3.秘密の花園
《サクラ》
太陽が雲に隠れつつも、空の明るさを失うことはなく輝きを放ち続けていたが、その輝きはいつものような暑苦しさはなかった。
私は今、信仰地の古い社の前にいる。外出許可を貰ってからお母さんのようにほぼ毎日外に出て、このサルタリス山脈に足を踏み入れている。
私の外出と同時に数人の兵を連れなければならないが、当然、この社に行くときだけはひとりでこっそりバレずに立ち入っている。もちろん、ある程度まで迅翔竜の乗竜『ナウル』に乗って。
「(リオラーっ)」
今日は霧深い森。私は竜人語でリオラ、つまり虚無の伝説「災龍」を呼ぶ。数秒後、社の苔ついた屋根の上にリオラがどこからか来る。寝ているところを起こされて苛立っているような、そんな無表情の顔だった。
あのあと、私は何度もリオラに会い、話しかけた。リオラは会話を拒否し、時には怒り、脅して私を追い出そうとしたこともあったが、それでも私はあきらめずにリオラの心を開こうとした。
リオラは驚異的な身体能力と破壊力を持つ上に、火や氷などのほぼ全属性の器官を兼ね備えていた。しかし、その力を抑えることができず、触れたものは全て壊れて、死に至るという。現にその瞬間を目の前で見てしまった。そのため、リオラは動物や植物をはじめ、ずっと誰とも関われなかった。
そんな彼を救いたいがために、私は彼が嫌がろうとも心を開かせようと思う。最初は拒んでも、いつか私を受け入れてくれるはずだから。
しかし、なぜ彼を助けたいのかというと、それがよくわからないのだ。このお人好しな性格はどこから来たのだろう。ほんとうによくわからない。けど、私は気にしない。今はただ、目の前にあることを受け止めればいいのだから。
それに、最近はやっと警戒も嫌悪もなくなったのか、リオラに尖りが無くなったような気がする。今では互いに気軽に話せる仲となっていた。
燃えるような紅黒い髪と瞳を持つ若々しい青年のような、少年のような顔をした人間『リオラ』は社の屋根から飛び降りる。着地の瞬間、地面に僅かな凹みと割れ目が生じる。彼は見た目に寄らず、龍並みの重量があるらしい。
「……(また来たのか)」
「(当たり前でしょ、友達なんだから)」
私は自慢げに笑う。リオラは呆れたような顔つきをしたが、気にはしない。
それよりもリオラは、私の手に持っているものに興味を引いてくれた。
「(おい、おまえのその手に持ってるの何だ?)」
「(あ、これ? これはまぁ、リオラが標準語を話せるようにするための本。竜人語じゃ私も会話に限界があるし、他の人とも接することができない原因のひとつだと思ったから)」
「(言葉話せれば、みんなと仲良くなれるのか?)」
珍しく喰いついてきた。少しだけ彼の暗い眼に輝きが増した気がする。
やっぱりリオラはただ単に……。
「(うん! だから今から始めてみよっ)」
私はリオラに標準語、つまりこのアミューダ地方をはじめ、この大陸のほとんどの国が話す言語を教え始めたのは、この日からだった。
*
《サクラ》
「(じゃ、私が今言ったことをもう一度言ってみて)」
まずは自己紹介。あいさつからはじめてみることにした。
「……こ、にし、わ……お、おえ、なぅぁえ、ri……リオラ」
ぎこちないことこの上なかった。私がリオラに竜人語を話したときも、リオラはこのような感じに、ぎこちなく聞こえていたのかもしれない。
「(ん~、あまりうまく言えてないね。名前は普通に言えてるけど……もう一回、一単語ずつ言ってみよ?)」
「(ああ)」
正直な話、教えることは得意ではないと今日初めて気がつく。だけど、楽しいことに変わりはなかった。
ヘタクソな教え方でも、リオラはぶっきらぼうでありつつも、ちゃんと応えてくれる。それが、なんだか嬉しかった。
「俺」
「おえ」
「(ううん、ちゃんとラ行を発音しないと)。『お・れ』、はい」
「おれ」
「あ、(でもやっぱり標準的に"私"がいいかな。ごめん、"俺"じゃなくて"私"で言ってみて)」
ちょっと睨まれたが、頷いてくれた。なるべく怒らせないようにしないと、とちょっとだけ怖れている私もいる。ヘタしたら死ぬことを肝に銘じておかなければならなかった。
「わたし」
「うぁてゃし」
「わ、た、し」
「わ……た、し」
「の」
「な」
「の」
「の」
「わたしの」
「うぁ……わたし、の」
「名前」
「な、あえ……なま、え」
「は」
「わ」
「私の名前は」
「わたし、の……な、わえ、なまえ……わ」
「私の名前はリオラです」
「わたし、なまえ……わたしの、なま、え、わ……リオラ、で、す」
初めて私たちの言語で話した! 何故か、とても嬉しい。思わず「おお……!」と感嘆の声を出してしまいそうになるほどだ。子育てしている人たちも、赤子に対しこのような嬉しさを体感……いや、リオラは赤子じゃない。失礼なことを考えてしまった。
「(やったぁ! 何とか言えたね! この調子でどんどんいってみよっ)」
*
一週間後、リオラは驚くほどのスピードで標準語を言えるようになっていった。とはいってもまだ完全ではなく、途切れ途切れになったり、発音が変だったり、助詞が抜けていたりするけど、こんなに早く言葉を覚えて、理解するのは尊敬するほどまでにすごい。人並み外れていると失礼なこともふと思ってしまう。
理解力が尋常ないほどによかったおかげで、すいすいと私の自称標準語講座が進んでしまっていた。もう教えなくてもいいほどにまでなった。
正直、私としては何日も何週間も何か月も言語を教えて、悪戦苦闘しながらも楽しくおしゃべりして、どんどんコミュニケーションが取れるというのが理想だった。けれど、現実はそれを7日間僅かで終わりを迎えた。
「す、すごいね……リオラ」
「これぐらい、ふつうだ」と素っ気ない態度。素直じゃないのは未だ治っていない。
そういえば、あるおとぎ話のひとつに『ひとりぼっちの神様』という本を小さいころ、お母さんに呼んでもらったことがある。
ある山奥の神社に一人ぼっちの神様が住んでいて、その神様は千の力と千の記憶、千の命をもっていたけど、誰とも会うことはなかった、という内容だったことを思い出す。そのあとの話はあまり思い出せないけど、リオラがその神様に当てはまるような気がした。もしかしてリオラがそのおとぎ話のモデルなのかもしれないとふと思う。
リオラは私に話しかける。リオラも慣れたのか、自然と竜人語ではなく、標準語で話した。
「なぁ」
「ん? なに?」
顔を向けると、途端にリオラはそっぽを向く。まだ仲の良さは進展していないようで、少し残念な気持ちになる。
しかし、
「……ありがとう」
ぼそりと言ってくれた感謝の言葉。心の底から湧き上がる感情は嬉しさ。思わずにやけてしまい、満面の笑みになった。
「へへっ、どういたしましてっ」
しかし、ちらりとこちらを見ては、またそっぽを向く。あくまで慣れ合うつもりはないらしい。いや、慣れ合うのが苦手なのだろう。
「な、なぁ」
「ん?」
こっちを向かないまま、リオラは標準語でぎこちなく話し始める。一言一言をぽつりぽつり置いていく。それを私はしっかりと聴く。
「お、おれ、い……が、したい」
発音が微妙に違い、すぐには理解し難がった。しかし、もう一回言ってもらう必要はないほどだ。
「……え……と、『お礼がしたい』?」
「ああ」こくりと頷く。
当然、私は驚いた。
「えっほんとに!? なんか嬉しいな~。お礼ってどんな?」
「こっち、きて、くれ」
リオラはアマツメの大樹の傍の奥方にある、草木に隠れた洞穴へと進んでいった。こんなところに洞窟があるなんて全く気が付かなかった。入り口の大きさは人一人が少し余裕で入れるぐらい。迅翔竜のナウルでは入れそうにもなかった。
その先は暗く、何も見えなかったが、リオラがいるので、とりあえず危険な生物がいても大丈夫なはず。
虎の威を借る狐とはまさにこのことを言うのかな。
そう思いながらも私はリオラについていった。
しばらく暗い、洞窟特有の湿った道を歩き続けると、ふしぎなことに暗くなるどころかだんだん明るくなっていった。しかし、外の明るさではなく、ぼんやりとした黄色い光が道の先で照らしている。
その光を放つ場所に出た。先ほどの道とは違い、かなり広い空間だ。大型の飛竜が翼を思いっきり広げて飛び回っても差し支えない広さ。
右側を見ると鍾乳洞が奥まで続いており、地面が棚田(階段)状となっている。ここも結構な広さだ。
見上げると、外へ続く穴が天井にぽっかりと開いており、そこから入る光がこの洞窟で拡散され、このように洞窟中をぼんやりと照らしている。
幽玄な空間に見とれていた私に構わず、リオラは「こっち」と言い、正面の奥へと進んだ。
再び暗い道を進み続ける。途中、鍾乳洞の石柱が森のように立ち並んでいた。少しの窮屈感を味わいながらも進んだ。リオラは黙ったまま、歩き続ける。
「……」
ここでひとつ不思議に思ったことがあった。危険な獣や竜どころか、動物や虫一匹いない。
この空間に何かあるのか。それとも、この先に何かあるのか。少し不安になりながらも、私はリオラのあとについていった。
さっきの広々とした場所とは違い、だんだん道が狭くなり上り坂となっていった。しかし、その道は決して暗くなく、奥から風が吹いていた。もうすぐ出口だ。
「もうすこし」
そうリオラはつぶやくように、私に言った。
外に出ると、半分外で半分洞窟の場所に出た。右側は岩の隙間から小さな滝が下流の川のように流れていた。天井からは水滴がぽたぽたと滴っている。岩の地面には割れ目があり、気をつけないとそこに躓いて転びそうだ。
反対の左側には池のように留まる薄膜の雲しかなく、山の姿はなかった。どうやらここは山の端っこにあるようだ。
ここの広さは小屋一軒分で、ここに住めと言われても辛うじて無理ではない広さだ。しかし、左側に近づいてみると、真下は雲一色。よく見ると森らしき緑色が確認できたが、それでもここの標高はかなり高い。まさに崖っぷちだ。
リオラは「こっち。この道、落ちる、気を付けて」といっては崖端にある人2人分の切り立った細い坂道を歩き始めた。
これ落ちたら軽く死ぬよね、と思いつつも勇気を出して壁によりながらゆっくりと這うように歩いた。
「リオラ! 少しペースを落としてよ!」
リオラは歩くのがとても速く、数メートル、十数メートルとどんどん距離が離されていったのだ。私に呼ばれて気付いたのか、急いで私の所に戻り、「ごめん」と少しだけ申し訳なさそうな顔で謝った。
よくこんな危ない道を淡々と歩けるものだ、と私は逆に呆れながらも少し歩くペースを落としたリオラについていった。
崖っぷちの上り坂を登りきった先には、何もない広い平原が見えた。開放感のある展望台のようなこの山頂は絶景ともいえる。
所々盛り上がった大きな岩が幾つかある。周り全部切り立った崖のようなテーブルマウンテンかと思ったが、一か所だけ山脈側へと続く道があった。そこも上り坂だ。
神聖な森の精気が雲を作るのか、雲に包まれて精気がいやますのか、私たちのいる山は、まるで黄泉の国を思わせるような神々しさで雲海に浮かんでいた。
ここはなにか本で見たことがある。
霊峰サルタリスの信仰地に続き、伝説の地となっている、人間が立ち入ることができない聖地。
神の玉座とも、唯一天と地が繋がっている場所でもある。
「ここって……『高天の地』?」
私はそう呟くと、リオラはそれに答えたかのように話し始める。
「ここは、人間のいう、アマツメ、降りるとこ。でも、ほかにも、何かの龍、降りてくる、ときどき。ここ、神、が、来る場所。だから、生き物、いない」
「ここが神様の降り立つ神聖な場所……踏み込んでよかったのかな。あ、もしかしてリオラのお礼って、この景色のことだったの?」
「ちがう、まだ先に、ある」
そう言い、リオラはさらに続く上り坂を登っていく。私もそのあとについていった。
両端が切り立った崖。その上、強風が吹き続けるので墜ちそうで怖い。それに、足元も凸凹していて歩きづらい。転んだら一巻の終わり。そう思わせる程の恐怖感を味わう。こんなところまで来て何をお礼したいのか。私は疑問に思う。
「着いた」
リオラが突然そう言った。私は彼に遅れて坂を上りきる。もうヘトヘトだった。
「はぁ……はぁっ……も、もう疲れた……っ、ここになにかあるのリオ――っ!」
私はつい目の前の景色に釘付けとなった。全身にのし掛かってくる疲れが一気に吹き飛ぶほど、それは目に飛び込んできた。
坂を上りきった先には高天の地とは違う、活き活きとした美しい草原がサァッ、と山風に吹かれ、揺らいでいる。踏み込んでみると他の草とは違う、もふもふとした、まるで絨毯のような踏み心地だった。空は爽快と言えるほどの青々とした大地に、白一色の柔らかそうな雲が流れていた。
緑一色の穏やかな丘を乗り越えると、美しいとも可愛らしいともいえる花が所々に咲いており、花園のような場所が広がっていた。そこにも緑の絨毯がひかれている。
その先を見ると、一本の樹が切り立った崖の傍に立っていた。その樹の葉も風に靡いては心安らぐ音を奏でる。
崖からの景色は息を呑むほどの美しい光景が広がっており、太陽の光を反射し、輝いている照葉樹の森林地帯『輝翔の森』と、中央に小島がある美しい最大湖である『サルト湖』。木々の彩りと豊かな恵みが誘う湖畔の森。そこにサルト国が見えた。
「ここって……?」
私がそう聞くと、リオラはサルト国を眺めながら答える。
「―――『秘密の花園』。昔、山に住んでいた人たちが言ってた。この場所、知る人、ほとんどいない」
秘密の花園。私はその言葉を呟いた。
アミューダ地方の人が昔から憧れてきた幻想の地で、愛する人とそこに行けば永遠の愛と幸福が訪れるっていう言い伝えがあった。そうウォークから聞いた気がする。
「……ほんとにこんな場所があるなんて思わなかった」
私がこの楽園を見、感動しながら呟くと、リオラは私の横顔を横目で微笑みながら見つめた。はじめて見せたような表情だった。
私の感情は、感動から躍動へと切り替わる。絵本の中の童話の世界のような景色に、私は飛び込みたい気持ちでいっぱいになった。
「ねぇリオラ! あっちの方へ行ってもいい?」
「いいぞ」
「やった!」
私は楽園を走り回った。踏みしめる草がとても柔らかくて、気持ちがいい。それに、踏んだ時の草の音がさらに気持ちを高揚させる。
なだらかな丘を軽快な足で駆け回る。風が気持ちいい。
私は花畑の中、舞い降りながらそのまま草原に両腕を大きく広げ、大空を仰いだまま、草花の大地に身を倒した。
「あははははははっ」
楽しさでつい大きな声で笑ってしまう。こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
王宮では味わえない環境、そして解放感。
外の世界ってこんなに楽しいんだ。
草の感触が毛布のように気持ちいい。肌を撫でるようで、全身を包み込んでくれる涼しくも暖かい風が心地よかった。そのまま眠ってしまいそうだ。
理想郷。ここは私にとっても、人々にとってもそう言える場所だと今、この場で感じた。
リオラも私のいる花畑まで歩いてくる。彼の歩む場所が黒く燻っていることに気付く。それを見て、幻想から現実に引き戻された感じがした。
「……これ」
リオラは草に生えているきれいな花に指をさす。
「……? そういえばこの花って本でも見たことないけど、何の花なの?」
「『マリュート』。ここにしか咲かない、花。縁結びの、花」
「マリュート?」
そんな花聞いたことがない。しかも、この地の言い伝えには相応しい「縁結び」という花言葉。この楽園は本当に『縁』というものにこだわるらしい。ここでプロポーズすれば間違いなく結婚ができるだろう。
「マリュートは、龍好む、花。理由は、薫り。龍が好むもの、入ってる。でも、人間にとって、毒。人間は、食べれない」
ここまで詳しいとは。さすがこの山に住んでいるだけのことはあるけど、どれだけ住んでいるんだろう。
やっぱりあの伝説の災龍だし、数百年かな。でも見た目からしてそこまで長くないよね。
そういえば、と私はマリュートの花畑を見眺める。ここに咲いている花は色や質感が全然違うけど、形を見る限り全部同じマリュートの花だ。色によってそれぞれ香りが違う。そういう特性なのかな。
「サクラ」
突然名前で呼ばれ、びっくりした私はどうやら、相当この可憐な花に見とれてしまっていたようだ。
振り向くと、リオラは足元に咲いている一輪の花を摘み、持った手を私の前に出し、その花を捧げる。しかし、その花はリオラの体質によってみるみる内にしおれてしまった。リオラは少し悲しい顔をしつつも、微笑んで私に言う。
「この場所と、この花、オレのお礼。ありがとう。これからも、ともだち、なってくれるか?」
その言葉とその赤い瞳に何かを感じる。胸に、心臓になにかの違和感を覚えた。
私は最初、彼の思わぬ言動に驚いた。しかし、私も微笑み返し、同じように花を一輪摘んで、リオラの前に花を持った手を伸ばす。
「うん! これからもずっと友達でいようね! お礼ありがとう!」
そう言われたリオラは照れたのか、手に持ってた花が「ボッ」と一瞬だけ燃え、散り散りに消えた。同時にその顔も燃えたように赤くなっていた。リオラは目を逸らし、空を見上げた。
その不器用な照れくささに私は笑った。




