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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアへようこそ
101/261

少女の内にあるものは

「……どういう事か説明してもらおうか」

 ミレーナが失踪した次の日。

 親であるミシェルは二階からアテナ達と一緒に降りてきた娘を見るや否や、険しい表情でそう言い放った。

「まあまあ落ち着いて。あれほど優しく語りかけなくちゃ駄目だって言ったじゃないか」

 宥めるダニエル。

 二人とも気が気でなかったのか寝ていないようだった。

 まあ当然と言えば当然なのかもしれないが。

 そういう事情もあってか、夫婦ともに朝から機嫌が悪い。

「優しく語りかけるって、あんたがいつもそう甘やかすからミレーナが付けあがるんじゃないか。事態が事態だけに、今日は徹底的にいくつもりだ。時にはそういった厳しさも必要なんだぞダニエル」

「分かってるよ。ただ、理由もまだ分かってないのにそう捲くし立てるのは可哀そうだって言ってるんだ。ほらミレーナだって怖がってるじゃないか。これじゃ話す気があっても話せないよ」

 ダニエルのその言葉を受け、そちら側を向くミシェル。

 可愛らしいパジャマを着た少女はいつもと違う母親に怯えているようだった。

「……ふん。分ったよ」

 ダニエルの言葉に納得したのか。不愉快そうな表情ながらも、態度を改めるミシェル。

 ドカ、と食卓を囲む椅子に坐り、

「で、ミレーナ。一体昨日の晩何があったんだい。それにあの部屋の服はなんだ。怒らないから正直に話してごらん」

 幾分か柔らかくなった声音。

 それでもミレーナの中ではまだ先ほどの顔が残っているのか、今日はやけに母親と距離を置いている。

 何ならこれまでとは逆に母親から雀達に守ってもらおうとしている感じだ。

「ほらミレーナ。昨日の件で何か分かることがあったら話してくれないかしら」 

 上体を屈め、ミレーナに視線を合わすアテナ。まるで迷子センターのお姉さんみたいな優しい接し方だ。それを言いことに、ミレーナは俯いたまま指をいじいじさせ、

「……知らないもん」

 とふてくされ気味に言った。

「何?」

 一気に険しくなるミシェルの顔。

「知らないわけないだろ。あんな所に、あんなものと一緒にいたんだ。知らないで通るわけがない。なあミレーナ。本当の事を話してくれ。お母さんミレーナに嘘吐いた事あるか? 絶対に怒ったりしない。だから、昨日はどうしてスコップなんか持ってあそこにいたのか、あの鳥の死体はなんだったのか。お願いだからちゃんと話してくれ」

 出来るだけ温厚に話そうとしているのが、態度でわかった。

 しかし表情は笑顔ながらも、どこか急いたような印象が伺える。

 大体この状況で笑顔な時点で不自然なのだ。

 かくして、ミレーナは相変わらず俯いたまま、

「……本当に知らないもん」

 と同じことを言った。

「このっ――」

 煮え切らない態度に我慢の限界が来たのか。

 勢いよく席を立ち詰め寄ろうとするミシェル。それに即座に反応したミレーナはびくっと震え、後ろにいた雀の更に後ろに回り込んだ。彼女に強くしがみつき噴怒の表情をする自分の親を覗き見る。

 未だ何かを喚くミシェルを、夫であるダニエルが体を使って宥めている。

「……」

 ここまでの一連の流れを、黙って見守る龍樹。

 会話の内容は分からなかったが、ミシェルの声音や怯えるミレーナを見れば良好じゃないことぐらいは分かる。

 言葉が通じないので仲介に入るわけにもいかず。ずっと眼をきょろきょろさせるのみだ。

 ダニエルがミシェルを落ち着かせ、彼女を席に戻したのを見計らい、

「今どういう状況」

 とアテナに訊く。

 アテナは複雑そうに目を細め、

「ミシェルがミレーナに昨日の件を問い詰めたんだけど、知らないの一点張り。それで怒ってるのよ、彼女は」

「……なるほど」

 非常に分かりやすい展開だ。

 本当は昨日の夜帰った時に一度こういう状況になりそうな雰囲気はあった。ただ、ミレーナはひどく疲れていたしすぐに問い詰めるよりかは少し間をあけた方が頭も冷えるという事で、アテナがとりあえずその場を制した。

 それが結果として良かったかどうかは、現状を見れば分からないが。

 まあでも深夜にあーだこーだ言うよりかはマシだろうと、龍樹は結論付ける。

「……でも本当に知らないのかな」

 ちらっと、ミレーナの方を見る。

 雀の後ろに隠れ、母親に対して警戒心むき出している。その盾にされている雀はと言うと、いまいち緊張感を持っていないのか欠伸をしていた。

 表情も不機嫌そう。

 朝が弱い以前に、流石の能天気だ。

「ミレーナ。本当に何も知らないのかい?」

 冷静に対処できないミシェルに変わり、今度はダニエルが前に出る。

 普段から舐められているのか、ミシェルの時と違いミレーナは高圧的に、

「知らないって言ってるのに。どうせパパもミレーナが嘘吐いてると思ってるんでしょ」

 頬を膨らませ、皆敵だ、と言わんばかりのミレーナの態度。

 これには夫であるダニエルもお手上げのようだ。

「駄目だね。こりゃ本人の気が変るまで待った方がいいかもしれない」

 なんて悠長な事を口にする。

 それにはミシェルも黙っていない。

「気が変るまで待った方がいいって、あんたはミレーナが心配じゃないのか。娘が夜な夜な街に出ては動物を殺してるんだぞ。それを放っておくだなんて親として失格だ」

「お、おいおい人聞きが悪いな。誰も放っておくとは言っていないだろ。時間を置こうと言っているんじゃないか」

「それを放っておくと呼ぶんだよ。もういい。こうなりゃぶってでも真相を吐かせてや――」

 情けない夫には頼っていられないと、席を立ちあがろうとしたミシェルだったが。

 そんな彼女を、吐き気が襲う。

「う、――ッッ!?」

 口を押さえすぐそばにあった洗面所へと向かうミシェル。

 驚く一同。突然の出来事に、声も出なかった。

 ミシェルは苦しそうに咳きこんだ後、うええ、ともどした。

「!? 大丈夫かミシェル!」

 慌てて駆け寄るダニエル。それを手で制するミシェル。

「だ、大丈夫だ」

 全然大丈夫そうじゃない声でも、彼女は言う。

「ちょっと最近体の調子が悪くてね。ただ気分が悪くなっただけだから、心配はいらない」

「心配はいらないって……働きすぎなんじゃないかい? 今日は大学に行くの控えた方が」

「いや、今日は論文の発表もあるから絶対に行かなきゃならない」

「……ずらせないのかい」

「皆今日に合わせてくれているからな。出来るだけずらさない方がいいだろう。なに。読み終わったらすぐに帰るよう取り繕ってもらうさ」

「……君がそういうのなら」

 ミシェルの背中を摩り、ダニエルは水をコップに一杯いれる。それを受け取り飲むミシェル。落ち着いたのか、ぷはあーと息を吐き、

「ありがとう。もう楽になったよ」

 と礼をいう。

「……おっと。もうこんな時間か」

 壁に立てかけられた時計を見たミシェルは、そう呟く。

 時刻は七時五十分。大学からこの家の距離を考えると、そろそろ出ねば。

「それじゃそろそろ支度するよ……悪かったなダニエル。つい熱くなってしまって」

「いや構わないよ。僕の方こそちょっと受け身すぎた。時には厳しくしなきゃいけないのは分かってるのに……まあ昨日の件についてはどうにかしてミレーナに聞いておく。だから君はあまり考えないでいてくれ」

「ああ……分かってるよ。いざというときはあんたの方が頼りになる。信頼してるよ王子様」

 そして見詰め合う二人。

 洗面所で繰り広げられた、愛の確認。

 言葉の分らない龍樹に取っては、そんな事知る由もないが。

突如吐き気を催したミシェルにおどおどする。

「おいおい大丈夫なのかよミシェルさん。いきなり吐くなんて……気分悪いのか?」

「まあ……大丈夫なんじゃない。あれだけ減らず口を言えるんだったら」

「何それ?」

「なんでもない」

 と、同じイタリア人として恥ずかしいのか、アテナはそれを翻訳する事はなかった。

「それよりも気になる事がある」

 話を戻すように、アテナはそう言った。

「私はそれを確認するから、あなたと雀は出来るだけミレーナの傍にいて情報を聞き出してほしい」

「……なんだよ。どっか行くのかよ?」

 いつも通り面倒な説明はしたくないのか。

 まあね、とアテナは言った。

 場も動き出し。

 身支度をするためか自室へと足を運び始めたミシェル。

 ミシェルが半ば介抱しようとするダニエルに大丈夫だと言うが、ダニエルもまたそれを拒むように連れ添った。

 どういう意図があるのかは知らないが、ミシェルは娘であるミレーナには何も話しかけず、見向きもしなかった。

 結局そのまま夫婦揃って自室へと向かい、この場からいなくなった。

 雀の影に隠れながらも心配そうに見ているのに、結果的に無視される格好となったミレーナが可愛そうに見える。

「さ、それじゃ私もそろそろ行くわ」

 何一つ腑に落ちない事はない調子で。

 アテナも動き始める。

 ダニエルも今日は仕事だと言っていたし。

 となると今日は雀とミレーナとで過ごす一日になりそうだ。

「ってよくよく考えたらイタリア語話せる奴いねーじゃねーか」

 ここまで散々アテナに頼っていたのでよくよくも何もないが、とにかく、ミレーナから情報を聞き出すにしてもまずコミュニケーションが取れない。

 それなのにその女ときたら、

「大丈夫よ」

 と言った。

「言語なら雀に翻訳してもらえばいい。なんなら情報は聞け出せなくても構わないわ。彼女、きっと今凄く不安だと思うから気を晴らすように遊んであげて」

 仕事が出来るキャリアンウーマンみたいに、てきぱきと指示を飛ばすアテナ。相変わらずこの女は落ち着いているなと龍樹は感心する。

「え? てかお前イタリア語喋れるの?」

 アテナの今の話ではそうなる。

 確認を取るように雀を見る龍樹。

 自分の事なのに。寝起きということもあってか、やけに思わせぶりな間をあけて雀は、

「えっと……いえ、喋れませんけど」

 と言った。

 そりゃそうだろう。喋れたのなら、すでにいくつかミシェル達とも会話を交わしているはずだ。

 となると、今しがたのアテナの発言はどういう意味か。

 それを本人に訊いたところ、

「英語よ」

 という返答があった。

「ダニエルは英語が喋れる。あなたも英語なら喋れるでしょ。だからそれで翻訳してもらえばいい」

「あ、なるほど」

 その手があったか、と言わんばかりにポンと手を叩く雀。

 いやでもちょっと待てよと、龍樹はどうにか頭を整理する。

「何だよ。お前英語喋れるのかよ」

 意外そうな顔をする龍樹。それに対し雀はなぜか驚いたように、

「そりゃもちろん喋れますよ。世界の公用語とさえ言われてますから。逆に龍樹さんは喋れないんですか?」

「ああ。全くな」

「え、じゃなんで日本語喋れるんですか?」

「俺が日本人だからだよ」

 髪をぼさぼさにし、馬鹿みたいな疑問を口にする雀。

 確かに日本語を覚えるのは英語よりも難しいと言うのは聞いたことがあるが、しかしそもそもの疑問がおかしい。

 それは外人からの主観であって、本場の人間が喋れないなんて事はまずない。

 まあ、まだ寝ぼけているのだろう。

「とにかくそういう訳だから」

 構わない調子で、アテナが言った。

「何か分からないことや伝えたいことがあれば雀に言えばいい。それである程度の問題は解決できるでしょうから」

 問題を解決すると、今度こそアテナは外へと出て行く。

 彼女の性格を知っている今となっては無理に止めようとしない龍樹。

 何をしにいくのかどうしても知りたければ、また後で聞けばいいだけの話だ。

 それからしばらくして。

「んあー、それにしても清々しい朝ですね」

 あくび交じりに今更そんな事を言い、背を伸ばす雀。

 アテナがどこかに行って二十分。

 どうやら本格的に目覚めたらしい。言うまでもないが服装はいつもの全身茶色コーディネートだ。

「さてミレーナちゃん。という訳で今日はお姉さん達と遊びましょう。何して遊びたいですか? 遊園地? 水族館? オペラを見るなんてのも中々お通ですよね」

「そりゃお前が行きたいスポットだろうが」

 しかも全部お金が掛かる場所だし。

 小さいことを言うようだが、一応悪魔祓いの付き添いという事でここまでの旅費も空野家が全部負担している。

 こっちに来てからの遊興費とかも龍樹負担。

 再三言うようだが、無一文で海外に来るという神経が分からない。

 まあそれで食ってけるんだからこれも人徳だよなあと龍樹は感心する。

 なんだか感心してばっかりだ。

「あ、そうだ。桃鉄持ってきてたんでしたっけ」

 寝起きだった先ほどとは対照的にパワフルな雀。

 今も言葉が通じないのにミレーナに語りかけていたし。

「どうなんですか龍樹さん。桃鉄って字とか読めなくても出来るんですか?」

「いや字が読めなきゃ話にならないだろ……それに桃鉄は無理だよ。だって盗まれた荷物に入ってたんだから」

「はっ、何と」

 あまりのショックに、膝をつく雀。どうやらここに来てようやく己の過ちを悔いた様子だ。

「そんな……せっかく龍樹さん達と楽しく出来ると思っていたのに」

「なんでパスポート無くしたと知った時よりもリアクションが大きいんだよ」

 まあ、こいつの場合はそうなのだろう。

 今が楽しければそれでいい。心の底から思う事だが、こいつって本当に悩みがないんだろうなあと、荷物を取られ悔やんでいる雀を見ながら龍樹は思った。

 そうこうしているうちに。

 ダニエルが戻ってきた。

「やあごめん。ミレーナを任せちゃって。アテナさんから聞いたよ。英語なら話せるって……ん? どうしたんだい」

 先ほどとイントネーションが違う。という事は、きっとアテナから聞いて、今ダニエルは英語を喋っているのだろう。

 龍樹はいまだ桃鉄に未練を持ち膝をつく雀を突いて、

「ほら、雀。翻訳しろよ、翻訳」

「え? あ、はい」

 言われて気づいたのか、雀は立ち上がった。それからダニエルへと向かい合う。

 するといきなり流暢な英語で話し始めた。

 おおすげえ。

 英語を喋れるってだけで凄い賢く見える。

 ダニエルとひとしきり会話をし終えると、サンキューという意味が分かる英語が耳に入った。

 何かしらの区切りがついたのだろうと思い、龍樹は雀に問いかけてみる。

「なんだって? 今後の予定とかそんなの聞けたか?」

「はい。そりゃもうばっちり。喜んでください。今日の晩御飯はステーキです」

「んなどうでもいいこと今訊くなよ!」

「いやダニエルさん凄くいい人ですよ。どうやら今日も昨日と似たり寄ったりのメニュー出すつもりだったらしいですけど、他のものも食べたいって伝えたら、じゃお肉にしようって言ってくれました」

「この恩知らずが」 

「正直パスタばっかり飽きちゃいました」

「イタリアの人ごめんなさい!」

 いや、実を言うとパスタには飽きたのだが。

 味は申し分ないが、流石にほぼ毎食は、ねえ。

 ただそれを用意してくれる本人に伝えるのはどうかと。

 考えすぎだろうかと、ちょっと不安になる龍樹。

(……いやいや)

 今重要なのはそこではない。

 という訳で、雀を介して、改めてダニエルと話を進めていく。

「え? 遊び場かい?」

 この近辺で子供が遊べる場所が無いかと、聞いてみる。

「うーん。言われてみるとあまり無いなあ。どちらかというと大人が楽しむ街だからね、イタリアは。南の方に上がってくとあるにはあるんだけど……僕も仕事があって連れ添えないし」

 生真面目な性格が作用してか、それからしばらく考え込むダニエル。

 やがて良い案が思い浮かんだのか、

「あ、そうだ!」

と表情を明るくさせた。

 どうやら良い遊び場が思いついたらしい。

 この辺りの地理なんてほとんど分からない。どうせ行くあてもないので、龍樹達はその案に乗り、外出する。


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