事態は刻々と
「やあお帰り」
アルファーノ家についた頃にはすっかり辺りが暗くなっていた。
それでも龍樹達と一緒にいるということで何一つ心配していなかったらしく、夕食を用意し待っていてくれたダニエル。
すでにミシェルもそこにいて。
そしてその隣にはアテナも居た。
「おかえり。今日はありがとうね、ミレーナを見ていてくれて」
食卓に頬杖を付き淡く笑うミシェル。それを訳してもらった龍樹。
「いやあ……泊めてもらってますから」
謙遜ともいえない反応。
宿泊させてもらってこれだけの食事。疲れたとはいえ、まだまだ恩は返していないだろう。
「まあ座りなよ。今日はごちそうだ」
ミシェルに促され、席につく龍樹と雀。食卓を見れば前菜にステーキ。確かに豪勢だった。それは朝雀が要望したものを考慮してくれたのだろう。
「うわああ。私もう、この家の子になりたいです」
感動したと言わんばかりに胸の前で手を組み、ぱああ、と瞳を輝かせ、喜ぶ雀。要望した食べ物を出してもらってそこまで言うのは多分こいつくらいだろう。
我慢できないのか、急いたように席に付こうとする。
それに倣った訳ではないが、龍樹も椅子へと腰を落ち着かせようとする――その最中、
「何か分かったのかよ」
座る動作の中、出来るだけ自然に、小声で問い掛ける龍樹。それは周りを考慮してのものだ。日本語が分からないとはいえ、こういったデリケートなものはどうしても慎重になってしまう。
「まあね」
龍樹が席に座ると同時に、アテナは返答した。ここまで二人は視線を一度も合わしていない。
「ほぼ確信は持っているけど、完全とは言い切れない。そこは色々と確認を取らないと」
「……確認?」
ここでようやくアテナの方を見る龍樹。お腹が空いているのか、彼女はすでに食事を始めていて、ナイフとフォークを駆使し、礼儀正しくステーキを切り分ける。
そして節目がちになりながら龍樹にこう言った。
「とりあえず、その話は後にしましょう。今は食事の時間だから」
帰ってきた時間も遅いとあって、食事を終えた頃にはすでに十時近くなっていた。
今日の一件でミレーナと雀の仲は更に深まり、さっきも一緒に風呂に入るほどの親密ぶりだ。
台所ではミシェルとダニエルが仲良さげに食器を洗っている。カタカタという食器が擦れる音に紛れ、話し声も聞こえてくる。
本当に愛し合ってるんだろうな。
他の二組と比べ決して仲睦まじい状況でない龍樹としては、複雑な気持ちで食器を洗うその背を見る。
「それで、確認ってどういう事だよ」
誰にも聞かれる心配がなくなったと確認し、隣にいるアテナに話し掛ける。
アテナはいつものように起伏のない調子で答えてくれた。
「あの死体の周辺を掘り起こしてみたの」
死体とは、血を被ったミレーナの傍にあった死体。寒さに体を震わせていたミレーナを保護している最中、あの後アテナは龍樹に携帯を借りその死体を照らしていた。
恐らくは状態を調べていたのだろう。
しかし持ち帰る訳にもいかず、ミレーナの事もあるので、死体はとりあえず見つかりにくい場所に埋め戻ることにした。
太陽で辺りも明るくなった朝、それを確認しにいったのだろう。
「あの死体の他に二体、近くに埋められていたわ。そしてその死体にはどれも鋭い牙で食い千切られた形跡があった。もちろん、昨日の死体にもね」
「……その二つの死体もミレーナちゃんが埋めたのかな」
「恐らくね。土の盛りがそのままだったし、死体の大きさも気になる。町で見つかったっていう死体は小さな体躯では運べなかった、と仮定すると一応辻褄は合う」
嫌な事を淡々と、無表情で言うアテナ。
しかし有り得なくはないだろう。むしろ、今の話を聞いた龍樹は、最早その気しかしなくなっていた。
「となると、あの動物を殺したのはミレーナちゃんが……」
「さあ……どうかしら」
冷淡だった横顔に、一瞬だが影が見えたのを龍樹は見逃さなかった。
「不幸か幸いか、それを示すような証拠は見つかっていない。あの噛まれた傷にしたって、相当の力で肉をえぐられている」
「……じゃ可能性は低いって事か」
なんだかよく分からないが、ひとまず胸を撫で下ろす龍樹。
それも束の間、
「そうね。……彼女である可能性は、ね」
何やら意味ありげなアテナの発言。それが何を意味するのか龍樹には分からない。だが、あまり良い予感はしないような、そんなイントネーションだった。
「実を言うとある程度の目星はついていてね」
と、アテナの口から飛び出したまさかの発言。思わず龍樹はえ? と大きな声を出してしまう。
「まじかよ。じゃあの動物たちを殺した犯人、分かってんのか?」
「言ったでしょ。まだ確信は持てていない。だから今晩辺りにその可能性が正しいかどうか確かめる必要がある」
台所からは水が流れる音と、皿がかしゃかしゃと擦れる音がする。使っているところ以外の電気は消してあり、それは庭の行灯を引き立てる格好となり、果たして倹約家なのかどうかよく分からない。
アテナは天井を見上げた。首はほとんど動かさず、碧眼だけをぎょろりと上に向ける。
そして一言、こう呟く。
「あの子はもう寝たのかしら」
午後零時。
龍樹は布団に入り、瞼を瞬かせていた。
場所は物置あらため寝室。
アテナはこれまで同様壁にもたれ掛り、雀は疲れたのかすでに眠っている。
滞在三日目。時差ぼけにも慣れてきたし今日は身体も疲れているのでぐっすり眠れる。
そう思っていた龍樹だったのだが。
「……なあアテナ」
龍樹は呼び掛ける。
名を呼ばれた女は目を淡く開け、
「何?」
と反応を示す。
龍樹は天井を見上げたまま、
「さっき言った話、本当なのかよ」
「だから言ってるじゃない。あくまでも可能性だって」
「いや、でも今一番ありえそうな可能性だ」
上半身を捻って寝転がり、アテナへと向き合う龍樹。
「そう考えれば全部繋がる。あの死体の件もミレーナがあそこにいた件も。なんで知らないなんて嘘を吐いたのかも」
アテナから聞いた話。
例の家畜殺しの正体。それが犬のニーナではないかという説。
「だけど、あんなに大人しい犬がそんな事するのか? 犬はそんなに凶暴じゃないくらい俺にだって分かるぞ」
そうじゃないと思う気持ちと、そうだと思う気持ち混合する。
辻褄は合うが、どうにも信じがたかった。
ジレンマを抱く龍樹。
野犬ならまだしも、あの落ち着いたニーナが他の動物を噛み殺すなんて……
「その件についてはどう思う?」
先生に質問する生徒のような感じだった。すぐに他人の意見に乗っかろうとするのは彼自身駄目な事だと分かっている。自分で考えようともせず、しかしもやもやするのは嫌なのだ。
意識は他の所に向けられているのか、アテナは妙な間を空けてから、
「私は別にどうも思わない」
と言った。
「ニーナは元狩猟犬よ。レトリバーだから直接襲う機会は無かったのかもしれないけど、その根底には野生の勘が備わっている。まあこの際性格なんてものは関係ないと思う。さっきあなたに話してもらった今日のニーナについてを考えると、例え彼女だとしても本望ではないだろうし」
そう。
先ほどニーナについてちょっと訊かれた。
その立ち振る舞いはどうだったのか。何か変わったところは無かったかどうか。
やけに賢かったとは述べたが、特に変わったところはないと返答した。
それをアテナがどう取ったかは知らないが。
とにかく、それらを踏まえた上でニーナの線は濃いという。
「確率的には何パーセントくらいなんだ、ニーナが犯人だって言うのは?」
「さあ。確率的に言えばハーフハーフじゃないかしら。明確な証拠がある訳じゃないから。ただ今導かれる可能性がそれだけであって、一つ一つ試していかなければいかない状態なだけ」
「……そうなのか」
それを聞いて、龍樹はちょっと安心した。
今の話を聞いた限り、これと言った物的証拠がある訳ではないらしい。もし仮にニーナが家畜殺しの正体だとすれば、周りがどう対処するのは分からない。
元よりあの仲が良いミレーナはショックを受けるだろう。
いや、しかしよくよく考えれば、あのミレーナが関わっている可能性も高いのだった。
となってくると、ますます怪しくなってしまう。
例え他の理由でも、ミレーナが関わっている事は最早請け合いで、つまりそれは――
その程度考えるだけで、頭が混乱してきた龍樹。何がなにやら分からない。分かりそうなのに分からない。そうなってくると、これまで同様考えるのを止めたくなってしまう。
と、持ち前の悪い癖が出る龍樹を知ってか知らずか、
「あまり気にしなくてもいいわよ」
アテナがそんな言葉を口にする。
「私の勘違いな可能性だってある訳だし。あなたも今日は疲れたでしょ。後は私が何とかするから、先に寝ていていいわよ」
気をもんでくれたのは、なんとなく分かった。いやただ単に邪魔なだけなのかもしれないが、ふむ、なんにしてもと龍樹は考える。
確かに凡人があれこれと頭を捻ったところで、だ。
そう考えれば、もういっそ寝てしまった方がいいのだろうかとも思ってしまう。
寝て起きれば全てが解決している。
理想の展開だ。そうなれば何がどうなったのかを訊けばいい。疑問なんてものは、解明されればなんて事はないのだから。
でもそれでいいのかと、人間には柄になく考える時がある。
まあ良いも何も、やっぱりどうしようもないのだが。
「……」
そういえばと、龍樹はここである事に気づく。
この際だからそれを訊いてみようと、口を開こうとしたのだが、
「しっ」
と、突如アテナが口に指を当て、静かにするよう促してきた。
思わず息すら止める龍樹。
窓から差し込む月明かりが照らす暗闇の中、彼女はゆっくりと立ち上がろうとする。
「(……どうしたんだよ?)」
掠れるような小さな声で問うてみた。
するとアテナは立ち上がる途中で静止したまま眼を動かし、何かを確かめる間をあけこう言った。
「動き始めたかも」




