高度1万メートルの攻防 ~投げかけられる詰問~
エコノミーと同じく占領されたビジネスクラス。
何やら他のテロリストが集まっていたギャレーのある廊下を抜け案内されたのは、この機で一番高級と思われるクラスだった。
造りはどれも最新鋭で、客席も少ないのでその分面積も広く、天文科学館にあるよりかは小さいながらも、驚いた事にプラネタリウムも完備されていた。
そんな謁見の間には、一人の男が偉そうに座っていた。彼の前にある机には、何やら資料のようなプリントがばら撒かれており、それを一枚一枚入念にチェックしていっている。
誰が言わずとも分かる。
このテロ集団のリーダーだろう。
龍樹はそこへと連れて行かれた。
龍樹が傍に来ても、男の反応は薄かった。しばらくの間考え込むように沈黙した後、やがて、男は視線をプリントに当てたまま、口を開く。
「やぁ少年」
「……」
随分と流暢な日本語だった。そういえばこの男はハイジャックの際日本語で乗客にその旨を伝えていたと、龍樹は思い出す。
「済まないね。せっかくの旅行なのにこんな事に巻き込んでしまって」
「……いえ」
リーダー格の男の言葉に、龍樹は怪訝な顔をする。
気味が悪かった。見え据えた、薄っぺらな憂慮。
まさか、そんな謝罪の言葉をわざわざ伝えるために呼んだわけでは、ないだろうに。
予想通り、男の声色に威圧が混じった。
威嚇する様に下から睨み上げ、
「イタリアにはなんの用事で行くんだ?」
と言った。
「……なんのって」
悪魔を祓いに、といって信じてくれるかどうか考える龍樹。考えているうちに、リーダー格の男はまたプリントに目を配り始め、言葉を放つ。
「ただの観光旅行か、それともホームステイでもするのか、親とケンカして家出したなんてのも面白いな」
プリントを漁っていた手を止め、男は顔色を窺うように龍樹へと視線を当て、
「もしくは――他の何かかい?」
低い声で、そう言った。
ピン、とした空気が張り詰めた。
思わず、唾を呑み込む龍樹。そんな彼に、男は一枚のプリントを机の上に広げ、示した。
始めは何か分からなかったが、やがてそれが乗客名簿だと気づく。
名簿には国籍や年齢やらが羅列されていた。
「少し気になる点があってな」
龍樹は乗客名簿からその声へと視線を移す。
手を組み、前屈みになって、男はこちらを窺っている。きっと妙な挙動がないかどうかを探ろうとしているのだろう。
心臓がバクバクする。眼を逸らしたい。しかし、それをすればそれが不審な挙動と取られる可能性があったので、龍樹は男の眼をじっと見つめた。
睨みあう両者。
やがて。
男は前屈みを止め、シートにもたれた。くだけた体勢で、話を進める。
「見ての通り、今名簿を調べさせてもらってな。そこで奇妙な点を見つけたんだ。世の中は大変危険だ。例を挙げれば、そうだな、例えばハイジャックが起こったり、な」
「……」
明らかに皮肉を込めた男の発言。
反応に困る龍樹。
構わず、男は話を続ける。
「何だかんだ言っても、未来を担うのはやはり若い世代だ。社会に汚染され腐敗した政治家や、老いぼれた爺さんなんかじゃない。お前もそう思わないか?」
「……思います」
「それなのに」
と、自分から質問してきたくせに、男は話を早々と進める。
「それなのに大人たちはイマイチ子供を大切にしようとしない。考えても見ろ。異国の地にそんな未来を担う子供を野ざらしにしていれば、危険に見舞われる可能性の方が高い。――まあ、見たところ君は物事を最低限自分の判断でこなせるような年齢にはなっているようだし、行き先もまだ治安は良いほうだから、問題は無いのかもしれないが――といっても」
ここまでの長い緒論を終え、男は本題に入る。
納得がいかないように首を軽くゆすり、声のトーンをもう一段階落として、
「そうそう居るもんじゃない、たかだが十七の青年が西欧へ一人旅など」
男は、そう言った。
今までと一味違う、威圧感。
こんな表現は曖昧であまり好きではないが。
それはまさに、本物の眼だった。
「……そ、そうなんですか」
返事はしたものの、ほとんど思考が働いていないので、自分が何を言っているのかいまいち分かっていない龍樹。
何かを勘繰られているようだ。そりゃ考えても見れば、齢十七の青年が単独で海外旅行なんて少し眼に掛かってしまう。
ましてや今日は平日。日本の義務教育の制度に従えば、特別な事が無い限りは学校に行かなければならない。
「名簿の姓の欄を調べてたところによると、少なくとも両親とは搭乗していないようだが――お前は一体この便に誰と乗っている?」
まことしやかに不思議だと、言いたげな男。
誰と乗っている。
その答えは雀と――直接は見ていないので断言は出来かねないが、アテナである。
だが流石に密入国者の彼女の事を喋るのはまずいだろう。
では、ここは雀と乗っていると答えた方がいいのだろうか?
そんな風に、そうこう考えを巡らせているうちに。
「……答えられないのか?」
リーダー格の男の声が、不機嫌そうなものになった。
「分かっているとは思うが、一応言っておく。我々は女子供だろうと、栄えある未来を担う若い世代だろうと、邪魔をするものに引き金を引くことにはなんの逡巡も抱かない。それこそ、なんの感情もな。だが、今回は特例にしてやろう。例えそれが我々の癇に障る事柄でも、正直に話せば特別に許してやる。……もう一度聞くぞ」
男のその声とは別に、がちゃ、という音が、背後からした。きっと後方にいるテロ集団の別の男がレバーを引き、正直に答えなければ撃つ、と示唆しているのだろう。
リーダー格の男は、嘘は吐くなよ、とでも言いたげな鋭い眼光を龍樹に向け、
「お前は一体、この便に誰と乗っている」
再度、そう訊いた。
ごり、と後頭部に銃先が押し当てられた。
示唆もくそも無かった。
これ以上の沈黙はまずい。
そう思った龍樹は、
「と、友達とです!」
と、はっきりと答えた。
友達? とリーダー格の男は首を捻った。
「……その友達の名は?」
「す、雀です」
焦りが自然と、声を大きくさせる。
「八咫烏 雀っていう名前の子です」
その名前を聞いたであろう男は、名簿の中に一致する名があるのかどうかを調べる。
名簿の中の名前の欄を指でなぞっていく。
目標の項を見つけたのか、指はやがて止まった。
「……これか」
その言葉を聞くに、どうやら見付かったようだ。
男はその名の人物を更につぶさに調べる。その結果、
「年齢は十六で国籍は中国。性別は女……確かに居るな」
何か気に掛かったのか、リーダー格の男は名簿から龍樹へと視線を移した。
「彼女か何かかい?」
「いや、彼女というか、持ちつ持たれつというか、なんというかその」
彼女に対しての明確な位置取りを定めていないので、なんと答えていいのか迷った龍樹だが、
「さっき言った通り、友達です」
結局、そこに治まった。
とはいえ、当然そこにある程度の不審点は生まれる。
リーダー格の男の追及は続く。
「友達? 中国人のか?」
「え? ああ、はい」
「……連れ添いはその子だけか」
「はぁ、そうですけど」
「どこで知り合ったんだ?」
「どこで、って――信じられないかもしれませんけど、彼女が日本で行き倒れになっていた縁で」
「行き倒れ……だと?」
信じられないな、と言った感じの間が空いた。
そりゃそうだ。思い返してみると、龍樹だって信じられない。
でも、事実なのだからしょうがない。
真と取ったのかは知らないが、リーダー格の男は言及を続ける。
「行き倒れたその原因は何だったんだ」
「……なんか日本に観光で来たらしく、何分計画性の無い女で、持ってきた財産全部使い込んでホテルにも泊まれなかった、ってのが聞いた話ですけどね」
「それはいつごろだ?」
「えーと……確か一週間ぐらい前だったかな」
「……まだ会ってそんな短い期間に、二人で西欧に行くのか?」
「まぁ……そういう事になりますね」
「……」
また開いた、沈黙の間。
やっぱり、可笑しな点がてんこもりなのだろうか。
「……西欧には何しに行く?」
最後の質問といわんばりの低い声でもう一度だけ、リーダー格の男はそう言った。
絶対にそれを訊かれるだろうと踏んでいた龍樹は、
「ただの観光旅行です」
即座に、そう答えられた。
しばらくの間、リーダー格の男の尋問のような目付きが龍樹を睨み付ける。しかし、問題視すべきはその男では無かった。
「……メンドくせぇ」
背後から聞こえたアラビア語。
直後、龍樹は膝を折られ、銃口を更に後頭部に押し付けられた。
四つんばい状態の龍樹。
銃口を押し付けられているので顔が上げられない。
そんな彼の上方を、アラビア語が駆け巡る。
「何言ってんのか知らねーが、とても円滑に事が進んでいる様には見えねぇ。迷子さんを尋ねてる訳じゃねーんだ。質疑応答なんてそんなまどろっこしい事してないで、銃で腕の一本でも撃って脅せばすぐに吐くだろうよ」
「おい止めろ。今作戦では俺がこの隊の指揮を執ることになっている。勝手な行動をとるな。いますぐその銃をひくんだ」
「そんな悠長な事言ってる場合か? 仲間が三人もやられてるんだぜ。このまま放っておけば最悪、今回の作戦が失敗に終わっちまう。そんな事になってみろ、全部あんたの責任」
「いいから!」
リーダー格の男は、少し声を荒げた。
そして人差し指で地面を指し、
「銃を、ひくんだ」
諭すかのように緩やかな口調で、そう言った。
その目付きに威圧されたのか。龍樹に銃を付きつけた男は、不満そうにしながらも、言われた通り銃を引っ込めた。
未だ四つんばいの龍樹は、それでも後頭部にあった冷たい感触がなくなったので、安堵の息を吐いた。
(……た、助かった、のか?)
それはまだ分からないが、
「立て坊主」
前方――恐らくリーダー格の男の方から、そんな声が聞こえた。
顔を上げる。
思った通り、その声はリーダー格の男のものだった。
何をされるのかは分からないが、とりあえず龍樹はゆっくりと立ち上がった。
怯えた羊の様に、辺りを軽く見渡す。
とりあえず、今自分に銃口を向けている人物はいないようだ。
「そう警戒するな」
リーダー格の男は、おどおどする龍樹を見てそう言ったのだろう。
無理があるそんな質問に、龍樹はリーダー格の男の顔を見る。男は足を組み、腹の前で掌を束ねやけにリラックスした体勢だった。
そんな体勢のまま言葉を放つ。
「とりあえず延命だ。悪かったな、怖い思いをさせて。さぁ、戻ってくれ。席まではその男が案内をする。君も願うと良い。我々の正義が受け入れられる事を。君達が皆――無事に地上に足を着けられる事を」
「……はぁ」
と、なんとも腑抜けな返事を返す龍樹。
そこで終わっていればいいものを、
「あの」
龍樹は、思った事をつい口にしてしまう。
「でも、何でそんな事聞いたんですか?」
その質問に、目元意外はバンダナで覆われたリーダー格の男の顔は、眉を寄せたらしかった。
「……そんな事、とは、どういう事かな」
「いや、ほら、誰と乗ってる、とかなんとか」
「……」
なぜか黙りこむリーダー格の男。
だが、しばらくすると、
「いいか、坊主」
と、腕は束ねたままだったが、組んでいた足を崩し、前のめりになった。
そして殺気とはまた違った威圧を解き放ちながら、
「俺もお前くらいの年のころには色々と疑問に思う事があった。そしてそれを知りたいという気持ちもな。――だが例えそれが本能に従ったものだとしても、ただ流されるがままではいけない」
「……?」
急に訳の分からない事を言い始めた男に、龍樹はクエスチョンだ。
それでもなんとなく人生のなんたるを説いているであろう事は分かった。
男は、続ける。
「知るという事は関わるという事と同じだ。例えそちら側に意思がなくとも、知っちまった以上その知識はお前の中で構築され、一部となる」
その時だった。
ズズン、と、なにやら重苦しい音が龍樹の耳に届いた。
思わず振り返る。
音の発生源は――飛行機でこの表現は間違いなのかもしれないが、音の発生源はどうやら地下のようだった。
「知ること事態は問題ではない。本当の問題は知った上でそれをどう活用するかだ」
その声に、龍樹はまた振り返る。
気づいていないのか、気づいた上で無視しているのか、今の音になどまるで反応を示さず、リーダー格の男は深々と語る。
「むやみやたらに全てを得ようとしては駄目だ。君ほどの年代になってくるとそれぐらい分かってくるだろう? 時には我慢や後退も必要。誰にでも得意分野があれば、苦手分野もある。それと要領は同じ。だから人々は共存できているんだ……もう一度周りを見ろ少年」
「……」
言われたとおり、龍樹は周りを見渡した。目前に居座るリーダー格の男の他に、銃を持ったテロリストが二人。彼等はその気になると指を動かすだけで龍樹を射殺できる。ちなみに射殺したところで、彼等の作戦にはなんの支障もきたさない。
人質といえど、その代わりはそれこそ腐るほどいる。
この機はハイジャックされている。
以上を踏まえた上で、龍樹は、リーダー格の男をもう一度見た。
すると。
「自分の立場を認識できたか?」
リーダー格の男は、覆面が覆っていて窺えないが恐らく、人の悪い笑みを浮かべながらそう言っただろう。
確かに認識できた。
自分は今質問や反論が出来る立場なんかじゃ無いという事を。
「連れて行け」
アラビア語で放たれたそれに連動するように、もう一人のテロリストは龍樹の腕を掴み、強引に元の場所へと引き摺り戻す。




