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災華の縁 ~龍が人に恋をしたとき~  作者: エージ/多部 栄次
第四章 三節 災禍の宴
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1.宴の始まり

――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――


 狂うかのように喚き、嘆き、叫ぶ。

 目の前の絶望に。目の前の現実に。

 大切な人を二度も失ってしまった。

 恐怖がまたもや訪れた。

 一番恐れていたことが繰り返された。

 だが、今回はその恐怖だけではない。

 その人を愛していた。心から愛していた。

 それを失った。目の前で失った。

 この失望感。この虚無感。

 この感情はどこにぶつければいいのか。

 意識は薄れ、精神が崩壊する。

 薄れゆく感情の中で反応が起きる。

 悲哀ともいえる感情は次第に怒りへと変貌し、憎悪へと膨張する。

 あいつが、愛する人を殺した。

 憎悪は膨れ上がる。自らの意志ではない。身体の本能がそう言いつけている。

 理性も、感情も、意志も失い、本能のみが身体を動かす。

 憎悪は本能、つまり食慾へと変換され、力が増幅される。

 憎しみの対象は目の前にある餌。それを喰うのみ。

 血は舞い、血を滾らせ、本能を目覚めさせる。

 そして、殺戮の衝動に駈けられる。


 彼は天帝の遺伝子を継ぐモノなり。


     *


 すべての始まりは静寂と共に訪れた。

 突如、耳を劈くほどの狂った獣の叫びが止む。あまりに唐突に叫び止む。

 周囲は無音へと圧された。


「なんだ、急に――」


 風。唐突で、しかし撫でるような優しさ。だがそれは、艶めかしく舐められたような気持ちの悪さ。


 不意に横を見る。見てしまう。視界の端にあるはずのない色が映し出されたから。

 さっきまで横で自分を責め、嘆いていた声がプツリと途絶えたから。

「……!!?」

 青髪の王シーラスの胴より上がなかった。

 抉られたように露わになった胃腸。断たれた腹部の大動脈や大静脈から真っ赤な飛沫が噴水のように吹き上がっていた。

「なっ――!?」


 一瞬の出来事だった。

 さっきまで王女を抱えて泣いていたんだぞ。それが何の音沙汰もなくここまで来て……どこにそんな力が?

 エアリオンとランドスはそう考えた。だが次の瞬間、


「うわああああああああああっ!」

 ひとりの国軍兵が叫ぶ。

 だが、ふたりの王が振り返った時には、叫び命を乞う者の末は既に見えていた。


「なんだこれは……」


 壮絶。ふたりの目に見えたものはあまりに残酷なものだった。

 数百人近くの兵と国民の身体が千々となりながら、竜巻に巻き込まれたかのように天高くまで吹き飛ぶ。

 後から血肉や肉塊がみぞれのように降り注いでくる。びちゃべちゃっ、と気持ちの悪くなるような音に、誰もが嘔吐感を覚える。鉄臭い。


 その紅い渦の中央には――災龍がいた。


 だが、その眼は紅蓮に染まりきっており、かつ赤い満月のように開眼している。深く裂けるは頬に至るまでの口唇と目尻。その鋭さは狂気を意味する笑みを浮かべていると錯覚させる。

 その身に渡り往く紋様は刻まれた傷から滲み出る鮮血か、それとも膨張した血の管か。

 紅く、黒い髪はその一本一本に生命が宿ったかのように、蠢きを示す。

 アポトーシスに失敗し、再構築しきれないまま羽化したような翼は、夥しいほどまでに鱗の羽毛をまとい、もはや飛ぶ機能など無いに等しい。そして、禍々しく、棘々しいドス黒くも赤い尾。


 まるで半人半龍のようなその全貌は正真正銘のバケモノであろう。


 ソレから放たれる尋常ならぬ覇気、威圧に人々は畏怖する。

 それと同時に、全国民が感じ取ったただならぬ"違和感"。それは重圧ではなく"軽さ"。身体が軽くなり、呼吸もしやすい、とてもこの状況から感じ取れない何かを人々は気づくまでに察した。


 アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――


 最早人間の発する声ではない。獣や竜の発する雄叫びでもない。

 まるで憎悪という怨念が具現化したようなモノの嘆きだった。

 雄叫びと共に全身から黒橡くろつるばみの炎と烏羽色の電流が纏う。

「――今すぐ災龍を殺せぇぇぇ!!!」


     *


「イルア……」

「ええ、とうとう訪れてしまったのよ」

 誰かの意思が交差し、行動へと繋げた連鎖反応。運命は選択された。最悪の結末へと、航路が決まってしまったのだ。

「なぜ災龍を止めなかった! そしたら王女は――っ、イルア?」

 ネズは怒鳴るのを止める。彼女の目には、誰よりも長寿であり、誰よりも強いはずの大魔導士の涙を流す姿。勝手ながらに零れる雫は、本人の意思では止められない。

「4国が災龍を襲った時点でもう、選択された運命は決まっていた……あの日でもう、結末が見えてたわたしの気持ちがどんなものだったのか、貴女でも解らないでしょう。分かるはずがない……!」


 選択肢が確定すれば、何をどうしても結果的に訪れる結末は変わらない。

 王女と災龍が出会っていた時点で、魔術師の目に王女の死は見えていた。

 王女と災龍が愛し合っていた時点で、魔術師の目に国の死は見えていた。

 だが、それを止めたくても止められなかった。これが、王女を最も長生きさせる選択だったならば。

 あのふたりの運命はあまりにも脆く、しかし強かった。


「……その通りだ。だが、今は」

「ええ……お互い感傷に浸っている場合じゃないわ。運命が決まってようとも、少しでもその結末を変えてみせる。それだけの力を私たち人間は持っているんだもの」

 無謀にして不動。だが、絶対的事象も存在しない世界にして不確定動力である生命が選択された運命の因子ならば、まだ神の判決は定められていない。助かる見込みはまだ、ある。

「……ネズ、少しの間任せてもいい?」

 悲しみを涙と共に拭い捨てたイルアは引き返す。

「ああ、行ってこい。……イルア」

「なに?」

「……いや、なにもない」

 くすりとイルアは「素直じゃないわね」と潤んだ目で微笑む。

「大丈夫よ、また逢える(・・・)わ」

「……はぁ、馬鹿を言うな。すぐに応戦しに来い」

「ふふ、よかった、あたしの勘違いで。魔道軍総督の命令ならば、仰せの通りにすぐに向かうわ」


 運命という確率論はふたりに誤った道を歩ませた。しかしそれは同時に、新たな進歩への始まりでもあった。時代の革命とも呼称される、差別の解消。その第一歩が進めば、この醜い世界は変わることができたと魔術師は追想する。

 だが、それを時間が許さない。人々が赦さない。小さな恋、そして広がる大きな希望は摘まれてしまった。

 嗚呼、なんと愚かなことか。愛を失った魔導師は嘆く。

「……まずは小さな可能性に託さないと」


     *


 紅く染まる夕日が邪悪に感じる程。天地が赤く染まりあがり、兵は叫び、うろたえ、猛威を放っては心に浮かべたものを護る。命か、家族か、人々か、王か、そしてこの国か。各々の思い浮かべるものは千差万別だった。

「被害が尋常じゃない。もっと瀕死にさせておけば」

 通りかった兵隊長や兵らの言葉を耳にするネズ。どこかへと往くイルアの姿を見送ったすぐ後のことだった。


「いや、むしろここまで瀕死にさせただけでも十分だ」

「っ、魔道軍の……! それはどういうことです」

「空を見ろ」

 空はまるで災龍の怒りに乗じたかのように赤い。おぞましく感じるほどまでに、真っ赤だったが……。


「雲が……ない」

「さきほどの違和感。あれは、災龍の食べた跡だ。このサルト国――いや、領地領空関係なくアミューダ地方ごと"食べた"んだ。瀕死じゃなかったら、雲以上の重い質量が捕食されていた」

 魔導師は言う。あの怪物は、捕食するためだけの機能そのものになったということ。

 あの怪物に通じる常識は無いということを。


「吸収に近いだろう、人類わたしたちの次元で見れば」

 空気が軽くなったのも、身軽さを感じ取ったのも、すべては捕食による現象。すでに人々は国ごと、否、この大地ごと丸呑みにされていた。そう魔導師は悟った。


「さっきのが捕食だと……? 範囲が尋常じゃない」

「だから、ここまで命を削らせて正解だったということだ。あと少しいたぶってなかったら、今の一瞬でアミューダ地方が海ごとただの大穴と化していた。さっさと死滅させればいいものを、国王は憎しみに敗け、感情に委ねてしまったよ……」

「……っ」

「そして残念なことに、魔力は空気より小さな物質だったようだな」

「――っ、まさか」

魔導師わたしらの魔力も、地脈の魔力も持ってかれた。即戦力求めるなら、魔具でもない限り勝ち目は薄い」


     *


 赤髪の王ランドスは自国開発の無線連絡器に向けて話しかける。

「おい、"あれ"を今すぐ起動させろ! 不良品も試作品も何もかも全部だ! わかったな!」

 相手の返事にも答えず、通信を切ったランドスはエルドス軍帥の名を叫ぶ。

「はっ」

「この際国とか関係ない。4国の兵と共に災龍を食い止めろ。一人でも多く民を護るんだ」

「仰せの通りに! ――っ、坊ちゃん! どこへいかれるんで!」

「俺も災龍をぶちのめす。そのための武器が王宮の地下にある。俺が来るまで持ちこたえてくれ! ……健闘を祈るぞ」


 了承したエルドス軍帥。災龍のいるであろう町の奥地から甚大な爆発が生じる。民家の一部がここまで降りかかってくる。

 そこへ眼に入った、軍人ならば誰もが知る英雄の兵――思わずコーダ軍帥の名を呼んだ。呼び声には気づくも、災龍が暴れている方角への視線を逸らすことはない。

「プラトネルの鎧……エルドスか」

「コーダ軍帥! 災龍のことについては……」

「わかっている。だが、この場所から奴のいる場所まで距離がある。今そこへ向かっても十分に遅い」

「ではどうするつもりで」

「広場を出る。砂都の方角へ向かう」


 冷静に答えを出すが、その意味をエルドスは未だに理解できていない。

「何か勝算でもあるんで?」

「このまま何万人の兵を向かわせたところで、死人を増やすだけだ。民を護らせて、その間に災龍と十分に戦える再準備をしろ。砂都に避難場所はないから、そっちに民を行かせるんじゃないぞ」

「っ、まさか……さすがに一人だけでは――」

「おまえは広場の軍の指揮をとれ」

 そう言い、コーダ軍帥は停めていた馬に乗り、北西の方角へと走った。腰に竜を呼び出す竜笛をつけていたので、あれで災龍をおびき出すのだろう。

「無茶する人だ……それだけ強いんだな、あの戦士は」

 指示通り、プラトネル国の軍帥は兵に命令し、行動に出た。


     *


「最悪の想定だな……」

「こりゃあ、黒龍神よりもえげつないぞ」

 アーク国の聖騎士団が戦火の渦中へと向かってゆく中、4英雄は災龍の変わり果てた姿を見る。ここからでも皮膚が焼け、血が滾るような熱さに4人は意を決する。

「来たか」

 鬼神ことフルトラスは武器を構えた。

「まさかこんな形で災龍と戦うとはな。ここは手分けして、国民の避難を測った方が……」

 神撃ことライタリスが提案する。

「いや、それは国軍がやってくれる。私らは災龍の始末を優先しよう。そうだろサハド」

 魔霊ことスイサンが剣聖サハドに話しかけるも、一向に返事がない。息を静かに吐く彼の目は野生の血を煮え滾らせたそれだった。

「『領域』に入っちゃったみたいだな。俺らも集中するか」

「バカでもやるときはやるやつだからな……急ぐぞ!」

 フルトラスはそう吐き捨て、守る王家すら失った四英雄は災龍の居場所へと向かう。

 紅く、そして黒い噴煙が立ち昇る方角へ、英雄をはじめとした戦士たちは天災に挑む。


     *


「王女……」

 王女の後を追いかけていた召使は、気がつけばずっとここにいた。

 もう覚めることはない彼女をただ茫然と見つめていた。桜の花が彼女の頬にやさしく落ちてくるも、目は開かない。

「もっとあなたを、自由にすればよかったのでしょうか……」

 語りかける。目の前の亡骸に。

 彼は思う。これ以上ないくらい彼女はこの1年間、自由に外の世界を行き来し、多くのことを学んできていた。だけど、まだ、足りなかったのだろうか。それとも、自由にさせ過ぎたのか。

 彼には、わからない。

「王女……僕はこの国に辿り着き、この王宮に慕え、貴女をずっとお世話してきました。泣いたり笑ったり、いろんなことがありましたね。貴女に出会ってから僕はずっと伝えたかったことがあります。きっと王女のことだから勘付いていないと思いますので、今ここで言おうと思います……」

 目頭が熱くなる。視界がぼやけてしまう。


「王女……いえ、サクラ……。

 ……愛してるよ」


 とうとう目の雫が収まりきらず、溜まりに溜まったダムは今、決壊した。

 その亡骸の右手の指には今でも輝きを失っていない指輪の形をしたお守りが嵌められていた。

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