13.神喰らいの獄龍は星を砕く
宇宙速度。
地表の物体にある初速度を与え、宇宙飛行という軌道に乗せるために必要な速度――惑星の重力圏から振り切り、脱出する速度でもある。
その速度は空気抵抗を考慮しないと仮定して時速40,300km――秒速11.2km。
竜人の、否、災龍が受けた速度は秒速23.7km。太陽の重力をも振り切る速度である以上、原形を保てないことは当然の結果に過ぎない。
だが、災龍――厄神の身は消滅していなかった。有頂天を超えた先、虚空の海に浮かぶ冷たい島に打ちつけられていた。
そこは時空連続体の領域――大気圏外の空間。この時代の惑星では未だ「宇宙」と名付けられていない虚の世界。
座標高度――約78,000,000km
体感温度――宇宙マイクロ波背景放射を考慮した上で、現時点で摂氏-268℃
体感圧力――約1.33×10のマイナス11乗。
体感速度――秒速7.3km
「……ッ!? ッ……ッ……!」
ボロボロの身体で、すでに致命傷と言っても過言ではなかった。だが、外気がほとんどない世界が、彼を休ませてはくれなかった。より一層意識が遠ざかりかけるが、いつもと異なる雰囲気に眼を醒ました。
体感したことの無い環境。かつて過ごしてきた過酷な環境とはまた違った苦痛を伴う。
問題なのは息ができないことか。否、酸素やその他の気体濃度が少なくとも、無呼吸での長期活動は可能。肺や血液等の中から外へ出ようと暴れている気体を吐き出しては肉質、表皮等の細胞質を再生・変化させ、辛うじてだが適応させる。
酸素を血中へ取り込むのを止め、体内に残った酸素は活性化する。循環器自体を機能異化させては、空間に豊富に漂う水素ガスをエネルギーとして燃焼させる器官を未完成ながらも造り上げた。水素ガスによって活性した酸素による細胞破壊と脳機能低下を防ぐ。血管をも拡張させ、ほんのわずかだけでも生存率を高めた。
(あれか……? オレがいた惑星は)
あそこまで飛ばされたのか。未だに信じられない。
最早、点に等しい。だが、その異常な視力はすぐに対応し、惑星を天体望遠鏡で覗いたようにはっきりとした姿でみることができた。
空間を漂っている小惑星から見えた青と白、緑が混じった美しい星。漆黒の世界にポツンと幻想的な色がぼんやり浮かび上がっている。幽玄ともいえる。
その傍に小さい影が見える。月だろうか。
(……ここまで来ると、笑えてくる。もうシャレになってねぇよこれは)
生命を逸脱した強靭すぎる肉体が、未だその身を保たせてくれている。だが、先程の王龍のブレスに加え、今いる空間の環境に上手く身体が動かない。体表が半ば氷結しているが、活動を再開したことでリオラの内の熱が体外に発し始め、融解していく。
「……っ、……っ」
(この気体じゃ身体をフルに発揮できねぇ。身を保つことで精一杯か……畜生、全身が痛む)
同時、背後から死の予兆を感じたリオラは確認することなくその小惑星から無重力の真っ暗な海へと飛び出した。
(嘘だろ……っ)
浮かぶ岩に着地する。見上げた先には光纏う王龍アポラネスの神々しい姿。眩い翼を広げ、電子雲のような粒子を発生させては漂わせている。その輪郭が妙にぼやけていることに気がつき、リオラは嫌な想定をする。
(より"神"そのものに近づいたってか)
それは光と称するより光子の集合体と喩えられるべき。光電が纏う――否、王龍そのものが光電と化しているに近い。それに加え、重力子も発生しており、王龍自体が惑星であるかのように、引力を発していた。
それでも、まだ生物としての質量はある。物理的にダメージを与えられる時間も限られているだろうと感じたリオラは全身を引き締め、止血しては半硬化する。そして、全筋繊維から大量の電荷を発生させた。雷へと近づいた、粒子レベルでの不安定変異。意識という信号を消失させないことで精一杯だったが、リオラは眼光を王龍に向け、身を前へ倒した。
ふたつの閃光が走る。数十万kmに及び、宇宙に漂う無数の小惑星が同時にただの破片と化し、広大極まりない星雲にも小さな穴が貫く。彗星よりも迅速く、表面が氷で覆われた20km×15km×30kmほどの不定形の小惑星群にぶつかり、また貫通する。
まるで小さく、質量の重い天体同士の激突のよう。天秤に量れないほどの規模の小惑星がそのふたつの存在に振り回され、砕かれ、軌道を乱されてゆく。
「――ガッ」
限界を感じたリオラは隙を突かれ、光速とまではいかずとも、それに近い速度の一撃を喰らう。電子そのものへと近づきかけたリオラは強制的に分子を結合、質量を取り戻し、与えられたベクトルに従う。
「――!!!」
突如背中に感じた重い衝撃。重力を持ったそれはまるで、惑星に墜落したような。ただ、そこに大気などなく、ただの破片に等しい星屑だと判断した。それでも山一個分の規模だが。
揺らぐ脳。噴き出した災龍の血は氷結しないまま空間を漂う。
「……」
先程から嫌な気がしてならない。それよりもいち早く元のいた惑星に帰らなければ、今度こそ死んでしまうと実感していた。蝶のような白金と黄金の翼を羽ばたかせ、前方に降り立った王龍。ふと、サルト砂漠にて見た流星雨を思い出す。
その存在から感じられる強い重力と電磁波。まさかとリオラは首を上へと向けた。
「嘘も大概にしろよ」
音を振動させる分子が無い以上、声にならない声を体現させる。リオラの舌打ちは響くことなく虚空へと消える。
数歩歩き、見上げた大気の無い星空の景色。そこには大小問わず何百個もの流星が豪雨のように突き進んでおり、それらはすべて青と緑の美しい星へと向かっている。
そして、その隕石群の中央部には、それらと比較にならないほどの天体が宙を覆っていた。
(おい……ふざけるんじゃねぇぞ)
平均密度13.40g/㎤、半径3300km――鉛より高い密度でできた月の二倍ほどの大きさだろうか、百戦錬磨の災龍でさえ、それには戦慄した。
(砂漠で咆哮したときに仕掛けていた……ぐらいしか考えられねぇよな)
あまりにもデタラメすぎる王龍の力。遥か彼方の隕石群と天体を一点に集中した重力によって呼び寄せたのだ。その結果、この太陽系外縁――カイパーベルトの小天体を引き出し、それよりも遠くに在る地球型惑星の軌道を此方に変更させた。
その天体は流れゆくどの小惑星よりも速く進み、リオラと王龍の横を通り過ぎようとしていた。その月の二倍ほどある天体の重力によって、リオラのいる隕石もその巨星に吸い寄せられていた。
(このままじゃ……相当まずい)
数百年リオラが棲んでいたアミューダ地方どころではない。惑星にとって40億年ぶりの二度目の月の形成を与えることになる。だが、この速度では半壊では済まず、木端微塵になることは明確だった。
透き通るような奏音。深海の海の中に輝く宝石の如き、王龍の咆哮がこの真空に近い空間で聞こえるのは、振動する分子が王龍の広範囲で発生しているからなのか。肺に気体がないリオラは声を発することができなかったため、それを確かめることはできず。
王龍は光電を発し、牽制を仕掛けることなく、光の弓のようにリオラに突進した――が、リオラの振るった左フックによって、拳の軌道上にあった複数の隕石ごと吹き飛ぶ。目の前に流れてきた石鉄隕石を手にし、口に運ぶ。体質によって、手に持った隕石は激しい酸化反応を起こし、無音の火花を散らせる。
追撃すべく、巨大天体の真横に沿っては、距離を取った王龍の後をリオラは雷電の如き姿で追う。亜光速の身体によって天体と空間の間の圧の波に逆らい、流れゆく星屑の雨を避けつつ踏み出し場として使い、とうとう天体の後部へと辿り着きつつあった。
迫りくる塵の雨を、右拳の爆発の如き一撃で払拭させる。秒速数キロもの速度で視界を覆う大陸のような流星が通り過ぎる。通りかかった山のような隕石を蹴り、王龍に当てようとするも、発したプラズマエネルギーによって粉砕される。
一瞬意識が遠のく。ただ息を止め、戦っているのとではわけが違う。これまでの甚大な損傷と体感したことの無い環境下での死闘は、リオラの命を極限まで削っていった。
(まさかこの隕石でリセットするって根端じゃねぇだろうな)
だとすれば、とんだ計算違いだ。この規模でこの速度だと、惑星を核ごと破壊する以外考えられない。やるならまだ小惑星群を落とすだけで十分だ。まだ、そこの考えは子ども程度か。
そう思いつつ、王龍の翼や口腔から発したプラズマ熱の光線を避ける。流星群の内の数個の隕石に穴が空くが、目の前の巨星の重力によって軌道外へ逸れることはなかった。
この嵐ともいえる流星群を軌道上から逸らすためには、月のような天体をなんとかするしかない。そう考えた災龍は目を逸らすことなく王龍を見続ける。
王龍も積極的に仕掛けてこない以上、この厳しいこと極まりない環境での行動は限られているようだ。まだ成体に羽化したばかり。早まり過ぎたな、とリオラは機会を窺う。
瞬時、流星群を縫い沿うように移動し、雷に近い速さで王龍の懐にもぐり込む。足元の岩塊に足を着け、後ろ脚の大筋肉群を存分に力を込めては体幹を回転させた。
竜道術、飛竜拳。
その拳に勢いがなくとも、山に風穴を開けることが出来る獣竜拳"鐡犀"。だが、今はこの業に多大な初期運動が加えられなければ、あの天体に墜とすことは不可能。
雲海のさらに上空。天翔ける龍を地の底へ射ち落としたとされる、天の鎚。翼を奪い、雷ごと大地に打ち付け、煮え滾る溶岩の海へと溺れさせた、神話上でしか存在しなかったはずの神の業。それを、竜人が現実の形へと体現させる。
――"梵乖"!!!
「――ッ!」
発した声と呼気は振動することはない。
ルビー色に発光している胸部に縦拳を撃ち込み、光が無音で爆ぜる。周囲の小惑星群諸共4000km先の天体の後尾へと落とす。相討ちだったのか、6枚翼の繰り出した無数の鎌の如き千枚刃によってリオラの全身に切れ目が生じた。
それでも――瞳の紅蓮は色褪せることはなかった。
(やるしかねぇ)
こんな状況での一か八かの命の賭け。
否、この過酷な環境だからこそ、全力を尽くすべき。
一思いにぶつけてやれ。己の意志がそう怒鳴りつけてくる。
言われなくてもわかっている。災龍は拳を握った。
思い浮かべるは、故郷。生涯。そして、心を動かしてくれたちっぽけな人間。
無呼吸・無酸素運動による会心の一撃を、時代の革命の王に捧げる。
龍麟流、鬼龍拳。
かつてこの地に君臨していた鬼神が、墜ち往く月を打ち砕いたという。その業は人の身に在る者誰しもが秘める"鬼"の理念。それは信念と意志を貫く不屈の槍であり、己を正義という悪へと染める理屈と感情の暴走であり、継がれてきた遺伝子群に眠る本能の叫びである。
鬼の憤怒。龍の激昂。人の暴力。赤く紅く朱く燃え上がる心臓が今――爆ぜる。
――"砕月"。
あまりにも虚しい。それは、あまりにも寂寞という言葉が似合う。
重力を発するほどの歪んだ拳は王龍を引き寄せ、天体ごと王龍アポラネスを穿つ。
生命の樹が凄まじい速度で根を張るように、月をも呑み込む天体は裂罅を深く深く刻まれる。拳の熱が伝導し、内側から融点に達した天体の岩石はすべての罅から液体として、光を発しながら漏れ出てゆく。
貫いた拳の道は中心から侵食するように広がっていき、地軸が風穴と化す。核ごと砕けた天体は熱された果実のように内側から散り散りに破裂し、烈火の如く四方八方へと飛び交っていった。
爆散したエネルギーは波動として周囲の流星群を粉々にしては拡散させた。ブラックホールほどのエネルギーと比べれば天地の差であれ、その影響力は凄まじいものだった。
それでも尚、分解することなく生体的結合を保っている王龍はどの流星よりも迅く、小さく見える幽玄な惑星の方へと雷の如く墜ちていった。
星を砕いた腕は真っ赤に染まりあがっており、それは今にも崩れ落ちそうなほど。意識を朦朧とさせたリオラは空間を彷徨い続ける。
だが、遅れてきたかのように後ろから数十メートルほどの小さな星屑がリオラに衝突する。リオラに与えられた運動エネルギーのベクトルは幸運にも、惑星のある方向だった。
王龍と災龍が墜ち往く道には、一切の妨げがなかった。もはや塵同然の流星雨と共に、ふたつの絶命しかけた神は再び母なる地へと身を委ねていった。




