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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアへようこそ
99/261

終わりのそれから

「え? もう終わったの」

 目を覚まし、コップ一杯の水を貰うと、龍樹は驚いた表情をした。

 アテナはすました顔をして、

「ええ、安心して。もう悪魔に囁かれる事はないだろうし、悪夢に唸らされる心配もないと思う」

「そうか……そりゃ良かった」

 ぐびりと水を飲む龍樹。やはり理由が分からないがまた汗だくになっているので、その水は渇いた喉に潤いをもたらした。

 飲み終え、ふう、と一息吐く。

 すると一気に寒気がした。安心したからか、身体が今置かれている状況に気付いたのだろう。     

 イタリアの夜は極端だ。今日に限っては気温も四度ぐらいしかないと思う。

 龍樹はぶる、と身体を震わせる。

 汗を搔いたということもあり、余計に寒い。

 早く戻って風呂に入りたい。ちなみに昨日は清めの意味でここに来る前に風呂に入ったが、今日は時間が無かったらしく、別段入らなくて良いと言われたので入っていない。

 悪魔祓いというものも、案外アバウトなのかもしれなかった。

「それにしても早かったな。最低でも一週間掛かるとか言ってなかったか?」

「まあ、あくまでも目安だからね。それに本来なら間隔を空けるものなのよ。身をもって実感している最中だとは思うけれど、悪魔祓いは結構体力を使うから」

「言われてみれば……身体中が痛い。喉の調子もおかしいし」

 喉に手を当て、確かめるしぐさを取る龍樹。カラオケを全力で歌った後の様な、何かが詰まっているような感じがする。

「うん、いや、まあ身体的というより、どちらかというと精神的な負担の問題なんだけどね」

 と、どこか煮えきれない表現をしながらも、まあいいわ、とアテナは続ける。

「とにかく、悪魔は祓われたという事。道中色々あったけど、遠路はるばるここまでやってきた甲斐はあったって事」

 簡素にまとめ、結果だけを告げるアテナ。いくら理解力の無い龍樹とはいえ、それぐらいは分かっている。

 分からないのは、今後の事だ。

「で、どうするんだよ」

 ぶっきらぼうに訊く龍樹。一見して抽象的な言葉だが、アテナもそれを今から話そうと思っていたのか、通じた。

 通じたからと言って、良質な答えが必ず返ってくるとは限らないが。

「さあ、それはあなたが決めなさいよ」

 突き放すような言葉だった。普段から抑揚の無い声なのでそれはより一層冷たく感じられる。

 もしかしてもう関係ないと思っているのだろうかと考える龍樹。

 何せ道理的な彼女の事。

 いきなりやってきて家に泊めてもらい、間接的だがその精でそこにいた人間が悪魔に取り憑かれた。罪悪感を感じた彼女はこうして連れ添ってくれた訳だが、それも今解消された。

 となれば、もう彼女が構う義理もない。

 なので、後は異国の地で野たれ死のうがどこかへ行こうが関係ない。

 その生態が謎に包まれているアテナがそう思っている可能性だって大いにある。つまり、これまで何かと便宜を図ってくれたのは、単なる罪滅ぼしからだったという可能性だ。

 不安になる龍樹。あれこれと悪い考えばかりが浮かんでしまう。

 言葉も分からない異国の地。はっきり言って、今ここで見捨てられたら生きていけない自信がある。

 恥ずかしい話日本への帰り方もよく分からないし。

「おいおい待ってくれよ。そりゃあんまりだぜ。俺に非があるんなら出来る限り直すから見捨てないでくれよ」

 まるで愛想を尽かせ逃げる妻に頭を下げる夫の様だった。

 明らかにへりくだった声を出す龍樹。それに対しアテナはわずかに眉を寄せ、

「なにか勘違いしているみたいだけど……私が言ってるのはもう少し自分の意見を持ったらどうという意味。これまでずっと思っていたことだけれど、あなたってなんだか周りに流されてるだけって感じだし」

「そりゃ……まあ」

 感じも何も、それを人生の根幹に据えている訳だし。流されているというより、自分では乗っている感じなんだがなあ、とこういうところはポジティブに受け止めている龍樹である。

 それがあまり喜ばしい事じゃないだろうなあ、とは、彼自身気づいているが。

 まあ正しいかどうかはさて置き、少なくともアテナは自分で考えなさいと言った。どの道それに従うしかない龍樹は考える。

 まず物事の根幹としては大きく分けて二つの選択がある。

 帰るか帰らないかだ。

 夜も更けた今日は泊まるにしても、悪魔を祓い終えた以上はイタリアにいる大本の意味は無くなった。

 では他に何か意味は無いかと探してみるが、これがびっくりするくらいに無い。

 世界有数の観光名所とはいえ記述の通り龍樹にそんな感性は在って無い様なもの。またいつ不注意で荷物を無くすか分からないし、お金も最早帰る飛行機ぐらいしか無い。

 そもそも年頃の人間を居候させるとなると、ミシェル達にも迷惑だろう。

 それらを踏まえた上で、龍樹は自分で考えた結果を口にする。

「帰る準備が整ったらすぐに帰るよ」

 アテナの眼を見据え、それに対しての反応を窺う。

 やはり無駄な事だったが。

「そう」

 相変わらずの無表情なアテナ。至極どうでも良さそうだ。まあちょっと顔見知った人間が帰るというだけなので当たり前といえば当たり前の反応なのかも知れない。

 今後一生会う事は無いかもしれないというそれも、彼女にはさほど関係のない事だろう。

 印象深い出会いだった龍樹としては、実はちょっと寂しい気がせんでもない。 

 アテナはその後も抑揚の無い声音で、

「じゃ、とりあえず渡航書を発行するにしても、身元の確認できるものを待つ感じになるわね」

「そうだな」

「で、その身元確認の書類だけど、十與に伝えてあるんでしょ、送ってくれって」

「ああ、一応な。戸籍謄本。でも正直心配なんだよな。おとぼけのあの親でも流石に忘れることはないだろうけど」

 忘れることは無いだろうけど、送り方を間違える可能性がありそうだ。全然関係ない事かもしれないが、母は機械オンチだ。携帯だって最近やっと使えるようになったし、古き良き和を大切にしているとか何とかほざいて、いまだにリビングにあるハードディスクだって使えない。

 つまりは頭が固く、理解力が無い。

 ちゃんと店員さんに訊いて全部やってもらえよと強く念押しはしたから大丈夫だとは思うのだが……絶対なんて言葉は、無いからなあ。

「余計な事言ったところで混乱を招くだろうから速達にしてくれとかは言わなかったけど、どうなんだ、やっぱ国際郵便なんかだとそれなりに日にち掛かるのか?」

「そりゃちょっとは掛かるだろうけど、具体的には分からないわ。心配なら明日電話して訊いてみればいいじゃない」

 彼女にしては珍しく、投げやりな対応。そういやこいつも機械とか弱そうだなと龍樹は漠然と思う。

 もしかして携帯を持たない理由はそれだったりして。

「……おや?」

 と、いまだに椅子に座りっぱなしの龍樹を見て、神父はなにかに気づいた。難しい顔をして、彼へと詰め寄る。

 それを不思議そうな顔で見返す龍樹。

「何か?」

 日本語は通じないだろうが、思わずそう口にする。ニュアンスで汲み取ったのか、神父は続けざまにこう言った。

「いや、まだ何か憑いているみたいだな」

 その何かは足元にいるらしく、神父は龍樹の足元をまじまじと観察する。

 龍樹も釣られるようにそちらへと視線を落とす。

 もちろん何も見えない。そこに広がるのは近所の靴屋で買った四千円のスニーカーを履く自分の足だ。

 だが腰を落としそこを重点的に見る神父の挙動を見た限り、そこに何かがあるのは間違いないだろう。 

 それこそ思い込みかもしれないが、よくよく意識してみると左足が重い気がする。

 一体何が見えているのだろうかと不安になりつつも、邪魔をしてはいけないと口を噤む龍樹。    

 やがて神父は曲げていた腰を伸ばすと、ポッケから何かを取り出した。その手には直径十センチほどの小瓶が握られている。コルクを抜く。中には液体が入っていた。色は無色透明。匂いも無く、見たところ普通の水だ。

 何をする気なのだろうかと様子を窺っていると。

 神父は小瓶の口を人差し指と中指で塞ぎ、ひっくり返した。どうやら指に水を浸している様だ。

 適量を取ったのか、瓶を元に戻す。そして神父は、濡れた指を使い龍樹の足元へと水滴を飛ばす。その流れを十回ほど繰り返すと、濡れた指をハンカチで拭った。

「もう大丈夫だ」

 茶色い瞳を心配そうな顔をする少年に合わせ、神父はそう言った。当然の事ながら、今どういう状況なのかが分からない。

 それはアテナも同じらしく。

 彼女も二、三訊きたい事があるようだ。

「どうしたの? まだ完全に祓い切れていないの」

「いやそうではない。小悪魔が憑いていた」

 神父はアテナへと向き合い、

「別に身体を乗っ取ったりするほどのものではないんだが、小悪魔は悪戯好きでね。種類によっては人を死に至らしめる場合もあるが、基本的にはポルターガイストの様な現象などを引き起こし、それを恐れる人間を面白がる程度のものだ」

「……それが彼の足に憑いていたと?」

 どこか腑に落ちないような感じのアテナ。神父の言葉に、なにか違和感を覚えたようだ。

 それを汲み取ったのか、神父はこんな話をし始める。

「そうだな。小悪魔は人に憑くのではなく外的に関わりを持つのみがほとんどだ。今憑いていた小悪魔も直接身体の中に入り込もうという意思は無さそうだったが、足にしがみ付いていた。という事は何かしら彼に固執する理由があったのだろう。まあここは土地柄そういった霊的なものが集まってくるので珍しい事ではないんだが……奇妙なのは最近多いということだ」

「多い?」

「ああ、ここ三日間でもう数十体は追い払っている。特に害を及ぼしたものはいない様だが、君だって『負』のエネルギーぐらいは知っているんじゃないか。そういう霊的なものを持つものが近くにいるとあまりよくないのだよ」

「……その小悪魔は皆足にしがみ憑いていたの?」

 怪訝そうな顔をするアテナに神父は「ああそうだ」と答えた。

「正確に言えば足限定ではなく肩や腰など、ようは身体に纏わり憑いていたんだ。私としても疑問に感じている。今しがた言ったように小悪魔は外的に接触を図る。つまりはその場限りがほとんだなんだ。そこは幼い人間の子供同様、悪戯をするとすぐに逃げてしまう。私達のような人間に怒られるのは怖いだろうからね。それに小悪魔は教会を嫌がる。身体に入り込んだ悪魔ならまだしも、悪戯目的の小悪魔はよほどの事がない限りここまで入ってこないとは思うのだが……」

 言いながら神父は移動し始めた。外にではない。歯切れのいい紳士靴の音を静寂に立てながら歩み寄った先はアテナの隣に居る雀だ。

 侮るなかれ。神父の身長は百八十センチ近くある。いくら年寄りだからといっても、眼前で、しかも高圧的に見下されるとあっては流石の彼女も委縮したようだった。

「な、なんですか?」

 身を引く雀。そんな彼女に心配しなくてもいいよと手を軽くあげて示すと、神父は先の瓶に入った水のようなものをまた指先に浸す。

 そして龍樹の時のように、一連の流れでお祓いを開始する。

 つまり、

「え? 私にも何か憑いているんですか?」

 そういう事なのだろう。

 ビジネスライクなのか、神父は表情一つ変えずに

「この子にもその少年と同じ小悪魔が憑いている。安心しなさい。力自体はそんなに強くないから、もう逃げ出しているよ」

 それをアテナに訳してもらう雀。

「そうですか。ありがとうございます」

 深々とお辞儀をして、礼を言う雀。お辞儀は日本人の専売特許だと思っていたが、どうやら違うらしい。

 タイミングを見計らって、アテナは神父へと質問を続ける。

「教会を嫌うから入ってこないって、だったらなぜその小悪魔達はここまで憑いてきたの?」

「分らない。なにせ小悪魔たちは低級霊としての分類だからな。我々と意志の疎通を図れるほどの能力を持たない。だからこそ人間の体を乗っ取ろうなどという冒涜には及ばん訳だが……どうだろうか。二人とも何か変わった場所に行ったり、変わった事をしたりしなかったかい」

 神父は二人こと龍樹と雀を見る。イタリア語が分からない彼ら同様、神父も日本語や中国語が分からない。なので、ここもやはりアテナがその翻訳を担う形になった。

「何か変わった所に行ったり、変わった事をしたりしてないかって」

「ん? 特には何もしてないと思うけど……なあ」

 と、同意を得るように雀の方を向いた龍樹。雀も雀で頭を捻らせているらしく、眉根を寄せながらう~んと唸って、

「そうですねえ。でも昨日は憑かれて無かったって考えると、今日の行動を思い返すことになるから……えーと今日は朝起きてから歯を磨いて朝食を食べて、その後に髪を切ってお風呂に入ってからお肌ケアをして、リビングにあったビスケットをつまみ食い」

「そんな事してたのかよお前」

 まるで自分の家の様な行動パターンだ。全く知らない人間の家でよくつまみ食いが出来るものだ。

 でもこいつがやると厚かましさがなくどこか許せちゃいそうな所がうらやましいなと龍樹は思う。

 それはどちらかというと無愛想な自分には無いものだから。

「あ、そうか。あの時つまみ食いしたビスケットのバチが当たったんだ」

「……まあ無くはないだろうけどさ。じゃ俺はどうなるんだよ。先に言っとくけどつまみ食いなんてしてないからな」

「龍樹さん。気持ちは分かります。でも今は怒られるとかそういうのを心配している場合じゃないんです。ほら素直に自白して、楽になりましょう」

「してないって言ってんだろ」

 同罪の友を諭すように双肩に肩を置いてきた雀。

 毎度の事ながら発想が斜め上だ。

 だがやがて、龍樹は思い返すように眉を曲げ、

「ん? 待てよ……そういえば」

「ほら、やっぱりそうなんじゃないですか」

「だから違うって。飴だよ飴」

「飴? 飴をつまみ食いしたんですか? なんだ。案外龍樹さんも可愛らしいところあるんですね。飴玉をつまみ食いだなんてなんだか子供みたい」

「お前はどうしてもつまみ食いにこじつけたいみたいだな」

「後で一緒に謝りましょう」

「それが狙いか」

 とにかく、飴玉だ。あの大道芸人の老人から貰った飴玉。

 今日の行動を踏まえた上で自分と雀の共通点はそこだと、龍樹は気づいた。

 それをアテナに伝え、アテナが神父に伝えたところ。

「……やはりか」

なぜか予想がついていたらしく、神父は難しい顔をした。それからはアテナを介して説明をしてくれた。

「小悪魔に憑かれた他の人々も飴玉を貰ったと言っていた。それもそろって君たちと同じ老人の大道芸人と言っていたよ。となると、小悪魔についてはその人物が関わっているのは間違いなさそうだ。実は今朝から探しているんだよ。ただ、今日はいなかった。また明日も捜索は続けるつもりだ。街の警官にも動いてもらっているから見つかるのはそう難しい事ではないだろう」

「飴玉と小悪魔。何か関係はあるの?」

「いや、直接的な関連性はないだろう。重要なのはこじ付けだ。全くの正反対と思われるものでも、世の中は全て繋がっている。逸話や魔法陣。なにをどう結びつけたのかは分からないが、恐らくはそれを利用したのだろう。まあその辺りは本人にも訊くつもりだがな」

 あまり口外するつもりはないのか。

 さあ、と神父は話を切り上げ、

「今日も遅くなってしまったな。悪魔も祓った事だし、もう帰りなさい。状況が状況だけに気をつけて帰るように。また何か異常があれば気兼ねなく訪ねてくれればいい」

 やけにせかせかとしている神父。早く帰ってほしいのは間違いないだろう。

 現在の時刻は丁度零時を回った頃。こう言ってはなんだが、神父も結構なお年をめしている。悪魔祓いで体力を使い疲労も溜まっている事だろう。

 そんな彼からすれば、勝手に悪魔に取り憑かれた少年がいきなりやってきて、業務を終えた夜にボランティアでそれを取り祓うというのは面倒くさかったに違いない。

 それに加え例の家畜殺し事件。

 悪魔を取り祓ってもらった以上、ここは早く帰るべきだろう。

「ああ、それじゃあ――ありがとうございました」

 礼儀には昔からうるさく言われてはきたが、何分不器用な性格。

 ぎこちなくお礼をした龍樹。

 隣にいる雀も同じく頭を下げお礼をした。彼女自身は別に連れ添っただけなので礼をいう必要はないのかも知れなかったが――いや、そういえばあったと龍樹は気づく。

 彼女も今しがた神父に小悪魔を取り祓ってもらったところだ。

「それじゃ行きましょうか」

 アテナが龍樹達に告げる。

「私は神父にもう一度お礼を言ってから行くから。あなた達は先に外へ出ていて」

「……分かった」

 執り行われた人間の代わりに礼を言う。いよいよ本当の保護者みたいになってきた。

 なんだかモヤモヤする龍樹。

 悪いなと負い目は感じつつも、力が無いからどうする事もできない。

 それから言われたとおり、教会の外で待つ。

 流石にこの時間帯になると人の数もまばらで、それでも暖色の明かりが照らす街は改めてここが外国だという事を思い出させる。

 近年まれに見る寒空の下、五分という時間はやけに長く感じられた。身体を小刻みに震わせながら、対照的に完全防具の雀と軽く話をしていると、アテナが出てきた。

 昨日同様、コート一枚羽織った程度の防寒。流石の彼女も寒さには弱いのか、マフラーをあご付近にまでしっかり捲いて肩を縮こまらせている。

 ただでさえ色素の薄い頬を赤くし、白い息を吐きながら、アテナは言う。

「お待たせ。それじゃ戻りましょうか」

「ああ。でもやっぱ今日も遅くなっちまったな。ミシェルさん達まだ起きてるかな」

「さあ。ただ今日は先に寝られても大丈夫。ちゃんと鍵を預かっているから」

「……そうなのか」

 流石はアテナ。用意のよろしい事、と龍樹は感心する。



「神父さん何か言ってたか?」

 ミシェルさん宅へ戻る道中、何気なく龍樹は訊いた。

 質問を受けたアテナは足を止めることも無く、簡素な答えを返す。

「いえ、特に何も言ってないわよ」

「面倒くさかったとか言ってなかった?」

「言ってないわよ。一体何を気にしているの?」

「ん? 別に気にはしてないけどさ。やっぱりちょっとぐらいお金は払った方が良かったかなと思って」

「大丈夫よ。その辺りも踏まえてちゃんとお礼は言っておいたから。あなたも案外神経質な性格なのね」

「……悪かったな、そうは見えなくて」

 歩みを止めず淡々と言葉を返してくる様は、これまたあしらうような対応だ。

 幻想的な周囲には目もくれず、足を動かし続けるアテナ。

 歩調もいつもより速い気がする。

 もしかしたらミニスカートだから寒いのかもしれない。

 そもそも彼女はなぜいつもミニスカートなのだろうか。普段ならまだしも、近年まれに見る寒さを記録する今晩ばかりはズボンぐらい穿けばいいのにと龍樹は思う。

 それをそのまま伝えたところ。

「いいでしょ別に」

 と冷たく返された。

 だが予想はしていた事だ。短い期間でもアテナという人間性はあらかた分かっているつもり。

 彼女は基本的に押しに弱い。初めが初めだけにそんな事は絶対ないだろうと思っていたが、悪魔に取り憑かれた一件以降、秘匿性の強い団内以外の事は嫌々ながら答えてくれている。

 面倒見が良いところからも窺えるように、駄目という明確な言葉が出ない以上、それは訊こうと思えば訊ける事なのだろう。

 なので龍樹はめげずに訊く。

「もしかしてお前にもファッションのこだわりとかあるのか?」

「……何よそれ」

 また馬鹿が何か言ってる、みたいな眼で龍樹を見るアテナ。いや、ちょっと怒ったのかもしれない。

 まあ性格で判断してきたのはアテナが先なので、この辺りはお互い様だ。

「ただ単に動きやすいから穿いてるだけよ」

 龍樹の読み通り、すぐに折れてくれたアテナ。折れるという程大層なものではないだろうが、なんにしても面倒くさいのが嫌いなのだろう。

 動きやすいから穿いている。

 その理由には龍樹も納得だ。

「いや、でも流石に今は寒いだろ。別に戦う事もないんだろうしさ。もっと暖かい格好とかしたくないのかよ」

「性分なのよ。そもそもズボンは穿けないの」

「なんで?」

「バランスがおかしくなってうまく身体を動かせなくなるから」

「普通に歩くのとかにも支障が出るくらいにかよ?」

 ええそうよ、とアテナは答えた。

 その理由には驚く龍樹。

 スカートを穿かないのでなんとも言えないが、そしてズボンを穿くのとは結構感覚が違うんだろうなという事はなんとなく分かるのだが、とはいえ街中の女性たちを見た限り歩行に支障をきたす程の差はない事だろう。

 それがアテナの場合は、違うのだろうか。

「じゃそのスカートしか穿けないんじゃないのか」

「まあ、ちょっとぐらいの差なら大丈夫。修正はいくらか利くから」

「修正? なんだそりゃ」

「だから、それがバランス感覚の話よ。自分自身の体重を計算して常に行動するのが癖になっちゃってるから」

「そんなの計算できるのかお前……改めて凄いな」

「正確に言えば計算というより感覚。長年の経験を身体が覚えているだけ。つまり、あまり極端に身なりなんかを変えると身体が受け付けないの」

「じゃそのマフラーとかコートはどうなんだよ」

「……あなたって本当に質問が多いわね」

 呆れ果てたのか、アテナは笑った。思わず零れたというようなそれをクールな彼女がしたという事は、本当に呆れたのだろう。

 それを見た質問者である龍樹自身、ちょっとしつこかったかなと思い直す。

 何だかんだで、アテナは答えてくれたが。

「そりゃ出来ればしたくないわよ。さっきからバランスがおかしくて足を早く動かさないと転げそうになる」

 言われて気づく。

 よく見れば足を早く動かしている反動を利用して、頭も不自然に横揺れしてる。

 その後姿はまるでブリキのおもちゃみたいで、なんだか面白い。

「私だって寒さくらいは感じるからね。首には太い動脈が通ってるから、そこを暖めるだけで大分違う。おまけにコートやマフラーは有事の際でもすぐに取り外せるし。流石にズボンを脱ぐわけにはいかないでしょ」

「……なるほど」

 矛盾してるようで、結局は合理的なアテナ。

 とはいえ色々と不便なのは確かだろう。天才は変わり者だなんてのは最早お決まりのような設定だが、本人たちは堪ったものではないのかもしれない。

 一方で。

 チラッと後方を振り返る龍樹。

 その先にはグルグル巻きにしたマフラーの隙間から眼を覗かせ、着込んだ服により胴回りが凄い事になっている怪物――否、雀の姿があった。

 やはり動きにくいのか動きが遅い。

 今も距離が七メートルくらい離れている。

「なんでああも極端なんだろうな」

 やることなすこと全てが裏目に出ている気がする。それでも本人は寒さを防げているので良しとしているみたいだが。

「おい雀、早く来いよ」

 声を張り招く龍樹。

 本当は置いていきたいのだが、今は深夜一時。流石に女性一人が出歩くのは危険だ。いや、何だかんだで裏世界の住人である雀。そこらのちんぴらなら大丈夫だとは思うのだが、問題は不審者として騒ぎにならないかという事だ。

 正確にお伝えできないのが残念だが、それぐらいにまで今の雀の格好は異様なのだ。

「どうしたんですか龍樹さん」

 やっとこそ追いついた雀。

 うむ、傍で見ればますます異様だ。

「分かった。もしかして何枚か貸して欲しいなって思ったんでしょ」

「……確かに寒いから何枚か貸して欲しいんだが」

「しょうがないですね。一枚だけですよ。あ、ただ自分で取ってくださいね。ちょっと今腕が動かせなくて」

「動けなくなるまで着込むなよ……」

 そもそも腕が動かせないのにどうやって着込んだのか謎だ。

 ただ、この場合は助かった。雀からコートを一枚脱がし、羽織る。ミシェルは身長が高いので丈は地面に着きそうだったが、何とか着れた。

 女性物なので横幅はやはりきつめだが、まあこの際贅沢は言えない。

 これで雀の歩行速度も若干は上がるだろうし。

「って、あ。あいつもうあんな所にいやがる」

 前を向きなおすと、霧の向こう側にぼんやりとアテナの姿が見える。表情には出さなかったが、立ち止まる事さえ困難なほどいっぱいいっぱいなのかもしれない。

 早く歩く奴に遅く歩く奴。

 なんだかんだでマイペースな連中だと、龍樹は思う。

「ほら、早く行くぞ」

 少し身軽になった雀と共に、その背を追う。



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