沈む夕陽
「ふう、久々にいい汗かきました」
スポーツタオルで顔の汗を拭く雀。
勝負を終えた二人は近くにあったベンチへと身を寄せる。
ここは広場になっているらしく、緑の芝生が一面に広がり、広い面積のあちこちには家族連れがピクニックをしたりバトミントンをしたりして交流を深めている。
なだらかな丘になっているそんな場所で。
運動を終え爽やかな表情の雀とは対照的に、ベンチには疲れ果て今にも息絶えそうな敗北者が座っていた。
俯き、息を荒げる龍樹。
結果から先に言うと、完敗だった。
あれから三つほどアスレチックで対決したのだが、どれも惨敗。
考えても見れば日ごろ体を動かすことの無い人間が、裏家業の人間に敵う訳が無いのだ。
「あーまじ疲れた」
我ながら大人気ないと龍樹は思う。むきになって普段使わない筋肉も使ったから、明日は絶対に筋肉痛だ。
もうアスレチックはこりごりな龍樹は、ヘルメットを外す。頭に風が通り、それだけで随分と涼しく、心地が良い。
「駄目ですよ龍樹さん。普段から運動してないからそんなに疲れるんです」
「まあ……でも中々無いよ、この年になったら身体動かす事」
いや、齢十七なんてまさに身体を動かすピークな時期だと思わんでもないが、高校でも運動部には属していない龍樹。
普段身体を動かす機会があるとすれば、授業での体育ぐらいだ。
「でも良かったよ、ミレーナちゃんが元気になってくれて」
どこか慈愛のある表情で、龍樹は前方を見る。その視線の先にはニーナと元気よく遊ぶミレーナがいた。
フリスピーで遊んでいるらしく、ミレーナがそれを投げるとニーナとそれを競うように走り回っている。
「多分気を使ってたんじゃないですか」
龍樹の隣に腰を下ろす雀。彼女に取って頭部は恥部らしいので、ヘルメットは取らなかった。
「ダニエルさんも言ってましたけど、ミレーナちゃんはどうも人の顔色を窺う癖があるそうです。自分達が一緒に居てられないからだ、とかなんとか、ダニエルさんは言ってましたけど」
「……そりゃ家族を養うのは大変だもんな」
一応幼稚園には通っているというミレーナ。イタリアは基本的に共働きが多いし日本でも別段珍しいことでは無いのだろうが、やはり両親が傍にいないのは寂しいと思う。
まあそんな事言っても、仕方が無いといえば仕方がないのだろうが。
「……」
時にミレーナは今日本当は幼稚園に通う予定だった。わざわざ休みにしたのはもちろん昨日の件があったからだ。
真相が未だ不透明な以上、そのまま幼稚園へと連れて行くわけにもいかない。
幼稚園の子達にとっても、ミレーナにとっても。
「やっぱり何か隠してるのかな」
「はい?」
「いや、昨日の件だよ。流石に何も知らないって事はないだろ。現に死体を埋めようとしてたんだからさ」
「そうですね。そもそもあれはミレーナちゃんがやったのかどうか。一番の問題はそこですよね。多分、アテナさんはその辺りを今調べてくれてると思いますけど」
「……あいつの用事ってそれなの?」
「確信は無いですけどね。でもタイミング的にそれっぽくありません? ミレーナちゃんから情報を聞き出してって言ったくらいですし」
「……まあな」
確かに。言われてみればそんな気がする。
やり手なあの女のこと。
もしかしたら今頃アテナは色々調べまわって、昨日の件の答えをすでに導き出しているのかもしれない。
と、そんな風にあれこれと考え事をしていると、
「それはそうと龍樹さん」
話題を変えるように、雀が何かを言ってきた。
そちらを振り向く龍樹。目をぱちぱちとさせた後、雀は言葉の続きを述べる。
「例の約束、忘れてないですよね?」
「……ああ」
忘れてはいないが、今その話をするのかよと龍樹は思った。
雀の言う約束とは、アスレチックで負けた方が言う事を聞くというそれだろう。
「忘れてないよ。で、何だよ。あんまり無茶な事は言わないでくれよ。高級イタリアン料理のフルコースだとか」
「言いませんよ。龍樹さんがビンボーな事ぐらい私は分かってますから」
「……誰の精だと思ってんだよ」
「何か言いました?」
「……別に」
ぼそっと愚痴る龍樹。心の声が思わず漏れたようだ。少なくとも雀の用件とやらを聞くまでは、下手に回らなければ。
「それで、何なんだよ。もう決まってんだろ?」
「はい。アスレチックで負けた方が勝った方の言う事を聞くルールに則り、今回の私の願いを発表します。それは、これから私の言う事を何回でも聞いてください」
「あ、ずるい。そういうのは無しだぞ」
「いいじゃないですか。先に駄目って言わなかったんですし」
「常識だろうが。暗黙の了解だよ。もうそういう事言うんだったらこの件はお流れだ」
「え? あ、ま、待ってください。……分かりましたよ。取り下げればいいんでしょ、取り下げれば……ちぇ、一生我がまま聞いてもらえると思ったのに」
などと小言を垂れた雀。
まさか本気でその願いを聞き入れてもらおうとしたのだろうか。
無垢といえば聞こえはいいが……
可愛い顔して考えることはえげつない。
「じゃこの件は一旦保留ということで」
拍手を打ち、癒し系の笑顔でそう言う雀。どうやら効率よくその特権を使いたいようだ。
時間が経って忘れてくれればいいのになあ、とおおよそ都合のいい風に龍樹は物事を考える。
「それにしてもお腹が空きましたね。もうお昼ですか?」
「まだだよ。今十一時だぜ。せめて一時間くらい待とうよ」
携帯の時計を見てそう言った龍樹。家柄決まった時間に食べたい彼としては、そこは結構譲れなかったりする。
「だったら間食しましょうよ。お昼は別に設ければいいじゃないですか」
「そんな勿体無いことできるかよ。お前だって知ってるんだろ。俺がビンボーなのは」
「でもダニエルさんからお金貰ってるんでしょ。もしかしてせしめる気じゃないでしょうね」
「本気で怒るぞお前」
割かし冗談でもなさそうな疑いの眼差しに、ちょっと不愉快になる龍樹。
確かにダニエルにお守り代としてお金は貰っているが、それはあくまでも必要な分だけだ。
「えー、でもお腹空きましたよ」
なんて事を、弱弱しい口調で言う雀。
足をじたばたさせる様は駄々を捏ねる子供そのものだ。
そんな彼女を龍樹が流し目で見ていると、
「……ん?」
ふと前を向く。ミレーナ達が帰ってきた。遊びつかれたのだろうかと龍樹は考える。
いや、彼女もアスレチックでは結構動き回っていたので、もしかしたら雀同様腹を空かせたのかも知れない。
仮にそうだとしたら、その案を飲むしかない。
ここに来たのは彼女を楽しませてあげる為だし、何よりも二対一だし。
「どうしたの? お腹空いたの?」
龍樹は口に手を持っていくジャスチャーで問うてみる。それは伝わったらしく、ミレーナはぶんぶんと首を横に振った。
では何だろうかと考える。
次に、もう帰りたいのかなとそんな事を推測していると、
すっと、ミレーナは小さな指を広場へと向ける。
その指先を視線で追う龍樹。
見ればそこにはバトミントンをしている男女二人子供一人がいた。女の子が打ち上げたシャトルを父親であろう男性が優しく打ち返す。帰ってきたそれを、今度は母親と思しき女性へと少女は打ち上げた。
理想的な家族の絵がそこには広がっている。
「……バトミントンがしたいの?」
ラケットを振るジャスチャーで問うて見る。ミレーナはこくりと頷いた。あれだけ動いてまだ遊びたいとは、実はその辺の子よりも活発なのではないだろうか。
「そうか……でもバトミントンなんて持ってきてないしな」
言葉が通じた訳ではないだろうが。
ミレーナはまた別の場所へと指を指し示した。
丘広場の下手にあるアグリトゥリズモ。日本で言う所の民間宿みたいな場所だ。
話の流れ的に、あそこに行けばバトミントンがあるという事なのだろうか。
「そういえば、さっきあそこからラケット持って出てくる人がいました。レンタルしているんでしょうか?」
「……みたいだな」
話しているさ最中も、若いカップルがラケットを持って宿から出てきた。
購入してるかどうかはさておき、あそこにラケットがあるのは間違いないだろう。
「仕方ない。それじゃバトミントンをやってからお昼にしますか」
ここにきて初めて折れた雀。
流石の彼女も、自分より年下の人間には弱いようだ。
「そうだな。それで丁度良い時間になるだろ……よし雀。お金渡すから二人で行って来い」
態度は偉そうに、ベンチから全く動く気のない龍樹。アスレチックで頑張りすぎて、バトミントンをやる体力は最早残っていない。
しかし雀にそんな事は関係なかった。
「は? 何言っってるんですか。龍樹さんも来なきゃいけないに決まってるじゃないですか」
「なんで決まってんだよ……」
眉間に皺を寄せる雀。こいつはどうしても俺に休ませる気はないようだと、龍樹は嘆息する。
「バトミントンだったら二人で出来るだろ。俺はもう無理だ。ギブアップ」
本当に疲れている龍樹は、更に気だるそうな格好になり、天を仰ぐ。雲の少ない今日は青空がよく映え、見ているだけで清々しい気分になれる。
「駄目ですよ、三人いなきゃ」
立ち上がりベンチの裏手に回った雀は、龍樹の顔を覗き込み視線を遮った。
せっかくの青空が全く見えなくなってしまった龍樹は不貞腐れた顔をする。
「……別にいいだろ俺がいなくても。それに三人になったら金銭的な面でも余計なんだよ」
「バトミントンするぐらいそんなに変わらないですよ。ほらミレーナちゃんも待ってますよ」
「あん?」
雀の言葉に反応し、前を向き直す龍樹。見ればフリスピーを腕に抱えたミレーナがこちらをジーと見つめている。
「ねえ。ミレーナちゃんもこのお兄ちゃんがいた方がいいよね」
龍樹に指をさし問う雀。
流石にそれだけでは伝わらないだろうと思いきや、今の一連を見て考察したのか、ミレーナはこくりと頷いた。
勘違いという可能性も無きにしもあらずだったが、ここまで避けられた身としては結構嬉しい。
それにしてもジェスチャーで結構伝わるものだなと、龍樹はちょっと感動する。
「いや、でも駄目だ。もうへとへとで動けない」
しかしそれはそれはこれはこれ。
動けないというのはあながち嘘ではない。最初の関門があれという点から想像した通り、その後のアスレチックも結構な難度を誇った。
それを意固地になって全力で行うものだから、身体が悲鳴を上げるのは当たり前だった。
逆に雀がなぜこんなに涼しい顔をしているのか不思議なくらいだ。
「悪いけど今回は二人で行ってくれ。俺はここから見守ってるから」
「見守ってるって、龍樹さん何かに見守られても何も変わりませんよ。ほらあそこの家族。あっちのカップルよりも楽しそうでしょ。それはなぜか。理由は簡単です。数が多いからです」
「安直過ぎだろ……」
家族とカップルとの結構距離があるためよく分からないが、そんなのはさじ加減でしかないだろう。
仮に家族の方が楽しそうにしていたとしても、数の問題ではないはず。
カップルの方はまったりと遊びたいだけだろうし。
「という訳で行きますよ龍樹さん」
「……行かない」
この期に及んでも動こうとしない龍樹。なにが悲しくてこんないい天気の日に労働せねばならないのか。彼のものぐさな部分がここで出る。
雀も雀でひかないが。
「行くんです」
剣呑な表情にさえなる雀。
こうなっては根競べだ。
「行かない」
「行く!」
「行かない」
「行く!」
「行かないったら行かない」
「行くったら行く!」
「じゃさっきの願い一つ聞く件はそれでいいな?」
「行っ、え? ……そ、それは駄目です」
駄目なのかよ。
てっきり『それでいいです』と言うかと予想していた龍樹。
本気で何を要求されるかが心配だ。
まああまりに理不尽な内容だったら断ればいいだけか、と深く考えないことにした。
その後もぐぬぬと睨み合う二人。
互いに譲る気はない。
最早バトミントン云々では無く、意地の張り合いになっていた。
それを傍らで静かに見ているミレーナ。言葉の分からない彼女に取ってその光景は余計に不安を煽るものだろう。
「……ん?」
と、睨み合っていた二人は何かに気付き、そちらを向く。今までミレーナの傍らで寝そべっていたニーナがのそりと起き上がり、龍樹達の元へとやってきた。
正確には、ベンチに腰掛け動こうとしない龍樹の足元に。
「何だ?」
ニーナは足元までやってくると、身を翻し、龍樹にお尻を向けた。
その行動に龍樹のみならず雀も不思議そうな顔をする。
なぜニーナがそんな行動を取ったのかは、すぐに分かった。
ニーナは後ろ足を大きく上げると――龍樹の足元でおしっこをし始めた。
「おわ!?」
焦る龍樹。とっさに足を上げて直撃は免れたが、もしかしたらちょっと掛かったかもしれない。
まさかの放尿に戸惑う彼とは対照的に、雀とミレーナは大喜びだ。
二人とも腹を抱えて笑っている。
あの大人しいミレーナすら人目を憚らず、大きな口を開けている。
「あはははははっ――ほら、ニーナも怒ってるじゃないですか。こりゃ早くしないと今度は大きい方をされるかもしれませんよ」
目に涙すら浮かべ笑う雀。それを指で払いのけると、改めて問う。
「どうします龍樹さん? バトミントンをするか皆から嫌がらせを受けるか。まあ私だったら迷う事無くバトミントンを選びますけど」
憎たらしい笑顔を浮かべる雀。
そりゃそうだろう。
彼女はそもそもバトミントン推奨なのだから。
それはさておき、大きい方をされるのは確かに嫌だ。
「はぁ―、分かった分かりましたよ。行けばいいんでしょ」
大きく息を吐き、ようやく観念する龍樹。
結局流されてしまう自分が嫌になる。
「ただし、三十分くらいだからな。それ以上は何があろうとしない。これが条件だ」
「はいはい分かりました。じゃ早く行きましょう。時間が無くなっちゃいます」
「……本当に分かってんのかよこいつ」
毎度のことながら適当な返事。
きっとその場しのぎなこの女の事。
三十分という制約も『あ、忘れてました』の一言で済ませかねない。
(まあ、自分が覚えておけばいいんだけどね)
それにしてもと龍樹は思う。
ちらっとニーナの方を見る。
あのタイミングであの行動。流れてしまっているが、よくよく考えれば出来すぎなタイミングだ。
元は祖父の狩猟パートナーだったらしいが、彼が亡くなって身寄りが無くなった時にアルファーノ家が引き取った格好だ。
聞けばニーナとミレーナは四六時中一緒にいるらしい。
ほぼ毎日、幼稚園に行く時以外はずっと一緒で、ミシェルいわく唯一心を開けている存在との事。
だから、言葉は分からずとも意思の疎通ぐらいなら可能なのかもしれない。
犬を飼ったことがないので、果たしてそんな事が可能なのかは分からないが。
「さあさあ龍樹さん」
「ん? ああ」
腕を引っ張ってくる雀。
アグリトゥリズモに行ってバトミントンをレンタル。
そうして遊びを満喫した頃には、ミレーナの警戒心もすっかり無くなっていた。
夕方。
時刻は五時を過ぎたところ。
夕日が明確な色を表し始めた頃、丘広場から段々人が消えていく。家路に着くためにこの場を後にしているのだ。
自然豊かなこの公園で、結局一日中遊びまわった龍樹達。ここに来たのは朝の十時。つまり八時間近くここにいた計算だ。
アスレチックにバトミントン。バードウォッチングがてら森の中を軽く散歩もした。
今日一日流す感じで接するつもりだった龍樹としては、まさかのハードスケジュールにくたくただ。
今も帰らなければならないのに、ベンチから動けない。
「そろそろ帰りましょうか」
ミレーナ達と遊んでいた雀が戻ってきた。その顔はやはりケロッとしている。向こう側にいるミレーナもニーナと遊んでいるし。
皆若いな。
冗談でもなんでもなく本気でそう思いつつ、龍樹は雀へと返答する。
「そうだな。アテナも戻ってるかもしれないし、帰るか」
「結局彼女からは何も聞けませんでしたね」
言いながら、雀は彼女ことミレーナの方を見る。
ニーナと一緒に花を摘んでいる。頭には先程作った花飾り。それと同じものを作り、ニーナの頭へと飾ろうとする。
ニーナはそれを察してか、自ら首を下げそれを受け入れた。
その姿はまさに年相応の可愛らしい女の子だ。
「本当に何も知らないのかもな」
「……どうでしょうか」
龍樹の意見に、脳天気な雀はまさかの反応。こういうところは以外にシビアだ。
「仮にそうだとすれば、考えられるのは記憶の損失でしょうね。気付けばあそこにいて、みたいな」
あえて言葉を濁す雀。その理由は龍樹にも何となく分かった。
血だらけで、傍らには死体。
悪い予感がしないはずない。
「……まあその辺も含めて、早く帰るか」
重い腰を上げる。
身体全体に早くも痛みが出始めていた。
こりゃ明日は地獄だな。
例の件と同時にそんな下世話な事を思いながら、ミレーナ達に声を掛け家路に着く。




