静寂な暗闇で
教会から徒歩二十分。
アルファーの宅に到着。
家前にあるガーデンライトは灯りが灯っているが、家の中は真っ暗だった。
どうやら先に寝てしまっている様だ。
アテナは鍵を受け取っているようなので、わざわざ起こす必要もない。極力物音を立てないようにその鍵を使って玄関を開け――
「あれ?」
と、彼女にしては珍しく、地で驚いたようだった。地なので言葉自体はイタリア語だったが、驚いたであろうことはイントネーションで分かった。
「どうしたんだよ?」
問いかける龍樹。今まさに状況を分析しているのか。それに対しアテナは考えるような間を空けこう言った。
「……鍵が開いている」
「鍵?」
一瞬何を言っているのだろうかと思った龍樹だったが、すぐにそれは家の鍵の事だと気づく。
取り出した鍵は鍵穴に刺さっている。という事は、回した時におかしいと感じたのだろう。
「無用心な……掛け忘れかな?」
まあ、とはいえよくある話だ。勝手な予想だが海外だと施錠習慣も緩いのだろう。
アテナもそう思っているのか、深くは考えないようだった。特に何も言わずに、家の中へと入っていく。
当然だが中も真っ暗だった。
人様の家なのであまり電気を勝手に点けたりはしたくなかったが、致し方なく、玄関を照らすボタンを押す。
しんとする空間が明るくなり、これで足元が見えるようになった。
寝室となっている部屋は二階にある。
なのでそこへ向かうための階段へと歩を進める一同。玄関に入ったのはアテナが先だったが、中に入ったのは龍樹と雀が先だった。アテナは戸締りをしたりする為に最後尾に回ったのだ。
と、忍び足で螺旋状の階段へと辿り着き、上り始めようとしたその時。
奥にあるダイニングの方で、なにやら物音がした。
「……なんだ?」
首を傾げる龍樹。彼の後ろに連なっていた雀とアテナも、足を止める。
「誰かいるんでしょうか?」
真冬のような格好のまま不思議がる雀。暗闇の奥からの物音に怖がっている様子はなく、ただただ何の音だろうと首を傾げている。
何せ静まり返った空間。
耳を澄ましていると、その物音は段々明確になっていき、やがて足音のようなものだという事に気づく。
警戒する龍樹。
「もしかして泥棒か?」
そうかどうかは分からないが、誰かがいるのは最早間違いない。
どうするのかと言わんばかりに、アテナの方を見る龍樹。彼女はただ物音のする奥を眺めているだけだった。
雀もそちらを見据え、黙り込んでいる。能天気な彼女も流石にただ事では無いと感じたのかもしれない。
しばらくすると、足音のようなものが止んだ。
「……」
一同に緊張が走る。
息を呑む龍樹。
恥ずかしい話だが、もし屈強な大男や刃物を持った人間が出てきたらアテナに丸投げしようと思った。
結局そうならずには済んだが。
ぬぅ、と暗闇からその人物は姿を現した。登場がいきなりだったので、身構えていたということもあり少し驚いた龍樹。
だがすぐに状況を飲み込み、ほっとする。
「あれ? 何やってるんですか?」
暗闇のそこにいたのはミシェルだった。
朝はラフな格好だった彼女も寒いのか、今はカーディガンを肩に羽織っていた。
「や、やあ皆。今帰ったのか……遅かったんだね」
心なしか動揺している様子のミシェル。一体全体どうしたというのだろうか。そもそもこんな時間に一人で起きている理由はなんだろうかと、龍樹は勘ぐる。
「何をしていたの?」
アテナが何かをミシェルに訊いたらしかった。それから二人はイタリア語で会話し始める。
「いや、ちょっと小腹が空いてな。なんだか最近やたらと腹が減るんだ」
「……そうなの」
「ああ、参るよな。普段肉なんか食わないのに……何だか妙な感覚だよ。まるで自分が自分じゃないみたいだ」
ぽりぽりと頭を掻き、その表情も苦笑い。会話の内容を窺え知れない龍樹に取っては、困っているのかなというぐらいにしか捉えられない。
「どうしたんだい?」
ダイニングの会話を聞きつけたのか、ダニエルも起きてきた。パジャマに眼鏡姿という少年がするような格好で、どうやらそれが彼の寝巻きらしい。
「こんな遅くに皆で集まって……」
戸惑っている様子のダニエル。それはそうだろう。深夜遅くにダイニングで集まってるだなんて、何かあったと考えるのが普通だ。
いまだ困惑顔のダニエル。
どうしたらいいのかも分からず、その場に立ち尽くしている。
「ああ、起こしてしまったか」
何かを言ったミシェル。その表情に先ほどまで見せた不安は無く、これまでの陽気な姿がそこにはあった。
彼女は腹をさするしぐさを取りながら、
「小腹が空いてしまってね。冷蔵庫の中身を漁っていたら、この子達が帰ってきたんだよ」
「小腹が空いたって……珍しいね。普段からそんなに食べる方じゃないのに」
「そりゃ私だってそんな日くらいあるさ。だから別に心配するほどの事じゃない」
それを示すように、ミシェルは余計に笑顔を作る。だがそこは長年の付き合い。ダニエルに取ってはかえって不審に思えたのだろう。
いつになく真剣な眼で、妻を勘ぐるダニエル。普段のへらへらしている顔からは想像できない、男の顔だ。
しかし結局不審な原因を見つけられなかったのか。
「……そうかい。ならいいけど」
と腑に落ちない態度で、一応は納得した。
「皆も悪いね。何だか驚かせちゃったみたいで」
呆然と立ち尽くす龍樹達を見て、ミシェルが告げた。それをお決まりのごとくアテナに訳してもらう。
「いや、別に俺は構わないけど」
そもそも伝えていたとはいえ、こんな時間に帰ってきたこと自体が申し訳ないくらいだ。
まあ戸締りしていなかったから、本当に泥棒じゃないかとは考えたが。
「え? 戸締り」
どうやらアテナがそれを伝えたようで。
ミシェルはダニエルと顔を合わせ不思議そうな顔をする。
「変だなあ。うちは結構そういうのにはしっかりしていて、今日だってちゃんと確認したはずだが……」
考え込むミシェル。本当に記憶にあるのだろう。それを踏まえた上で、もう一度思い返す。
「……もしかして」
やがてたどり着いた一つの推測。
「ダニエル」
彼もその見解に至ったのか。
名前を呼ばれただけで頷くと、ダニエルは二階へと走っていった。
ミレーナの寝室へと。
するとどうだろう。可愛らしいネームプレートが掛けられたドアの向こう側に、愛する一人娘の姿はなかった。
ベッドの中にあるのは年相応の子が好むクマとイヌのぬいぐるみだけだった。
「そんな……一体どこに」
放心状態のミシェル。こういう場合はダニエルの方がしっかりしていて、動揺していない訳ではないだろうが、部屋の隅まで彼女を探す。
しかしミレーナの部屋もそこまで広くない。彼女がこの部屋にいないのはすぐに判断がついた。
変わりに見つかったものは、彼らの不安をより一層広げるものだったが。
「……これは」
もしかしたら隠れているんじゃないかと、クローゼットを開けたダニエル。
そこで見つかったもの。不自然なほど膨らんでいる紙袋。そこからはちょっとした生臭い匂いがする。
手に取り、中を確認する。
あまりの衝撃に言葉を失い、それがどういう事を意味しているのかなど考えず、手に取る。
愛しの娘の部屋にあったもの。それは血まみれの服だった。よく見れば一着ではない。多くはないがそれなりの服が、紙袋に詰め込まれ、クローゼットの隅に隠すような形で詰め込まれていた。
サイズからして子供。
そしてその服がミレーナのものだという事は、親であるミシェルが言ったので間違いない。
「どうしてそんなものが……」
全く予想が付かないのだろう。未だ放心状態のミシェル。無理もない。我が娘の部屋から血まみれの服だなんておぞましいものが出てきたとあっては、理性を保てる親なんていないだろう。
夫婦ともにひどく戸惑っていた。もちろんそれは他人である龍樹にも言えた事だ。言葉は分からずとも、血まみれの服が何を意味するのかはそれとなく分かる。
「おい、アテナ」
この期に及んで他人に頼るというのはどうかと思ったが、今はそれどころではない。ホームステイ先の一人娘が一大事かもしれない。
頼れるものは頼らなければ。
かくして、その本人はというと、
「ちょっと探してくる」
日本語だった。
「あなた達はここにいて」
つまりそれは親であるミシェル達にではなく、龍樹達に発したものなのだろう。
言うだけ言うと、アテナはそそくさとどこかへと走り出した。
「あ、待てよ」
負けじと龍樹もその背を追う。
また外に出る流れになってしまった。だが走ってるおかげか先ほどのように手足がかじかむ気配はない。
むしろ着込んでる服がやけに邪魔なくらいだ。
白い吐息を漏らし、アテナは前を向いたまま言う。
「駄目よ家の中にいなくちゃ。今この辺りは物騒なんだから」
「そりゃ分かってるけどさ。ただ、じっとはしていられないだろ。あの人達には世話になってるんだ。ミレーナちゃんを探すくらい俺にだって出来る。いいだろ?」
揚げ足を取るように、龍樹は言う。
「自分で選んだ結果なんだから」
「……勝手にすればいい」
そうきたかと言わんばかりに、早々と切り上げたアテナ。
流石の彼女でもこの展開は予想できなかったであろうから、仕方がないといえば仕方がないが。
「お前はどう思うんだよ」
息を切らしながらも、龍樹は訊く。
「ミレーナちゃんの部屋から出てきたあの服。血まみれだったけど、まさか殺されちゃってるんじゃ」
「そんな訳ないでしょ」
対照的に息ひとつ切れていないアテナは、呆れたように言う。
「服の血痕は少なくとも近い時間のものではない。完全に乾いていたし、何よりもあの数に、有り方。あれはきっと故意に隠したものでしょうね」
「隠したって……なんでまた」
「それが分かればここまで慌てないわよ。だけど、あの量は尋常じゃなかった。発生源が一箇所からだとするならば、その動物は死んでいるはず」
「……じゃミレーナちゃんが誰かを殺したって事なのかよ」
無い頭で物事を考えようとするので、浮かび上がる結果は短絡的なものばかりだが、遠くはないだろう。
少なくともあれを彼女が故意に隠したのなら、傍には死体の存在があると考えるのが妥当だ。
となると、今の時期どうしてもあの事件と結びついてしまう。
「まさか例の家畜殺しってミレーナちゃんじゃ……」
クローゼットから出てきた服だけでそれを判断するのはどうかと思うが、しかし、無くは無い可能性。
おまけに本人は行方不明。
アテナもその可能性が頭にあるのか、ことそれに関しては無言だった。
「アテナさーん!」
遠いところから、何やら声がした。
振り返る。
すると雀が全速力でこちらへと迫ってきていた。
飛び出したアテナを追いかけてきたにしてはやけに遅い。よく見ると彼女は厚着を全て取っ払い、私服(?)の全身茶色いコーデの身なりになっていた。
きっと脱ぐのに戸惑ったのだろう。
雀はやっとこさこちらへと追いつき、
「土です、土!」
と鬼気迫る顔でまくし立てた。
正直抽象的過ぎて全く分からん。
「とにかく土です。土がある所です。それも固めの」
「いや、落ち着けよ。何の話をしているんだよ」
「何のって、ミレーナちゃんの話に決まっているじゃないですか。今それ以外に話している場合じゃないでしょうが」
なぜか逆切れの雀。
俺が悪いのかなあ、と龍樹は考えても見る。
悪くないと思うのだが……
しかしアテナはその抽象的な言葉でも理解できたようだ。
「ミレーナは土のある所にいるのね?」
確認を取る。すると雀は元気よく「はい!」と答えた。
「正確に言えば、そこにいるかも知れない、ですけど。服の裾に土が付いていたんですよ。それも少なからず水を含んだ固めの土壌が」
「……でもそんなの結構あるんじゃないのか?」
何せ初イタリアだ。その辺りの土地勘は全く分からないが、イタリアは結構自然と芸術が融合している街。
この辺りに住む人間ならすぐに分かるかもしれないが、果たしてアテナはどうなのだろうか。
「分かったわ」
頼もしい返事だった。そういった場面では比較的分かりやすい態度を取る彼女の事。思い切りの良い返事だったという事は、何か心当たりがあるのだろう。
「どうだ、見つかりそうなのかよ?」
訊いてみる龍樹。アテナはより一層速度を上げて、
「特長さえ聞いていれば、大分範囲は限定できる。それに子供の足だからそう遠くには行っていないはず」
「なるほどな。でもミレーナちゃんがいつ出て行ったのか分からない以上、それも当てにならないだろ」
「そうかしら。確かに布団の体温はすでに冷めてしまっていたけれど、忘れてない? 今は警備が厳重になっているのよ。五歳の女の子なんて、遠出をすればまず補導されるはず」
「じゃ近くにいる可能性が高いって事か」
「あくまでも予想だけどね。身体能力が変わっていたりしたら、話はまた変わってくるけど」
「……なんだよそれ」
よく分からない内容に眉を寄せる龍樹に構わず、とにかく、とアテナは話を逸らしたようだ。
「妙な噂が立っている以上、早く見つけるに越した事はない。悪いけど少し速度を上げる。雀からなるべく離れないように」
その言葉を聞くに、まだ彼女は全力で走っていないらしい。コートはもちろんの事、今は首のマフラーも取っている状態。身体も温まってきただろうから、いわばコンディションは整ったのだろう。
龍樹の返事を待たずして、アテナはその距離を広げていく。
事態が事態だけに呼び止める訳にも行かず。
置いてけぼりにされた龍樹。
それにしても今の言い方……完全にお荷物と思っているらしい。
そこがちょっと不満な龍樹。事実といえば事実なので、それがより一層歯がゆい。
こうなりゃ絶対先に見つけてやる。
少し本意からずれている気がせんでもないが、目的は同じだ。
幸いにもこちらには雀がいる。人手という意味では、こちらの方が幅は広がる。
「なあ雀。お前は今回の件どう思うんだよ」
走りながらも、ミレーナちゃん失踪事件について見解を求める。雀はいつになく凛々しい表情で言う。
「どう思う、と言われても正直困りますけど……少なくともいい気はしないですよね」
「まあそりゃな。そうじゃなくて、どういった理由があるのかって話だ。もしかして本当に誰かが侵入して、連れ去られたとか考えられないか」
「それは考えにくいですね。鍵は恐らく内側から開けられていたでしょうし。彼女の靴が無くなっていました。仮に誘拐だとして、わざわざ靴を履かせる手間は省くでしょう……何よりも気がかりなのはあの血まみれの服。そもそもあれは人間の血じゃありません」
「え? そうなの」
明らかになった事実に、戸惑う龍樹。
「じゃ何の血なんだよ?」
「何の血かと問われれば困りますけど。ただ、匂いが草食系なんですよ。だから人間のものではないという事はほぼ間違いないかと」
「そんな事まで分かるのか……」
となってくると、益々その可能性が高くなってくる。
ミレーナちゃんが家畜殺しだという、その可能性が。
にしても。
見ただけでそれが違う動物のものと見抜くなんて大したものだと龍樹は感心する。
どうやらここにきて、ついに雀の本気が目覚めたようだ。
「ええまあ。でもよくよく見れば人間の血と違うというのはすぐに分かりますよ」
珍しく健気な態度を取った雀。それこそ日常的に血を見てきた事があるであろう連中だ。血の違いなど、赤とオレンジくらい違うように見えるのだろう。
「それともう一つ。ミレーナちゃんが出たと思われる時間帯ですが、恐らくはそんなに経っていないかと」
「理由は?」
「ミシェルさん達が布団に入ったのが十一時過ぎ。その前に一度ミレーナちゃんが部屋で寝てるのを確認したそうです」
その話が本当なら、確かにミレーナちゃんが家を出てからそれほど経っていないだろう。あの子がいないと気づいたのが十二時半頃。端的に考えれば一時間近い間があるが、寝ていたという以上、丸々一時間という事はないと思う。
それにこれはアテナも言っていたことだが、近年まれにみる寒さの精か少ないとはいえ、そこに人が全くいない訳ではない。今も辺りには人がいる。深夜十二時過ぎに五歳の女の子が一人で街を歩いていたら誰かが声を掛けるはずだ。
「……じゃやっぱり近くにいる可能性が高いって事か」
「ですね。近場で土があって人気が無い場所ともなると、いくつかは絞れます」
言いながら雀はポッケから何かを取り出した。それは紙だった。なんの変哲も無さそうなその紙を、龍樹へと差し出す。
訳も分からないまま受け取る龍樹。確認してみると、それは手書きの地図だった。建物名などはイタリア語で書かれているので読めないが、随分と象徴的に描かれ絵だけでも分かりやすい。
「ダニエルさんに教えてもらった、先の条件が当て嵌まるポイントです」
その言葉を聞いて、思わず立ち止まる。
それから地図をよくよく見てみる。アルファーノ家を中心に描かれたその地図によると、そのポイントとやらは裏手にあるらしい。
つまり今進んできた道とは全くの逆だ。
なんでもっと早く言わないんだよと雀を細目で見る龍樹。しかし雀は地図が読めないのか、
「どうしたんですか?」
と不思議そうな顔をした。
忘れていたが、こいつ方向音痴なんだっけ。
本当に出来るか出来ないやつかいまいち分からない。しかし今はそれを議題に上げている場合ではない。
「……なんでもないよ。よし、じゃとりあえずここに行こう。今あの子がどういう状況にあるのかは知らないけど、服の件もあるし警察より先に見つけた方が良さそうだ」
「はい。本人を見つけて事情を訊く。それが現時点に置いて最良の展開と言えるでしょう」
改めて雀と現状の確認を取ると、地図の場所へと向かった。正反対なので時間は食ったが、何事も無く無事到着する。
法律的に認められているのか、路上駐車された車の向こう側にその雑木林はあった。道への侵食を防ぐためか一メートル程の壁も設けられているが、道路沿いに関してはその壁も取り払われていた。
なるほど確かにこれだと五歳の女の子が夜に侵入しても気づきにくい。
街灯もあるにはあるが慰め程度。目の前にはマンションもあるが、深夜一時近くの今となるとほとんど明かりが点いていない。
壁に面した雑木林は結構生い茂っていて、見るからに不気味だ。そんな中へと、二人して入る。
夜なのでやはり何も見えない。持っている携帯でライトを点け、進んでいく。
人が出入りしている場所なのか、量の割には道が確保されていたので、割かし進みやすかった。
しかし少し横に逸れると草木が密集し、とても歩ける雰囲気ではない。
(……いや流石にこれはいないんじゃないか)
ライトが無ければ足元も見えない暗闇。五歳の女の子が一人で入るだなんてまず考えにくかった。
ましてやその面積。外から見た感じだと、それこそ東京ドーム何個分と例えられるのではないかというほどの広さを誇っている。
もう引き返そうか。
龍樹がそう思った矢先、奥のほうから音がした。ザザザザザ、という明らかに何かが蠢いた音。
びく、っと振るえ、音のした方へと振り返った。肉眼では確認できないので明かりをそちらへと照らして見る。
だが誰もいない。
そこにあるのは生い茂った草木たち。この寒さでは虫たちも凍えているのか、静まり返っている。
風か何かだったのだろうか。
霊的なものにはそれなりに耐性のある龍樹でも、ちょっとドキドキしていた。
隣にいる雀も同じ心境なのか。
龍樹同様、照らされた雑木林の方を険しい表情で見ている。
「……」
それからしばらくじっとして見たが、何も変化はなかった。
だから今のはやっぱり風か小動物かなんかだろうと結論付ける龍樹。そもそもこれだけの雑木林。リスの一匹や二匹いてもおかしくない。
イタリアにリスがいるのかどうかは知らないけど。
ふう、と一息。先に進もうと、また前に向き直すと、
そこにいきなり顔が現れた。
「うお!」「きゃあ!」と驚く龍樹と雀。
あまりにいきなりだったので、心臓が飛び出るかと思った。おまけにこの暗闇。今回はいつにも増して効果が高い。
「脅かすなよ。まじで焦ったじゃねーか」
胸に手を当て、上がった心拍を落ち着かせようとする龍樹。
雀も似た様な格好で収束を図っていた。
そんな二人を見ても、相変わらずこの女は表情を崩さない。
突如現れたアテナは、未だ息を上げている二人を他所にこんな事を言う。
「焦ったのはこっちよ。誰か来ちゃったかと思ったじゃない」
言うとアテナは服のポッケに手を入れて、見えている訳ではないのだろうが不可視の先を見据える。
「龍樹。ちょっと照らしてほしい所があるんだけど」
「あん?」
光の発生源である龍樹の携帯を見るアテナ。それで気づいたが、この女は明かりもないのに感覚だけでここまで来たらしい。
相変わらず色々と滅茶苦茶だ。
そう思いつつも、龍樹は言われた通りに動く。
「ああいいけど、どこを照らすんだよ」
不可視な前方か、あるいは足元か。
そう思った龍樹だったが、彼女が指名したのは雑木林がある横手だった。
なぜそこなのかはもちろん分からなかったが、言われた通り、龍樹はそこを照らす。
するとそこにある一本の樹に血痕のようなものが付着していた。
いや、そこだけではない。
よく見れば地面にも血らしきものが見受けられ、それは道筋を辿るような形で滴り落ちたようだ。
「これは一体……」
ただ事でないというのは、素人でも分かる。
量はそれほどでもないが、まだはっきりと血の色をしているという事は付いて間もないという事だろうか。
「……先に進みましょう」
ぽつりと、そんな事を言ったアテナ。
「何があるかは分からない。明かりは極力落として。なるべく物音は立てないように」
こく、と頷く龍樹。
注意事項を飲むと、いよいよ奥へと入っていく。
何せ密集率の高い雑木林。
物音を完全に消すのは無理だったが、それなりに気を配りながら先へと進んでいく。もちろんと言ったらおかしいが、先頭はアテナ。その次に龍樹。そして殿の意味も込め最後尾は雀だった。
女二人に守られる中々情けない男の姿がそこにはあったが、今更本人が気にすることもない。
そもそもこの二人を普通の女子とカテゴリするのもどうかと思う。
アテナに言われたとおり、明かりは極力落とした。落としたといっても、光の明暗を調整できるわけではないので、下に向けることにより意図的に範囲を狭めるくらいだ。なので途中葉っぱなんかが顔に当たったりして鬱陶しかったが、我慢した。
血痕のようなものを辿りしばらくもしないうち歩くと。
雑木林が拓け、道のようなものが現れた。
道というよりかは、平地。
生い茂っている雑木林から一変、野原のような場所へと出た。
遮るようなものが何もないからか、月明かりが地面まで届き、その姿を浮き彫りにする。
だからアテナはこう言ったのかもしれない。
「明かりを落として」
周りに負けない静かな声でそう言われ、即座に明かりを消した龍樹。世界全てがシルエットになった。頭から伸びるツインテールだけが、彼女が彼女であることを認識できる唯一の特徴だ。
でもこれだと血痕が確認できないのでは、と思った矢先。
その必要はもうないという事に気づく。
理由は前方。
三十メートル程先にある雑木林との境目に、別の明かりがあった。
ここからだと全貌は伺えないが、何か作業をしているように動いている。
近づいてそれが何かを確認せねば。
だから、雑木林の縁をなぞる様にしながら、一同そちらへと歩み寄る。途中からその体躯の小ささから確信を持てた。
三十メートルの距離なんてあっという間だ。最早隠れながら近寄る必要もない。
「……何をしているの?」
アテナのその声にミレーナは存分に驚き、しゃがんでいた体勢から立ち上がった。赤いパーカーに赤いスカート。それは童話の赤ずきんのような出で立ちだった。
姿を見られたからか、ひどく動揺している。
小さな身体は恐怖によるものか寒さによるものかは分からないがひどく震えていた。瞳孔も開き、ひどく動揺している。
そりゃそうだろう。
誰でもこんな現場を見られたら、焦るに決まっている。
「!? これは一体……」
言葉を失う龍樹。
人気のない雑木林の奥。
やっと見つけた少女の傍らには、大きな穴と鶏のような死体が転がっていた。




