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10.神を殺す愚かな者よ、人類の悪となれ

《ウォーク》

「なにか、雲行きが怪しくなってきたな……」


 夏の終わりを迎えようとしているこの季節。

使用人の夕食後の休息中、たいして曇りがかってないにも関わらず、僕はついそんなことを呟いてしまう。一緒にハーブティーを飲んでいる同じ使用人のアンヌがその言葉に反応する。


「何言ってんの? からっきし晴れてるけど、これから雨でも降るの?」

「いや、雨とかじゃなくてもっとこう……大変なことが起きそうな……」

 そういうと、アンヌは赤い三つ編みを後ろに回し、バカにしたような目で答える。


「は? やだ、それって虫の知らせってやつ? そんなのないない。あんたどこの預言者かっての。ただの杞憂を上回って酷い被害妄想ね、それ」

 これまた酷い言い草だ。いつもちょっかいばかりかける陽気な彼女がこんな冷たい言葉を放つときはだいたい疲れがピークに達している時だ。今日は何かと忙しかったからな。


「そこまでいうことないだろ」

「大体さ、そんなこと起きるわけないでしょ。あっても何が起きるっていうのよ」

「わからないけど、なんかそんな感じがするんだよ」

「はぁ~、じゃあ何? 元ハンターの勘ってやつ?」

 うんざりした彼女の顔。構わず僕は肯定する。

「そんな感じだね」

「……ま、ウォークがそういうことを言うってことは、なんか起きるんだってことを楽しみにしてるね。何もなかったら明日一杯おごれ」

「なんだよ、急に優しくなったかと思ったら結局奢り目当てかよ」

 そんな他愛もない会話の中、歴史に残る程までの事態が今宵の内に起きようとは、誰もが知る由もなかった。


     *


《サクラ》

 私は一度、リオラに帰され、就寝の10時を過ぎた後、こっそりと抜け道を使い、竜小屋の広い放牧丘へと向かった。

 たしかここにいるはず。


「リオラ」

 私が小声で言うと、何もないところから霧が晴れるようにリオラが現れた。

 リオラは周囲の風景に同化する擬態能力を持っていて、私がそれを知ったのは少し前の事だった。

 体液に電荷をかけると変色する仕組みを使って背景に体色を合わせているのか。自分の周囲の湿度、温度差を調節させ蜃気楼を作っているのか。周囲に水分の濃度を濃くし、光を屈折させているのか。それとも空間を捻じらせているのか(これらはすべてウォーク談)。

 いずれにしろわからないが、とりあえず完璧ともいえる擬態だ。


 リオラの背には、シェイダやホスノの森の行き帰りに使った、人一人入れる空洞をもつ黒岩が背負われていた。


「急げ。早く、この中に入れ」

 私はその黒岩の中に入り、リオラは周囲の景色に擬態し猛スピードで王宮を抜け、あっという間に国を出て、サルタリス山脈へと向かった。


 着いた先は霊峰サルタリス山脈の「高天の地」だった。古寺のある信仰地よりも神聖な場所として畏れられている神話上の場所だ。

 私は不振に思い始めた。リオラは何を考えているんだろう。


「ねぇ、夕方の時から様子が変だけどなにかあったの? それに、なんでここに?」

 リオラはいつもと変わらず、そっけない表情をしていたが、真剣な表情にも見えた。


「ここにサクラを連れてきたのは……本当のことを、知ってほしいから」

 本当の事? ますますわからない。

 理解でいていない私に構わず、リオラは話し続ける。

「最近、人間の間でも噂になってる、黒龍ってやつのこと。あれ、ミラネスのことだよな」

 あまり名前とか知らない世俗離れしたリオラから黒龍神の名前が出ることに少しだけ驚く。というよりは意外だと思った。


「うん、そうだけど……あれ、いつそんなこと聞いたの?」

「オレ、遠くの音聞き取れるから。山からだったら、サクラの住んでる国の人間の声、少しだけだけど聞こえる」

「ふ~ん……ってここから国まで!?」

 今度こそ顔に出てしまうほど驚いてしまった。

 地獄耳の範疇を越えている。確かここからサルト国の王都までは、大体2,30kmだったかどうか。測ったことがないのではっきりわからないが、なんにしろ、それだけの距離の先を聞き取れる生き物なんてこの世に存在するのか疑問に思えてくる。

 いや、今までを振り返れば、いろいろ凄い能力を目の前で見ているんだ、もはや何でもできるかもしれないのではないかと思わせる。


 まさかとは思うが、今まで私が王宮で話していたことが全部リオラに筒抜けだったのかと思うと恥ずかしさを覚える。でも、さすがに聞こえるとしても掠れた程度だと思うし、それ以前にリオラ鈍感だし大丈夫だよね。


「で、その龍のこと、だけど、その中に、『王龍』っていうやつ……」

 そこまで知っているのか。

「うん! その龍がいろんな黒龍神を仕切ってる親玉なんだよ!」

「でも、原因は全部、そいつじゃない」

「? どういう――」

「来た」


 リオラが話を断ち切って高天の地の中央へ数歩近づく。

 雲一つない漆黒の空。その中に色鮮やかな金色の満月が照らしていた。

 そんないつもと変わらないきれいな夜空に、ひとつの異物のような影が溶け込むように混じっている。その影はだんだん大きくなり、いや、こちらに流れるかのように近づいてくる。最初は点に見えたそれは近づくにつれ次第に形を明確にさせる。

 どこかで見たことがある。しかし、なんだったか。ただの龍にしてはなにかが違う。


「……あれは?」

「アマツメ」

 さらっと答える。その言葉を理解するのに多少の時間がかかった。


「…………へ? ……ええええっ!?」

 今「アマツメ」って言ったよね。アマツメってあの天地恵龍アマツメノリュウだよ!? あの奉神だよ!?

 感嘆や畏敬で身体が震える。

 実物を見れることなんて微塵にも思ってなかった。だけど、今こうして奇跡ともいえる程の奇跡を味わっている。

 縁起がいいことこの上ない。アマツメ教信者の人々にとっては最高の至福とも言っても過言ではない。


 しかし、リオラは真剣な表情のまま、アマツメ神を睨み続けていた。我に返った私は舞い上がった気持ちを静める。


「……リオラ?」

 そう言うと、アマツメ神が突然咆哮を私たち、いや、リオラに向けた。怒っているのだろうか。


「――あらかじめ言っておく」

 リオラが切り出す。人間らしい音程の声になり、途切れ途切れになっていないことは、リオラは怒っているのか。それとも……考え難いが臨戦態勢に入っているのか。


「あの龍は狂っている。前までいた奴はまだまともだったが、今年、人間の言う『時代の転生』と共に豊神の龍の世代も変わって、あの龍が来た。思った通り、とんでもないことをやってくれた」

「と、とんでもないことって?」

 リオラが次に発した言葉を聞いたとき、私は絶句した。


「――王龍と黒龍神6頭の一斉復活だ」


 しばらくの沈黙が走る。それでもアマツメ神はこちらに向けて咆哮を止めることなく近づいてくる。

 人々の憧れ、尊厳するべき神、あらゆる命を生み出し、富を与える奉神アマツメ。神の具現化した存在であるが、結局は命を持つ生き物だから何頭もいることは分かりきっている。


「そんな……」

 でも、そんな「人類の敵」を復活させる意図と力を持つ個体もいるとは夢にも思わなかった。まさか邪神に等しい存在の命をも芽吹かせることができるなんて、まさに裏切られたかのような話だ。認めたくない自分がいた。


「あの龍は黒龍神を使って人類を滅ぼして、何不自由ない、自分の世界にしようとしている。龍の時代を創ろうとしているんだ。たぶん、このままいくと黒龍神7頭どころじゃ済まなくなる」

「じゃあどうすれば……」

 人類の敵を復活させるあのアマツメは極まりなく危険な存在。だけど、同時に人々が神として崇める神聖な存在。傷つけることなどでもすれば人々や生命、自然環境に怒りを買うことになる。

 つまり、この森羅万象を敵に回すということだ。


 そのとき、リオラは無言で、上空で泳いでいるように見える神々しい姿をしたその龍――アマツメ――がいる方向へ歩き出した。その背中からは、なにか触れてはならないような、破滅を導く禁忌を放っていたように見えた。

 とにかく、今のリオラは今まで以上に危険だ。

 私でも分かる。

 本能からこの男に近づいてはならないと。むしろ今すぐここから離れるべきだと。

 その覇気は支配されることの無い天空に君臨する神を超越していた。



 次の瞬間、一瞬でその姿を消した。

 ほぼ同時だった。

 私が見た光景は上空で輝く満月を背景にし、踊るかのように漆黒の夜空で舞う唯一神の――。


「……え?」

 ――首と体が離別していた。


 そして、その上空にはいつも会っていて、仲良くしているある赤髪の青年の姿があった。


 豪雨のようにザァァッと降ってくる鮮血と共に、ふたつの巨大な肉塊が鈍い音を響かせ霊峰に落ちてくる。青年はそのあとから降りてきた。

 唖然、驚愕、茫然、仰天、絶句、安心、絶望、不安、恐怖、無心――様々な感情が濃く混ざり合う。

 青年は無表情のまま赤色に染まった月を見上げ、真紅の雨を浴びていた。


 嗚呼、なんということでしょう。

 青年は犯してしまった。

 

 『神殺シ』という重い、重い罪を――。

第二章二節、終了。

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