9.愛と死の唄 ―Itoshi no Uta―
おい……何やってんだよ。
おまえ、何やったかわかってんのか……?
自分の娘に何てことしてんだよ……!
オレの大切な人に何してんだよ……!
傷つけてんじゃねぇよ……!
泣かせてんじゃねぇよ……!
許せねぇ……ゆるせねぇ…………ユルセネェ……!
*
日が傾き、仄闇き空が訪れる。
3つのギロチンは落とされた。処刑台ごとひしゃり、と捻り潰しそうな轟音がメルス広場中に響き渡る。
だが、3等分に切り分けられるはずの災龍の死体は、そこにはなく、それどころか、
「どこに行った……?」
特殊な鋼鉄でできた枷はひしゃげて、鎖も引きちぎられていた。ひしゃげた音は、災龍の肉体を裂いた音ではなく、ギロチンが捻り潰された音。一瞬にして半壊した処刑台が大量の鮮血で赤く染められていた。
血痕を残し、無音で消えた厄神の姿。何処にいるんだと誰もが見渡す。しかし、見つからない。
ひとりの声を聞くまでは。
「……うぁ……っ!」
国民、いやこの広場にいた者全てがひとりの人物に向けられる。
そこには、仁王立ちのまま全身を痙攣するかのように細かく震えているエンレイ国王。だが、その王の足は地についてなかった。
この国の王の胸から背中を一本の腕で貫き、持ち上げた災龍がいた。貫通させた腕の先の手に握られているのは、赤い心臓だった。
びちゃびちゃと胸から、背中から、口から血が勢いよく溢れ出る。
「か……が……ぁ……っ」
王は何もできないまま、ただ呻いた。だが、彼の目は決して敗北という恐怖の目をせず、目の前にいる憎しみをこの手で打ち壊したい、憎悪と戦意が混じった眼をしていた。
ズボ……と、真っ赤に染まった腕を引き抜くと、王はゆっくりと後ろに傾く。
ドシャア――と閲覧席に飛沫散る鮮血と共に王の体躯が真っ赤に染まり、見開く目を閉じることなく倒れ、動く気配をみせなかった。
――刹那、
「きゃあああああああああああああああ」
「王を殺したァアアあああああああああ」
阿鼻叫喚。国民は悲鳴を撒き散らし、広場から土砂崩れのように人間が広場から逃げていく。
「……はぁ……はぁ……」
リオラは王の心臓を手放す。べちゃっと気持ちの悪い音が床から聞こえた。
手が真っ赤に染まり、指先からぽたぽたと赤い水が滴っていた。
そして、次に目を向けたのは、
「あ……」
サクラだった。
ぴちゃ、ぴちゃ、と血で濡れた裸足で階段を下り、サクラのもとへ歩み寄る。その顔はなんとも、血で汚れた、醜く歪んだ形相だった。
「ちがう……ちがうんだ……サクラ、これは――」
リオラは話すのを止めた。
改めてへたりこんでいるサクラを見つめる。
ガタガタと体や唇が震えている。
恐怖、という言葉が最も似合う瞳。こちらをその瞳で見たまま腰を抜かしていた。
「……や……こ、来ないで! 人殺し!」
「……ぇ」
拒絶。今の彼女を表すにはその言葉が当てはまっていた。
父親が殺されたことへの恐怖、そして、災龍の拒絶。
自分はリオラとしてではなく、人を、神を、王を殺した災龍と見られている。
「サクラ……おい……?」
「いやぁっ! 来ないで! 誰か! だれか助けてぇ!」
彼女は涙を滲ませながら助けを乞うた。
「――……」
今までの出来事はなんだったのか。この頭に刻まれた記憶は偽りだったのか。目の前にいる彼女は――災龍の知っている彼女ではなかった。
そのとき、災龍の身体が爆発し、処刑台の前へ吹き飛ぶ。ぐしゃりと地に叩き付けられ、血を飛散させる。閲覧席の方を見ると、そこには3国の王の姿。
「気安く王女に近づくな、ケダモノが」
「この広場中に軍を配置させといてよかったよ」
「サルト国の連中じゃなく、今度は俺らが始末しねぇとな」
シーラス王、エアリオン王、ランドス王が武器を持ち、それぞれ言葉を放った。
「全軍! 戦闘配置につけェ!」
無数の遠ざかる足跡とは異なり、無機質で整った足音が近づいてくる。
気が付くと、災龍は軍兵に囲まれていた。上空も飛行兵器や浮遊兵器で塞がれている。
「――くそぉっ」
リオラは石畳の地面を拳で砕き、爆風を起こす。地面を掘って避難しようとしたが、表面が抉れるだけ。今の状態のリオラでは到底、大地すら砕けそうにない。
「……は」
つまり、逃げられない。
「撃てぇ!!!」
発砲音が四方八方から鳴り響く。リオラに向かってきた無数もの弾丸。
避けようともせず、自らの身体を硬質化し、すべての弾を受け止めた。
だが、弾かれるはずの弾丸がリオラのありとあらゆる体部を貫通し、体内に埋まりこんだ弾丸は爆発を遂げる。
(そうだった……)
武器も、兵器もすべて、自分にとって相性が最悪な性質や属性を持っているんだった。
鮮血で体が赤く染まる。
だが、踏み堪え、目と口を大きく開ける。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
雄叫びを上げ、砕け、舞い上がる石畳の瓦礫の中、軍の群へと突っ込んでいった。
*
《リオラ》
こうなったら一人でこの国から脱出する。そしてこの地方から離れよう。
けど、どこへ向かえばいい? 人々の目がある限り、いつまで経っても『災龍』のままだ。オレがいる限り、悲劇は生まれ続ける。
あいつとの約束はどうする? ラオとの約束――あの社を安全な時が来るまで守ってほしいという約束を破るのか?
サクラは――?
ふと頭によぎる。いや、ずっと考えている。こんな事態で、こんなに必死で逃げて、弾丸や砲弾にぶち当たりながら痛みに耐えても、彼女の事で頭がいっぱいだった。
このまま終わるのか? もう二度と会えなくなるのか? こんな別れ方、いくらなんでも呆気なさすぎるだろ。
「災龍を殺せ!」
「絶対に生かすな!」
だけど、あいつの目はもう……オレの知ってるあいつの目じゃない。
もう、悔やむ必要はない。あいつのこころからオレが消えてしまったら、オレはもうこの国にいる必要はない。
もう、存在する価値がない、ただの殺戮鬼。
オレでもわかってる。人々にとって恐ろしくて憎まれていることぐらい。なのに存在自体が大量殺戮兵器のような奴が人間の真似事をしているのだ。
ちぐはぐに。
がたがたに。
何処を切り取っても不可解なほどに、人間を演じている。人間になりきったつもりでいる。
滑稽なことだな。悲しい程に滑稽なことだ。改めて気持ち悪いと実感できる。
自分はいったい何なのか。
自分が一番異常で、異形で、異質で、狂っていたと思っていながらも、どこかで自分を軽蔑し、畏れる人間を狂っていると思っていた。でも結局は自分がいちばん狂っていた。
そんな自分でもこうやって必死に逃げて、生きようとしている。生きてる価値なんかないのに。
生まれたときから罪を背負っているこんなオレが生きようとするなんて、それこそ人間は罪だと思うだろう。
それでいてオレは――――恋をした。
どうしようもないくらい狂おしく、恋をしてしまった。
思えばそんなこと、まともな結果に辿り着くわけがない。
辿り着くわけ、ないんだ。
だけど、もう遅い。
この結末は、不可避だった。
*
――ズドォ……ン。
胸、いやそれだけではない。頭部、横腹、腕、太腿に麻痺するほどの痛みが杭を打たれたように強く、深く体組織を刺激する。勢いよく吹き飛び、広場に配置された数十メートル先の戦車に激突し、その表面が凹む。
ゴロン……とぶつかった戦車から転げ落ち、ベたっと地面にへばり付くように、うつ伏せに倒れる。
赤黒い髪越しに睨んだその遠い先には、禍々しいガドリングを担いだ赤髪の王がいた。持っているのはそれだけでない。もう片手には最新兵器を装着している。どちらも黒龍対策に作られたものだが、災龍用に改良したのだろう。
「逃がさねぇよ!」
数百万人の悲鳴が響き渡る中、数十メートル先の微かな声を聞きとったリオラは奥歯を噛み締め、目の前に迫ってきた巨大な弾を、駆けながら逸らすように避けた。戦車に乗った数人の軍人は急いで戦車から出てきて、間一髪爆発した戦車に巻き込まれずに済んだ。
走ろうにも、左の太腿を損傷したせいで速く走れない。それでも馬並みの速さで逃げるリオラはやはり誰がどう見てもバケモノそのものだろう。
だが、被弾率は高まり、次々と弾丸を喰らう。鉄槍や鉄槌も降りかかり、骨から変な音が鳴る。よろめいた瞬間、数か所に切り口ができ、血がぷしゅっと噴き出す。
バランスを崩し、地面に手が付いた瞬間を逃さぬように、四方八方から迫撃砲が飛んでくる。
砲弾越しに魔晄をまとう剣を持った緑髪の王が視界に入った瞬間、広場の中央で噴火のような大爆発が起きた。
爆炎で熱感知も視界も遮られた中、自分の身体が斬られていく感覚が痛みを伴い、電気のように走る。逃げようにも、防ごうにも、今の直撃で思うように体が動かない。立っているだけで精一杯だった。
ズブッと何かが刺さり、腹に違和感があった。冷たく、金属くさい違和感。よりによって甲殻の隙間から通されて内臓まで刺され、軟化した背中を貫通した。
黒一色の空間の中、鋭い異物が引き抜かれた時、耳元に囁かれるように人間の好青年の声が鼓膜に響く。
「チェックメイトだ」
瞬間、再び大爆発が起きた。
それに続き、銃や大砲、最新兵器などの重火器、戦車などから放たれるの無数の弾丸や砲弾が一点集中して豪雨のように降り注ぐ。花火のように破裂した音が連続で鳴り響き、燃え上がるように爆発は膨れ上がった。
集中砲火が続く。災龍に向けて弾を撃った全軍の一部の部隊は弾薬を切らし、静寂が訪れる。
丁度風が吹き上げ、天にまで燃え上がった爆炎が消され、一点が晴れ渡る。
そこには直立不動の災龍がいた。だが、失神しており、全身は黒く焦げ、赤い血が流れている。
「悪魔め……ここまでやっても倒れないのかよ……」
緑髪の王は口元に笑みを浮かべることなく、真剣な眼で呟く。
災龍は白目から黒い光を取り戻し、ふらっと体躯を前に傾けさせ、走りかかる。
――パァン!
「――っ?」
乾いた音と水っぽい音が交互に響く。
「そこをどけ」
何処からともなく、独特な銃を持った青髪の王が覇気の籠った声で言い放つ。
威嚇だろうか、災龍の周りで弾薬も切らしたのになぜか武器を構えていた軍兵は、すぐに退いていった。
ドォン! ドォン! ドォン!
衝撃性のある弾丸を喰らいつつ、リオラは千鳥足でバランスを保っている。
「いい加減くたばれ」
冷たく言い放った白眼視の青髪の王は、背中に抱えた大魔剣を地面に突き刺す。生じたヒビが地面を伝い、リオラの足元に達した瞬間、噴火する。
先程の爆発と同じくらいの爆炎が吹き上がり、空にキノコ雲ができる。青髪の王は剣を地に刺したまま、歩を進める。
メリス広場の外側の『桜畑庭園』前。千本桜の木々が植えられてる、サルト国を代表する、世界遺産として遺されている花園。
上空からドシャッと鈍い音と共に災龍は桜の園のそばに落下してきた。
その場にいた国民は悲鳴を上げ、肉食獣から逃げる草食獣のようにその場から離れる。
「あ……ぐっ……」
生死を彷徨うかのように蹲る。
彼にはもう、呼吸をするどころか、生命を維持するのも困難だった。彼の命は蝋燭の火のように消えかけていた。
「――これで終わりだな、災龍」
少しの間が過ぎた後、ひとりの声が聞こえた。ぎぎぎ……と体が軋みながらもゆっくりと上体だけ起こし、前方の光景を見ると、青髪の王が銃を向けてこちらに歩み寄ってきていた。その後方には赤髪の王と緑髪の王。まるで災龍の死を見届けるかのように白眼視で見下していた。
ズドォン!
「……おぶっっ!」
胸部に何かが貫通した。自分の背後の少し距離がある先で爆発が起きる。血反吐がどぼぉ、と溢れ出る。
「これでも死なない、か」
青髪の王はカチャ、と銃弾を装填し、歩み寄りながら再び災龍に禍々しい形の銃を向ける。その距離、およそ5メートルほど。
「ぐ……がぁ」
リオラは逃げようとし片脚を立てた。
ダァン!
嫌な音を立て、リオラは再び倒れた。鮮明に痛む足に目をやると、見事に槍のような銃弾が脚の甲から裏に渡って貫通していた。杭を打たれたかのようにその槍は足を貫通し、地面に突き刺さっている。
「逃げようとするなよ」
青髪の王はその顔に似合わない程の低く、冷たい声で吐き捨てる。
ジャキン、と銃から鳴る音を響かせ、銃口を5メートル先の災龍に向けた。
災龍はただ、その状況を――死を受け入れた。
青髪の王は優しく語りかけるかのように、たったひとつの言葉を厄災の神に捧げた。
「世の為に――散れ」




