彼の役割
一体何を話しているのだろうか。
アテナはこの場に着いてからというもの日本語を話さないので、龍樹としても置いてけぼり感が半端ない。
さっきの警官も去り際になぜか親指を立ててきたのでちんぷんかんぷんだ。
いまだミレーナに何かを話しかけるアテナ。
当然その内容なんてものは分からないし予想だってつかない。
一体全体何がどうなっているのか。
ただ分かるのはまたミレーナが家を抜け出したということ。
やはりニーナの件が関わっているのだろうか。それにミレーナが手にしているあの機械は一体――と、そこまで龍樹が思考を巡らせた頃に。
ミレーナの顔が強張った。寒さからだとかそんなものではなさそうだ。何か恐怖を感じた時にするように、唇を噛み締めている。
その光景はまるでアテナが追い詰めているようにも見て取れた。
やがてミレーナは振り絞るように何かをぽつりと言った。それを聞き取るとアテナは振り返り、彼女から視線を外す。
話が終わった様だ。
「何の話をしてたんだよ?」
すかさず龍樹は訊く。
珍しく彼女もそれを伝えるつもりだったのか、龍樹の目前で立ち止まり、
「やっぱりニーナが怪しいわね」
と言った。
「……その根拠は?」
「この三日間、不特定だけどニーナが立ち止まる場所があって、そこに行くと動物の死体が転がっていたそうよ」
「ミレーナちゃんがそう言ってるのか?」
「ええ。あの子が手にしているのは狩猟なんかでよく使われるものでね。狩猟犬の位置を把握するために、随時GPSを使って場所を特定するもの」
「……それをニーナに付けていたって事か」
そういう事、とアテナは言った。
だとすれば確定的ではないかと龍樹は思う。
立ち止まっていた位置に死体は転がっている。しかもその場所自体は不特定。
そしてそのドッグマーカーがあるという事は具体的に何を意味するのか。
頭の悪い彼にだってそれを理解するのに二秒とかからない。
「よし、じゃやる事は決まってるな」
「ええそうね」
珍しい同意。
思えば今だってここにいるのも不思議だ。
いつもの彼女なら危ないから家にいなさいとか、邪魔になるから来ないでだとかそんな事を言っただろう。
しかし今回はそういった、いわゆるお邪魔扱いはなかった。
ミレーナの足音を聞いてそれを尾行しようとするアテナに付いていくといった際も二つ返事で頷いた。
当時は全然疑問に思わなかったが、思い返してみるとこれはかなりの進歩だ。
もしかしたらちょっとぐらいは信用し始めてくれたのかもしれない。
この有事に家で寝てるような雀よりも役に立つと判断されたのかもしれなかった。
「ところでアテナ。その肝心なニーナの場所はどこなんだよ。今もドッグマーカーにそれが表示されているんだろ」
「まあ。場所はそう遠くない。おまけに今は立ち止まっている」
「何だって」
驚きを隠せない龍樹。
「まずい。それじゃ早く向かわないと」
立ち止まっているそれすわち。
動物を襲っている可能性があるという事だ。
だというのに、肝心のアテナはというと、
「ええそうね」
と急ぐ様子は無かった。
これには龍樹も不審感を露にする。
「ええそうねって、何だよ、お前にしてはやけにのんびりしてるじゃねーか」
「まあ……向かいたいのはやまやまなのよ。ただ、その前に色々と下準備はしないと。霊痕が残っていたというこれまでの経緯を考えると、今回の相手は霊的存在。褐色の男の時がいい例だと思うけど、本来の対処法を踏めばあそこまで手こずる必要は無かったの」
「そうなのか……」
彼女の言い分を正しいとすると、確かにそうだろう。
目標がそこにいるからという理由だけで向かうのは無鉄砲だ。
ちゃんと出来るだけの事をする。
きっと暴力が横行する裏世界でも百年近く生きてこれたのは、そういう心構えがあっての事だろう。
「んで、どうするんだよ」
今後のこと。下準備しなければといったからには、その具他的なプランも浮かんでいるのだろう。
アテナは考える間を空けることなく、
「実は昼間、神父に昨日の件を伝えていてね。今晩ミレーナを尾行する事も伝えてある。まさかドックマーカーを付けて追っているとは思わなかったから、何かあり次第連絡をいれるとはいってあるけど」
「そうか。じゃ今から神父に連絡を入れてから現場に向かうんだな」
「そんなところかしら。いつまでその場に留まっているのかは分からないけれど、専門の人間がいた方が色々と助言も請えるし」
「神父さんは今教会にいるのか?」
「多分ね。だから連絡をいれるよりも直接向かった方が早い」
「……」
あーそっか、と龍樹は納得する。
こいつ携帯持ってないんだっけ。
だからわざわざ連絡一つ入れるのにも手間が掛かる。
完璧な人間はいないとはよく言うが。
この場に置いてその手段しか取れないという事は、最早そういうアナログなところは直せないのだろう。
「まあ方針が決まってんなら話は早いだろうけど……じゃ早く行こうぜ。こうしてる間にも動物が襲われて、それが人に見つかるのも時間の問題だろ」
「ええまあそうだけど……もしかして付いてくるつもり?」
怪訝そうな顔で、そう訊いてきたアテナ。
つもりもなにも、それ前提で話が進んでいたと思っている龍樹。
だが今の反応を見るに、どうやらそれは違うようだ。
「なんだよ。付いていったら駄目なのか」
「駄目に決まってるじゃない。あなたはミレーナを家に送り届けて」
そうだった。
全然考えが及ばなかったが、恐らくは血なまぐさい場所へと五歳の少女を連れて行くわけにはいかないだろう。
「……なんだよ。それで今回俺が付いていくっていっても何も言わなかったのかよ」
「それもあるけど。まあこんな時間でも警官の数が多いだろうとは予想が付いていたからね。女一人で歩いているとなると色々怪しまれちゃうかもしれないし」
とんだピエロだ。
ようは利用されたのだ。警官に声を掛けられた際に彼がいるので大丈夫だとか何とか言ったのだろう。
そう考えれば、あのグッドラックも辻褄が合う。
全てを察し、むくれる龍樹。
やはりまだまだ子供と思われているようだ。
いや彼女の場合は一般人かどうかを見ているのかもしれないが。
「だとしても案外あっさりしてたな。日本じゃ十七でも補導されるってのに」
「そこもお国柄じゃない。一応イタリアでは十八で成人に見なされるし」
「え、そうなの」
「そうよ。十六からお酒だって飲めるんだから」
「マジか……じゃ俺も飲んでいいってこと」
「駄目よ。そこは日本のルールを守りなさい」
下世話な話も、適当なところで切り上げ。
「さあ。それじゃ私はもう行くから。ちゃんと送り届けるのよ」
「……分かってるよ。そっちも気をつけてな」
考えるまでもなく適正な処置だろう。
現場に行き会ったところでどうすることも出来ない。ましてやミレーナをこのまま連れて行く訳にもいかない。
かくして、アテナは腰を落としミレーナへと視線を合わせ、一言二言何かを告げた。すると渋りながらも、ミレーナはその手からドックマーカーをアテナへと手渡す。
受け取ったアテナは立ち上がり、今度は龍樹へと視線を合わせる。
「それじゃお願いね」
無表情で、そう告げられた。
ああ、と龍樹が返事をするとアテナは身を翻し、恐らくは教会へと走って向かった。
極寒の街に残された龍樹達。
午前一時はそれなりに遅い時間なので、気温も合いまり人もまばらだ。
今は春だというのに虫の鳴き声一つせず、変わりに風が建物を駆け抜ける音が耳につく。
「……じゃ帰ろうか」
と、反射的に手を差し出す龍樹。
しかしここであっ、と気づく。
うっかりその辺りにいる五歳児として扱ってしまい、手を差し出してしまった。
極度の人見知りな彼女の事。きっとこの手も取らないだろう。
そう思い至り、手を引っ込めようかと考えた龍樹だったが。
意外や意外。
ミレーナは迷うことなくその手を掴んだ。彼女の冷たい体温が手の平越しから伝わり、若干だが震えているのが分かった。
それが寒さによるものか恐怖によるものか。
いずれにせよその小さな身体に負荷が掛かっているのは間違いないだろう。
目を瞑りう~んとうなり、渋い表情で龍樹は考える。
(なんだかなあ……)
こんな時はどう接してあげればいいのだろう。
経験の浅い彼には分からなかった。
会話できれば色々と気を揉む事が出来るのだが、言語が分からない以上それも出来ない。
(……とりあえず連れ帰るか)
今出来る事はそれしかない。
その内に秘めた不安を手の平越しに感じながら。
オレンジ色の明かりが照らす街道を背に、龍樹達は歩き始める。




