6.死せる英雄たちの戦い
そのときだった。
――ズズゥン……。
静かな地響きがその場の熱気を冷ます。辺りが暗くなっていたと今更になって気づく。
天を見上げると、国を覆う漆黒の暗雲が立ち込める。中に巨大な龍が遊泳しているかのような蠢く唸り。それに応えるように震える大地。
広場外の街で発生しているいくつかの火山地帯の溶岩によって真っ暗になることはなく、夕日を迎えたかのように赤い仄かな光が灯していた。
「雲行きが怪しいな。どっちの意味でも」
「……ンなこと言ってる場合じゃねぇ。こりゃあ……最悪中の最悪の事態だ」
凍り付いたような瞳。アーカイドはあと数秒後に何が起きるのか、経験上把握していた。しかし、予測はできようとも、回避することは至難の技――不可能に等しい。
それは神の怒りか、神の気まぐれか。
人間は更なる天罰を受ける。
降り注ぐ雹。だが、大きさは比じゃなかった。
数メートル級の巨大な氷の塊が、隕石の如くサルト国中を襲い掛かってきた。
同時に、無数の落雷が地に降り注ぐ。
国は強風に襲われ、突風で街が吹き飛ばされる。
天の怒りに共鳴したのか、災龍の奇声を合図に地から赤い溶岩が噴出し、噴火が至る所で起きる。そこから放たれ続ける火山弾や溶岩の塊が広場をはじめ、国全域を襲う。当然の如くその地は身震いを起こし、揺るがせた。
「――ッ、軍帥!!」
フルトラスの叫び。だが、既に遅かった。
コーダの姿は忽然と消え、遠くで爆音が轟く。代わりに立ち尽くしていたのは災龍。瞳の光は失いかけ、だいぶ疲弊しているようであれ、倒れる様子はない。その脚に触れている地面が水のように足へ、災龍の身体へ染み込むように吸い込まれていく。
全身捕食。大地や大気どころか、魔力をも喰われ、また魔術が使えなくなることにネズとイルアは気づいた。
「いいかげんくたばれよ……バケモノ!」
ランドスの叫び。同時、四方八方から爆発物が災龍へ覆いかぶさる。それを夢中で一掃するも、その動きは砲音のような衝撃と共に止まった。そして、口から赤い血が吐き出される。
「ハン、やっと鎮まったか……」
緊迫の中、余裕を表面に示すランドス。その鋼の紅腕は災龍の胸部を貫いていた。
流れる血がその腕を喰う前にランドスはすぐさま嫌な音を立てては腕を引き抜く。
「――ぃあぐっ……!」
そこに纏っていた紅の鎧はなく、表面が火傷したように少し焼け爛れた赤い腕。彼の推測以上に、災龍の『捕食』は早かった。
災龍の胸部に腕と同じ太さの穴が空き、そこから向こう側の景色が鮮明に見える。だが、それも刹那、血や内臓、血管が蠢くように発生し傷口を塞いでいく。だが、完全には再生することはなく、背中だけが塞がれ、胸に赤く深い穴を残した形となった。
「はぁ……はぁ……痛ぇ……どうだ、俺らの技術は」
他の兵とは異なり、自国の科学技術の粋を集めたような独自の全身武装。残っていた片方の紅腕は周囲の空間が歪んでいるかのように見える程細かく振動していた。分子組織を容易く分解する程の細かい砕振動。もう片方の腕にもそれが作用されていたのだろう、災龍の心臓を壊したのだ。
後方の軍は怯んだ隙を狙い、砲口の大きい重火器を二門構え、連続且つ豪快な爆薬弾を放ち続けた。
災龍の表面に露出していた肉が少しずつ抉り取れていく。ランドスも片方だけの腕砲を構え、咆えながら無我夢中で撃ち続ける。今、手を止めてしまったら殺されてしまうと思って。
弾薬が切れた瞬間、腕の外装武器を切り替える。腕程の太さの白い光線が災龍の胴体を貫く。4か所に大きな穴が空き、今にも上と下の肉体が離別しそうだった。
だが、それで死ねたのならここまで被害が出るはずがない。人体の概念を壊されても尚、災龍は眼球を剥き、ランドスの首を掴んできた。
「しまっ――!」
ぎゅちゅ……と何かが抉れる音がする。
滴る血、赤い水溜り。溶けた鉄鋼が地面を溶かす。
だが、ランドスの首の装甲が溶けただけで、本人自身にはどこにも怪我はなかった。
「簡単に死なすかよっ」
災龍の背後にはエアリオンが剣を立たせ、その背を刺していた。
災龍は掴んでいたランドスを放り投げ、エアリオンに蹴りかかる。ランドスは高く投げられ、廃墟と化した建造物に激突し、衝撃で目を眩ます。
エアリオンはその飛ぶ斬撃と化した蹴りを躱し、豪速で災龍の首に斬りかかる。刃は災龍の首に達した。だが、首筋に血管が盛り上がったかと思えば、ガキィン! と金属音が剣の白刃と両断されるはずの首から鳴り響いた。
「なっ――っ!」
不意を突かれるかのように驚愕を示した瞬間、右腹にまるで大砲の弾でも直撃したかのような重い衝撃が走り、吹き飛ばされる。亜音速並みの速さで飛ばされ、その先の壁に直撃する。
「おい、エアリオン……?」
まだ人の形は保っていただろう。だが、飛ばされた速度と衝撃。ただの人間である彼の内臓のほとんどが潰れ、破裂した血管は全身から流れ出る。緑の王は、息をしていなかった。
「グリスの王が死んだ……!?」
「そんな――」
「嘘だ、嘘だそんなこと!」
絶望に打ちひしがれる兵士。瞳孔を震わし、怒りが込み上がるプラトネルの王。しかし、災龍はそんな悠長な時間を待たせてくれはしない。
だが、それは4英雄にも同じことが言えた。
「このバケモノ野郎がぁああああ!!」
フルトラスは武器を巧みに振りかざし、災龍を斬り飛ばす。
そのまま災龍は民家の垂直の壁に張り付き、屋根へ這いよるようにしてよじ登る。
だが、その猶予を与えることなく、ライタリスの砲口から火が出る。被弾した災龍は壊れた壁と共に墜ちてくる。
「今だ!!」
サハドの合図でドラッグを服用した兵器兵は波のように災龍を猛烈に襲い掛かった。だが、災龍は流麗にその攻撃を躱し、発熱しては周囲を焼き焦がした。爆風で兵は吹き飛ぶ。
「みんな離れて!」
スイサンが全軍に言い渡す。
その隙を狙うかのように、魔法弾を放つ。着弾した瞬間、漆黒の爆発が球体状になって辺りを飲み込んだ。
黒い爆発が消えると、そこには大きなクレーターができていた。そこには災龍の姿がない。消滅したのか、それとも避けたのか。
――ドスッ
弾力のある何かが突き通される音が鈍く響く。
「ぅぁ……ぁ……っ」
突然襲い掛かる痛み。あまりの痛みで声すら出ない。
彼女の長く蒼明な髪が靡く。その表用は唖然とし、固まったままだった。
目にもとまらぬ速さ。彼女の目には災龍の悍ましい顔があった。傷すらついていなかった腹には、その怪物の腕が突き刺さっている。
「スイサンっ!!」
ライタリスは叫ぶ。誰もが驚愕の目をしたまま、石のように固まっていた。しかし、腹の底から煮えたぎる実感はあった。
――ズシャッ!!
気高き魔導戦士は蒼き髪を揺らし、その体躯から花が咲くようにふたつへと裂ける。
刹那、災龍の垂れ下がっていた左腕が赤い爆発と共にブチッと引きちぎれた。
「……サハド」
薬莢が落ちる音。銃口を災龍に向けていたライタリスは静かに話しかける。
「わかってるさ」
何も言わなくても、やることはわかっている。剣を強く握りしめた。
…………。
ゆっくりと、災龍は振り返った。
一層血眼を紅蓮に染める。最早人間の眼ではない。怒り狂った龍獣のそれだった。
「うらぁああああぁあああぁああ!!!」
そのとき、ランドスが災龍の腹部を殴りつける。殴った部分がボゥン! と爆発し、再生した表面の甲殻らしき組織が剥がれ、血肉を飛散させた。
ランドスはアーマーのジェット噴射で後方へ遠く下がり、肩や腕、胴体から小型筒の爆薬銃弾を一斉放射する。災龍は喉から軋ませる音の空振動ですべて爆発させた。爆炎が災龍を包み込む。
災龍はその爆炎を吸い、血反吐を吐いた。その爆炎には災龍が苦手とする毒ガスが含まれていた。
黒い爆炎の中から全身武装のランドスが災龍の眼前に現れ、ジェット噴射で加速した鉄拳を災龍の腹へ再び殴りつけた。
手甲に装填された爆薬端末が起爆。巨大な爆発が起きる。災龍の腹部は完全な赤と染まり、内臓らしきものがはみ出ている。災龍は地面を引きずり、数十メートル滑り往く。
ランドスはその災龍が吹き飛んで行った方へレーザー砲を発射した。遠くで巨大な爆発が起き、小さなキノコ雲ができたが、強風で呆気なくその雲形は崩れて消えた。
「ハァ、ハァ……どうだバケモノ!! 少しは効い――!?」
言葉が途切れる。
それは、彼にとっても無理があった。
今、すぐ目の前に、災龍が殴りかかってきたから。
数瞬の出来事だった。
災龍の左フックでランドスの腹部の装甲を抉る。そのまま回転させては右裏拳で横腹を殴り潰し、紙を折るかのように背骨を横に折る。体勢を捻じらせ、踵落としでその赤い髪の王の頭を叩き潰した。地面にできた無数の罅に沿って赤い血が飛散する。まるでトマトが潰されたかのようなその頭部は跡形もなく、ただ歪に折り曲げられた身体だけが地面に転がっていた。
「ランドス国王!!」
「プラトネル王が殺されたァ!!」
兵士や絶望の意を込めその名を口走る。
「許さねぇぞバケモノォオオオオ!!」
プラトネル国の一斉砲撃が放たれる。だが、すべて撃ち返され、その場にいたプラトネル軍兵は自滅した。
――一人を除いては。
猛る声が轟く。
爆炎の中から老英雄フルトラスが駆け寄り、災龍に向け、携帯式の迫撃砲を撃ち放った。まともに喰らった災龍はその砲弾の効果なのか、麻痺して動けなくなった。エルドスは大剣を災龍に突き刺し、そのまま地面に貫通させ、身動きできぬようにした。
災龍はじたばたと足掻いていたが、腹に刺さった大剣が錆びていき、砂のようにボロボロと崩れていく。
「逃がすかよ!」
その声はライタリスだった。
ライタリスは持っていた大きな銃を災龍の口に突き入れた瞬間、ドォン! と撃ちこんだ。災龍の首の後ろ辺りから血が溢れ出てくる。
だが、災龍は叫ぶ。
瞬間、口に入れていた銃口が噛み砕かれ、ライタリスは左腕を捕まれた。
「―――っぁぁあああぁアアァアアア」
あまりもの握力に絶叫した。鎧に罅が入り、ボキャ、と何かが握り折られる音が鳴った。
災龍はその手を引っ張り、寝た姿勢のままライタリスを地面に叩きつけた。
「貴様っ!」
フルトラスは落ちていた槍を拾い、災龍の右肩を刺した。だが、貫通したのは皮膚だけで、肉を貫くことはできない。
「くそっ」
災龍は口から黒い唾液の銃弾をフルトラスの壊れた防撃マスクの隙間へ飛ばした。エルドスの顔面に撃ち込まれ、黒い唾液が脳内に達する。
「うがぁっ!! あああっぐがあああああぎぎうぅあうあぁいいああがああああああっっ」
フルトラスは身を崩し、頭を抱えながらもがき苦しんだ。
脳が溶け、蒸発していく。思考が途切れ、ただ喚くことしかできなくなった有機物へと変わる。
そして、動かなくなった。
頭部から体部へ染み渡るように、赤いものを流しながら黒い蒸気と共に気化していった。
「フルトラス!!」
「4英雄がふたり続いて殺されるなんて……」
国軍の僅かな声。希望の光すらなく、士気は下がっていく。
「ひぎぁ……うぁはっ……ごの……!」
隙を狙ったライタリスは自らの腕を引きちぎり、災龍の獄握から逃げられた。
「ぐ……うぅ……」
無き腕の痛みに堪えるだけで精一杯だった。
だが、彼がいないことに気づいた災龍は落ちそうな片目をライタリスの方へ向けた。
そのとき、戦車が真横から勢いよく飛び、災龍に衝突し爆発を遂げる。
瞬間、何かの轟音が響き渡った。
爆発で生じた爆炎や砂埃が風で掻き消される。
「コーダ軍師!」
災龍を殴り飛ばした砂埃に映る影の正体は誰もが尊敬し、畏怖する大将軍。その軍帥の右拳からは煙が漂っていた。
「ライタリス、気は保てるか?」
「はい、何とか大丈夫ですと答えたいのですが、そろそろ……身体がもたないようです」
「……」
「軍師、俺のことはいいんで、災龍を討伐してください。もう軍の数は僅かでしょう。お力になれなくて悔しい限りですが、もう頼れるのは……あなたしかいないんです、軍師」
そう言った刹那、ライタリスは糸が切れたかのように気を失って赤い水溜りに向かって倒れる。
「……すまない」
そう言い残し、将軍は災龍が吹き飛んで行った方へと向かった。
「皆よ。私はサルトの為に、この命すべてを捧げる。このような惨状であれ、まだ未来の兆しが消えたわけではない。私がサルトの礎として、光を灯してみせる」
壊れ崩れた鎧を脱ぎ捨て、懐から小さな麻袋を取り出す。出したのは水晶のような輝きを持つ小さな宝玉。真っ赤な炎を映し出すそれは紅蓮の色へと染まっていた。
「あれは……!」
魔力を溜めていたイルアに続き、サハドがそれを見ては顔を青くする。
「まさか――軍帥! それは駄目です! それを使えば貴方は――!」
「構わぬ。この心が壊れぬ限り、私はひとりの人間の兵士だ!!」
宝玉を口に放り、砕き、飲み込んだ。
その宝玉の名は"竜化薬"。名の如く、竜人へと成れる魔法薬。
その代償に――コーダ・サルヴァンというひとりの人間の強き魂はこの世を去った。




