緑の試練
「……で、なんだこの格好」
ヘルメットにサポーターというガチガチの防具。
こういうものなのかは知らないが、ヘルメットは頭を締め付けるほどきつく、こめかみが痛かった。
龍樹達が来たのはローマ郊外にあるアスレチック公園だった。
バスなどの交通網を駆使すること約一時間。
到着するまでに疲れたというのに、降りた途端この格好だ。
目前では一緒に来た雀とミレーナも同じ格好をしている。そのすぐ傍では例の大きな犬もいた。ミレーナは女の子らしいピンク色のヘルメットとサポーターだが、雀はこの期に及んでも茶色だった。
逆によくあったなとちょっと驚きだ。
ちなみにヘルメットを被っているからか、いつも常時被っている帽子は脱いでいるようだ。
しかしなんだ。
子供のミレーナが装着する分には構わないのだろうが、結構な年になると何だか恥ずかしさすら感じる。
「……似合ってますよ龍樹さん」
「なんだよその間」
絶対に思っていないであろう事はその無表情を見れば分かる。
雀のお世辞に適当に返事をすると、受付のおばさんが何か言ってきた。
正直イタリア語なので分からない。
携帯の翻訳を使用すればいいのかもしれないが、あんまり当てにならないんだよな、あれ。
と、イタリアおばさんの捲くし立てるような言葉に雀と一緒にぽかんとしていると。
ミレーナがある場所を指さし強く訴えかける。
「え? 何?」
慌てる龍樹。
ミレーナの指先は龍樹のポッケへと向けられている。だが愚鈍な龍樹にはその意図が見えてこない。
まだ怖がられてるのかは知らないが適度な距離を取るミレーナ。彼女の顔が険しくなっていき、指を何回も、フン、フン、とポッケへと突き立てる。
それでも分からなかった龍樹に業を煮やしたのか、ついにミレーナは龍樹へと詰め寄りそのポッケに腕を突っ込もうとする。
そこでようやく彼女が何を示していたのかが分かった。
「ああ財布か」
気付いた龍樹は自分でそれを取り出す。するとミレーナは役目は終えたと言わんばかりにまた元の位置へと戻ってしまった。
やはりまだ怖がられているようだ。
その反応にちょっと傷付きつつ、龍樹は料金表のようなものに眼を通す。
「何だよ。身体動かす上に金も払うのかよ」
伝わらないのを良いことに愚痴る龍樹。まあそれも踏まえてダニエルは渡してくれたと思うのだが。
「えーと何々。12……8? くそ。イタリア語読めねーよ」
都心の電車の乗り方に迷うお爺ちゃんの様な格好の龍樹。財布に手を入れるものの、いくら出せばいいのかが分からない。
じれったい態度に受付のおばさんもイライラしてそうだった。
また何かを話しかけてくるが、やっぱりイタリア語なので分からない。
「あーもう。日本語で喋れよ」
と無茶苦茶な事を言ってると。
ミレーナがいつの間にか近づいてきて、財布を貸してと手を差し出してくる。
自分の財布を子供とはいえ他人に渡すのには戸惑ったが、まあこれ以上ここで躓いている訳にもいくまい。
差し出されたその小さな手へと、財布を渡す。
するとミレーナは必要な金額を抜き取り、受付のおばさんに渡した。
それから二、三、受付のおばさんと話すと、先に指をさしもう行けると伝える。
「ん? ああ、ありがとう」
財布を返してもらい、お礼を言う龍樹。
引っ込み思案な子だと思っていたが、案外しっかりとしているなとちょっと驚いた。
「へえー結構綺麗なんだな」
森の中に入ると、まず感じたのが空気の良さ。
アルファーノ家の立地も自然とは戯れるほうだが、流石にここまでではないだろう。
人が通りやすいよう真ん中には道が設けられているし、両横には日本でも見た事がありそうな細い木が等間隔で生え、森本来の姿を残しつつある。
なので昨日みたいに雑木林が鬱蒼とある訳ではない。
それなりの値段を取るだけのことはあるなと龍樹も納得する。
しばらく歩くと。
第一関門とでもいうべきか、丸太を組み合わせた遊具のようなものが現れた。
子供大人含めすでに三人ほどが挑戦していて、見れば長さ三十メートルほどの丸太の梯子を命綱を付けて渡っている。
「初っ端から結構ハードだな……」
渋い表情をする龍樹。
何せミレーナくらいの子供でも挑戦できるという事だから、もっと陳腐なものを想像していた。
日本で言うところの、それこそ小さな公園にある健康遊具くらいのものかと。
「ミレーナちゃん出来んのかよ」
素直に思う。
ミレーナの身長は百ちょいあるかないかだ。ましてや女の子。そこまで活発に動くように思わないのだが……
「でもミレーナちゃん前にここへ来たことあるらしいですよ」
「え? そうなの」
雀がダニエルから聞いた話によると、前は積極的にアスレチックに挑戦し、楽しそうにしていたという。
だからここを選んだららしいのだが、どういう訳か今のミレーナはアスレチックを眺めているものの積極的に挑戦しようとはしていない。
「……やっぱり家族と来たかったんじゃないのか」
考えた末、そこに辿り着く。言うまでもなくミレーナは人見知りが激しい。昨日今日一緒だとはいえ、龍樹達とは距離だってそこま縮まっていない。
雀とは打ち解けてると思ったのだが……やはり言葉の壁は厚いのか、いまいち他人行儀だ。
そんな人間と来ても、楽しいはずないかと龍樹は思う。
しかし、そんな風に悩む龍樹とは裏腹に、
「あーもう我慢できない」
細かい事を考えない性分の雀は、欲望の赴くままに行動する。
「じゃあ私ミレーナちゃんを連れて行ってきますね。龍樹さんも早く付いてきてくださいよ」
「あ、おい」
言うが早いか。
堪えきれなくなった雀はミレーナの手を取って、半ば強引にアスレチックへと向かっていった。
「ったく……」
あの陽気な性格には毎度感心させられる。
まあそれと同時にあんなに能天気にはなりたくないなと考える龍樹。
結局雀とミレーナはアスレチックへと辿り着き、他の人に混じり挑戦し始めた。これはこうやってやるんだよだとか説明しているのか、言葉は通じないはずなのに雀は身振り手振りを交えミレーナへと何かを説明している。
「……大人しいって言えば、お前も大人しいよな」
足元にいる大きな犬を見ながら、龍樹は言った。
名前をニーナというらしいその犬はやけに落ち着いている。年も結構食っているみたいなので、あまり動けないというのもあるのだろう。今も地面に突っ伏すような体勢ながらも、ミレーナの方を向いている。
やがてじろりと龍樹の方を向く。
ご主人が迷惑を掛けてすみませんとでも言っているみたいだった。
「ちょっと龍樹さん」
おいしい空気に丁度いい気温。
絶好の昼寝日和に、腰掛けたベンチで思わずうたた寝していた龍樹の元へ、雀が帰ってきた。
その表情はなぜか怒っている。
「おお終わったか……どう? ミレーナちゃん渡れた?」
「ええ、そりゃまあ。この子かなり運動神経いいんですよ。将来はきっと立派なアスリートになる事でしょう」
「へえーそうなんだ。意外だな。ミシェルさんも身体が弱いっていうし、ダニエルさんもそんなに運動神経良さそうじゃないのに」
「まあ遺伝ってのはあくまでも可能性の話ですから――ってそれはそうと、龍樹さん」
「……なんだよ」
謎の怒りに疑問を覚えながらも、龍樹は答える。
雀はやはり怒った口調で、
「なんだよ、じゃありませんよ。なに寝てるんですか。ちゃんと付いてきてって言ったのに」
「……いや俺はいいよ。もうはしゃぐような年じゃないしさ。お前たちで楽しんでくればいいじゃん。時差ぼけも慣れてきたからか知らないけど、なんか眠いんだよ今日」
「ははん。そんな事言って、実はあのアスレチック出来ないんでしょう」
やけに挑戦的な、雀の態度。
それに龍樹は少しムッとする。
「馬鹿いうなよ。あのぐらいのアスレチック、俺だったら三十秒ぐらいで渡れるね。楽すぎて運動にもならねーよ」
「えー本当ですかね。結構大人達も苦戦してましたよ。下手すれば渡れないかもしれませんよ、龍樹さん」
「おいおいご挨拶だな」
それは聞き捨てならない。
五歳の女の子でも渡れるあれを渡れないだって?
人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしいものだ。
「じゃ証拠見せてくださいよ」
用意していたように、雀は言った。
いやしかしこんな挑発に乗るほど俺も子供じゃないと龍樹は己に言い聞かす。
クールなキャラを目指している訳ではないが、がつがつするのも何だか大人気ない。
おん年十七。
後輩からの挑発には乗りませんよ、と。
「まあどうせ渡れたとしても、私よりかは遅いでしょうけどね」
「上等だ。じゃ勝負してやるよ」
がばっと、勢いよく立ち上がった龍樹。
いや何も本気で挑発に乗った訳ではない。せっかくだし、久々に身体を動かそうかなとは考えていたところだ。
それがたまたま雀の挑発がいいきっかけになっただけの話しであり、決してむかついたとかそういう理由とかではない。
そんなこんなで。
アスレチックの前へと移動した一同。
元々そういう趣があるのかは知らないが、梯子となっている丸太は二箇所あり、これなら何のハンデもなく純粋な勝負が出来る。
改めてみると、このアスレチックは丸太渡りの他にロープ渡りもあり、勝負の内容はその先にある滑り台から地上へと足を先に着けた方が勝ちである。
シンプルだからこそ、その辺の運動神経的なものが顕著に現れる。
こりゃ男として負けられないなと、なんだかんだで闘志を燃やす龍樹。
ミレーナもこう言った見物が好きなのか。
初めと変わりはしゃいだ様子で、大きな犬と共にゴール付近へと走っていった。
「あ、そうだ龍樹さん。ただ勝負するだけじゃつまらないんで、どうでしょう、ここは負けた方が勝った方の言う事を一つ聞くというのは」
「えー……」
たまにいる、こういう奴。
突如成された雀の提案。
正直そういったギャンブルじみたものはあまり好きじゃないんだが……
「なんですか。自信がないんですか?」
そう言われては、仕方ない。
龍樹は渋々承諾する。
「分かったよ。じゃ勝った方が負けた方の言う事を聞く事な」
「いいんですか? やった」
作戦通りと言わんばかりに小さくガッツポーズする雀。
その反応を見るに、なにか明確なお願いがあるのだろう。
この女の事だ。どうせ食べ物を奢ってくれとかそんなだろう。
だとすれば益々負ける訳にはいかない。
私的な勝負事にダニエルから貰ったお金を使うわけにもいかないので、もし仮に負けた時には、自腹を切ることになってしまうのだから。
「行きますよ龍樹さん」
アスレチックから誰もいなくなったのを確認し、
「おう」
龍樹と雀は同時に一歩を踏み出した。
まず先に丸太へと差し掛かったのは龍樹。
距離は三十メートルほどあるが、幅が二十センチほどあるのでそこまでバランス感覚が無い人間でも普通に渡れる。
と思っていた。
(うお! 結構難しいぞ、これ)
バランスを崩し、あわや落ちそうになる龍樹。
もちろん落ちれば最初からやり直しだ。
そうなってしまえば最早勝負は決したも同然。
だが思った以上に自分は運動神経がないらしく、立て直しては崩れ、立て直しては崩れ、最早いっぱいいっぱいの状態である。
仕方なく速度を落とし、平衡感覚を重要視する。
その時ふと気になり隣の雀の方を見る。両腕を広げ器用に丸太を渡っていた。
丸太へは龍樹が先に差し掛かったはずなのに、現時点で抜かされてしまっている。
「くそ、――」
最早彼に残っているのは男の意地だけだった。
「負けてたまるかよ!」
己を鼓舞するように声を荒げ、速度を上げる。
これには雀も焦ったらしく、ハッとしたような表情の後、こちらも気持ち足の速度を上げた。
雀が先に丸太を渡り終える。
だが直後に龍樹も辿り付いたので、その差は無いと言っても過言ではない。
ロープ渡りはバランス感覚というよりも腕力が大事になってくる。
それならこちらに分があるはずだと龍樹は計算する。
(ロープを上り、その先にある滑り台を滑る!)
久々の本気。脳からアドレナリンみたいなものが出てるのが明確に分かる。
(そして地面に辿り着けば)
息を荒げながら、龍樹はロープを手に取った。
(俺の勝ちだああああああ!!)
この勝負は貰った。そう確信すら持つ龍樹は最後の力を振り絞り、ロープを順調に上っていく。
しかし侮っていた。
いや侮っていたというより、誤解していたのだ。
ロープ渡りは力が全てではない。
そもそも体重が重い分その力が必要になってくるので、その比重を考えるとむしろ相手の方が有利かもしれない。
それを裏付けるように、苦戦する龍樹の横をひょいひょいと登っていく雀。
「な、ま、待て!」
等とやられ役の敵が言いそうな台詞を口にする龍樹に構わず、雀はあっという間にロープを渡りきった。
それから振り向きもせずに滑り台へと一直線で向かっていく。
こうなっては、すでに勝負は決してしまっていた。
先に滑り終え、勝利を分かち合う為かミレーナとハイタッチしている雀の前に、龍樹は膝を抱え仏頂面でゆっくりと滑ってくる。
勝者と敗者。
多分、世界中の誰が見てもそう分かるような構図だ。
「私の勝ちですね」
言うまでもない事を笑顔で言う雀。
「……まだだ」
拗ねた子供のように未だ滑り台から降りようとしない龍樹はその体勢のまま、
「誰もこのアスレチックだけで勝敗が決まるなんて言ってないだろ」
どこか遠いところを見ながら、そんな大人気ない言葉を口にした。




