14.君だけの英雄
時間すら静止したかのように静かな白い空間の中、天を裂くようなひとつの遠雷が反響し、残響する。否、それは雷などではなく、一人の龍人が宙より堕落した音。
その音に答えたかのように白き世界はさらに大きな轟音を立て、何かを巻き込むような純白が鈍く流れる。粉のような白銀の氷砂は波紋のように波揺らめき、動を体現する。
――再び静止したかのように、先程までざわめいていた辺りが再び静粛になる。
白い何かからバフッと銀色の粉と共に何かが出てきた。それは周囲の銀雪原を融かし、気化させながら、ふらふらと彷徨っている動きをしていた。
「……ハァ……ァア……」
最早皮すら剥がれ、肉と骨が露になっているリオラは瀕死の状態に陥っているとしか言いようがなかった。だが、寿命を犠牲にした彼の驚異的な回復力により、しばらくすればまた普通に話せるようになり、戦えるようになる。しかし、それにはやはり限界があった。
今立っているこの地の名はプリュート山脈。アミューダ地方の遥か北――中央大陸との境に鎮座する、新期造山帯に属する氷山兼凍土地帯。麓には残雪があるものの針葉樹林があり、洞窟が多い。険しい場所が多く、極寒地帯の為、独特な生物や鉱石が眠っている。
最低気温は最も寒い場所でマイナス73℃と、南西ペリオネアス域とは思えない数値を表している。その原因はいまだ不明。数百年先、分かるかもしれないが。
常時雪が降り続けるため、空は薄暗い。自分の心情も薄暗くなりそうなほどだ。
風がリオラの頬を伝う。かなり冷たく、身も凍りそうだ。普通、生身でこの地に足を運べば1時間もせずに凍え死ぬ。だがリオラは平気だった。少しずつ真皮から再生していき、表皮、薄膜鱗が形成されていく。
前方から突風に近い冷たいブリザードがリオラを包む。さきほどからずっとこのような風を浴びているので、既に極寒には慣れたことだった。が、この風は他の風とは違った。
「――は?」
風を浴びた瞬間、裂かれるような鋭い痛みが走る。自分の身体を見てみると、何かに今刻まれたような傷。そこからぶしゅっと血が噴き出す。肉体がバラバラにならなかっただけでもマシだろう。
「……」
これはいったいどういうことか。
再び同じ風が来る。リオラは空気や気圧、海、地面、そして空間までも掴み取り、操ることのできる厄神。風を捕まえることぐらい、致命傷を負っていても朝飯前だった。
「うぉらっ!」
風を掴んでは別方向に投げ、ドォン! とすかさず裏拳で空間地震を与える。すると、その風に陽炎のような大気の歪みが生じ、霧が瞬く間に晴れるように王龍が現れる。
(どこかでくたばってるかと思ってたが……)
驚異的なステルス透過機能。そして、風と同じ気流の形に変形できる肉体分子と水分の状態変化。
それでも最低限分子レベルで繋がっていなければ生命維持できない。故に、攻撃に当たったとき、離別してしまうことを第一優先として避け、原型に戻ったのだろう。
「懲りねぇ奴だ本当に」
つくづく、化物を越えていると実感する。
大気圏を越えた空の果てへと飛ばし、また天下の地へ突き落されても尚、生命維持を続けている。元来存在していた黒龍神が可愛く見えるとリオラは自虐を含め、悪魔でも見るかのような目で王龍を見つめた。
有頂天での戦闘の末、王龍も相当な肉体の欠損があったはずだが、分子レベルにまで状態変化した結果、分子構造を組み替え、応急処置的な再生を遂げる。だが、完全には元通りになっていなかった。
王龍の腕が4本になっていた。
「腹立つんだよ……こういう奴ァ」
リオラは頭に血管を浮かべながら全身をヒートアップさせる。同時に、筋肉が低温で鈍らないように不凍液を生成し、汗のように染みだした。心臓や血管を自らの意志でポンプのように圧縮し、機動力を上げる。心臓や血管が強靭で伸縮性のある筋肉で構成されている故、為せることのできるスキルアップ方法。
排気音と共に蒸気を噴き出すリオラが繰り出した技は瞬速を越えた。
王龍の眼前に現れたリオラが0.01秒単位で繰り出した同時500発の連撃が頑強な体をめり込ませる。王龍は直線状にして吹き飛び、背後にあった雪山に激突し、山が崩れる。その衝撃で他の山脈で雪崩が起きる。
王龍はすぐに起き上がり、ブレスを吐いた。それには筋組織を分解する無機的有毒物が含まれていた。
目には目を、毒には毒を。リオラは体内の金属元素を組み替え、化学物質で構成された毒性の体液をビーム状に吐いた。
互いの毒は反応し、気化熱と気体を大量に発生させる。飛散した液状の毒は雪を湿らせるのみ。
王龍は4本の腕を駆使し、リオラをがむしゃらに殴り続ける。リオラは避け続けるが3発同時に直撃し、吹き飛ぶ。山脈を貫通し、山の裏側に着く。
「う……うぐ……」
目を開けたとき、光電化して瞬時に来た王龍が4本の腕を繰り出していた。音速でも視認できる動体視力を持つリオラでさえも、その拳は早すぎて見えなかった。2発防げたが、残りの2発に直撃する。そして、防いだ両腕の骨が折れる。
曲線状に吹き飛ばされ、別の山脈にぶつかり山が抉れ、カール(氷河浸食によって山地の谷頭部に生じた半円形の窪地)が形成される。
曇天へと放り出されたリオラは血濡れた目で瞬きをする。王龍の脚がリオラの顔面を蹴り潰した。
その脚は巨剣の如く。リオラの背後の巨大な山脈に深い切れ目が生じ、洞窟のような空間ができる。その切れ目の中はまるで氷の舞台のような平らな空間となっている。リオラはその一番奥の壁に埋もれた。
「さっきほどじゃねぇけど……効いたな」
顔が横一線に斬れていたリオラは壁から抜け出し、頭部の組織を結合した途端、そこにいた王龍を豪速で殴りかかる。
山脈の切れ目という自然の闘技場で行われる武闘。氷さえ引き裂かんばかりの爆裂音が鳴り続ける。
王龍の尻尾がリオラの腹部に突き刺さり、貫通する。毒を分泌する部分は尾の先端だけでなく、側面の細かく鋭い棘にもある。ドクドクと毒がリオラの体内に入っていく。
「ぐぶっ、ご、ノ……やろ――ォォァアアアアアアアアア!」
リオラは尻尾に刺されたまま王龍の顎をアッパーで殴り砕く。飛ばされた王龍は天井にぶつかり、山脈の頂点まで貫通していった。同時にリオラに刺さっていた尻尾が抜ける。
リオラは天井に向け思い切り空間を殴り、大気に浮かぶ鏡が砕けるように、光が細かく屈折するほどの空間の歪み――罅を発生させる。それによって生じた破壊力は、切れ目のある山脈の一角を消し飛ばした。
それに巻き込まれた王龍は、山頂のないテーブルマウンテンと化した氷雪山に垂直に墜落する。
リオラが一瞬であおむけに倒れた王龍の前まで移動し、拳の突きを腹部に一瞬且つ重々しく撃砕する。平らな山が海抜0以下までめり込み、直径40km、深さ900mもの隕石孔のような穴が生じる。凸状の地形から凹状の山脈地形へと変貌した。砕かれた岩が舞い上がり、王龍の身体が沈み込む。
勢いが収まった瞬間、拳を緩めては掌底を王龍の胸部に強く当てる。
――ドゥン!
掌底突きから発された衝撃圧。それは内側から組織を破壊する。普通ならば心臓が潰れる。運がよくてもで心臓が止まる。王龍は致命的な損傷を与えた……に過ぎなかった。彼らにとって致命傷は大したことではない。
致命的。死に繋がる、取り返しのつかない重大な因子。
だが、不死の王に死ぬ概念などあるはずもなく。この技は失敗に終わった。
「――ァァァアアアアア!!!」
だからこそ、もう一撃の壊撃を下した。
"無動砕月"。それは全細胞を破砕するかの如く。星を砂へと還させるかの如く。
プリュート山脈帯全域を刻むような地割れを蜘蛛の巣状に刻みつけ、クルム大陸のみならず、周囲海域とそれに隣接した大陸の地中に巨大な断層を生じさせた。直下の大陸プレートが分離しかけ、地殻を砕き、モホロビッチ不連続面の密度違いの境界を越える。下部マントルを揺るがしてはホットスポットを活性化させる。
貫徹するこぶし大の衝撃波は、王龍の胸部からマントルを貫き、グーテンベルグ不連続面を越える。液状の鉄合金でできた外殻を超えた先、レーマン不連続面を突破し、直下6300km――この惑星の内核にまで達した。
「……」
しばらくの間が続く。龍人は立ち上がり、それを見下す。
王龍は動かなくなった。
自分より2、3倍の大きさはあるだろう王龍の倒れた姿を見つめた。
晴れた空が再び暗くなり、空から体に沁みるような冷たい雪がしんしんと降り始める。
地に委ねた王の背に粉雪が積もる。発熱反応は見られない。
心拍音、呼吸音、体熱、匂い、甲殻や露出した血肉の細胞活動……五感を研ぎ澄ませ、生体反応を見い出しても一切反応がみられない。生体反応がない。
つまり――。
「死んだ、のか……?」
そう呟いた。
だが――達成、勝利、救済、責任、義務……それらを果たした感覚が全くない。
この虚無感はいったいなんだろうか。
そして浮かび上がるひとつの疑問。
――本当に死んだのか?
そんなことが頭に過ぎる。
しかし、心拍音も呼吸音も聞こえない、脳波や体から発する微弱な電磁波さえ見えない、感じない。生物には必ずあるはずの体熱も無い、それどころか氷点下まで達している。
そして細胞活動が見られず、「停止」している。普通ならば傷口の細胞は活発化して修復作業に取り組むはずだった。生命力のある王龍なら尚更だ。
だが、それらを含め、まったくの活動が見られない。生体反応がない。
これが普通。死んでいて当然だった。
「……?」
待て。
馬鹿馬鹿しい話、機械に近く、また現象の光電に近い王龍の「停止」。生命にはありえないが、生命を逸脱している以上、「再生」もあるはずだ。
つまり、「再起動」するということ。
一瞬だけ、虚空を見つめていた王龍の紫の眼球が動いた気がした。
「――ッ!」
だとしたらまずい! 今すぐこいつを――。
*
もう、遅かった。
あのとき、まだ猶予はあった。トドメぐらい、すぐに刺しておけば。
原型が無くなるほど、潰しておけば。
こんなことにはならなかった。
「――がはっ……!」
急激な重み。
急激な痛み。
急激な違和感。
急激な嘔吐感。
急激な危機感。
急激な致死感。
今までの出来事が走馬灯のように流れ、廻り、巡り巡る。
思い浮かんだのはある少女と出会い、過ごした日々。
少女の屈託のない笑顔。どこまでも無垢な、温かい笑顔。
馬鹿みたいに必死になって、友達になろうとした少女。
それを拒み、何度も少女を傷つけ、後悔して自分を責めた夜。
彼女と仲良くなりたい。そう強く願った。願い続けた。
だけど、こんな体じゃ彼女を死なせてしまう。
もう二度と大切な人を失いたくない。
心から自分を大切にしてくれた人を失いたくない。
だから、必死に彼女を避け続けた。拒み続けた。
嫌われるために。恐れられるために。
だけど、そんな不器用な自分を救ってくれた。
あれだけ拒絶したのに。あれだけ傷つけたのに。
あいつは今日も来てくれた。
だから勇気を出して、悩みを、苦しみを打ち明けた。
それでもあいつは、友だちになろうと言ってくれた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
あいつの目にオレがいることで。
初めて本当に生きているということを知った。
それからの日々がまるで天国のようだった。
恐れていたけれど、求めていたことがこうして再び訪れてくるとは。
彼女が来る時が待ち遠しかった。
不器用なオレは無愛想に話していたけど。
それでも笑って優しく答えてくれた。
オレはもしかすると、いや、絶対だろう。
あいつの事が好きなんだ。
初めて会った時から。信仰祭のときに目が合ったときから。
好きだったんだ。
そして、今は愛している。心の底から。
願わくば、今すぐにでも彼女に会い、抱きしめたい。
だけど、そんなことすればを彼女は死んでしまう。
この不器用で呪われた体が憎い。
どうして、どうして。
彼女の手すら触れられない。
ただ、会いたかったんだ。
ただ、話したかったんだ。
ただ、触れたかったんだ。
ただ、愛したかったんだ。
どうしてそれが、認められないんだ。
どうして、あいつとオレが
人間と龍なんだ。
何回だって、神様に願った。
それでも、悲しいくらい、憎いくらい……。
彼女を抱きしめたくても、手が震える。
禍が華に触れれば簡単に散ってしまうから。
抱きしめたい、愛したい。
だけど、できないんだよ……!
足掻いたって頑張ったって願ったって。
この体の呪いは解けない。
だけど、それでも彼女の笑顔が続くのなら。
彼女を救えるのなら。
厄神にだって。
人々から嫌われる化物にだって。
死ぬことしか許されない極悪人にだって。
いくらでもなってやるよ。
だけど、彼女の前だけでも。彼女の前だけは。
英雄になってみたい。
泥臭くても、かっこ悪くてもいいから。
彼女にとってのヒーローになりたい。
幼い頃、憧れていた正義の味方。
誰よりも強い正義の英雄。
そう、ヒーローになって彼女を救ってみせるんだ。
そして、ハッピーエンドを。
決して許されることのない最高のハッピーエンドを……。
迎えてみせる。
「――オレは……まだヒーローになっちゃいねぇ……!」
ボロボロでぐちゃぐちゃになっていた体を起こし、立ち上がった。
まだこんなとこで終わってはならない。
まだハッピーエンドになっていない。
ここで終わらせないと、あいつを倒さないと、彼女を救えない。
彼女の笑顔の為に……生きて、戻っていかなきゃならない。
その笑顔だけを信じて。
オレは……闘う。




