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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアへようこそ
105/261

幼き少女が見たモノは

気温十二度。

肌寒い夜の街を、少女は駆ける。

おぞましいという理由で赤いコートは洗濯されてしまったので、出来るだけ汚れの目立たない茶色い服を選んだ。

白い息を吐き散らし、小さな体躯を目いっぱい振りながら、人気の少なくなくなった街を少女は走り抜けていく。

 オレンジ色に輝く世界。

 霧に溶ける明かりはライトピラーのように伸び、いかに霧が濃いかをしめしていた。

 今までこんなに夜遅く外を出歩くことがなかったので、最初はその綺麗さに驚いたものだ。

 しかしそれが一層不安を駆り立てる。

 時間も時間だけに、大人に見つかれば保護される可能性もあるというのは、幼いながらも分かっていた。

 しかしそんな事は気にしていられない。

 一刻も早く駆けつけなければ。

 そして今日こそは絶対に突き止めてみせる。

 小さな体に確固たる強い意志を宿しながら、懐から携帯のようなものを取り出す。

 その正体はGPS受信機。

 一般的にはドックマーカーと呼ばれるもの。

 幼い子供が面白がると思ったのか、昔祖父が使い方を教えてくれたので知っていた。

 優しい彼女に配慮してか本来の使い方は教えなかったものの、よくこれを使って森へと探検しにいったものだ。

 それが役になっている。

 大きな森を走らせて、ただそれを追いかける。

 単純で何の意味も無かったが、祖父と一緒によくした好きな遊び。

 今もそれと同じ要領。

 違うのは楽しんでいないという事と、その速度が異常に早いということ。

 受信機に表示される目標との距離がぐんぐん広がり、自動的に地図の範囲が広がりを見せる。

 小さな子供の足だからという事もあるかもしれないが、しかしどうする事もできない。

 他人に知られればどうなるか。

 具体的に分からない故の怖さがある。

 親だって例外ではない。

 だから寝たふりをして、二人が寝静まるのを待った。そもそもそんな事をする理由が分からない二人の目を盗むのは簡単な事だったのだろう。

 雀とかいうお姉ちゃんも今日は一緒に寝ようといってくれた。

 ずっと一人だったので本当は一緒に寝たかったがそこは我慢した。

 寝ればきっと夜に抜け出すのがばれてしまうからだ。

 まだ知恵の浅い少女が行き着いた、単純な行動原理。

 夜な夜な抜け出す友達が何をしているのかは分からないが、例の事件と何か関係があるのではないかと推測できるほどには彼女も成長している。

 その止め方だって具体的なプランはない。

 ただ、標的は一時期だが止まる。

 発信機を取り付けてからのこの三日間はずっとそうだった。

 それが何を意味するのか。

 初めは分からなかったが、いや正確に言えば今も分からないのだがとにかく、

 地面に転がる動物の死体。

 その側に居たのは、紛れも無く自分の大好きな犬だった。

 大きく毛むくじゃらな姿も、のんびりと歩く様も、いつもと何も変わらない。

 なぜ彼女がそこにいるのかは分からない。

 ただ見識の狭い少女ならこう思ったはずだ。

『私の大好きな犬がこの動物たちを殺しちゃったんだ』と。

「……止まった」

 そして今日も一定の場所で標的は止まった。

 場所はここから歩いて十分といった所だろうか。

 はあはあと息を荒げ、その受信機を一心に見つめる。

「……よし」

 普段の彼女からは想像もできないだろう。夜の街に一人で繰り出し、巷で噂になっている凶悪な事件に首を突っ込もうとしている。

 しかし、勇敢な少女に迷いは無い。

 本当は信じていたい。たまたま散歩で外を出歩き、たまたま事件現場の近くにいたという、都合の良い展開を。

 妙な事件のせいで自分の家族が疑われるなんてたまったものではない。

 絶対に今日こそは真相を明らかにしてやると、少女はもう一度心に誓い、足を再始動させる。

「ちょっと君」

 その声にハッとする。

 受信機に向けていた視線を、恐る恐る上げる少女。

 紺のコートを羽織り、懐中電灯をこちらに照らしてくるその者は――

 二人の警官だった。

 傍らには黒い毛並みの凛々しそうな犬もいる。穏やかなニーナと違い目が鋭く、筋肉もあるので、少女は少しばかりたじろいでしまう

 犬の手綱を持つ警官Aが話しかけてくる。

「君はまだ子供だよね。こんな時間にこんな所で何をしているんだい?」

 当然の質問だろう。

 しかしどう言い訳を探しても出てこない。

「え……あの……えっと」

 心臓がばくばくする。その精で呼吸もまた荒くなる。逃げ出そうかとも考えたが、大人に足で勝てるわけもない、何よりも相手は警官だ。

 逃げれば逮捕だってされてしまうかもしれない。

 そうやって色々と考えているうちに、時間だけが過ぎていった。

 不審に思ったのだろう。より一層眉を曲げた警官Aはもう一人の警官Bに小さく何かを言うと、少女へと向き合った。

「とりあえず名前を教えてくれるかな? 後、住所かお家の電話番号は分かるかい?」

「……」

 黙りこむ少女。名前はもちろんの事、住所と電話番号も分かる。

 だが伝えてしまうとこの警官はすぐに家に電話するだろう。そうなれば両親に知られてしまう。昨日の夜に家を抜け出したのがばれた。今日の朝それで怒られた。不思議ともう抜け出すなよとは言われなかったが、二日連続はまずいだろう。

 警察にその事情を伝えれば見逃してくれるだろうか、などと都合の良い事ばかり少女は考える。

「……ジュース買いに」

「ん? なんだい?」

 掠れるような声を聞くために、警官Aは腰を折り少女の口元へ耳を傾ける。

 少女はなるべく怪しまれないように努力をしようとするが、

「ジュ、ジュースを買いに行くんです。だからすぐ戻るから、大丈夫です」

「……ジュース買いに行くの?」

 こんな時間に? と警官Aは続けた。

 少女はこくこくと頷いた。これ以上は言葉を発しないほうがいいだろう。なんとなくそう思っての頷きだった。

 もちろん、年端もいかない少女が吐いた薄っぺらい嘘なんて通じるわけもないが。

「へえー……そうなんだ」

 警官Aの反応は、明らかに信じていないものだった。いや信じる信じない以前に、ここはマニュアルに沿わなければならないのだろう。

 警官Bが無線機に何かを言うと、友好的な笑みを浮かべこう訊いた。

「とりあえず名前はなんて言うのかな?」

「……」

 黙りこんでしまう少女。

 いけない。このままでは怪しまれてしまう。そう感じとっているものの、同時にこの警官は名前を知ってどうするだろうかとも考える。

 いずれにせよ、少女には従うしかないのだが。

「ミレーナ」

「苗字は?」

「……」

「分からないの?」

「……」

 うん、という訳にもいかず、少女はまた黙り込んでしまった。警察官に嘘を吐いたら捕まってしまうかもしれない。かといって苗字を言ってしまえば、いよいよ両親に抜け出したのがばれてしまう。

 こういう場合はどうすればいいのだろうか。

 見つかりようのない答えを探していると、

「ちょっと一緒に来てくれるかな?」

 今度は真剣な表情で、警官Aはそう言った。

 こんな夜遅くに少女が一人で出歩くなんてただ事ではない。そう思ったのだろう。

 うろたえる少女。警官が怖い訳ではなく、両親が怖い――というのももちろんあるが、ここで忘れてはいけないのがもう一つ。

 家族同然の友達が近くにいる。

 その全貌を明らかにしたい身としてはここで捕まる訳にはいかないのだ。

「あの、もう帰るから」

 と言って、少女は踵を返し逃げようとする。

 その肩を警官に捉まれた。

「駄目だよ。こんなに夜遅く一人で帰るなんて危険だ。お兄さん達が送っていくよ」

 言葉こそ聞けば親切だが、今の少女に取ってはありがた迷惑に他ならなかった。

 どうせ家にまで送り届けたら親に言うに違いない。

 辺りに漂う冷たい風と警官のプレッシャーが、その小さな体躯に圧し掛かる。


「あら、こんな所にいたの」


 ふと、窮地に陥っている少女の耳に、そんな言葉が入ってきた。

 そちらを振り向く。見知った顔の女と男が、こちらへと歩み寄ってきていた。

「随分と探したのよ。全くどこに行ったのかと思ってしまったわ……こちらの方々は?」

 女のその声に、警官達は帽子のつばを整えなおした。それからきりっとした表情になり、警官Bが代表して述べる。

「いやあ。この女の子がこんな夜遅くに出歩いていたものだから呼び止めてたんだよ。えっと君達はこの子の知り合いなのかい?」

「ええ。友人の子供で。たまに抜け出すんですよ。夜の街並みを散策したいらしくて」

「それは危ないね。駄目だよ、夜は怖い人がいっぱいいるんだから」

 あやす様に語り掛ける警官B。戸惑いつつ、少女はこれまたこくんと頷いた。

 女は安堵のような息を吐いてから、

「昨日もそれで怒られちゃって。まあ、流石に今日は懲りたんじゃないかしら。見たところちょっと怯えてるみたいだし」

「それはいい。いいかいお嬢ちゃん。もし今度こんな時間に外へ出歩いていたら、お兄さん逮捕しちゃうからね」

 冗談じみた口調でそう忠告した警官B。少女はここも恐る恐る頷いた。それを確認すると女は淡く笑い、警官へと向き合う。

「すみません。後はよく言って聞かせるので」

 直接的ではないがそれはもう帰りますという暗喩。警官も警官で用事があるのか「ああそうだね」とそれを承諾する。

「じゃ悪いけど二人の名前だけ聞かせてもらうかな」

 手帳らしきものを取り出す警官B。

「いや別に疑っている訳じゃないけどさ。最近物騒な事件が起こってるから」

 本当に疑っているわけではさそうで、それもまた仕事上での流れなのだろう。

 そのやり取りをじーと眺める少女。

 この二人はどんな対応をするのだろう。

 少しばかり不安になりながら、自分の家に泊まっている少年と少女を見上げる。

 するとどうだろう。

 少女が口にしたのは次のようなものだった。

「ラウラです。アバーテ・ラウラ・こちらの彼は日本からの友人でそらのりゅうき」

「ラウラさん? どこに住んでいるんだい」

「ローマの方です。今日はたまたまこっちに用事があって身を寄せていたので」

 短い言葉。家にいた時もあまり喋らない人だったが、この場でもそれは当てはまるのだろう。

 ただ、名前は違っているような気がする。

 確か男の方がリューキとかいう名前なのは合っているが、女の人はアテナとかいう名前だったと少女は記憶している。

 疑問が解消されない間に、名前を聞いた警官Bは無線を使って何かをし始めた。

 今言った名前が本当かどうか調べているのだろうか?

 最早流れに身を任せることしか術のない少女はそう思った。

 その間を埋めるように警官Aが色々と話を聞いていると、

 照合し終えたのか。

 警官Bがまた会話へと戻ってきた。

「今確認が取れた。ラウラさん。君は明日学校じゃないのかい?」

「ええまあ。ちょっと遠くなるけど、場所はここからでも向かえるので」

 だから早く帰って寝ないと。

 女はそう言った後、「あ、それと」と何かを思い出したように。

「さっき妙な人物を見ました。この先の道沿いで何かを探しているような人が。明らかに辺りを警戒していて、怖くて近寄らなかったですけど」

「何だって」

 警官の表情が一瞬にして強張った。

「場所はすぐそこかい?」

「いえ、結構向こう側です。通りを超えた所あたりで。あ、もしかしたら最近話題になっている家畜殺しかも」

「ああ、そうかもしれないね。それで、その人物の特徴をもうちょっと教えてくれるかな」

「えっと、ごめんなさい。怖くてあまり見ないようにしてたので」

「そうかい。……今日泊めてもらっている家はここから近いのかい?」

 明らかにせかせかし始めた警察官達。警官Bに至ってはすでに無線機に何かを伝えている。

「はい。一応ここから歩いて十分かかるかかからないか、ぐらいだと」

 ん? とその言葉に少女は引っ掛かる。

 泊めてもらっている家というのは自分の家だろうと推測する。

 歩いて十分。もうちょっと掛かると思う。とはいえおよその目安だろうから、そこまで疑問に思う必要はないだろうし、ましてや口にする気など毛頭なかった。

 かくして、家の距離を聞いた警官は、

「そうかい」

 となんとも軽い調子の反応だった。

「それじゃ、とりあえず家まで送るよ」

 セオリー道りの展開。その言葉を聞いた時に一番焦ったのは間違いなく少女だろう。

 このままでは万が一にも親に知られないという可能性が消えてしまう。

 どうにかならないものかと、声にならない声を上げた少女だったが、

「気遣いは嬉しいですが」

 金髪碧眼の女が、何かを言い始める。

「大丈夫ですよ。そちらさんもまだ仕事中でしょうから。家も本当にここからそう遠くはないですし」

「しかし何かあった場合には」

「その為に彼に付いてきてもらったので」

 その発言に一同、渦中の人物を見る。

 突然自分へと集まった視線に、言葉の分からない彼は少しびくっとしていた。

「な、なんだよ……」

 日本語で驚きを表現したようだ。

 そしてそんな彼を置いてけぼりにする形で話は進み始めた。

 少女の客観的な見方だが、昼間の件といいこの男の人は扱いが雑な気がすると思った。

「……本当に大丈夫かい?」

 恐らく警官Bはその体格を見てそう言ったのだろう。

 見たところその男は身体を鍛えているわけでもなさそうだし、身長も特別高い訳でもない。

 警官が心配になるのも当然だろうと幼いながらも少女は納得する。

 女の人はひどく信頼しているみたいだったが。

「大丈夫。その為に彼に付いてきてもらったんですし。ここで二人に送ってもらっちゃうと失礼でしょうから」

 男性としてのメンツを保たせるのがそんなに大切な事なのか。

 それが意味するものさえも分からない少女にはちんぷんかんぷんな話だが、とにかく警官はそれで納得したようだ。

「分かった。それじゃ私達はこれで。気をつけて帰るんだよ。寄り道は絶対しないように」

「はい。すみませんでした、迷惑をかけて」

 警官達は足早にこの場を後にしようとする。

 去り際、リューキの前へと立つとグッドラックと指を立てた後、警官二人は怪しい人物が居たという方面へと小走りで向かっていった。

 言葉が分からなかったからか、なぜ親指を立てたのか分かっていない様子のリューキ。

 それを確認しているのか彼はアテナに話しかけている。日本語だったので少女にその内容は分からなかったが、遠くはないだろう。

 えてして、アテナは少女へと向き合った。相変わらずの冷たい目で、何を考えてるか分からない瞳が底知れぬ威圧感を与えてくる。

「さて」

 彼女は本来の言語であるイタリア語でこう言った。

「それじゃお話をしましょうか」

 抑揚というものを感じさせない女の言葉に、少女はびくっと震えた。


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