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8.霊峰の翁

 霊峰サルタリスの神域である「高天の地」のさらに奥、「秘密の花園」と呼ばれている自然が遺した無人の楽園。

 人は眠り、人ならざる自然の権化が目を覚ます、宵の刻。

 風の音、揺れる草花の声。千切れた雲が手に届く花畑の丘の先、小さな一本樹の傍で、背負う国と緑豊かな世界を眺望する。



 Rama hur-lar, deim myus ya fek-mu e-koltet.

 

 風は蒼空を翔けて、沈む星空へと言葉を届ける


 Shel-neena, ul ranwo-veenis.

 

 暁は希望照らして、心覚まして道を示してゆく


 Loul al testeena-air ye foim-me na.


 生きた希望、その手で自由を掲げて


 Am koul-menth, live lov falyeena.


 前を向いて歩こう。その足で進んでいこう


 

 負けないで、逃げ出さないで

 

 未来の希望を持って、自分を信じてゆこう


 Sye-tie, liber-deris, lous to aime-doomis.


 いつまでも歌おう

 

 Sye-tie, liber-deris, lous to aime-doomis.


 風と共に謳おう


 笑顔を絶やさぬ空のように



「その歌は?」

 歌い終わったとき、隣に一緒に座っていたリオラは相変わらず無表情に近い程の素っ気なさだったが、心地よさそうな顔をしていた。


「私が小っちゃい頃ね、お母さんが子守歌でよく歌ってくれたの。いつまでも笑顔で、希望をもって生きていてほしいっていう意味が込められているんだけどね、やっぱり今になっても憶えているものなんだね」


 外の庭や国境の門の前にある草原に連れていってもらったときや、暗い夜が怖くて眠れなかったとき、よくお母さんが歌ってくれた子守歌の一つ。そして、ウォークもたまに歌ってくれた唄。ちょっぴり下手だったけど、歌ってくれた時は、そばにお母さんがいるような感じがして、涙が出そうだったな。

 どれだけ勇気づけられたことだろう。懐かしい思いに浸り、風を浴びる。


「リオラも小さい頃とかに聞かせてもらった歌とかある?」

「オレは……うたはあんまり、覚えていない」

「でもどんなメロディだったかは覚えているんだね」

「ああ」

「聞いてみたいな、リオラの歌」

 そう言うと、リオラはたじろぎ、「……おまえみたいに、上手くはねぇぞ」と目を逸らしていった。


「大丈夫、笑ったりしないから」

 黒く染まりつつも、透き通るような大空の下、自然が歌う山の世界にて、ふたつの唄声が響いていたことだろう。どこまでも清々しく、王国までこの唄声が届くようにと願った。

 

     *


 その帰り、足元に気を付けながら、リオラといっしょにサルタリス山脈の坂道を下っていた。いつもはナウルの背に乗って王宮までひとっ飛びだったので、山道を自らの足で踏み込むのは久しぶりだった。

 ひそひそ話をするように、さやさやと木の葉が掠れ合う。特別悪い気もせず、微笑んでいるようにも聞こえた。


「あ……」

 森の中のひとつである木の根元に、目立つ色の小鳥が横たわっていた。彩色ともいえるその色鮮やかな羽はぐったりと地を這うよう。力ない様子に、思わず私は小鳥の方へと足を速める。

 その彩色の小鳥からなにも感じない。動いているのかさえわからないとき、既に私は察していたのだろう。


「そいつもう、死んでる。助けられないぞ」

 後ろから来たリオラの声に、私は振り返らないまま返事をする。

「わかってる。だから埋葬してあげるの」

「まいそう?」

 首を傾げるリオラ。私は動かない小鳥を両手で拾い上げ、手のひらに乗せる。


「埋葬っていうのはね、命を失った生き物が安らかに眠れるようにするためのベッドのようなものなんだよ。難しい感じでいえば、魂を成仏させて輪廻転生するためらしいんだけど」


 そういいながらも、門柱のようにそびえる近くの大きな夫婦杉の方へと歩み、その根元で小さな穴を掘った。小鳥が一匹分入りそうな穴。近くに河があるのか、せせらぎが聞こえてくる。


「……魂、か」

 私の様子を見ているリオラは、夜風の音に消え入りそうなほどの声で、そう言った。

「弔いをしてあげないと、身体から離れちゃった魂がさ迷ったままだから、こうやって埋めてお墓を立てて、道の行先を教えてあげるの。そして身体はいつまでも穏やかに、自然の大地の中で眠ってあげられるように、最後に祈りを捧げるの」

「……」


 彩色の小鳥を埋め、小石と枝で作った、簡易的なお墓をその上に立てる。手を合わせて祈りを捧げた。まるで、その夫婦杉が魂を迎え入れているかのように、枝葉の声を奏でる。


「安らかに眠ってね。新しい命がこの霊峰にひとつ芽吹かんことを」

 私は立ち上がり、礫の浜を歩んでは河の方へと向かう。そこで手を洗った。


 深い渓谷を流れる名もなき川。そこの川岸に現る巨石や断崖に圧倒される。すぐそこにある大きな滝は音を立てることなく絹の川を創り上げる。遥か上から流れ落ちる絹の滝の前に立てば、吸い込まれるような心地になる。

 少し高地にあるこの場所からは木々を挟んで雲海が見える。森の精気が雲を作り、雲に包まれて精気がいやます。サルタリスの森は昼夜問わず神々しく、そこはまるで雲海に浮かぶ黄泉の国。樹、岩、河、滝……在るものには必ず神が宿る。そういわんばかりの歴史が、この神宿りの森にはある。


「このあたりって竹があるんだね」

「そうだな」とリオラは辺りを見回す。どこか物懐かしそうな、それとも感傷に浸っているような、そんな顔をしているリオラに、少し不思議な感じがした。

 そう思った直後、リオラの表情が急変する。真剣な目つき。そして森が、いや、この山がざわめきだした。

 紛れもない。臨戦態勢だった。


「リオラ、どうし――」

「そこにいろ。この奥からだ」

 リオラが目で示した先――竹林だった。耳をすませば、確かにそこから足音が聞こえてくる気がしないでもない。ただ、獣や竜とは違う、ただならぬ雰囲気が漂ってきていた。これだけ第六感が疼いているにもかかわらず、リオラが勘付くまで全く気がつかなかった。


 竹林から出、月明かりに照らされたもの。それは私よりも背丈が低い老人だった。その小さな体よりも大きなかごにはタケノコなどの山菜がぎっしり詰まっている。

 頭に布を巻き、杖を頼りに身体を支えている、その翁は細い目で私たちを見ている。

 こんな夜遅くに採収する農夫がいたのかと、私が思ったときに、リオラは未だに警戒した声で問い詰める。その威圧は威嚇にも等しい。


「誰だ」

 竜ですら逃げ出さんばかりの威圧。しかし、そのお爺さんは微笑ましい表情でやさしく声をかけた。

「そう警戒しなさんな。儂ぁただの山菜採りのじじいじゃ」

「……raryo-if-tyenly(竜人族がどうしてここに)」

 竜人語で話したリオラ。お爺さんは一度だけ驚いた顔をしては、身体を震わせて笑った。


「おお、これは驚いた。その古語を未だに使える輩がいたとは」

「……いいから答えろ」

「まぁまぁ、焦るでない若人よ。別に竜人族がどこにいようと勝手じゃろうて。儂はここ十数年、この山に住んでいるしな」

「!?」


 目を大きくしたリオラ。まさかといわんばかりの分かりやすい表情に、お爺さんはにやりとし、顎鬚を指でさする。

「その様子じゃと、気づいておらんかったようだの」

「リオラが気づけなかったって……しかも竜人族?」

 リオラ以外で竜人族を見たのは初めてだ。見るからに明らかリオラより長いこと生きているに違いない。

 お爺さんは私の方へと目を向ける。リオラ程威圧はなく、どうみても普通の背の低いお爺さんにしか見えない。


「その人間の御嬢さんはガールフレンドかの? ほっほ、これまた随分と可愛らしい。その穢れの無い真っ赤な血も、さぞかし美味しかろうて」

「――!?」

 ぞわりとした感覚。一瞬だけ見せた、人ならざる何かの圧が全身の皮膚を震わした。

「ほっほ、冗談じゃ。竜人族――気高き"ティエンレイ"は人肉をむやみやたらに貪るような喰種獣カンバルではない。人を喰らうぐらいなら、そこらの獣を喰った方が賢明な判断じゃ」

 それを聞き、内心ホッとする。お爺さんはリオラの方へ近づき、じっとその身体を頭のてっぺんからつま先まで見つめた。リオラは警戒しつつ、その視線に疑問を抱いているようにも見える。


「さて、おまいさんの身体は見たところ、随分と荒れとるようじゃのう。ここまで不安定な身体もそうはおらん」

「なっ!?」

 思わずリオラは声を出す。「えっ」と私も声にしてしまうほど。

 どうしてリオラの体質がわかったの?


「竜人族でも稀に見られる『慢性ドルチェン・アッシャー症候群』という特異的な"変態性発達期"、つまりなんというかのう、成長などの生理現象に見られる脳の異常活性に近い。心と体と脳のバランスがおかしくなるんじゃ。

 分泌量や力加減、最悪手足どころか意識を操作することに、うまくコントロールが利かないのがいい例かの。たった数十例しかないから原因も不明。

 おまいさんのような例は今までで見たことがないといいたいほど一番凄まじい上に急性疾患じゃが、まぁ所詮はその生理現象の延長線じゃろうて」

「なんでそんなことが……」

 私が思ったことと同じことをリオラは言った。


「これでも、ここの地に来るまでは薬師だったからの。ある程度の医学は知っておる」

 今までにない朗報だ。もしかしたらと私は思い、

「それじゃあ……!」

「治し方は知っているのか?」

 リオラも思わず表情が変わり、期待の目でお爺さんを見る。しかし、お爺さんは残念そうに肩を竦めた。


「さぁの。生憎じゃが、過剰――いや異常とはいえ誰もが通る成長期の一種。病とはいえ、遺伝的にして避けられぬ生命の道であることに変わりはない。おまいさんはたまたま、越える壁が桁違いに高い、言ってしまえばそれだけのこと。永いこと生きてきた儂でさえ匙を投げる程じゃろうて、有効な治療法はない」

「……そんな」


 結局、治しようがないものなのか。医師に、それもリオラの同族の医師にそう言われた以上、もうあきらめるしかないのか。私はリオラの顔を見ることができなかった。


「まぁそう気を落とすでない」とお爺さんはなだめる。

「果報は寝て待て。焦ることもない。竜人族は長寿じゃから、気を長くして……おおそうか、そこの人間の娘のことか」

「!?」


 見透かされたように、リオラは動揺する。思わず見てしまった彼の表情。耳が妙に赤かった。それを見たお爺さんは微笑ましく笑う。

「ほっほ、若い者はええのう。それ、儂はこれで。おまえさんらに幸福と医薬の神シュダール・ヴァラハンのご加護があらんことを」


 その言葉を残し、お爺さんは竹林の中へと消えていった。気配ごとなくなったような感じがする。気配とかそういうのがわからない私でさえも感じ取れたので、相当の凄まじいオーラをまとっていたのだろう。


 リオラと顔を合わせる。

「なんだか、拍子抜けしちゃったね」

「……でも、サクラがやってきたことに、意味がなかった、わけじゃない」

 途切れ途切れで話すリオラ。それでもだいぶ滑らかに話せるようにはなってきただろう。私は、彼の言葉に少し救われた。

「ありがとう」と囁くように言った声は、おそらく川の流れる音に消えてしまっただろう。

次回は明日の朝に載せます。

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