10.死際にて追想するはあの頃の幸せ
《リオラ》
一か月が過ぎ、微かに感じた寒さもなくなった。少しばかりの暖かさが含まれた風が頬を撫でる。
太陽が昇り、優しさと温もりのある光が大地を照らす。木々の蕾の華も開きかけるところだ。明日明後日でその初々しい鮮やかな桜の花を咲かすことだろう。
鳥の爽やかな鳴き声の中、社のコケついた屋根で寝ていたオレは目を覚ました。
「んんっ……あぁあ~」
体をぐぐぐっと伸ばし、あくびをする。
屋根から大樹の太い枝にだるそうによじ登る。
目をこすると、血のように赤い液体がこすった手にこびりついた。
「泣いてたのか……」
ここのところ、寝ている間に涙を流すことがある。何でかはわからないが、生理現象として受け止めている。
「……」
血の涙。そう呼ぶにふさわしいその涙の色は人間の透明な涙とは似ても似つかない。竜人族でも赤い涙は出ない。
自分はみんなと違うのだと改めてわかる。
やっぱり、こんな化け物が人間と関わることなんて、できない。許されないことなんだ。
「あれから一回も会ってねぇな……」
溜息交じりに呟く。枝に生っていた果物を歯でもぎ取り、口にする。甘く熟しているのにすっぱい味が口の中に染み渡る。
また独り。
だが、特別寂しい気はしなかった。いま会えなくてもいつか会える。そう思い続ければ辛くはなかった。
だけど……もう分かり切っていた。
もう一か月経ってるんだ。オレの事なんかもう忘れてるだろ。あんなひどいこと言ったしな。
今頃、あいつは頼もしくて未来のある王子と結婚して幸せになってるだろう。
あいつが幸せになれれば、それでいい。オレが幸せを求めちゃいけないんだ。
「……あぁ、そうか」
そうだった。結婚するにはオレを殺さないとダメなんだっけ。災龍狩り……人間の考えることは相変わらず愚行に繋がることばかりだ。竜人族も言えたことではないが。
姫と結婚するために暴れている凶暴な竜を討つってか、どこの童話の話だよ。
仮に殺しに来たら、この社が壊されないようにここから離れて逃げればいいし、やられたふりでもしとけば何とかなるだろう。とりあえず今はとてもじゃないけど、戦えない身体だ。
それ以前にあいつの未来を殺すわけにもいかない。
「いつ来るんだろうな……」
そんなことを呟きながら、大樹に実る果実をほとんど喰いつくし、咀嚼しながら大樹から降りる。
「あぁ~」と欠伸。
今日は降るな。
降ってくる前になんか捕まえてくるか。
気怠い身体を伸ばし、獣を喰うために社から離れる。
そんな朝を迎え、今日も一日が始まる。
昼過ぎ。朝よりも明るさを増した暖かい日差しが自分の身体から薄い影をつくる。
こんなにいい天気だが、午後の最中に降る。空気の締まり具合と質、舌で感じる水の量が変わりつつある。
「はぁ~食った食ったぁ~」
久しぶりの満腹感。今日はラッキーだ。
予想以上に獲物の収穫が多かった。前ほど活発に動けないこの数か月間、全然収穫ができなかった。まさに飢餓地獄だった。
久し振りにたくさん食べたからだろう、眠気が襲ってきた。なにより、日向が気持ちいい。
寝るか。
大樹の根元で身を倒し、深い眠りについた。
*
「――」
「――」
なんだ?
「――」
うるせぇな、誰だよ。
近くか……結構いる。
「――」
……? なんか匂う……どっかで嗅いだことあるな……
……おい、この匂い……。
火薬の匂いだ……!
――ドガァ……ン――
体中を襲う熱、痛み。そして、腹部に何かの重い衝撃。反響する爆音。
気が付くと、オレは信仰地の社前にうつ伏せで倒れていた。
顔を上げる。曇りかけた空と、眼に入ったもの。
「……こりゃあ、めでたいお出迎えだな」
十数人ぐらいの武装兵と人一倍大きいドラム缶に似た兵器数台。いずれもが殺気を放って、こちらに幾つもの銃口を向けていた。その鉄塊のような兵器の砲口から、白い煙がゆらゆらと上がっていた。
なんだよ、今頃来たのかよ……しかも寝ているところを砲撃しやがって。
寝ているの人間かも知れなかっただろ。
「……あー、畜生が」
いや、それはない。
今、こいつらの目には、人間のオレは映っていない。
半龍人。人だか龍だか解らない血と炎に塗れた化物が、兵のマスクの反射した黒硝子に映っていた。
古くから云われた化物の証である紅い眼など関係ない。
一目瞭然だった。
オレが手をついて立ち上がった瞬間、一気に銃口から鉛ではない金属の弾が放たれる。
「ウォアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
心臓が潰れそうになるほどの振動――ただの咆哮を放つ。
撃たれた数々の銃弾は振動で粉塵へと破裂する。
兵は全身黒い何かの鎧のようなものとヘルメットのようなマスクを被り、顔もわからない。無機質な人形のようにも見えるその兵隊らは体のバランスを崩し、怯む。ドラム缶状の兵器はガタガタと振動し出し、装甲が外れ、ボゥン!と火を上げた。
オレは正面突破の追撃を試みようとした。
だが、自分の視界の奥にあるものを視認したとき、その意気込みは失った。
上空に大量の兵器が浮いているかのように宙を飛んでいた。
「……っ?」
王龍と戦ったときの後遺症と毒で劣化したこの体はある程度戦えても、さすがにこんな多くとは相手できない。それに、ここで戦うと都合上まずい。背後の社を意識する。損傷はないようだ。
今も発し続けている超音波で怯んでいる隙にオレは大樹裏の洞穴に逃げ込む。
長い鍾乳洞の中を風のように抜け、霊峰へ駆けつける。そこにあった人一人分ぐらいの小さな洞穴に入り込んだ。
「ここから離れねぇと……!」
社を壊されないために、ひたすら離れる。
中途半端な竜の身体で飛び立つことも、信仰地の崖から飛び降りて逃げることもできたが、どうしてかこの道を選んだ。
おそらく、その先も――いや、霊峰全域に自然ならざる何かが幾何学的に存在していた。半分感覚器で、もう半分は直感だが、そんな気がした。だからこの山から離れようと地下へ向かったのか。
だが、この瞬時の判断が後で間違っていたことを思い知らされる。
この地下道はアミューダ地方全域と繋がっている。今は崩壊して跡形もなくなっている剣針山から根を張るようにしてアミューダ地方の山脈地帯へと地下道が繋がっているが、この鍾乳洞からも行けるように道を作ったことを思い出す。
オレはその道を使って、遠くへ逃げようとした。
はやく、はやく、はやく……!
行き止まりならば壁を壊し、その度拳の表面から血が流れ、塞がり、元に戻る。ある程度の再生力は回復しているが、まだ身体が脆い。もうひと月後ならば、威圧だけで何とか対抗できたかもしれなかった。
いや、そんな今に繋がらない考えをしたって仕方がない。今は一時霊峰から退散するべきだ。
着いた場所は溶岩の海と化したエルベス火山地帯。紅い海の傍の森だった不毛地帯。そこから丘に生える枯れた巨木の根元から飛び出た。
その瞬間だった。
無数の鉄の弾。雨降る炎。爆ぜる大地。大空襲。流星群が一点に集中して降り注ぐ迫撃砲の嵐。
「待っ――うぉああっ!」
量もそうだが、威力が格段に違う。人はここまで砲弾を強くできるのかと疑問に思わせる程だ。
空にはプロペラの付いた船みたいな鉄の塊が100台はあるんじゃないかというほどの数で飛び交っており、そのすべてがこちらに砲口を向けていた。
待ち伏せか――!
まだ命の声が聞こえる大樹を砲弾の雨で殺し、その断末魔を最後にオレはすぐに洞穴へと戻る。
次に出たのは半壊したプリュート山脈。景色が大幅に変わったことを除き、相変わらず灰色の空が雪を降らしているが、皮肉なことに降ってくるものが雪だけではなかった。
「チッ、ここもか――うぐぁっ」
また待ち伏せか。オレは確か虚無の伝説としてその正体は知られていなかったはずだ。こんなのまるで、オレという個体を知りつくしているようじゃないか。
無数の大きな弾丸が雨のように降り注ぐ。数発被弾し、声を漏らす。腕と頭から血が流れ出る。
王龍のとき以来、一向に耐性力が回復しない。それどころか、力も完全に発揮できない。壊れた筋肉もあまり回復していない。限界の先を何度も超えたからか。そのリバウンドがきているのか。戦闘だけじゃない、生命維持における能力値も低下している。まさに病が侵攻している状態だった。
「畜生……間が悪すぎる」
すぐに完治しない己の肉体の不甲斐なさに苛立ちを感じる。
このまま突っ切るのも無茶だ。元の道へ急いで戻る。
だが、イダヌス山、峯山ラゴス、剣針山……次々と多岐にわたる地下道の岐路を辿る。だが、すべて兵器と 同じ完全武装の人形のような軍隊が待ち伏せしていて、襲い掛かってくる。力が出ない分、襲い掛かってくる軍隊が格段に強く感じる。実際に数十年前の襲撃と比べれば本当に強くなっているのだろう。武器や兵器が今までのと違う。なにか……黒龍神やそれ以上の龍の為だけに作られ、強化されたような。
「くそっ!」
結局、霊峰へと戻るしかなかった。それにしても、こんな壊れかけた体で何百kmも速く走れるもんなんだなと余裕の思考を頭に過ぎらせた。
霊峰サルタリスに着く。だが目の前の景色は変わらず、この神聖な場所に不似合いな異物が存在していた。
オレの居場所が奪われた。
「畜生が、完全にオレを殺す気だな」
そこにいたのは全身黒く、シャープな鎧のような装備で覆われた軍隊の群。その上、上空には漁船程の大きさをした兵器。数は20、いや、その倍か。
『目標の災龍を確認。全軍、直ちに抹消せよ』
無機質な音がスピーカーから響くように軍隊に告げられる。
オレは拳を握った。こうなりゃやるしかねぇ。
だが、一瞬頭を過った言葉が、オレの動きを止めた。
嗚呼、こんなとこで出てくるんじゃねぇよ。
――もう、人は殺さないって約束したんだろ?
やめろよこんなときに。今はそんなこと言っている場合じゃない。
いや、ここで殺しちゃったらおまえはまた、化物に逆戻りだ。
――歴史、繰り返す気か?
『――砲撃開始ィ!!!』
瞬間、全軍が一斉放火を開始した。
砲弾や銃弾が体をブロックのように崩していく。傷の上に新しい傷が出来上がる。皮膚が、肉が、骨が抉れる。治まらない。収まらない。
「……」
死ぬなこりゃ。
どこか逃げねぇと。
でも逃げられない。
だったらここで戦って、全滅させれば。
だけど今、全員殺すほどの力はない……。
あれ?
またバケモノに戻るの?
折角、人間になりかけたのに、無駄にするの?
じゃあどうする。
どうすればいい!
知るかよ。おまえが決めろよ。今までそうしてきたんだから。
助けはない。奇跡もない。機会もない。
もう、この先のことは考えない方がいいかもしれない。
本当に、人間は変わらねぇな。
変わったのは……オレだけだった。
「……あぁ」
ひとつの記憶が蘇る。写真のように一瞬の記憶が頭に張り付いた。
嗚呼。嗚呼。
こんな大事なこと、忘れられるわけがない。
瞳を閉じれば、必ず出てきた一枚の思い出。今もまだ、それが浮かび出る。
そうだ、もしこれが最期ならせめて――。
「――ヴァアアァアアァアアァアアアァアア!!!」




