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9.予兆

 その2日後、リオラが力と体質の押さえ方と安定化の協力のお礼に自然探検としてホスノの森の東方に隣接する「サトレア湿原」に連れて行ってくれた。緑と水で柔らかく輝く風景画の世界と謳われるほどまでに美しい景観がそこにあると王宮内でもよく聞くが、そこはまだ行ったことがないところだ。しかし、本や話から知るに、少しはどんなところかは把握している。


 危険地帯。温暖な空気と湿度を供給しているこの森は、思わずホッとするような穏やかな姿をしているその陰で、弱肉強食の世界が繰り広げられている。

 ハザードランクA級危険生物が比較的多いこの地はハンター以外立ち入り禁止とされているらしく、また、A以上のランクも少なからず潜んでいるので、そのことを知らない限り、その地へ踏み込む一般人はほとんどいないだろう。旅や観光目的なんてもっての外。一度踏み込めば生きて帰ってこれないとまで噂されるほどだ。


 サルタリス山脈の裏側の麓から川に沿って続いていて、ホスノの森と然程変わりない広大な場所だが、その中身は全くもって違う。水没林の地帯が殆どで、そのため湿度が高く、地面は川の水で表面を覆っている。

 山麓には無数の池や湖が点在し、青池と呼ばれる小さな池は瑠璃色に輝いている。魔法のような青を、この森は隠し持っていた。

 クマゲラは巣を作り、カモシカは苔を食べている。上空には竜ではなく、クマワシやイヌワシが獲物を探そうと上空から見渡している。森へ分け入る熊や獣竜。ここは命の巡る森だとウォークからも聞いている。


 脈役と命を繋いできた古の森。巨大な板根にシダが葉をかざしている。この亜熱帯雨林地帯に近い湿地は洞窟や滝を抱き、数億年の歴史をもつといわれているスギやシダが枝葉を伸ばし、ブナなどが森の一部を形作っている。まるで大昔の時代にでもいるような気分だった。


 生い茂った木々が川や沼地を覆い被さって、少し薄暗い。因みに虫が地方で一番多い場所で、多種多様な虫がわんさかいる。あとキノコも。


 ――にしても「お礼」で危険地帯連れて行くってどんな神経してるのよ! と言いたいところだが、生憎リオラはこんな程度で危険とは全く言わない。彼にとってここは、ただの水遊び場だろう。


「うわぁ……湿っぽいしジメジメしてるし、キノコとかカビとかめっちゃあるし……」


 私が桃源郷であるサトレア湿原に訪れた第一の言葉がそれだった。湿地や池の中に留まらず、木々の幹から枝葉、石や土にまでしっとりと水を含んだ苔やカビが覆い、視界を緑に染める。倒木には色鮮やかな粘菌やキノコが所狭しと侵食している。ここにいるだけでその身が緑に染まりそうだ。

 

「でもさ、とても美味いキノコ、たくさんある」

 リオラが湿原をフォローする。まぁ目を奪われるほど綺麗な景色と澄んだ空気に心身浄化されるのは嬉しいことだけども。


「それでもな~、やっぱりジメジメしてるし……あ、雨降ってきた」

 頬に冷たさを感じ、空を見上げると、灰色の分厚い雲がしとしとと雨を降らせていた。


「この巫女の服、水弾くけど髪濡れちゃうな~、どうしよ」

 私がそう呟いた後、リオラは早歩きで先へ進み、緑色を反射している浅い池の中心で何かの体勢を取り始めた。


「ちょ、リオラ、何してるの?」

「雨止める。離れとけ」


 雨を止めるって……?

 何をしでかすのか予想できなかった私だが、身の危険を感じ、すぐさまリオラから離れた。その姿が小さく見えるほどまでに。

 リオラは体を丸めこむかのように姿勢を屈み、右腕を曲げ、力ませている。びしりと血管が覆い、大地に這う森の根を連想させた。

 そして、勢いよく体勢を起こし、力を込めた右腕を曇り空の方向へ伸ばして、裏拳を喰らわせるかのように空気を殴った。


 ――ドォンッ!!!


 その音はこのアミューダ地方中に響いたかと思うぐらい鮮明に、膨大に、空気を、地面を、草木を、水を震撼させた。

 銃声でも砲撃でもない、初めて聞いた音。この状況を見て言うならば、その破壊的にして大気を貫いた極めて巨大な音は、おそらく空間を殴った衝撃音なのだろう。

 その考えは的中していたようで、リオラが裏拳で殴った部分の空間が歪んでおり、光が曲線状で屈折している。専門宮廷教師から教わった限り、物理的にそうなることは考えられないが、とりあえずこの現象を受け止めるしかなかった。

 その歪んだ空間からとてつもない衝撃波が感じられた。

 数秒後、その衝撃波は上空の分厚い雨雲に風穴を開け、そこから侵食するかのように雲がどんどん押し出され消えていく。そして空は瞬く間に快晴となった。突然の日差しに目をつむってしまう。


「……」

 唖然とした私は我に返り、リオラのもとへ駆けつけた。足元の濁った水辺がバシャバシャとねる。それを見たリオラは「大丈夫、だったか?」と心配してくれた。

「うん、全然」

「ならよかった」

 リオラが安堵のため息をつく。もしかして、今の衝撃波がこちらにまで及んでいたかもしれなかったのか。


「それにしても……えーと、そんなこともできるんだね。未だに信じられないけど」

「何をやったの?」と訊いてみる。ちょうど木々の隙間から全身に蔦や苔がへばりついた30mある両生類型の竜が、覗くように私たちを見てはシカトし、そのまま奥へと歩んで、沼の中へと消えていった。


「なんにもないところ、殴ると、こうなる」

 それがありえないんだって。そうツッコんでやりたい。

「え~と……『空間を殴った』ってこと?」

「くうかん?」

「やっぱ、なんでもない」 わかっていないようだ。

 リオラは何も理解してないでこんな神の業を難なくこなすのか。いや、意識してなくても体が理解しているのか。

「でもまぁ、さっぱりと晴れたことだし、水辺じゃないところに行こっか。あ、地面ぬかるんでないところね」

 湿地は歩きづらいし靴につく泥も帰りの際邪魔になる。避けるべく、高台へと向かった。


「だいぶ登ったね。……あ、あっちになんかあるよ。行ってみよ」

 リオラの意見も聞くこともなく奥へ進んだ。

 高地から入れる洞窟の中は広いだけでなく、隅々まで青光を幽玄に放っていた。何がそうさせているのかは分からないが、とりあえずここは魚竜種の巣だということを知った。崖下に数頭の固そうな鱗が覆われた魚竜が卵を守っている。


「けっこう厳重だね……繁殖期だからかな」

 リオラに訊いたつもりだが、返事がない。ふと横を見ると、

「あの卵、うまそうだな。あの竜も」

 リオラが涎をすくっていた。リオラにしてみればなんでも餌に見えるんだねと苦笑する。


「ダメだって、見逃してあげようよ……って何食べてるの」

「緑ィ体毛が生えた鳥と猫が混ざったような飛竜」

 それって……たぶん彩迅竜のことだよね。触れるだけで引き裂かれるような痛みを与える神経毒と鋭利な骨格を持つその竜の脊髄が、ハンターの間で貴重な素材として重宝されているとウォークから熱弁されて聞いたことがあるような。

「い、いつのまに……」

 たぶん、リオラが今、口に運んだ棒状の何かが、その毒の脊髄だろう。そんなものを口に運ぶリオラはもはや人間じゃない。って言ったら本人傷つくと思うので口にはしない。

 しかし、持って帰ればいい値段で売れただろうに。

「味、どうだった?」

 ちょっとしらけた空気になったので思いつきの言葉を投げる。

「うまかった」

 言うだろうと思った。でもそれ、食用じゃありませんよ。

「そっか、よかったね――ってまたなんか持ってるし!」

「あそこの卵、とってきた」

「いつのまに!?」

 崖下の巣をすぐに見ると、魚竜が困惑と怒りをさらけ出して突然なくなった一個の卵を血眼で探している。

「それ返してあげないとまずいんじゃ……もう遅いか」

 リオラの方を振り向くともう卵の姿はなく、彼の口周りに卵の粘液が付いていた。

 リオラは手で卵の粘液を拭き取っては、

「じゃ、外出るか」

「……う、うん」

 これが弱肉強食。

 特に返す言葉が見つからなかった私は、ただリオラについていった。怒り心頭の魚竜たちを後にして。



 湿原地帯の中を移動しながらも、私はリオラの体質治しに努めた。あの山菜採りのお爺さんは治療法はないと言っていたが、見つかってないだけかもしれないし、何もしないよりは何十倍もマシだ。

 表情ではなく、心の奥底から感情が変わらないと体質は変わらない。しかし体質の属性を変えることよりも抑えることに専念したいが、生憎その方法がはっきり言って分からない。それに、彼の力の押さえ方も。


「だいぶ属性をコントロールできるようになってるけど、なかなか治まらないね」

「そうだな」

 しんみりした顔になる。あまり進展しないので、自らの成長の伸び悩みに落ち込んでいるのだろうか。

 私は微笑み、リオラの背を叩くつもりで、分厚く大きな葉を千切り取っては「まぁ元気出しなって」と言いながら思いっきりバシンと背中を叩く。その一枚葉は瞬く間に風化するように分解した。

「気長にいこっ! 昔はバランス取れてたならいつか治るよ、ね?」

「……あぁ」

 半ばビックリしていたリオラだったが、そう返事しては薄く微笑んだ。

 こうやって笑ってくれたのって、結構久し振りかも。

 そう新鮮に思っていた直後、その珍しく笑った表情はすぐに姿を消した。


「どうしたの?」

 なにかあったのか、と思い聞いてみても、リオラは首を左方向の上空を見上げて黙ったままだった。

 なにかを察したに違いない。そう考えたとき、リオラは「今すぐ戻るぞ」と人間らしい発音で真剣に言った。

 日はもうすぐ沈もうとしていた。


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