10.「あいしてる」
それは刹那だった。
この入り混じった狂乱の声の群。
景色が真っ暗になり、何も見えなくなる。
顔から伝うかのように温かい何かが覆い、包み込まれる感覚。
身体が拒絶するかのようにびくりと反射行動を起こし、突然故、驚愕の感情が沸き立った。
この運命――死――を、受け止めるしかなかった。
「……っ、……っ、……っ!」
自分の背後でズウゥ……ン、と爆発が起きる。その爆風により、傍にある庭園の千本桜は一気に散り、サァァ……、と雪塵のように降り注ぐ。
「……ぅあ……う……」
銃弾で飛び散った血肉が降りかかった自分の顔にも一切気にせず、ただ目を皿のようにして唖然と驚愕し、固まったままだった。
死の直前。否、もう死んでいるかもしれない。そんな目だった。
「――うぐっ……ぁぁあ……」
この声は、撃たれた自分の声なのか。
――違う。
「……サク、ラ?」
その名を呼んだ刹那、それに応えたかのように、その華奢な体躯を崩した。それは、あっけなく砕けたガラスのようだった。
「サクラぁッ!!!」
仰向けに倒れ、荒く息をしている彼女に荒い声でその名を呼び続けた。
彼女の腹部と言えるべき場所から、憎らしいほどまでに綺麗な色をした赤い血が服を滲ませていた。
「サクラ! サクラ! どうして! どうしておまえ……」
何故ここまで来た。
何故庇った。
さっきまで……さっきまで拒んでたじゃねぇか!
あのまま、オレのことを畏れて嫌っていれば、こんなことには――。
「返事をしてくれ! なぁおい……サクラぁ!!!」
必死に搾り取った声で叫び続ける。その声は鮮明だった。
そのとき、その声が通じたのか、彼女はうっすらと目を開き、彼を優しい眼差しで見つめた。
「……やっと……さわれたね、リオラ……」
「え……?」
そう言われて初めて気づいたのか、己の手を見る。
その右手は、倒れたサクラの頬に包み込むように触れていた。だが、その頬は焦げることも、溶けることも、腐ることも、凍ることもなく、麗しく潤った白い肌を保ったままだった。
「……っ!」
思わずその頬から手を放しそうになるが、理性――否、本能がそれをさせなかった。
触れられる。数百年に渡る、忌々しき体の呪いが解けたのだ。しかし、今そんなことを考えている場合ではない。
瞬きひとつせず、この突然の状況に狼狽えた。
だが、そんな自分をなだめるかのように、彼女は囁き、優しく語る。
「ごめんね……わたし、さっき……冷静じゃ……なかった、から。あん、な……こと……言っちゃ、て……ごめ、ん……ね……」
目頭が熱くなる。彼女の目は潤っていた。
彼女は右手を震わしながら、彼の頬にゆっくりと手を当てた。彼女の右手に何も異変はなく、その美しい形を保ち続けたままだった。
「サクラ……オ、オレ……!」
こっちだって謝りたい。
だけど謝るだけでは済まされない。
それじゃあ何を言えばいいんだ。
言葉がみつからない。必死で思索しても当たり前に出てくるはずの言葉が口から出てこない。
言いたいのに。
伝えたいのに。
届けたい。
届かない。
こんなに近くにいるのに。
もうこれが最期かもしれないのに。
……最期?
これが最期なの?
いやだ。
こんな終わり方、いやだよ。
こんな別れ方、したくないよ。
それでも……。
それでも、目の前の現実から逃れられない。
*
《サクラ》
「リオ、ラ……」
「……! どうした……?」
「わたし――もう、死んじゃうのかな……おかあさん……に、会えるの、かな……」
「――っ、んなこと言うんじゃねぇよ! おまえがいなくなったら……! オレはっ、……おまえを大切にしてきた奴らのことはどうするんだよ!」
彼の声には今にも涙を流しそうな必死の想いが込められていた。時折声が裏返っているのがわかる。
「リオラ……あの、ね……もう――くなる、ま……えに、言い――と、が……」
「冗談でもねぇこと言うんじゃねぇよ馬鹿野郎が! これ以上話すな! 畜生……おい、どうにかなんねぇのかよ……!」
傷が酷くなる、という意味で彼はこれ以上話さないようにと言ったのだろう。
だけど、ここで本当に言わないと一生後悔する。後悔し切れなくなる。
やっと、こうやって触れ合っているのに。
やっと、こうやって向き合っているのに。
言いたいことはたくさんある。
言いたいこと全部、いまここで告げたい。
だけど、もう時間がない。
終わってしまう前に、伝えられなくなる前に、はやく想いを届けないと。
だから、すべてひっくるめて、この一言を伝えたい。
「きいて……リオラ」
思えば、あのときのリオラは、私と目を合わせようとしなかったな。こうやって真っ直ぐ見つめられるなんて初めてだから、少しだけ恥ずかしい。
だけど、うれしい。
どこまでも真っ赤に燃える瞳。嗚呼、綺麗だなぁ。
彼の瞳には私の赤い姿が映っている。ここまで見つめられるなら、ちゃんとおめかししたかったな。
「わたし……リオ、ラを……」
でも、やっと、伝えられる。
この想いが、今やっと、彼に届けられる。
「あい……し……て……る」
やっと言えた。
やっと伝えられた。
やっと届けられた。
想い合っていても、解り合っていても、言葉で語り合っていなかった。
そして、今やっと口から言えることができた。
「――っ!」
リオラは必死に涙を堪え、下唇をきつく噛み締めている。
目が潤んでいる。必死に堪えているんだ。
我慢しなくていいよ、リオラ。
リオラの方がとてもつらい思いしているんだから、思い切り泣いて。強がらなくていいから。
「……オレも、愛してるよ……っ!」
彼は強く告げた。心の奥底から精一杯気持ちを込めたと断言できるほど、喉を振り絞ったような、呻き声と共に告げた。私の目をまっすぐと見て、告げた。
嬉しかった。その言葉を聞いた瞬間、思わず微笑んだ。くすっ、と笑う表情で彼を見つめ続けた。
うれしい。すごくうれしい。
そうとは言えず、ただ、涙を流さず、笑みを向けることしかできなかった。
ゆっくりとまぶたが勝手に閉じていく。眠るように閉じられる。
ああ、『死』ってこういうことなんだね。
言葉を交わしたついでに、唇も交わしたかったな。でもそんな力、なかったから。
もう、お別れなんだな……ぜんぶ。
王宮で暮らした退屈で豪華な毎日。何もかもが真新しくみえた憧れの外の世界。
ほんとうに、楽しかったな。
みんなも……やさしかったな。
おとうさん、おかあさん、レイン、イルア、ナウル、いちばんお世話になった、誰よりも頼もしいウォーク……。
そして、リオラに。
――ありがとう。
最期に聞いたのは私を呼ぶ、愛する人の声だった。
*
《リオラ》
「……サクラ?」
自分の頬を触れていた彼女の右手が、糸が切れたかのようにぱたりと地面に落ちた。
そして、優しく、静かに微笑んだまま、眠っていた。
「サクラ……おい、サクラ……?」
だが、何度呼んでも、何度揺すっても、その目を開けることはなかった。
「おい……嘘、だろ……? なぁ、目を開けてくれよ……なぁ……なぁ!」
必死に呼びかける。
認めたくない、事実。
受け入れたくない、運命。
だが、それが彼女の体躯から感じとり、押し付けられる。
――冷たい。
さっきまでの温もりが嘘かのように失い、氷とは違う冷たさがこの手を通じて解る。
そして、重かった。
人一人ぐらい、どうってことない重さだったはずなのに、どうしてここまで重たく感じる。
どうしてこんなに……重たくて……冷たくて……。
「――頼むから目を覚ましえくれ! サクラぁっ!!!」
彼女の胸から聞こえていた鼓動も、まったく聞こえなくなっていた。
「死ぬんじゃ……ねぇよ……っ」
彼女に向けたその声は、誰にも聞こえないくらいの悲しい囁きだった。
桜が舞い散る。桜吹雪がふたりを慰めるように、穏やかに降りかかる。
彼は冷たくなった彼女の体躯を壊れないように、優しく抱きかかえた。
彼の目からあかい、あかい雫が流れ落ちる。
――うああぁああああぁああぁああああぁあああぁああああああぁあああああぁあああぁああああああぁあああぁああああぁあああああぁあああぁああああぁああああぁああぁああああああああぁあああああああぁああああああぁあああああぁあああああああぁああぁああああああぁああああああぁああああああぁあああああああああああぁああああぁああああああああぁあああああああああああぁあああぁあああぁあああああああぁあああああぁあああああぁあああああああぁああああぁああぁあああああぁあああぁああああああぁああああああぁああああああぁあああああああぁあああああああああぁああああああぁああああああぁあぁああああああぁあああああぁああ――――




