10.無双の双王
一方、人と龍の攻防戦――全面戦争が繰り広げられているプラネル高原から遥か遠く離れた場所にて。
またもや体感したことのない強力な毒ガスと毒針を喰らい、血反吐を吐き続けているリオラがいた場所は、硫化水素が漂う荒々しい岩場。遠くには密林らしき緑と巨大な崖山に流れる大きな滝が見えた。
「あがっ、うぅぐっ! ……がぶぁっ! はぁ……ハァ……、どこだ、ここ……?」
リオラが墜落した地は無名の島。所謂、絶海の孤島。未だに人間に発見されていない未開地である。
だが、位置は地方南東のアーク海のはずれにある。島国のアーク国やアミューダ地方の海岸では全く見えない、濃霧に包まれた幻の火山島。
「……なん……だ……?」
この島が呼吸しているような地震。最初は王龍かと警戒した。だが、そうではないとすぐに判断し、よろよろと立ち上がる。
毒によって体は先程よりも酷い状態に陥ったが、それでも体が壊れることはなかった。王龍の未知の毒の前では気休め程度かもしれないが、体は新しい抗体を作り、毒を回復しようとしている。
荒れ地の地面が盛り上がり、何かが出てくる。
間欠泉のように濃硫黄が噴き出すとともに出てきたのは大蛇のような東洋竜。全身が赤く、刺々した甲殻を持ち、口の横には太い牙が禍々しく生えていた。目は淡黄色。しかし、そんな特徴を捉えたのは二の次だった。まず何より感じたことは、その姿の規模の大きさ。全長どれだけだろうか、およそ2000メートルもの長さと巨体を誇り、まさに圧巻といえよう。
さきほどの地震も、この竜が地中を移動したことによる振動が正体。
名も無き蛇の巨龍。だが、その覇者のみにしか持たない品格がこの大蛇竜にはあった。
「この島の主か……」
絶島主。人間に発見すらされていない、孤高の王。
絶島主はリオラを視認した瞬間、周りの岩が砕け散るほどの咆哮をあげ、威嚇した。
いつものリオラならばハエが耳周りで飛ぶかのように五月蝿い程度にしか聞こえないのだが、最初に浴びた王龍の毒によって劣化しているため、辛うじて耐えられるものの、鼓膜がびりびりと痛む。
次に主が行った行為は、一部体を筋肉のように盛り上げ、腹から口へと何かを吐き出すように隆起部分を移動させる。隆起部分が口に達した瞬間、炎の塊を吐き出した。
「くそ……っ」
リオラは起き上がり、すぐに避ける。被弾した場所が激しく燃え上がり、穴を空けては地面を溶かす。
リオラは走り、次々吐き出される炎塊を避けていき、主の胸部へ飛び上がっては思い切り殴る。
――が、蛇のように柔軟な身体は巨体に似合わない速さで横に避ける。外れた一撃は爆風と尋常じゃない量の砂塵を起こし、立ち聳える岩山の崖に風穴を空ける。
体勢を滞空中に切り替え、巨剣の如き殺気を誇る左脚を、避けた絶島主に振りかざしたときだった。
背後から突如、痛みとは言い切れなほどの衝撃を感じた。リオラは吹き飛び、絶島主の身体に強く衝突する。絶島主はその弾丸のような衝突の痛みで怒り、全身を放電させた。
地面が弾け飛ぶほどの電撃を喰らい、リオラは弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「――っ、くぅ……」
リオラはすぐに起き上がれなかった。
その隙を狙って王龍は、熱によって脈状に赤く染まった両腕をかざし、掌の噴出孔から放射熱を撃ち出す。それは地面ごとリオラを焼却し、絶島主をも巻き込む巨大な爆発が起きる。
2000メートルの絶島主は高熱で身を溶かすことはないものの、爆風と熱量で仰け反り、転倒しては岩山連峰に衝突する。激しい地震が引き起こされ、あちこちで硫化物が間欠泉と共に噴き出す。
「うがぁぁああぁぁあぁぁぁぁあ!」
爆発後、生じたマグマだまりを噴火のように弾き飛ばし、雄叫びと共に噴煙渦巻く爆心地からリオラが立ち上がってきた。
「もうあったまきた! 黙ってりゃさらに調子に乗りやがってあの野郎!」
さっきまでの瀕死のリオラとは一変し、ほんの僅かだが回復が見られた。
その要因はこの島の土壌成分。生体に必要な栄養成分やミネラルが含まれており、災龍はその熱されたマグマを呑んだことで、養分の確保・増幅。また独自の体内器官での熱可逆反応、熱核融合を繰り返し、そして怒りによる活性化で再生プロセスを回復させた。
「まずァ……こいつぶっとばしてからだ」
リオラが両手を握り、拳を作る。
そして、両拳を胸の前に、思い切りぶつけ合った。否、カツンとぶつけるというより、ドガァン! と全力で衝撃波が起きる程の勢いで殴ったと表現した方が妥当かもしれない。
両拳をぶつけ合った瞬間、肘から関節が外れるような軽快な音を立てたと同時に、耳を劈くどころか、鼓膜が破れ、耳小骨が砕け、耳管や咽頭から血が噴き出すほどの超音波と超振動を腕より発した。
超振動を継続している両の腕は、ぼやけた残像と化している。周囲の砂礫がホバリングする程共振し、硬い岩盤の大地は震動のあまり罅を刻む。水分をも振動させ、分子摩擦により熱を帯び始める。
超音波は止まらない。絶島主は全身をゆらりくらりと捻じらせ、呻き声を上げて苦しんでいた。王龍でさえも怯み、先手を打てなかった。
両の音響鉄鎚を構え、リオラは地面を蹴り、瞬時に標高200メートル先の絶島主の頭部へと飛びかかった。その振動している腕で絶島主の発達した巨大な牙を殴ると、いとも簡単に粉末状と化した。
音振動を纏った殴音殺。咽頭――首を薙ぎ払うかのように殴った音は大気をも砕く。充満した硫化物や粉塵、霧や天の雲までも吹き飛ばす。
岩盤の中を突き進み、溶岩の中でさえも変質しない頑強な甲殻が砂のように粉砕し、血肉も細かいペーストと化し、振動による固体の液状化が見られた。
絶島主の首はいとも簡単に別離した。落ちた頭部はまるで氷山の頂上部分が崩れ、麓に落ちてきたような音を立てる。あとから巨体が地響きを鳴らしながら、ゆっくりと倒れた。
リオラはそのまま王龍へと走り、踏み込んでは回転して跳び上がる。
王龍の全身から染み出てきた何か。それが氷結したかのように硬質化し、輝く鉱石と化す。炭素素材ではないものの、格子的にみれば正四面体結合――金剛石に近いモース硬度10の金属。
だが、その体内で作り上げた新元素の鎧に意味があったのかなかったのか。少なくとも、その鎧は王龍を守ったという視点で見れば意味はあっただろう。
リオラの超振動の腕が王龍の胸部を殴り、振動による熱が生じる。胸部の金剛石は粉砕し、熱で溶けていく。
衝撃の流れに乗り、岩山連峰まで後退する王龍に追い打ちを仕掛ける。
「――っ」
筋肉摩擦による発電と発火。それを駆使し、岩山に追い込んだ王龍を猛撃する。
無呼吸運動による災龍の連撃は、最早肉眼で捉えることができず、ただ標高1000m以上の連峰に次々と巨大な風穴を空け、背後の大海原にまで衝撃が通じ、轟音と共に大海をも抉る事態しか確認できない。
穴の開いた山脈はあっけなく崩れゆき、麓を瓦礫で埋めてゆく。
自分より倍はある王龍の体に一撃も当てることができない。目の前にいるも当たらない様は残像に等しい。
「っ、いねぇ」
と言った直後、黒金の巨拳が視界を埋めた。
雷鳴。拳と顔面の間に生じたエネルギーは原子を構成するの電子を分離させ、電気を生じさせる。空を縫う稲妻は大気が砕けた様にも見える。
なんとか受け身を取ろうと両手を広げては墜落の際、地面に衝撃を分散させる。だが、その破壊力は甚大。周囲は湖に水没する巨岩のように礫岩の飛沫を上げ、波紋を起こす。孤島を中心に海に津波が発生する。
歯が砕けんばかりに食いしばったリオラだが、受け身では流しきれず、地中深くまで埋没する。それに伴い断層も発生し、7万平方キロメートルの孤島が海に半ば沈降する。海抜の数値が激減し、山脈以外は津波に飲まれ、海に沈んでいった。
「――ぬぁあああああッ!」
自ら断層を作り、密閉された地中に裂け目を作る。両腕でこじ開けた岩盤は地割れを引き起こし、陸も山も引っ張られては両断する。地上の隙間から入り込む海水に濡れる。
そこに洞窟もなければ地下空間もない。先程の破壊で作られた、蟻の巣のような狭く、しかし渓谷のように幅広い隙間と絶壁の世界。どこが重心の働く向きか判断し難い、真っ暗な世界。夜よりも暗い世界であれど、何の支障もなく活動できる災龍は右の岩盤から距離を取った。
途端、岩盤の壁は砕け、王龍が飛び出てくる。リオラはカウンターを取ることに成功し、もろに受けた王龍の身は流れる海水と共に地中に歪なトンネルを作った。
リオラに触れた海水は蒸発し、支える岩盤の瓦礫は風化する。
四方八方が大地に囲まれたような地中の世界。高密度の地層を突き進むため、四肢で削岩する度、地下の世界を照らさんばかりの火花が散る。
地中でも尚、互いの猛攻に一切の衰えを感じさせることはなく、爆発に匹敵する一撃一撃は瞬く間に洞窟のような空間を形成する。そこに流れ込む海水により、その景色は地底湖に値するものとなる。
天井の裂け目から注がれる海水が溜まり池に落ちては飛沫を上げる。
その滴る水滴が地底湖に落ちるまでの時。1秒にも満たないか否かの刹那、王龍と災龍は何度拳を交えたことだろう。
彼らの速さを基準にすれば、水飛沫も、小さな滝のように流れる海水も、崩れゆく瓦礫も、すべてが遅く見えるだろう。
王龍は肩甲骨や肩部、腰部や腕部の噴出孔を駆使しては飛行速度を上げる。リオラは王龍の手のひらの噴出孔から発した光線の如き爆発に直撃し、孤島の大陸プレートの中を抉り、ホルンフェルスを突き破ってはマグマだまりに到達する。リオラの異常な耐熱性の前では、その身を融解することはなく、リオラの体質により、マグマに分泌物質が溶け込む。
(この熱さなら……っ)
赤血に染まったリオラは全身をメルトダウンせんばかりに体熱を上昇させる。
何か策略があるのか、ただの無謀なのか、マグマだまりに王龍が侵入し、マグマを飲み込みながらリオラを吸いこもうとしている。
王龍がリオラの胴を掴む。万力で握り潰され、骨盤が砕ける。捕食されそうになる寸前。
一本の腕を曲げ、肘先を王龍の喉元に向ける。
竜道術、地竜拳。
甚大なるエネルギーと質量の相互変換。地上の炎など生ぬるいに等しい、それは地獄の窯を煮える大焦熱の獄炎なり。
――"闔鶯"!!!
それは、火の山の王を体現したもの。だが、鋼をも砕く地底の統率者の舞いは決して金剛鬼のように力強いだけではなかった。それは、空を自由に渡る鳥のように美しく、また心を熱くさせた。
曲げていた腕の各関節すべてを伸ばしきり、何発もの空洞現象を生じさせ、ジェット流によって王龍の金属甲殻を壊食させる。現象発動の条件が揃わなくとも災龍ならではの成し遂げられる技。
災龍の無数の関節から生じさせる圧力波に加え、生じた莫大な熱量は地中に広がるマグマの翼。網状葉脈のように、繊細な地脈を刻み、どこまでも熱エネルギーが行き渡る。外へ出ていこうとする地中の熱海はやがて海底から爆ぜ、広大な大海原に一列の海底火山列島が生じる。
指先までに至った衝撃は鞭を振るった際に発生するショックウェーブ。地中内噴火に匹敵する一撃により、王龍は火の玉となって堅殻を破損しながら、プレートを削りながら吹き飛んでいく。
固まったマグマだまり――花崗岩の塊を貫通させ、結晶片岩含む付加体の層をも突き破り、海洋プレート――アーク海の海溝まで吹き飛ばされた。
地下に浸かった海水は蒸発をし、漏れたマグマは冷やされてゆく。進みにくくなる前に、リオラも上昇し、海上から未だ沈んでいない孤島の山まで上がる。もはや小さな諸島と化した地帯。海からは湯気が立ち込めている。
「……」
どこまで王龍を吹き飛ばしたのか。
万が一、そのまま逃げて、アマツメ龍のいる湖へ向かっているとしたら。
リオラはすぐに海の中へ飛び込んだ。マグマの熱によって温かくなっている海水に浸かった感触が全身から痛みとして感じられる。傷が沁みているのだろう。しかし、海水の微生物や塩分によって栄養を取り込み、表面上は再生してゆく。
リオラは急いである海域へと向かうため、またも別の姿へ龍化した。
鮫のような鋭い頭部と背鰭、ウツボか鰻のように細長く滑らかな体、流れるような独特の模様、尾びれはそこまで発達しておらず、蛇のような体型をしていた。白と青を中心とした体色。爬虫類と数種の魚類、が混じったような姿。
リオラは目にも留まらぬ速さで遊泳していった。




