5.明けることのない夜を駆けて
日が堕ち、闇を迎えるはずの空は、未だ真っ赤に燃える夕闇のまま。そう思い続けていたが、ふと、焼かれる曇天の変化。それが何の兆しを示すのかは、天候を知る者にしか分からない。
「おいアーカイド!! あれを見ろ!!」
ハリタロスが空を指差す。「どうした」とアーカイドは向こうの空へと見上げたまま深刻な顔になる。
「ん? あそこになんかあるのか?」
レウは何も察していないようで、天を仰いだまま気の抜けた声で訊く。
「マズいぞ……嵐がくる。しかもかなりデカいのが」
渦巻く夕闇。赤く燃えているあまり、その変動に気づけなかった。
「これもまた災龍が呼び起したのか……?」
「だとしか考えられん……!!」
「クソッたれ、急ぐぞ! さっさと災龍を討伐しねぇと!」
次の天災が降り注ぐその前に。彼らは焦熱の地を蹴った。
*
ウォーク
時はいくつか。どの時計台も、時計塔も崩れ去ってしまった今、この地獄のような世界と本来の世界を繋げる唯一の指針は、亡き王女から貰った、腕時計のみ。これが、今起きている惨劇のすべてが現実だということを示してくれている、時代の事実、後の歴史。
サクラの綺麗な骸を抱え、僕は走り続けた。この地獄のような熱さ。蒸せる血の臭い。喉が裂けそうになりつつも尚、その脚を前に進むことを躊躇わなかった。
僕に出来ること――この真実を、世界に伝えること。
すべてが壊れてしまう前に、すべてが呑み込まれてしまう前に。誰かが生き残らなければならない。
サクラ。大丈夫。もう君は自由なんだ。もう天災に縛られる必要はないんだ。君は、この国に留まるべき人間ではない。だから、だから……。
「――ッ」
涙が止まらない。分かってる。分かってるけど。
認めたくないんだ。
この崩れる国のように、僕の心はぐちゃぐちゃだ。怒り。恨み。哀しみ。後悔。どれがどれだか、分からなくなってくる。なにが本心で、何が建前か、もう分からない。
ただ、エゴに任せて逃げることしか、考えていない。
逃げろ。
逃げろ。
逃げろ!!
明けることのない夕闇の夜から切り抜けるために。
*
夕日の光――否、太陽にも劣らない焔の鮮明な光が街並を橙色に濃く染める。
その中、轟音と共に激しい戦火が飛び交う。
ひとつの災厄に挑む軍も逃げる民も戦禍を被り、戦渦に巻き込まれていった。
――ァアアァアアァアァアァアアアア!!!
奇声に混じり、鮮血が飛び散る。
災龍用に開発された武装も武器も、ドーピングで強化された暴走兵も、理性が外れた災龍の前では完全な効果を発揮することができなかった。
一瞬で蹴散らし、殺戮する。柔の如く華麗に俊敏に動き、剛の如く辺りを一斉に破壊する。
「どんどん兵器を使え! ドーピングドラッグを服用した奴は剣や槍を持って災龍に接近しろぉ!」
ドラッグで半人間兵器と化した軍兵は歩兵戦で災龍に挑む。仮に人間が竜を越えた力を持てども、相手は龍の頂点に等しい存在。容易く勝てる相手ではなかったが、災龍の体躯に深い傷を刻むことは辛うじてだが可能だった。
「っ、避けろォ!」
「痛っ、いぁ、あがぁあああああっ」
大量の黒い体液を全身から噴出させ、霧状に周囲にぶちまけた。瞬間、みるみるうちに強靭な黒い鎧はも、頭部を覆うマスクも溶け、その肉体も黒い蒸気と共に気化する。軍兵の断末魔も蒸発する音で掻き消された。
数メートルはあるプラトネル製造の自動人形の軍は全身から出てくる重火器で災龍を一斉砲撃する。
災龍は悉く避け、巨大な自動人形に飛びかかり、蹴り飛ばす。無機質の巨体が兵士を巻き込み、遠くの民家に墜落する。
そのとき、背後から別の自動人形が災龍をその拳で地面ごと殴り潰した。が、その拳は腕ごと破損する。衝撃でよろめいた瞬間、腹部に大きな穴を空け、爆発を遂げた。
災龍は腕をはじめ、上半身の筋肉を隆起させる。数多の傷が刻み付けられ、筋肉の大体が破壊されているため、隆起した筋肉は歪な形となった。
災龍はその腕で飛んでくる砲弾やミサイルを殴り飛ばし、兵器にぶつけた。また、地面に手を突っ込み、地面を抉り取り、軍の方へ投げつける。そして、民家ごと持ち上げ、兵に向けて叩きつける。その速度は決して遅くはない。数秒で何人の兵が死に至ったのか、確認できる猶予すら与えてくれない。
蟻のように次々へとひとつの獲物を狙い、喰らう。災龍がいくら潰せど、引き裂こうと、散り散りにしようと、彼らの侵攻は留まることを知らない。
ぶつかっては散る兵士。だが、雪崩のような災龍の勢いについていく数人の英雄だけが、散らずに勇猛に喰らいつく。
「あぁああぁあああぁっ!!!」
鬼神はその赤く巨大な剣斧を振りかぶり、災龍を斬りつけようとするが、災龍はそれを腕で弾く。耳を裂く金属音。その隙を災龍は狙う。赤い眼球が飛び出んばかりに。
だが、突如全身から血が噴き出し、膝をがくっと崩す。
同時――一発の弾撃。大気に波紋を作り、数百?先、半分に裂けた小山に激突する。
「ナイスだサハド! いい一発をぶちかませた!」
神撃が称賛を讃え、武器を変えては小山へ一斉射撃する。
だが、既に災龍の姿はなかった。無数の弾丸を避けながら、まさに実体のない、瞬足の風の如き身のこなしで。
ライタリスの眼前まで来たとき、横から割いて入る光の斬撃が災龍を吹き飛ばした。
「わりぃな、スイサン!」
「いいから集中して!また来るわよ!」
魔霊がそういった瞬間、災龍の口から光線状の電撃を放出する。閃光の如き波動が英雄たちの背後の世界へと通り過ぎ、一閃の光が空を貫く。
「危ねぇ!」
ライタリスの叫びも遅く、光の槍はスイサンの眼前へと――。
否、その光線は突如軌道を反転し、災龍へ激突する。そして、周囲を隕石孔の形へと歪ませた。
「今のは……魔術か」
魔霊よりも力強く、桁違いな"異の力"を持つ者はこの大陸にふたりしかいない。
軍王は気配を察知し、瓦礫の山を見上げる。
「魔導師が、高みの見物をしおって」フルトラスは睨むも、そこに嫌悪感は感じられない。
「みんな、遅くなってごめんね☆」
ウインクをして手を合わせて謝るイルアの姿。その後ろには悠々と居座る魔道軍統率ネズが災龍の状態を観続ける。
「イルアさん! それにネズ軍長も!」
「今の反応も対処も鈍いぞスイサン」
ネズは元弟子のスイサンに冷たく言い放つ。
「さってと、あたしたちも加勢しますか!」
その陽気な声を合図に、パチンと高らかに指を鳴らした。
彼女らの背後の空が黒く染まり往く。天候が変動したわけではない。無数の飛翔物が飛び交い、災龍に向かってきたのだ。
「っ、竜の群――?」
圧倒的な多さ。夜だと思えてしまうほどまでに巨大な飛竜群は黒く黒く曇天を塗りつぶしていく。
「王宮の乗竜に馬に家畜に野良猫、あと野鳥と……カエルもいたかしら。この国にいるあらゆる動物全てを竜に変えただけよ」
「イルア……おまえは本当に――」
「ええ褒め言葉はいらないわ。私は彼らに戦う勇気と生きる可能性を与えただけ。まぁみんな臆病だったから頭の中ちょっといじったけどね」
あと、そこそこ強い味方がもうふたり。とイルアはコーダの前に魔法陣を展開させる。そこからグリスとプラトネル、二人の王が光の粒子と共に現れた。
「うぉっ、本当に転送できた! 本物だあの魔術師」
頓狂な声でランドスは感心した声を上げる。彼の前に立ったエアリオンは剣を抜き、コーダの前に立つ。
「軍王コーダ軍帥。グリスを代表し、このエアリオンも災龍討伐に加担します」
コーダの重い口が動いたとき、爆炎の渦中へ喰らいついていった無数の飛竜群が一斉に破裂し、血の豪雨を降らせる。ビシャッ! と四方八方、紅い波動のように鮮血が飛び散り、隕石工の周囲が赤い湖と化した。
「ッ、まだピンピンしてんのかよ――うぉっと!?」
歯を食いしばったランドス。しかし突如の巨大な地震に全員体勢を崩しかける。
「また地震か! これで何度目だ畜生!」とライタリス。サハドも歯を食いしばり、その脚を屈めては体勢を保つ。
「おい、エア……グリスの王」
名を思い出せなく、中途半端に呼びかけるランドスだったが、その声は揺れの中で届いたようだ。
「なんだ」
「この揺れ、なんか変じゃないか?」
「? どういうことだ」
問い返すエアリオンに、ランドスは揺れに耐えながら辺りを見回す。そして災龍の姿。
地面に両脚が突き刺さっている。地面から生えた足は紅く発光しており、それはまるで、高熱と化した溶岩のようにも見える。血の赤ではなく、熱の赤だと誰もが察した。分厚い熱波が覆いかぶさる。
「周りの地面見てみろ。全体的に揺れているとい――」
――ドォォォ……ン
「「「!?」」」
全員、言葉が出なかった。
視覚は紅く染まり、聴覚は轟音で響かせ、触覚では火傷しそうなほどの熱さが感じた。あまりの熱を前に、嗅覚がはたらかない。
単に言えば、地鳴りと地震と共に目の前で噴火が活発に起きていた。一つだけではない、視界に入る限りでは二十もの火柱が激しく湧き上がっている。
災龍はマグマの塊に見える程真っ赤に変色して皮膚から分泌されている濃厚な溶岩の体液が汗のように流れている。
「サルト国の地下には……マグマとか、ないんだよな?」
エアリオンは呟き落とす。それに答えたのはコーダだった。
「あるのは土だけだ。創り上げたのだ、災龍が地下にマグマを」
それとは別の場所で、ライタリスは苦笑する。
「一瞬で街を火山地帯に変えるなんてな……災龍っていうだけあるよ」
「少しは名前負けしてほしいものだ」スイサンは汗を垂らし、顔に付いた土埃を拭う。
赤が混ざりあった池の中心で、厄神は吠える。あらゆる大地が裂け、盛り上がり、この星の悲痛の声と共に赤く滾る血を噴き出す。
「――"六法歌仙、翔華"」
丁度その時、白銀の柱が災龍を呑み込み、天地を貫いた。しかし足掻き、その光の柱から抜け出した。
「"煩穿"――"祁煉飛雨"……"千米磊段――凝"」
地面から火山をも凌駕する爆炎が発生し、吹き飛ぶ。途端、数十本もの光の矢が天から降り注ぎ、災龍の身体に突き刺さる。地面に転がり落ちたときを狙っていたかのように周囲から十数段もの光弾が災龍に激突した。すると、災龍は結晶に閉じ込められたかのように凍りついた。
だが、その氷塊は振動し始め、瞬く間に区だけ、災龍が躍り出る。
「"八拡――掌"!」
刹那、周囲の地面が捲れあがり、災龍を包み、握りつぶす。が、すぐさま地面の塊は崩される。
「なかなか怯まない」
顔を僅かに歪め、ネズが冷静にそう呟いた。
腕を振り上げたとき、四方八方から十字架状の黒い光の槍が災龍の至る所を刺し通した。
「イルア!」
「まっかせて♪」
陽気に返事をしたイルアは両手を災龍にかざすと、災龍は褐色光に包まれていった。光に毒されているかのように全身が錆ていき、身動きが取れなくなっていた。それでも災龍は動こうと身体を駆動する。
「"止まりなさい"」
パチン、と軽やかに指が鳴り響く。
停止。時が止まったかのように、災龍の激動は静止する。氷漬けにされたように、もがくことなく無数の黒い十字架に突き刺さったままだ。
「どうした!? 災龍が動かなくなったぞ!」
ランドスが驚愕の声を上げる。
「災龍の周りの時を止めたのか」とネズ。
「こうでもしないと楽して殺せないでしょ」
イルアはウインクし、余裕の笑み。
「すげぇな、これが魔術師の真骨頂か」そうライタリスは口笛を吹く。
「なんでもっと早く使わなかったんだ。そうすれば被害は――」
「ネズたん、この魔術って結構大変なのよ? それに対象は動いてるしそれに照準定めてそこだけ時間停止なんて至難の業なのよ?」
「では全体を止めればよかっただろう」
「こんな天災祭りのオンパレードじゃ魔方陣を創ることすら困難なんだから」
「私もこの魔術を使いこなすことができればこんなことにはならなかった」
「自分を責めなさんなネズ指揮官。実質あなたの方が上なん――っ!」
「どうした。……っ!!」
イルアとネズだけでなく、周りの軍も驚愕する。
「消えた……?」
災龍個体の停止。明らかに呼吸も鼓動も脈動も、生体もすべて停止していた。そのはずだったのだが――。
「嘘でしょ!? 時間は止めたから身動きはできないはず!」
余裕の顔だったイルアも、さすがの事態に戸惑いを隠せない。時止めの魔術を前に抗う存在などこの世に何一つ存在しなかった。
(型破りもいいとこよ。あのバケモノ、本当に何も通じないのね)
憎らしい。しかし同時に、どこまでが災龍の限界なのか、一種の好奇心を抱く。




