私も知りたい
京介と話し終えたあと、俺たちは三人でショッピングモールの出口へ向かった。
人の流れは夕方に近づくにつれて少しずつ変わっていた。昼間の家族連れに混じって、買い物帰りの学生や仕事終わりらしき大人たちが増えている。明るい店内の照明が、外の薄暗さをより濃く感じさせた。
京介は、時折こちらを心配するような目で見てきた。
俺はそれに、なんでもない顔を返した。
さっきまでの俺なら、たぶん無理に笑っていたと思う。大丈夫だ、気にすんな、と軽い声で言っていたかもしれない。でも今は、それをやらなかった。ただ、少しだけ頷いた。
京介もそれ以上は聞いてこなかった。
その沈黙が、ありがたかった。
「それじゃあ、俺はこっちだから」
出口を出たところで、京介が俺たちとは別の方向を指した。
「今日はありがとな」
「こっちこそ。話してくれてよかった」
京介はそう言って、少しだけ笑った。
そして、星宮のほうを見る。
「星宮さんも、その……清太のこと、よろしくお願いします」
「うん。任せて」
星宮は、完璧な笑顔で頷いた。
その笑顔に、京介はまた少しだけ照れたような顔をする。無理もない。有名アイドルに真正面から微笑まれて、平然としていられる男子高校生などそう多くない。
俺は横で小さく息を吐いた。
任せて、ではない。
むしろ一番任せてはいけないタイプのような気もする。
けれど、京介は真面目な顔で俺に視線を戻した。
「清太。また連絡する」
「ああ」
「無理すんなよ」
「……うん」
京介は最後に軽く手を上げて、歩いていった。
その背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、俺はしばらく立っていた。昔から知っている背中のはずなのに、少しだけ違って見える。俺が変わったのか、京介が変わったのか。それとも、ただお互いに知らない時間が増えただけなのか。
完全に見えなくなったところで、俺と星宮は歩き出した。
途中までは同じ方向だ。
「良かったね、清太」
星宮が隣で言った。
「少しでも、過去を払拭できて」
「最後にとんでもない誤解が生まれましたけどね」
「誤解かな?」
「誤解です」
即答した。
星宮は少しだけ不満そうに唇を尖らせる。
確かに、京介と話したことで、過去の存在感はほんの少し薄れた気がした。
完全に消えたわけではない。
そもそも、過去は消えないものだ。あったことをなかったことにはできない。言われた言葉も、向けられた視線も、あの日の息苦しさも、俺の中から消えることはない。
ただ、それを一人で抱え込むしかないと思っていた感覚は、少しだけ変わった。
京介は聞いてくれた。
責めずに、軽く扱わずに、ただ聞いてくれた。
それだけで、心の奥に固まっていたものがわずかにほどけた気がした。
ただし、その最後に星宮が投下した「幼馴染」爆弾は、別の意味で消えにくそうだった。
京介は完全に信じた様子だった。
おそらく当分の間、あの誤解は続くだろう。下手をすれば、友達グループ内で広がる。今度会ったとき、俺は確実に質問攻めにされる。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
面倒ではある。
かなり面倒ではある。
それでも、さっきまでの息苦しさに比べれば、まだ笑える種類の面倒だった。
そんなことを考えていると、隣を歩いていた星宮が、そっと俺の肩に身を寄せてきた。
柔らかい感触が触れた瞬間、体がびくっと跳ねる。
「ちょ、星宮さん」
「清太」
「なんですか。できれば離れてくれると助かるんですけど」
「離れないよ」
即答だった。
星宮は俺の肩に軽く寄りかかったまま、前を見ていた。伊達眼鏡の奥の瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
「私ね、清太が京介くんと話してるとき、少しモヤッとした」
「モヤッと?」
「うん。私だけが知らない清太の過去を、清太が京介くんと分かち合ってるのを見て、ちょっと」
そこで星宮は言葉を切った。
そして、小さく言い直す。
「ううん。すごく、モヤッとした」
俺は横目で彼女を見た。
星宮の表情は、笑っていなかった。
かといって怒っているわけでもない。ただ、瞳の奥に光が少なかった。自分だけが置いていかれたような寂しさと、俺の過去を先に知っている京介への嫉妬。その両方が、薄く沈んでいる。
重い。
やはり重い。
けれど、星宮はそれを隠さなかった。
「星宮さんにも、話すときが来たらちゃんと話します」
「ほんと?」
彼女がすぐにこちらを見た。
「ちゃんと全部話してくれる?」
「話します。全部話すけど……」
そこで俺は言葉を止めた。
自分でも驚くほど、喉の奥が重くなった。
「受け止めてくれますか?」
言ってから、少し後悔した。
重い。
これは俺のほうが重い。
けれど、本音だった。
俺の過去は、思い出話として軽く消化できるものではない。話したから終わり、聞いたから解決、そんな単純なものではない。聞く側にも重さを渡してしまう。
星宮がそれを本当に受け止めきれるのか。
心配だった。
怖かった。
星宮は足を止めた。
俺も立ち止まる。
夕方の道。人通りはそこまで多くない。少し離れたところを、親子連れが通り過ぎていく。
星宮は、俺の前に立った。
「当たり前だよ」
迷いのない声だった。
「私は清太の幼馴染だから」
「そこはまだ違いますけど」
「でも、聞く。幼馴染じゃなくても、聞く」
星宮は俺を見上げた。
瞳の奥には、さっきの暗い嫉妬がまだ残っている。けれど、それだけではなかった。必死さも、執着も、俺を知りたいという重たい願いも、全部そこにあった。
「清太が話したくなったら聞かせて。途中で言葉が止まってもいい。泣いても、怒っても、逃げたくなってもいい。私、ちゃんと覚えるから」
「覚える?」
「うん。清太が一人で持ってたものを、私も持つ」
そんなことを言われると、困る。
困るのに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「……わかりました」
俺がそう答えると、星宮は安心したように笑った。
そして、また俺の隣に並ぶ。
ただ、さっきより少しだけ距離が近い。
たぶん、約束をひとつ増やしたからだ。
※ ※ ※
次の日。
俺はいつものように登校していた。
入学式からだいたい一週間が過ぎれば、校内の構造にも少しずつ慣れてくる。職員室の場所。購買の位置。人が少ない廊下。昼休みに避難できる場所。そういうものが、頭の中に地図として入ってきていた。
もちろん、人間関係に慣れたかと言われると別問題だ。
俺は昇降口で靴を履き替え、クラスへ向かおうとした。
そのとき、視界の先がやけに明るく見えた。
物理的に光っているわけではない。
ただ、そう感じた。
星宮莉乃がいた。
昇降口の近くで、複数の生徒に囲まれている。女子もいれば男子もいる。クラスメイトだけではなく、別クラスの生徒も混じっているようだった。
もう見慣れ始めた光景だ。
星宮はどこにいても人を集める。声をかけられ、笑顔を向けられ、羨望と好奇心を受ける。彼女はそれを綺麗にさばいていた。誰に対しても柔らかく、距離を保ちつつ、失礼にならないように。
学園のトップアイドル。
その言葉が、少しずつ現実味を帯び始めていた。
俺はその光景を横目に、通り過ぎようとした。
見つからなければいい。
見つかっても、向こうは人に囲まれている。わざわざ俺に声をかける理由はない。
そう思ったのが甘かった。
「おはよう! 清太」
星宮の声が、昇降口に響いた。
周囲の視線が一斉にこちらへ向く。
俺は固まった。
「お、おはようございます。星宮さん」
ざわめきが広がる。
クラスでも目立たない冴えない男子に、学校中で噂になり始めている有名アイドルが、下の名前で声をかけた。
それだけで、十分に事件だった。
星宮は人の輪をするりと抜け、俺の前に立った。
笑顔は完璧。
けれど、俺だけは知っている。
この笑顔の奥に、昨日の夜みたいな重い嫉妬や、置いていかれたくないという感情が眠っていることを。
「ね、清太」
「なんですか」
「明日さ。学校終わったら、放課後デートしない?」
「は?」
思わず素の声が出た。
周囲のざわめきが、さらに大きくなる。
「デート?」
「今、デートって言った?」
「星宮さんが?」
「相手、高原くん?」
俺は頭を抱えたくなった。
星宮はにこにこと笑っている。
完全にわかっていて言っている顔だった。
「星宮さん、言い方」
「じゃあ、放課後に幼馴染同士で寄り道」
「悪化してます」
「清太はどっちがいい?」
「どっちもよくないです」
星宮は少しだけ首を傾げた。
その仕草だけで、周囲の何人かが息を呑む。さすが有名アイドル。人前で可愛く見える角度を完全に理解している。
そして、その可愛さを俺の退路封鎖に使ってくる。
「でも、昨日約束したよね。私にもいつか話してくれるって」
「それと放課後デートは関係ないですよね」
「関係あるよ。清太のことを知るための大事な時間だから」
星宮の声は柔らかい。
けれど、言葉の中身は重い。
「それに、京介くんだけ清太の過去を少し知ってるの、私まだ少し悔しい」
「ここで言うことじゃないです」
「じゃあ、明日の放課後に聞く」
「聞く前提なんですか」
「話したくなったところまででいいよ」
星宮はそう言って、俺の袖をそっとつまんだ。
周囲からは見えないくらいの、小さな動きだった。
でも俺にはわかった。
彼女は今、笑顔の奥で不安になっている。
断られるかもしれない。
また距離を取られるかもしれない。
京介とは話したのに、自分には話してもらえないかもしれない。
そんな感情が、指先の力に滲んでいた。
俺の中のラブコメは、どうやら変な方向へ進み続けているらしい。
王道の甘酸っぱい展開ではない。
有名アイドルが幼馴染を自称し、俺の過去を知りたがり、嫉妬し、学校の昇降口で放課後デートを宣言してくる。
現実にしては濃すぎる。
物語にしても、かなり面倒くさい。
「……明日の放課後、少しだけなら」
俺がそう言うと、星宮の瞳がぱっと明るくなった。
「ほんと?」
「ただし、デートじゃないです」
「うん。今はそれでいい」
「今は、もやめてください」
星宮は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た周囲がまたざわつく。
俺は内心で深いため息を吐いた。
こうして、俺の平穏な一日は、朝の昇降口で早くも崩れ去った。
そして明日の放課後には、また面倒なことになる。
そんな予感だけは、嫌になるほど当たる気がした。
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