表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/74

出会い

 翌日、俺は幼稚園からの付き合いである友達四人と遊ぶことになっていた。


 名目上は、春休み最後の遊び。


 実質的には、明日から高校に通う俺への励まし会だったのだと思う。あいつらはそういうことを露骨に言わない。けれど、集合時間や場所をやけに早く決めてきたり、俺が断る隙を作らなかったりするあたり、気遣いの方向性がわかりやすすぎた。


 玄関でスニーカーに足を入れ、扉に手をかける。


 その一瞬、頭の奥で嫌な声が蘇った。


『お前、そんなんじゃロクな大人にならねぇよ』


『君の親も苦労するよ。子どもができたとき、苦労するのは君だよ』


 言葉そのものよりも、それを言われたときの空気が嫌だった。


 教室の白い照明。窓際に溜まった埃。周囲の視線がこちらを見ているのに、誰も助けてくれない感じ。声を出せば余計に悪くなるとわかっているから、口の中に溜まった言葉を飲み込むしかないあの感覚。


 手のひらが少し汗ばんでいた。


 俺は一度だけ深く息を吐き、玄関の扉を開けた。


 外の光が目に刺さる。春の空気はやけに明るく、こちらの事情なんて一切知らない顔で澄んでいた。


 自転車の鍵を外し、ペダルに足を乗せる。


 俺の住む町は、都会と呼ぶには物足りないが、田舎と言い切るには少し騒がしい。住宅街を抜ければ大きな道路があり、バス停にはそれなりに人が並び、休日のショッピングモールには家族連れや学生が集まる。中途半端に便利で、中途半端に人目がある町だった。


 約束の場所であるショッピングモールに着くころには、さっきの声は少しだけ遠ざかっていた。


 入口前の広場には、見慣れた顔が四つ並んでいた。


「おっす! 清太!」


「よっす」


 俺も軽く手を上げて返す。


 そこで自然と、外用の自分が顔を出した。


 家にいるときの俺は、できるだけ省エネで生きている。けれど人前に出るときは違う。声の高さを少し上げ、笑うタイミングを早めにし、相手の話に大げさなくらい頷く。中学で身につけた、余計な波風を立てないための仮面だった。


 この四人の前でまで仮面をつける必要はないのかもしれない。


 それでも、一度身についた癖はなかなか剥がれてくれなかった。


 俺たちはまず本屋に寄った。漫画コーナーを端から見ていき、表紙買いするかどうかで無駄に盛り上がり、誰が一番見る目があるかなどという、勝者のいない議論を繰り広げた。


 そのあとは映画館に行った。最近流行っているアニメ映画で、隣に座った友人がクライマックスで鼻をすすっていたのを俺は聞き逃さなかった。上映後にそれを指摘すると、そいつはポップコーンの塩が目に入っただけだと意味不明な言い訳をした。


 ゲームセンターではクレーンゲームに惨敗し、フードコートでは期間限定のバーガーを食べ、カードショップでは新弾のパックを二つだけ買った。開封結果は可もなく不可もなくで、リアクションに困るやつだった。そして、最後には足りなかった私服として、適当にパーカーを買った。


 そうしているうちに、時間は勝手に過ぎていく。


 気づけばスマホの画面には十八時が表示されていた。


 ショッピングモールの出口まで歩きながら、俺は久しぶりに胸のあたりが軽くなっていることに気づいた。中学の記憶が消えたわけではない。けれど少なくとも今日は、笑うふりだけではなく、本当に笑えた瞬間が何度かあった。


「それじゃあな、清太」


「明日寝坊すんなよ」


「入学式から伝説作るなよー」


「作らねぇよ」


 友達はそれぞれ軽い言葉を残し、バス停や駅のほうへ散っていった。


 俺だけが、出口付近に取り残される。


 友達と遊んだあとの解散は、どうしてこんなにも静かなのだろう。さっきまでうるさいくらいだった会話の残響が、急に自分の周りから引いていく。人混みの中にいるのに、自分だけ音量を下げられたみたいだった。


 俺は小さく息を吐いた。


 肩に入っていた力を抜くと、外用の自分がするりと剥がれていくのがわかった。


「もうちょっと、留まるか」


 自転車置き場へ向かいかけた足を戻し、俺はもう一度ショッピングモールの中へ入った。


 一人でいること自体は嫌いじゃない。


 むしろ、本来の俺は一人のほうが楽だ。誰かの顔色を見なくていい。話題を探さなくていい。相手の好みに合わせてテンションを調整しなくていい。自分の世界に潜って、その中で好きなものだけを眺めていられる。


 もちろん、それがずっと続けば寂しくなる。


 けれど、誰かといたあとに一人へ戻る時間は、呼吸を整えるために必要だった。


 明日で春休みは終わり、同時に新しい学校生活が始まる。


 その事実を考えると、また胃の奥が少し重くなる。高校デビューなんて大それたことをするつもりはない。ただ、普通に教室へ行き、普通に授業を受け、普通に帰る。それだけでいい。それだけを望むことが、今の俺にとっては十分すぎるほど大きな目標だった。


 ふと足が本屋へ向いた。


 さっき友達と一緒に見たばかりなのに、気づけばまた漫画コーナーの前に立っている。俺は昨日見たアニメ、『学園ラブコメに青春はいらない!!』の原作コミックスを手に取った。


 表紙のヒロインは、アニメで見たときよりも少し大人びた表情をしていた。淡い色使い、柔らかい線、制服の皺の入り方まで妙に俺好みだ。


 学園ラブコメが好きだ。


 そして嫌いだ。


 現実ではありそうで、でも実際には滅多に起こらない出来事を、物語の中では当たり前みたいに起こしてくれる。隣の席の美少女が急に話しかけてくる。放課後の教室で秘密を共有する。雨の日に一本の傘へ入る。誰かが自分のことをちゃんと見つけてくれる。


 読むたびに心が浮き立つ。


 けれど本を閉じて現実へ戻ると、それが自分の人生には用意されていないものだと嫌でもわかる。


 その落差に、何度も勝手に傷ついてきた。


 それでも、やっぱり手に取ってしまう。


 夢みたいな物語だとわかっているからこそ、そこに救われる瞬間がある。現実がしんどいとき、ありえないくらい都合のいい青春に、呼吸を助けられることだってある。


 だから俺は、ラブコメが好きで、嫌いで、たぶん結局好きなのだ。


「「やっぱり、ラブコメしか勝たんわ」」


 声が重なった。


 完全に同時だった。


 俺は反射的に横を向いた。


 そこに立っていたのは、雑誌の誌面から抜け出してきたみたいな美少女だった。


 帽子を目深にかぶり、薄い伊達眼鏡のようなものをかけている。それでも隠しきれていない。綺麗な茶髪のロングヘア。手入れの行き届いた髪は本屋の白い照明を受けて柔らかく艶めき、毛先が肩の上でさらりと揺れている。肌は透けるように白く、目元は涼しげなのに、瞳だけは不思議と人懐っこい温度を帯びていた。


 同じ漫画を手にして、同じ言葉を口にしている。


 その事実が、妙に現実感を失わせた。


「えっと、すみません。変なこと言って」


 先に謝ったのは俺だった。たぶん声が少し上ずっていた。


「あ、いえいえ! こっちこそ。まさか同じタイミングで同じこと言う人がいるなんて思わなくて」


 彼女はぱちぱちと瞬きをしたあと、少しだけ笑った。


 笑顔の威力が高すぎる。


 俺は即座に撤退を決めた。こういうとき、会話を広げられる人間なら人生が少し変わるのかもしれない。けれど俺は高原清太である。急に現れた美少女相手に気の利いた返しなどできるわけがない。


 手にした原作コミックスを抱えるように持ち、その場から逃げるようにレジへ向かった。


 背後で、何か言われた気がした。


 けれど、それが自分に向けられたものだと認識する前に、俺はレジの列へ滑り込んでいた。


 会計を済ませ、ショッピングモールの出口付近まで戻ってきたころには、手元の袋が少し重くなっていた。友達といるときに買った品々と、さっき買ったラブコメ漫画。袋の中で新刊の角が軽く当たる音がする。


 明日から学校か。


 その言葉が頭に浮かんだ途端、楽しかった一日の終わりに薄い膜がかかった。


 自動ドアの向こうには、夕方の空が広がっていた。春の夕暮れは妙に綺麗で、だからこそ不安をごまかすには向いていない。


 外へ出ようとした瞬間、少し離れた場所で小さなざわめきが起きた。


 本屋の前にいたあの美少女が、柱の陰で数人の男子高校生らしき集団に囲まれていた。


 いや、囲まれているというほど露骨ではない。彼らはスマホを片手に、偶然を装うように距離を詰めているだけだ。けれどその中心にいる彼女の肩は固く、帽子のつばを押さえる指先に力が入っている。


「ねえ、もしかして星宮莉乃(ほしみや・りの)じゃね?」


「似てるよな。写真撮っていい?」


「本人だったらヤバくね?」


 その名前に、俺は聞き覚えがあった。


 星宮莉乃。


 現役中学生モデル兼アイドル。CMやドラマに出ていて、ネット広告でもよく見かける。透明感のあるルックスと、作り物みたいに綺麗な笑顔で話題になっていた存在。


 まさか、とは思った。


 けれど、思っただけで終わらせるには、彼女の指先があまりに頼りなかった。


 俺は少しだけ迷って、すぐに足を動かした。


 関わらないほうがいい。余計なことをすれば面倒になる。そんな考えは当然あった。中学で散々学んだ。火種には近寄らない。目立たない。何か起きても、自分から首を突っ込まない。


 でも、彼女が手にしていた漫画が床に落ちた瞬間、その考えはどこかへ飛んでいった。


 表紙が踏まれそうになっていた。


 俺は人の隙間に割り込み、床に落ちた漫画を拾った。ついでに、自分の買い物袋から友達といた時に買ったパーカーを取り出し、彼女の肩に雑にかけた。顔が隠れるようにフードを少し深めに被せる。


「すみません、連れなんで」


 自分でも驚くくらい、声は普通に出た。


 男子たちがこちらを見る。視線が刺さる。心臓が嫌な音を立てた。それでも俺は彼女の手首ではなく、パーカーの袖口を軽く引いた。


 触れるのは違う気がした。


 怖がっている相手を助けるのに、こっちまで急に距離を詰めたら意味がない。


 彼女は一瞬だけ固まったあと、小さく頷いた。


 俺は彼女を連れて、その場から離れた。逃げるというより、できるだけ自然に歩いた。早足になりすぎると逆に目立つ。人混みに紛れ、エスカレーター横の通路を抜け、自販機と観葉植物の陰になっているベンチまで来て、ようやく足を止める。


 そこで初めて、彼女が細く息を吐いた。


 パーカーのフードの下で、彼女の睫毛が小さく震えていた。


「……ごめんなさい。巻き込んじゃって」


「いや、別に。漫画、無事でよかったですね」


「え?」


 彼女が顔を上げた。


 俺は拾った原作コミックスを差し出した。表紙の角に少しだけ埃がついていたので、指で払ってから渡す。こういうとき、相手の正体がどうとか、写真を撮られそうだったとか、そういう話題に踏み込むのは違う気がした。


 少なくとも俺なら、触れられたくない。


 自分が慌てたことや怖がったことを、助けてくれた相手にまで確認されたくない。


「表紙、踏まれてないです。たぶん大丈夫です」


 彼女は両手で漫画を受け取った。


 その指先が、さっきよりも少しだけ緩んだ。


「そこ、気にするところなんですね」


「好きなものを雑に扱われるの、嫌じゃないですか」


 言ってから、自分にしては踏み込みすぎたかもしれないと思った。


 けれど彼女は笑わなかった。からかうような反応も、変に気を遣った返事もなかった。ただ、漫画の表紙を見下ろしたまま、唇を小さく結んでいた。


 フードの影で、彼女の表情は半分しか見えない。


 それでも、耳のあたりがほんのり赤くなっているのはわかった。


「……嫌です」


 彼女の声は、さっき本屋で話したときより少しだけ柔らかかった。


「好きなものを好きって言うの、仕事だと簡単なんです。台本があるから。でも、自分の好きなものを普通に話すのは、なんか……難しくて」


「わかります」


 それは本当に、少しだけわかった。


 好きなものを好きだと言うのは、案外怖い。笑われるかもしれない。否定されるかもしれない。そんなのくだらないと言われるかもしれない。好きが自分の内側に深く刺さっているほど、誰かに見せるのは勇気がいる。


「でも、さっきのは普通に嬉しかったです。同じタイミングで同じこと言う人、初めて見たんで」


 彼女が顔を上げた。


 目が合う。


 フードの下から覗く瞳が、まっすぐこちらを見ていた。さっきまでの整った笑顔ではない。驚きと、戸惑いと、何かを押さえ込めていない感じが混ざった、妙に無防備な顔だった。


「あの……名前、聞いてもいいですか?」


 その問いに、俺は一瞬迷った。


 名前を教えれば、たぶん少しだけ会話が続く。もしかしたらSNSくらい交換する流れになるかもしれない。普通のラブコメなら、ここで主人公は自然に名乗るのだろう。


 けれど、相手はたぶん有名人だ。


 知らないふりをしているだけで、俺でも名前に聞き覚えがある相手だ。そんな相手に、こちらから距離を詰めるのは違う気がした。


 それに俺は、自分の名前を名乗って相手の世界に入っていけるほど、まだ人付き合いに自信がない。


「名前は、別にいいです」


「え?」


「困ってる人がいたら助けることくらい、名前を教えなくてもできますし」


 彼女の目が少し大きくなった。


 その反応に気づいて、俺は急に恥ずかしくなった。何を格好つけたようなことを言っているのだろう。今の俺、完全にラブコメ主人公みたいな台詞を吐いていなかったか。


 いや、違う。そんなつもりはない。断じてない。


 俺は慌てて視線を逸らし、彼女の肩にかけたパーカーを指さした。


「それ、落ち着いたらどこかに置いといてください。安いやつなんで、なくなっても大丈夫です」


「だ、大丈夫じゃないです。返します」


「じゃあ、そのうちで」


「そのうちって……」


 彼女は何か言いたそうに口を開いたが、近くを通りかかった人の視線に気づいたのか、すぐに帽子のつばを下げた。


 俺はそれ以上引き止めなかった。


 有名人かどうかを確認することもしなかった。


 もし本当に星宮莉乃なら、これ以上ここにいるほうが危ない。もし違うとしても、怖い思いをした女の子を無駄に足止めする趣味はない。


「それじゃ」


「あ、あの!」


 呼び止められて振り向く。


 彼女はパーカーの袖を両手で握っていた。漫画を胸に抱えたまま、何か言葉を探している。整った顔立ちに似合わないほど、彼女はわかりやすく慌てていた。


「また、会えますか?」


 その言葉に、俺は困った。


 会える保証なんてない。名前も学校も知らない。俺たちは偶然同じ本屋で同じ漫画を手に取り、偶然同じ言葉を口にしただけだ。


 だから、俺は曖昧に笑うしかなかった。


「同じ作品が好きなら、そのうちどこかで会うかもしれませんね」


 言ってから、今度こそ歩き出す。


 背後からまだ視線を感じたが、振り返らなかった。振り返ったら、何か余計なことを言ってしまいそうだった。


 ショッピングモールを出るころには、夕焼けが濃くなっていた。


 自転車置き場へ向かいながら、俺は自分の右手を見た。さっきパーカーを彼女の肩にかけたときの感覚が、まだ少し残っている。


 とんでもない美少女だった。


 もしかしたら本当に、星宮莉乃だったのかもしれない。


 けれど、それは俺の人生に関係ない。


 ラブコメみたいな出来事は、現実ではそう長く続かない。イベントは起きても、そこから物語が始まるとは限らない。たまたま通り雨に遭ったのと同じで、少し印象的な一日として記憶に残り、やがて薄れていく。


 俺はそう思い込むことにした。


 そうでなければ、明日から始まる高校生活に余計な期待をしてしまいそうだった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ