6.広がる世界に人二人
私たちは海へ向かわずに、左方面の木々の生い茂る深緑の世界に入った。
そこはさっきまで歩いてきた開放的な光の楽園とは違い、深い緑に天と地が覆われ、生い茂る木々と苔ついた岩の山々に囲まれた、薄暗い閉鎖的な空間だった。
時折どこからか獣の唸り声が聞こえるので少しの不安と恐怖を感じたが、リオラが傍にいる限り大丈夫だろう。
「ねぇリオラ、なんで海に行かずにこっちに来たの? ここなんか危険な感じがするんだけど」
「あっちの方が、あぶないから」
「え、まったくそんな感じしなかったよ?」
「あっちの道から、毒のにおいした。人間が吸うだけで、血が出て死ぬ毒。海の獣の溜め込んだ腐敗の物がいっぱいになってる。しばらくそこにはいけない」
それを聞き、ゾッとする。毒についても図書室の本で読んだことがあるけど、王宮内では縁の無い話だったので、そこまで知らないが、やはり背筋が凍る。
「リオラでもその毒を吸うと死ぬの?」
「平気。でも、サクラが、毒、吸ったら、大変、だから」
「あ、ありがとう……」
そう言うが、リオラは返事せず。
「でもさ、よくわかったね。リオラって鼻が利くんだね」
「……そうか?」
「だって私、そんな毒っぽいものなんて何にも匂わなかったもん」
「匂いは自然に、感じ取れる。毒、生き物は、過ごしているうちに、わかってくる」
「へ~そうなんだ~! すごいね、そんなこ――」
「待った」
「え?」
リオラがいきなり立ち止まるので、危うくぶつかるところだった。普通の人なら別にぶつかってもなんてことないのだが、リオラは別。彼の身体にすこしでも触れたら死に至るのだから。
顔を覗くと、先程とは違い真剣な目をしていた。その目は警戒というよりも、何かを守る為のものだと感じ取れた。
しかし、周りを見渡しても何かが来るという気配はなかった。
「どうしたの?」
と聞いたとき、目の前で地面が爆発したかのように地中の土が捲れ、高く舞いあがり、そこから大きな口が悪魔のような咆哮と共に出てきた。
「……」
その光景に呆然とする。そして、呟くようにリオラに話しかける。
「あ、あと2,3歩進んでたら……」
「喰われてたな」
「こ、この竜って……もしかして……」
「?」
「あの『暴弩竜』だよね……」
「そんな名前なのか」
「えぇっ!? 知らなかったの?」
「動物の名前、あまり、わからないから」
「……少しは知っときなさいよ」
そうこう言っているうちにその暴弩竜は地面から這い出てきて、全貌を露わにした。
別称暴君竜。全身が酸化した血のように赤黒く、また鉄色の部分色もあり、後肢が発達した二足直立型の竜盤目の体つき、ヒルのような尻尾に鰐のような顎をもつ。
そして、細かい無数の牙が口から溢れるかのように口唇や下顎へ連なっていた。
この竜の何よりの特徴は、動植物や鉱物関係なく、どんな物でも食らい尽くすこと。特定のテリトリーはなく、火山でも氷山でも、湿原でも海でも、そして街の中でも、獲物を喰うためにひたすら移動する。
常に食べなければ生命維持ができないらしいほど代謝がいい体質のため、あらゆる生物を喰いつくし、過去に数種類の生物を絶滅に追い込んだことがあるという。
厄介なところは、この竜を仕留めるのはかなりの難関と言われるほど強く凶暴であり、怒りに達すると手に負えなくなるということと、喰うものがたくさんあるところなら山を越えた場所であろうと海の向こう側であろうと、躊躇うことなくそこに向かうということである。
暴弩竜は強酸の胃液を唾液として垂らしながら空に向かい体を捻らせ、咆哮を上げた。地面や大きな岩と樹が振動する。
ここでも私は万が一の為に持ってきた軍事用の防音装飾品をつけたため、鼓膜が破れる被害は避けられたが、それでも頭に響く。リオラの顔を覗くと竜の破壊的な咆哮を目の前にしても平然な表情を保っていた。彼の耳はどうなっているのか。
「下がれ」
という声と同時に、暴弩竜の尻尾が鞭のように勢いよく振ってきた。
リオラは誘うかのように左側へ遠く跳んだ。暴弩竜はリオラの方へ視線を向けたが、そこへ行こうとせず、私の方に飲み込まれそうなほどの大きな口を開けてきた。
「え――?」
悲鳴を上げる余裕すら与えられずに、その禍々しい口は目の前へと迫ってきていた。
しかし、なぜか足元がぐらついて、視界が一瞬ブレる。視界を整え、目の前の状況を確認すると、暴弩竜が噛みついたのは私ではなく、リオラの身体だった。
「り、リオラっ」
あの顎に噛まれたら鉄柱でもひしゃげるほどなのに、リオラの身体からは血一滴も滴らず、暴弩竜は彼の身体を横に噛みついたまま持ち上げることもなかった。ただ、酸の唾液が地面に滴り、草が煙を出しながら溶けていくだけだった。
リオラの口からまるで地の底から唸るような声が聞こえた。
「――ッどこに目ェつけてんだよこの暴食バカがァッ!」
リオラは左腕の筋肉をビキビキと鳴らし、隆起させ、暴弩竜の下顎を勢いよく殴りつけた。
竜はその勢いで噛みついていたリオラの身体から離れ、右側へ遠く吹き飛び、滝が流れていた大きな岩に激突する。崩れ、その瓦礫に竜は埋もれた。
しかし、その瓦礫の隙間から黒紅い墳煙と放電流が漏れ、咆哮と共にそれを纏った竜が瓦礫を吹き飛ばしてきた。
全身の筋肉を赤く、大きく隆起させ、古傷や血管が浮かび上がっている。その口からは「龍煙性電解質」が煙や放電の形で溢れ出てきていた。
「――かなりキレてるね……リオラもだけど」
「オレは別にあんなやつみたいになってねぇよ」
いや結構怒ってるよ。いつも言葉を途切れ途切れで話すのに、普通の人みたいに話しているし、少し早口で言っているし。怒ると思考回路早くなるタイプのようだ。
そう思いながらふと足元を見てみると、自分の立っている場所がさっきいた場所より1メートルくらい後ろにいたことに気づいた。地面が抉れてリフト状になり、後ろに下がったのだろう。たぶん、リオラが足を後ろへ踏み込んで地面を抉らせたのだと思う。
竜はこちらへ走りながら体勢を大きく揚げ、何かを吐こうとしている。
「――っ!」
私は思い出す。暴弩竜の吐く衝撃波に値する龍煙性電解質含む熱毒には細胞組織を殺し、腐敗させ、破壊すると文献で――。
さすがにあの攻撃はまずいんじゃないかと思い、リオラに声をかける。
「リオラ、あれは大丈夫な――」
「いいから下がってろ!」
珍しく怒鳴られた。少しショック――と言っている場合ではない。
暴弩竜はリオラに向かいブレスを喰らわせた。
が、リオラはブレスが後ろへ漏れないように両手を横に広げ、受け止めた。そして、それを吸収したかのように口から取り入れる。
すると、彼の身体や目、口からその物質が噴き出て、両腕がまさに暴弩竜の身体がそのまま腕になったかのよう。ドス黒く、血管や筋肉がかなり大きく盛り上がっていた。
「――っらあああぁぁぁっ!」
暴弩竜が次の攻撃に移り、リオラを喰おうとした瞬間、リオラが叫びながら右腕でその竜の下顎をアッパーで殴り飛ばした。
暴弩竜の巨大で、重い体が殴られた勢いで浮かび、30メートルくらい空高く舞い上がる。その巨体が信じられないほどまでに小さく見えた。
5秒後、森の向こう側に重量感のある落下音が響く形で聞こえた。震動がこちらにまで伝わってくる。
息ひとつ乱れることなく、リオラの腕は元通りに戻っていた。
*
「それにしてもさ、なんであのとき地面からくるってわかったの?」
私は疑問に思っていたことを話してみる。リオラは先程仕留めた暴弩竜を喰い終えるところだった。
「音と、振動と、熱」
複数かつ単語。まだ怒ってるのかな。いやそんなことはないだろう。
「そんなに? ……ってなんでそんなことがわかるの?」
「地中掘ってる音、聞こえたのと、その振動足で分かったのと、あいつの熱、地面の温度差で分かったから。あとはカンでいけば、サクラもきっとでき――」
「やらないって!」
「やっぱり、しないよな。ごめん」
「あの、そんながっかりされても……いやできないって! そもそもなんで技みたいに教えようとしてるの」
「……できたらいいなって顔、してるか――」
「錯覚です!」
リオラの食事(?)も休憩も終え、再び出発した。
深く、薄暗い森を抜けるとかなりの広さをした洞窟があった。しかし、洞窟というより岩壁が半分ほどのドーム状に覆っているかのような外の空間だった。
外へ続く洞窟の大きな出口側には大きな池もあり、その反対側には建物みたいな崖がたくさんあり、その崖には四角い穴が均等の大きさで並んでいた。
「あの崖、建物っぽいね」
「昔、人が、住んでたから」
「へぇ~、なんで今はいないの?」
「自然に……負けたから」
その呟くような言葉を聴き、改めて自然の厳しさを知る。
やっぱり自然は目を奪われるような景色やそんなものばかりではない。過酷な環境や凶暴な生物といった危険もありふれている。
「そうなんだ……」
このアミューダ地方に国が4つしかない理由、国同士が繋がってない理由、それはこの自然の過酷さに人は勝てず、追われたからであると私は思った。
「リオラってやっぱりすごいよね」
「えっ」
リオラは目を開き、しどろもどろになった。
「こんな危険で過酷な自然の中、たった一人で暮らしてるんだもん。なんか憧れちゃうな」
「……」
突然、リオラは黙り込んでしまった。何かまずいことでも言ったのかな。
「あ、り、リオラ、ご、ごめ……」
「オレはお前が、羨ましいよ」
私の瞳の奥を覗くかのように見つめ、真剣な表情でそう答えた。
「え……?」
何のことかわからなかった。
私の何が羨ましいのか。なんだろう、なにが憧れるのだろう……。
古代文明の建物の跡がある巨大な洞窟の中から外に出ると、竜の巣らしき場所があった。ここは大きな崖の隙間にある場所だとリオラは言った。
その切り立った崖から景色を眺めると、海が見えた。ここまで歩いてきたのかと思うと、疲れが出てくる。今日はほんとにいろんなことがあったと思う。
幸い、この竜の巣に飛竜の親がこなかった。私たちは一反洞窟に戻り、別ルートを通って崖下の海へ降りた。
海岸は思っていたよりもそこまで広くなく、砂浜と言える部分が僅かしかなかった。目の前に広がる青々とした淡麗な海の先には幾つかの小さな孤島がある。
左側に目を向けると、かなり遠くにある半島の先端から海上に何かの集落らしきものが連なっていた。
「リオラ、あそこにあるあれ見える?」
「見える。村だろ」
「その村って『ナギサ』村?」
「……たぶん、『ナギサ』だと。けっこう、昔からある、漁村」
「何年ぐらい?」
「60年くらい」
結構長い。と捉えればいいのかわからなかった。サルト国は数百年続いているらしいし。
「……リオラって何年この地方に住んでるの?」
「大体、500年。ここの、大陸に、住んでる時も、入れて、500」
「か、かなりの長寿だね」
「竜人族では、まだ普通。竜人族の年齢は、種族や、個人によって、違うけど、大体2000年くらい。いちばん、長いのは、1000万年ぐらい」
「長っ! そんなに生きてたら逆に退屈になりそうだよ」
「だよな。でも、長く、生きてると、いろんなこと、知れるし、時間の感覚も人間とは違う」
「ふ~ん、そうなんだ」
ザザァ、と小さな波が押し寄せては引き下がる。鳥の声すらも聴こえなくなり、驚くほど静かになる。
「……ねぇ、リオラ」
「どうした」
「私がリオラのできることを真似ることはできないけど、リオラが私のように普通の人間として振る舞うことはできると思うよ」
「……?」
「えっと、つまり、リオラのその体質を私が治したいなーって思って……って駄目かな?」
「……なんで、そんなことを」
少しだけ怪訝そうな顔。仕方ない、リオラの苦しい境遇に陥っている気持ちなんて、実際にその身体になってみないと、わかるとはいいきれない。
「さっき、私に『オレはお前が羨ましい』って言ったでしょ。あれってたぶん人のようにいろんな人と楽しく話したり、触れ合ったりするとかの意味で言ったんじゃないかって思ったの。違うかな?」
「……まぁ、違うわけでも、ない。けど……どうやって、この身体を治すんだ。今までいろんなこと、試して、きた。けど、治らなかった。方法見つけたのか」
「いやまったく」
「ないのか」
「でも、これからいっしょに取り組んでいけばきっと治せる方法は見つかるよ!」
私はリオラを満面の笑みで見つめ、ガッツポーズをした。
リオラは俯き、小さい声で「ありがとうな」と呟いた。
人一人いないこの臨海地帯の海岸、漣の音に浸る2つの人影が少しの距離を置いて、並んで砂浜に座っていた。




