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青春ラブコメ

 星宮と放課後に出かける約束をした日の夜。


 俺は、見てはいけないものを見ていた。


『私、カヒコくんのこと好きだよ。だから、一生悩んで、一生私のそばにいてほしいの』


 スマホの画面の中で、今期話題のラブコメアニメのヒロインが、そんな重たい告白をしていた。


 作品名は『恋愛偏差値ゼロの俺に、なぜか青春が殺到してくる』。


 アニメ界隈では最近かなり流行っている新参ラブコメで、主人公は鈍感系、イケメン、スポーツ万能、隠れ成績優秀という、神が設定資料を盛りすぎた男――カヒコワタル。


 彼はなぜか無数のヒロインに好かれている。


 幼馴染。


 クール系同級生。


 後輩マネージャー。


 生徒会長。


 近所のお姉さん。


 とにかく、あらゆる属性の美少女がカヒコワタルという男の周囲に集まり、青春を謳歌し、それぞれの恋と向き合っていく。


 普通のラブコメ好きなら、きっと胸を高鳴らせながら楽しむ作品なのだろう。


 だが、青春コンプレックスを抱える俺にとっては違う。


 胸きゅんシーンが来るたび、心の柔らかい部分に錆びたナイフを押し当てられる。甘い台詞が流れるたび、中学時代の悲惨な恋路が脳内で再上映される。ヒロインが頬を赤らめるたび、あの日言われた冷たい言葉が耳元で蘇る。


『もう私に近づかないでくれるかな?』


 やめろ。


 今はアニメを見ているだけだ。


 これは現実じゃない。


 画面の中のカヒコワタルは、俺とは別の世界にいる男だ。


 なのに。


 俺は気づけば、スマホを握る手に力を込めていた。


 カヒコワタル。


 お前は何なんだ。


 なぜそんなにモテる。


 なぜ全員がお前のことを好きになる。


 なぜお前は、それを浴びながら平然と鈍感でいられる。


 俺の中で、理性が音を立てて崩れた。


「グガガガガガ……! 斬る……斬るぞぉ……! カヒコワタル、今すぐその青春ごと斬り伏せて、俺も死ぬ……!」


 暗い部屋の中、俺はベッドの上でのたうち回った。


 枕に顔を押しつけ、声にならない叫びを吐き出す。足元の漫画が崩れる。机の上のカードスリーブがずれる。スマホの中では、カヒコワタルがまたヒロインに無自覚な優しさを振りまいていた。


 やめろ。


 やめてくれ。


 それ以上、俺の青春コンプレックスを刺激するな。


 この痛みは、恋愛経験が少ないから生まれる単なる嫉妬ではない。もっと根が深い。ラブコメの眩しさが好きだからこそ、現実との差が痛い。夢物語に救われてきたのに、その夢物語が時々、現実の傷口を的確に抉ってくる。


 だが、止められなかった。


 痛い。


 苦しい。


 でも面白い。


 結局、俺は次の話を再生する。


 そしてまた、カヒコワタルが別のヒロインに迫られる。


「殺ぜぇぇぇぇ……! 青春という概念を燃やせぇぇぇぇ……!」


 俺は枕の中で叫んだ。


 当然、壁に額をぶつけるような馬鹿な真似はしない。


 そこまで理性を失ってはいない。


 ただ、心の中では何度も壁に頭を叩きつけていた。


 気づけば、深夜だった。


 アニメ本編を見終えたあと、俺は解説動画にまで手を出していた。


 ストーリー考察。


 伏線解説。


 ヒロイン別ルート予想。


 カヒコワタルが本当に鈍感なのか、それとも気づかないふりをしているのか。


 視聴者たちのコメント欄は、熱狂に包まれていた。


 俺もその熱に飲まれながら、カードゲームのデッキを手元で回していた。スリーブの擦れる音だけが、夜の部屋に規則的に響く。


「カヒコ……お前はいいよな……。悩めばヒロインが増えるもんな……。俺なんて悩んだ結果、学校行けなくなったぞ……」


 自分で言って、少し悲しくなった。


 デッキの上から一枚引く。


 必要なカードではなかった。


 俺の人生と同じで、欲しいタイミングで欲しいものは来てくれない。


 それでも、俺はデッキを回し続けた。


 気づけば、窓の外が少しだけ明るくなっていた。


 ※ ※ ※


 月曜日。


 俺は完全に寝不足だった。


 目の奥が重い。


 頭の芯に、鈍い眠気が残っている。体は制服を着て学校へ向かっているのに、脳だけがまだ深夜三時の部屋に置き去りにされているようだった。


 昨日のラブコメアニメは猛毒だった。


 見すぎた。


 完全に見すぎた。


 しかも本編だけならまだしも、考察動画、伏線解説、ヒロインランキング、原作勢による今後の展開予想まで見た。そこまで行けば、もはや作品を楽しんでいるというより、自分から毒を飲みに行っているようなものだ。


 教室に入るころには、俺の目はたぶん死んでいた。


「あれ、清太。夜更かし?」


 教室に入った瞬間、星宮がこちらに気づいた。


 彼女は今日も周囲に人を集めていた。女子数人と談笑していたはずなのに、俺を見るなり、その輪を自然に抜けて歩いてくる。


 眩しい。


 朝の星宮莉乃は、本当に眩しい。


 寝不足の目には刺激が強すぎる。


 しかも、昨日のアニメの影響で、俺の脳は今とんでもなくラブコメ過敏状態になっている。学校。朝。美少女。下の名前で呼ばれる。周囲のざわめき。


 どう考えても、ラブコメの導入だ。


 だが、俺の見てきたラブコメアニメには、存在しない幼馴染を自称して距離を詰めてくる現役アイドルヒロインなどいなかった。


 現実は、時々フィクションより設定が雑だ。


「いや、なんというか……昨日からアニメを見てたら、徹夜して」


「それって、『青春いらない』?」


 星宮は俺の顔を覗き込むようにして聞いてきた。


 近い。


 近いし、視線が逃げられない。


 周囲の男子たちからの視線が痛い。めちゃくちゃ痛い。嫉妬、困惑、好奇心、殺意未満の何か。色々な感情が混ざった視線が、俺の背中に刺さる。


「いや、別のラブコメです」


「別の?」


 星宮の表情が、ほんの少しだけ止まった。


 笑顔は残っている。


 けれど、目元が動かなかった。


「清太、私と『青春いらない』の話をした次の日に、別のラブコメで徹夜したんだ」


「その言い方だと浮気みたいになるんですけど」


「浮気じゃないの?」


「作品視聴に貞操概念を持ち込まないでください」


 星宮は少しだけ頬を膨らませた。


 可愛い。


 可愛いが、重い。


「どんな作品?」


「今期流行ってるやつです。主人公が鈍感系で、なぜかめちゃくちゃモテるタイプの」


「ああ、カヒコくんのやつ?」


「知ってるんですか」


「知ってるよ。私も少し見た」


 星宮はそこで、少しだけ目を細めた。


「でも、あのヒロインの台詞、重いよね。一生悩んで、一生そばにいてほしい、って」


「わかるんですか」


「わかるよ」


 星宮は迷いなく頷いた。


「好きな人には、悩んでほしいもん」


「そこに共感するんですか」


「だって、悩むってことは、その人の中に私がいるってことでしょ?」


 朝から思想が重い。


 俺は思わず一歩下がった。


 だが星宮は、それに合わせて一歩近づいてくる。周囲のざわめきが少し大きくなった。


「清太も、昨日あのアニメを見ながら悩んだ?」


「悩んだというか、青春コンプレックスが爆発しました」


「じゃあ、その中に私もいた?」


「なぜそうなるんですか」


「だって清太、最近ラブコメを見ると私のこと思い出すでしょ?」


 図星だった。


 完全に図星だった。


 最近、ラブコメを見ると星宮の顔がちらつく。幼馴染ヒロインが出れば、星宮の嘘の幼馴染設定を思い出す。重いヒロインが出れば、星宮の目を思い出す。主人公が優しさでヒロインを救う場面を見ると、数日前にショッピングモールで彼女を助けたときのことが頭をよぎる。


 認めたくない。


 だが、否定もしきれない。


「……寝不足なんで、そういう心理戦やめてもらっていいですか」


「ふふ。清太、わかりやすい」


 星宮は楽しそうに笑った。


 その笑顔を見た周囲がまたざわつく。


 俺は教室の空気に胃が重くなるのを感じた。星宮莉乃が俺に近づくだけで、周りは勝手に物語を作る。俺はそれに耐えなければならない。


「清太」


 星宮が、少し声を落とした。


「今日の放課後、よろしくね」


 そう言って笑った彼女は、朝の光を受けてひどく綺麗に見えた。


 けれど同時に、少し重くも見えた。


 彼女の瞳の奥にある期待。


 俺の過去を知りたいという願い。


 京介だけが少し先に知っていることへの嫉妬。


 放課後という時間に、彼女がどれだけの意味を詰め込んでいるのかが、なんとなく伝わってくる。


「……少しだけですよ」


「うん。少しだけ」


 星宮はそう答えた。


 けれど、その声には「今は」と続きそうな響きがあった。


 俺は深く考えないことにした。


 今日はどんな一日になるのだろうか。


 そんなことを考えていたら、星宮がふいに俺の顔を覗き込んだ。


「それで、清太」


「まだ何か?」


「眠そうだから、今日は私が起こしてあげるね。授業中に寝そうになったら」


「いや、いいです」


「幼馴染だから」


「関係ないです」


「隣の席だから」


「それは事実ですけど」


「じゃあ、決まり」


 星宮は満足そうに頷いた。


 そして、周囲に聞こえるくらいの声でさらりと言う。


「清太が寝ちゃったら、私が優しく起こすから安心してね」


 教室がざわついた。


 男子の視線が、さらに刺さる。


 俺は頭を抱えたくなった。


 俺の中のラブコメは、今日も変な方向へ進み続けているらしい。


 しかもその脚本家は、たぶん星宮莉乃本人だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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