた。


「清太は、私が泣きそうになると絶対に困るの。困って、逃げたそうな顔をするんだけど、結局近くにいてくれる」


 教室が少しざわついた。


 それもまた、事実を歪めた話だった。


 星宮が泣きそうになったとき、俺は確かに困った。逃げたくなった。でも、完全には置いていけなかった。


 それを“昔から”にされると、否定しづらい。


「莉乃、それもう完全に幼馴染じゃん」


 原が目を輝かせる。


「尊いねー。高原くん、意外と罪な男ー」


 篠崎がゆるく言う。


 罪な男ではない。


 ただ流されているだけだ。


 そう言いたかったが、教室の空気は完全に星宮の作った物語に飲まれていた。


 そして気づけば、星宮はさらに爆弾を落としていた。


「あとね、私、昔清太に告白したことあるんだ」


 教室が止まった。


 俺も止まった。


 原が口元を押さえる。


 篠崎の眠そうな目が、少しだけ開く。


 周囲の男子たちの視線が、殺意のようで殺意未満の何かに変わる。


 俺は反射的に声を上げた。


「よ、幼稚園のころの話な!」


 嘘だった。


 だが、嘘で取り繕うしかなかった。


 幼稚園のころなら、まだ冗談で済むかもしれない。おままごとの延長。子どもの無邪気な告白。そういうものとして処理できる可能性がある。


 星宮は俺を見た。


 ほんの少しだけ、満足そうだった。


「うん。清太、覚えててくれたんだ」


 覚えているも何も、今作った設定だ。


 しかし、俺は否定できなかった。


 不思議なことに、その瞬間の俺は外用の仮面をつけていなかった。


 いつものように、場に合わせて軽く笑うことはできたはずだ。適当に流して、冗談にして、空気を壊さず処理する。それくらいなら、仮面をつければできた。


 でも今は、その仮面が出てこない。


 星宮が俺の手を握っているからなのか。


 それとも、この一ヶ月で彼女と過ごした時間が、俺の仮面を少しずつ壊してしまったのか。


 わからなかった。


「高原さー」


 原が俺の顔を覗き込む。


「莉乃のこと、好きなの?」


 空気が変わった。


 原。


 篠崎。


 クラスメイトたち。


 そして星宮。


 全員の視線が俺に集まる。


 息を呑む音が、自分の喉から聞こえた気がした。


 星宮の手の力が、わずかに強くなる。


 俺は、彼女を見た。


 星宮は笑っていなかった。


 期待しているようで、怖がっているようで、拒まれたら何かが壊れてしまいそうな顔をしていた。瞳の奥に、薄い光が戻りかけている。俺の答え次第で、それが灯るのか、消えるのかが決まる。


「俺は星宮さんのこと――」


 その瞬間、教室の扉が開いた。


「はい、席につけー。授業始めるぞ」


 担当教師の声が教室に響く。


 空気が強制的に切られた。


 クラスメイトたちは不満そうにしながらも、自分の席へ戻っていく。原と篠崎も「えー、いいところだったのに」と文句を言いながら、星宮の肩を軽く叩いて離れていった。


 俺も席に座る。


 心臓がまだ早い。


 助かったのか。


 それとも、答えを先延ばしにされただけなのか。


 右隣に座った星宮は、しばらく前を向いていた。


 そして授業が始まる直前、俺の机の上に小さなメモ用紙を滑らせてきた。


 綺麗な文字。


『私は清太のこと好きだよ』


 息が止まった。


 俺は思わずメモから星宮へ視線を移す。


 彼女は頬杖をつきながら、こちらを見ていた。


 さっきまでの沈んだ瞳は、少しだけ光を取り戻している。けれど、その光は優しいだけではない。俺の反応を逃さず見つめる、重くて、甘くて、少し怖い光だった。


 俺は何か返さなければと思った。


 でも、言葉が出ない。


 手元のシャーペンを持つ指が落ち着かず、ノートの端に意味のない線を引いてしまう。


 星宮はそんな俺を見て、小さく笑った。


 声には出さない。


 ただ、唇だけが動く。


 ――やっぱり、清太は可愛いね。


 俺は顔が熱くなるのを感じながら、前を向いた。


 授業の内容は、当然、まったく頭に入ってこなかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ