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放課後デート

 放課後。


 俺はいつも通り、帰り支度をしていた。


 教科書を鞄に詰め、筆箱をしまい、机の横にかけていた鞄を持ち上げる。周囲では、部活へ向かう生徒や、友達同士で帰る約束をしている生徒たちが、当たり前みたいに放課後を始めていた。


 俺も本来なら、その流れに紛れて帰るだけだった。


 だが、今日はそうはいかない。


 このあと俺には、星宮莉乃との放課後デートが待っている。


 放課後デート。


 言葉だけ聞けば、甘酸っぱい青春イベントに聞こえるかもしれない。ラブコメ漫画なら、一話まるごと使ってヒロインの私服や距離感を描き、最後に少しだけ関係が進展するやつだ。


 だが現実は違う。


 俺がこれから向かうのは、拒否すると勝手に沈み、幼馴染を自称し、こちらの過去や人間関係に重たい興味を向けてくる現役トップアイドルとの寄り道である。


 改めて考えると、設定が濃すぎる。


 それでも、気が重いだけではなかった。


 星宮といる時間に、落ち着く瞬間があるのは事実だった。


 同じ漫画を語り合った日。


 昼休みに、倉庫の隙間で弁当を食べた日。


 京介との距離を、少しだけ戻せた日。


 そのどの日にも、星宮はいた。


 俺の日常に、彼女は少しずつ入り込んでいる。最初は土足で踏み込まれたような気分だったのに、今ではその足音を完全には嫌だと思えなくなっている。


 それが少し、怖かった。


「清太!」


 声がした。


 顔を上げると、星宮が俺の前に立っていた。


「行こっか」


 制服姿のはずなのに、なぜかいつもより特別に見えた。


 同じブレザー。同じリボン。同じスカート。クラスの女子たちと同じ制服なのに、星宮が着ると、ちゃんと“星宮莉乃の服”になる。姿勢、髪の流れ、少しだけ弾んだ声。その全部が、放課後という時間を少しだけ眩しくしていた。


「清太? どうしたの? 顔赤いよ?」


「――い、いや! ただ、星宮さんが綺麗に見えたから……!」


 口に出した瞬間、しまったと思った。


 教室の空気が止まる。


 星宮も、一瞬だけ目を丸くした。


 それから、頬にゆっくり赤みが差す。


「……嬉しいな。清太がそう言ってくれるの」


 その照れ顔は、たぶん演技ではなかった。


 普段の彼女なら、もっと上手く可愛く見せるはずだ。けれど今の星宮は、少しだけ視線を逸らし、口元を隠すように手を添えていた。整えきれていない反応だった。


 だから余計に、心臓に悪い。


「幼馴染で良かった」


「それは違います」


「ふふ。否定早いねぇ」


 星宮は楽しそうに笑った。


 周囲からは、当然のように嫉妬や困惑の視線が飛んでくる。特に男子からの圧がすさまじい。お前は何をしている。なぜ星宮莉乃にそんな顔をさせている。そんな無言の問いが、背中に突き刺さってくる。


 しかし、今さらどうにもできない。


 俺は視線を無視することにして、星宮と一緒に教室を出た。


 ※ ※ ※


「今日はどこに行くの? 清太」


 学校を出た俺と星宮は、そのまま街のほうへ向かった。


 放課後デート。


 そんなラブコメならではの展開を、俺は経験したことがない。だから、アニメや漫画で見たヒロインとのデート回を思い出しながら、どうにかそれっぽい場所を選ぶしかなかった。


 最初に向かったのは、アニメショップだった。


 俺にとっては馴染みの場所だが、星宮と並んで入ると途端に意味が変わる。店内にはアニメのポスターやグッズ、漫画の新刊、キャラクターのアクスタが並び、そこかしこからオタクの購買意欲を刺激する圧が漂っていた。


 俺は最近見ているアニメの原作コミックを手に取り、表紙や帯を確認する。


 星宮は星宮で、棚を興味深そうに眺めていた。


「清太、これ面白い?」


 彼女が手に取ったのは、ダークファンタジー系のコミックだった。


「それはかなり重いですよ。世界観も暗いし、主人公もだいぶ追い詰められます」


「清太、そういうの好きだよね」


「好きですね。現実より世界が終わってる作品は、逆に安心します」


「すごい理由」


 星宮はくすっと笑った。


 その笑い方が自然で、俺も少しだけ肩の力が抜ける。


 続いて目に入ったのは、昨日徹夜で見たアニメ――『恋愛偏差値ゼロの俺に、なぜか青春が殺到してくる』の原作コミックだった。


 表紙には、あの主人公カヒコワタルが爽やかな顔で立っている。周囲には各属性のヒロインたち。眩しい。あまりにも眩しい。青春コンプレックス持ちには刺激が強すぎる。


 カヒコ。


 お前だけは許さない。


 悩むだけでヒロインが増えるのは、世界の法則が破綻している。周囲からの好意を“鈍感”だけで処理するのも解せない。もっと苦しめ。いや、苦しんでいるのかもしれないが、苦しみ方までラブコメ的なのが腹立たしい。


「清太はカヒコくん好き?」


「嫌いです」


「即答」


「でも、ところどころ共感できる部分はあるので、好きです」


「なんだそれ。好きなんじゃん」


 星宮は呆れたように笑った。


「複雑なんです。青春コンプレックスと作品愛は共存するので」


「清太って、面倒くさいね」


「星宮さんにだけは言われたくないです」


「ひどい」


 星宮はわざとらしく傷ついた顔をした。


 だが、目元は笑っている。


 そのまま店内を進むと、『学園ラブコメに青春はいらない!!』の特設コーナーが目に入った。


 さすが人気作だ。


 新刊の平積みに加えて、アクスタ、外伝、特典付き限定版、ポストカードの見本まで並んでいる。店の一角が完全に『青春いらない』色に染まっていた。


「うわ……」


「すごいですね」


 俺と星宮の声が重なる。


 俺たちはしばらく、目を輝かせながら特設コーナーを眺めた。


 星宮は推しキャラのアクスタを手に取り、真剣な顔で悩んでいる。


「買うんですか?」


「清太は?」


「俺は……買うとカード予算が」


「じゃあ、私は買う」


「なぜそこで対抗するんですか」


「清太が買えないなら、私が清太のぶんまで愛でる」


「愛が重い」


 結局、星宮はアクスタを一つ買った。


 俺は外伝コミックだけを買うことにした。予算という現実は、ラブコメより重い。


 ※ ※ ※


 アニメショップを出たあと、俺たちはゲームセンターに入った。


 店内は騒がしかった。


 クレーンゲームの電子音。音ゲーの派手な楽曲。格ゲー台から聞こえるボタン音。照明はやけに明るく、床にはカラフルな光が反射している。


 相変わらず、星宮に向けられる視線は多い。


 完全なプライベートの雰囲気をまとった星宮莉乃。伊達眼鏡も何もない制服姿の彼女は、やはり目立つ。


「あれ、本物?」


「撮影とか?」


「星宮莉乃に似てない?」


 そんな声が、ちらほら聞こえた。


 星宮は気づいているはずなのに、平然としている。


「どうしたの? 清太」


「いや、星宮さんはすごいなって」


「え?」


「いつも輝いてて。俺なんかと一緒にいて、いいのかなって」


 言った直後、しまったと思った。


 これは余計な言葉だ。


 星宮莉乃には、彼女を求める人間が山ほどいる。ファンも、仕事仲間も、学校の生徒たちも。なのに、俺は一般人どころか、人付き合いに難のある青春コンプレックス持ちである。


 釣り合わない。


 そう思ってしまっただけだった。


 けれど、星宮の表情ははっきり変わった。


 目元の光が、すっと奥に沈む。


「もしかして、私のこと嫌いになった?」


「いやいや! 嫌いなんて思ってないです!」


 俺は慌てて否定した。


「ただ、俺みたいな奴と関わってていいのかなって思っただけで」


「それ、同じだよ」


 星宮の声は静かだった。


 彼女は俺の腕に寄りかかるように体を寄せてきた。


 突然の距離に、俺は体を強張らせる。ゲームセンターの騒音が、一瞬だけ遠くなった気がした。


「ねえ、清太」


「……はい」


「周りが清太をどう思っていても、私は清太の隣にいたい」


 星宮の手が、俺の袖を掴む。


「もし清太が嫌われ者になっても、私だけはそばにいたい。清太が自分には価値がないって思うなら、私がずっと価値を見つける。清太が一人になろうとするなら、私が隣に座る」


「……重いですね」


「うん」


 星宮は否定しなかった。


 むしろ、少しだけ笑った。


「私をこうしたのは清太だよ?」


 その目は、冗談の形をしていた。


 でも、奥にある感情は本気だった。


 俺が数日前、彼女の名前を聞かずに助けたこと。


 彼女の好きなものを大切にしたこと。


 それが、星宮の中で今も育ち続けている。


 俺が望んだわけではない。


 けれど、種を落としたのは俺なのかもしれない。


「……ゲーム、しましょうか」


 俺は逃げるように言った。


 星宮は少しだけ目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。


「うん」


 そこから俺たちは、ゲームセンターを回った。


 格ゲーでは、星宮が意外なほど負けず嫌いだった。最初は操作もおぼつかなかったくせに、三戦目にはコンボらしきものを出してきた。


「清太、もう一回」


「負けず嫌いですね」


「負けたまま終わるの嫌」


「そういうところありますよね」


「清太にも勝ちたいし」


「ゲームの話ですよね?」


「今は」


「今は、も禁止です」


 クレーンゲームでは、星宮が『青春いらない』のミニぬいぐるみを見つけてしまった。


 当然のように挑戦し、当然のように沼った。


「もう一回」


「星宮さん、そろそろ」


「あと一回だけ」


「それ、負けてる人の常套句です」


「清太、お願い」


 結局、俺も手伝うことになった。


 何度か失敗したあと、アームがぬいぐるみのタグを引っかけ、ゆっくり景品口へ落ちた。


 星宮はそれを見た瞬間、ぱっと顔を輝かせた。


「取れた!」


「よかったですね」


「清太が取ってくれた」


「半分くらい星宮さんの投資ですけどね」


「でも、清太が取ってくれた」


 星宮はぬいぐるみを両手で抱え、嬉しそうに笑った。


 その顔を見ていると、さっきまでの重さが少しだけ薄れる。普通の女の子みたいに、欲しかった景品が取れて喜んでいる。それだけの表情だった。


 ゲームセンターを出るころには、外は夕焼けに染まっていた。


 オレンジ色の光がビルの窓に反射し、街の輪郭を柔らかくしている。放課後という時間が、終わりに近づいていた。


 俺は隣を見る。


 星宮は満足そうに微笑んでいた。


 腕には、さっき取ったぬいぐるみ。鞄にはアニメショップで買ったアクスタ。完全に放課後を満喫した女子高生の顔だった。


「楽しかったですね」


「うん。また一緒に行こうね」


「また……俺も、できれば次も星宮さんがいいです」


 言ってから、固まった。


 しまった。


 発言をミスった。


 俺としては、一緒にいて気楽だから、また出かけるなら星宮がいい、という意味だった。別に深い意味はない。いや、ないと言い切れるかはわからないが、少なくとも告白めいた意味ではない。


 しかし、星宮は止まった。


 ぬいぐるみを抱えたまま、目を大きくする。


 頬が一気に赤くなった。


「清太……たまに、すごいこと言うんだから」


「ち、違います! 今のはそういう意味ではなくて」


「そういう意味じゃないんだ」


 星宮の瞳が、わずかに沈みかけた。


 やばい。


 訂正すると沈む。


 訂正しないと誤解が進む。


 どちらに転んでも地獄である。


 俺は言葉を飲み込んだ。


 星宮はそんな俺を見て、少しだけ口元を緩める。


「清太」


「はい」


「私も、次は清太がいいな」


 その言葉が、夕焼けの中に静かに残った。


 俺は何も返せなかった。


 ただ、胸の奥が変に熱くなった。


 その日の放課後デートは、そうして終わった。


 いや、デートではない。


 寄り道だ。


 幼馴染でもない。


 ただの同級生との寄り道。


 そう自分に言い聞かせながら、俺と星宮は途中まで一緒に帰った。


 けれど、隣でぬいぐるみを抱えて嬉しそうに歩く星宮を見ていると、その言い訳が少しずつ弱くなっていくのを感じた。


 俺の日常に入り込んできた彼女は、今日もまた少しだけ、俺の中に居場所を増やしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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