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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
離別する思惑
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 行楽日和。

 

 街は親子連れや友達と休日を過ごす者や休日出勤する人々で溢れかえっている。

 その路地裏では、死闘にも似た展開が繰り広げられているとも知らずに。

「……」

 ローズは殴られた鼻をしきりに気にする。

 見栄えを常に気にする手前、それは痛みよりも外見的にどうかという事を気にしてのものだ。

 前方に居る三人を睨み付ける。

 特に、自分の顔を醜くした、唯一警戒すべき女を。

「全く不愉快だわ。人の顔を何だと思っているのよ。……それにしても厄介ね」

 しきりに気にしていた鼻から手を引くローズ。

「なにが適正の問題よ。己の弱さが見えていないのは自分の方じゃない」

 偉そうな事を言っていた男の文句をぐちぐちと言い続ける。 

 それでどうこうならないのは承知だが、言わずにはいられないのだ。

 そんな彼女を、一通り愚痴り終え、大人しくなったローズを相変わらずの冷たい眼で見ながら、

「訊きたい事があるの」

 アテナが、口を開き始める。

 またそれ、と溜め息を吐き、腕を組んだローズ。

「何かしら? 一応聞いてはあげるけど、多分答えられる事はないと思うわよ」

「私とあなた、どっちが強いかしら?」

 は? と虚を突かれた表情を取るローズ。

「……そりゃ、悔しいけど戦闘の分野においてはあなたでしょうね」

「そう、なら、次の質問。あなたは組織に愛着がないといった。つまりそれは組織よりも自分自身を尊重し、その為にリスクとなるなら組織を捨てると、そういう事かしら?」

「……だったら何?」

 質問の意味が分からず、眉を曲げるローズ。

「いちいち回りくどい言い方、私は好きじゃないの。いままで言い寄ってきた男でそういう奴も結構いたけど、大抵ろくな奴じゃなかったわ。なんだかナルシズムみたいで……で、結局あなたは何が言いたいの?」

「ここは双方一旦退くというのはどうかしら」 

 本当に不器用な女らしい。

 たったそれでけの事を言う為に、どれほど遠回りをするつもりだったのだろうか。

 ローズはその要領の悪さに不憫すら覚え、鼻で笑った。

 そして、

「それはできないわね」

 そう返した。

「前に話さなかったっけ? 確かに組織に愛着はないけど、私にもそれ相応のプライドがある。それを抜きにしたって、商売柄、一度失敗したら次頑張ればいい、って訳にはいかないのよ」

「……あなたは今の状況を理解しているのかしら?」

「ふふ、いちいち癇に障る女ね」

 ローズは方耳のピアスを地面へと落下させた。

 ズズズズ、とまるで泥に埋まるかのように、紅のピアスは荒土に沈む。

「理解してるわよ。あなたの強さは前もって体験してるし、それに対してなんの感情を抱いていないといえば嘘になる」

 でもね、と女は言う。

 今までと違う、せっかくの美貌を台無しにする凶悪な笑みで。

「なにも前に培ったものはあなたの強さだけじゃないのよ」

 それに瞬時に気付いたであろうアテナは目を見開いた。

 すぐさまに振り向く。

 後方――つまりは龍樹と雫の背後に二本のツタが突出してきた。

 それは雫達を補足しようと取り囲む様な陣形を取る。

 雫達との距離はたかだか一メートルほどだったので、アテナは彼女の手を強引に引くことでその束縛行為から逃れさせる。

 次に龍樹だ。

 彼に襲い掛かろうとしたツタを、すぐさま風を集め、ぶつける。

 攻撃を放つのにいちいち呪文を唱えるのは面倒くさかったが、どうにか間に合い、その難を逃れさせた。 

 そうなることを、ローズ自身も分かっている。

 いうなれば再確認しておきたかっただけ。

 その女の弱さを。

「ふふ、あなたこそ今置かれている状況を理解しているのかしら――いや、してるのよねぇ、だからいちいちあんな回りくどい言い方でどうするべきかを思案する時間を取り繕っていた」

 ゴドバッッ!!と数本のツタが、左右に聳え立つビルからビルへとはしごした。

 そこから先の進路を遮るために。

 誰もここから逃げられないように。

「……」

 驚きで固まる龍樹と雫。

 そんな彼達などお構いなく、当事者は楽しげに告げる。

「きっとあなたはこう思ったはず。『この二人を逃がせば昨日のように自分の闘いに引きずり込める』と。ふふ、でもそうはさせない。折角の足枷、いかせないわよ。存分に利用させてもらうんだから」

「……卑怯な」

 歯噛みする雫のその言葉に、

 卑怯? とローズは軽く首を傾げる。

「今までいけしゃあしゃあと過ごしてきた人間が何を言っているのかしら。利用できるものを利用してなにが悪い。私だってこんなあくどい事したくないわよ。でもそうしなきゃ生きていけないんだからしょうがないじゃない」

 その語調にはまるで悪びれはない。むしろ、吹っ切れた様子だった。

「ほんと、何も知らないって可哀想よね。いや、卑怯と言ったほうがいいのかしら。嫌な事から目を背けて、世の中の問題ごとを他人に押し付けて、そのくせ失敗したら批判する。そこに何が起こったのか、なぜそういう事になったのかの解剖をメディアなどの画面越しにしか得ず、直接向き合おうとはしない。そこにエゴや悪意があったならいざ知れず、はなからどうにも出来ない人間がぴーちくぱーちくいえる様な事じゃないのよ。……それはあなたにも言えるはず。世界の事情も知らない、今までなんの苦労もしてこなかったおこちゃまが、大人に向かって卑怯だなんて一端の口を聞くんじゃないわよ」

「……なんだと」

 内側から怒りが込み上げて来た。

 それを察したのか、アテナが、

「止めなさい」

 と、雫を制す。

 落ち着きを取り戻した雫は思いとどまり、喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

 そしてアテナは雫を庇うようにしながら後方へとやった。

 そんな一部始終を見たローズは、

「ふふ、他人に簡単に押さえ込まれるなんてやっぱりおこちゃまじゃない。それとも納得しちゃったのかしら? 自分が以下に矮小で無力でちっぽけな人間かに」

 せっかく静まりかけていた感情が、また沸騰し始める。

 歯噛みする雫。

 アテナは紫髪の女と雫との視点を遮る事で、その感情の鎮火を図る。

 軽く振り向き、諭すような目で彼女を見る。

 それが意味するのはきっとこうだろう。

 感情的になっては駄目、と。

「……分かっている」

 再び静まっていく感情。

 静まりすぎて、彼女は弱きにすらなっていた。

「分かっているけど、見知らぬ女に知ったような口をきかれるのはなんとも悔しいんだ。……確かに自分だけが苦労してきただなんて言わないさ。自分が不幸だなどともな。ただ、世知辛くなかったといえばそれは嘘になる。私の苦悩を頭ごなしに否定されるのは、なんびとにも許しがたいんだ」

 俯いて、アテナに愚痴をこぼす雫。

 彼女に声を掛ける者はいない。

 背中越しでそれを聞いているであろうアテナも。

 長い付き合いであるところの、龍樹も。

 しかし。

「あら、もしかしてその娘泣いちゃってるんじゃない?」

 仲間でもなければ優しい人でもないローズにとっては、それはむしろ恰好の餌食だ。

「人の背を借りて泣くなんてまぁ可愛らしい。そうね、そうやって生きていけば良いのよ。寂しくなったら誰かに縋って、窮地に陥ったら誰かに助けてもらって、いつまでも甘っちょろい考えのまま生きていけば良いのよ。差し詰め両親にでも――ああ、そうか」

 もちろん、それは偶然などではない。

 作為的に、示唆的に、恣意的に、その女は、千石雫という女の中で触れられたくなかったそれを、微笑を交え、口にする。

「あなたにはいないんだっけ。成長を見届けてくれる母親も、それを褒めてくれる父親も」

 ズキッ、と、心臓に痛みが生じる。湧き上がってくる感情に、自然と呼吸が乱れ始めた。それでも雫は律する。

 気二スルナ。アイツノ言ウ事ニ耳ヲ傾ケルナ。

 だがそうやって自分に言い聞かせば言い聞かすほど、どうしても気にしてしまう。

 情けない事に視界が滲み始めた。世界が歪む。手を拭えば取り払えるだろうが、なぜかそうするのは癪に障った。

 もう一度律する。

 モウ終ワッタ事。気二スルナ気二スルナ気二スルナ気二スルナ気二スルナ気二スルナ――

 だが想いとは裏腹に。

 二人はなぜ自分を置いて逝ってしまったのだろうかと疑問にすら覚え始めた。

 本当に大切なら一緒に連れて行ってくれても良かったはずだ。

 優しかったあの笑顔は嘘で、本当は疎ましかったのだろうか。

 もしかしたら自分は望まれて産まれた子ではないのだろうか。

 随分と前に封印した後ろ向きな見解が、ここに来て蘇ってくる。

 最早世界は洪水になっていた。物体が明確に捉えられない。色彩が他のものと混合され、未曾有の色を広げる。頬を伝う感触がなんとも鬱陶しい。

 そんな彼女に、ずさんな声だけが響く。

「ごめんなさい」

 憫笑と愉悦の混じった、明らかな嫌がらせ。

「本当の事を言っちゃって」

 本当の事。認めたくないがその言葉自体――紛れもない事実。

 両親は死んだ。もう会えない。分かっているが――そこは未練がましく、不器用な人間。

 誰にだって忘れたくても忘れられない事など、ごまんとある。

「それにしても身勝手なものよね」

 また例の声が雫の聴覚を揺らす。

「こんな可愛い子を置いて先に旅立っちゃうなんて信じられないわ。あぁ、本当に可哀想。出来ればカウンセリングでも開いて介抱しちゃいたいぐらい。……でもね、お嬢ちゃん、そんなあなたに朗報です」

 綺麗な薔薇には棘がある。

 ローズは本当に性根が悪い。

「涙を流す事なんてないのよ」

 その言葉に、半ば放心状態だった雫は更に耳をそば立てる。

「あんな両親のために涙を流す事なんてないのよ。前に二人の事は知らないって言ったけど、あれは嘘。お姉さんにも色々事情があって本当は言いたくても言えなかったの。でも、今回は特別に教えてあげる。これじゃあなたがあまりにも可愛そうだからね」

「……?」

 思わぬ言葉だった。

 紫髪の女がどういう意図を持っているのかは分からないが、なにかしらの両親の情報を持っているらしい。

 そしてそれを教えてくれると、今まさにそう言ったのだ。

「どうしたの? 教えて欲しくないのかしら、あなたの両親が一体海外でなにをしていたのか。なぜ殺されなければならなかったのか」

「……」

 正直それは、森羅万象のあらゆる情報の中で、今一番知りたい事である。

 湛えられた涙を、瞼を瞬かせて落し、雫はぼんやりとしか見えてなかったローズを鮮明に捉える。

 女の口元が裂けるようにゆっくりと開いていく。、 

「教えてあげる」

(……教えてくれる)

「あなたのご両親は」

(私の両親は)

 期待した。それと同時に不安も募ったが、なによりも知りたかった。

 もう少し。もう少しで、諦めたはずの真実が聞けるはずだった。

 現に、紫髪の女は真相の核心を告げるために口を開き始めたのだと思う。 

 それをよもや、

「止めなさい!!」

 我が方に、止められるとは。

 その張り声に、場にいた一同が驚いた。

 発生源はアテナだった。彼女にしては珍しく、怒っているのが表情を見れば分かる。

 アテナは歯を噛み締め、自分を落ち着かせるためか目を瞑り、軽く息を吐いた。

「……優しさってやつかしら?」

 静まり返った場の空気にあえて抗うように、ローズは口を開く。

 微笑はいまだ、解く気はない様だ。

「ま、いいわよ、あなたがそうしたいなら、ここは話さないで置いてあげる。果たしてそれがその娘に取って為になるかならないかは別としてね」

「……お、おい、アテナ」

「今はまだ時期じゃない」

 どうして止めるんだという雫の言葉を読んだのか、アテナは先に発言した。

「少なくとも、緊迫したこの場では、ね」

「……そうだな」

 しばらくの間無言だったが、抗うような事はせず、納得した雫。

 気にならないといえば、不満がないといえば嘘になる。  

 しかし、今は目前の問題毎を片付けるのが先決だ。

 雫はここでようやく涙を拭った。

 そしていつも通りの笑顔――とまでは流石にいかないが、屈強な目付きに戻った。

 そんな彼女の横顔を龍樹は見ていた。それに気付いた雫は眼が合うと、恥ずかしそうにはにかんだ。

「悪いな。お前に格好悪いところを見せてしまった」

「何言ってんだ、それでいいんだよ。そもそもかっこつけることなんてないんだ。特にお前は女なんだから、その特権を利用して周りに頼れば良いんだよ。女はか弱いほうがもてるらしいぜ」

「そうか、それは良い事を聞いた」

 一丁前に励ます龍樹。

 この情報の信憑性は乏しく、三者三様というあらもある。

 それでも、きっと雫は今後になんらかの形で役立てる事だろう。

 身に降りかかる災難を避けるため。

 伸ばさなければ届かなかったであろう幸福を掴むため。

 どんな些細な情報すらも、血肉に変える。

 それが千石雫という女。

「……で、どうする?」

 閑話休題。

 真剣な面持ちの龍樹は、アテナに今後の展開に付いて訊く。

 しかし、肝心のアテナはなにも答えを返してこない。それは恐らく考え事をしているからなのだろうけど、この場での決定権は必然的にアテナにあるので、彼女が口を開かないとなにも始まらない。

「……まぁ、俺たちがここにいちゃ邪魔だってのは分かってんだが」

 龍樹は後方を振り返る。それに促され、雫も振り返った。

 その先にあるのは、有刺鉄線の役割を担ったツタの群集。

 あの密集率では、とても通り抜けるのは不可能。

(あれじゃあなぁ……)

 そこで。

 そうだ、と龍樹は閃いた。

「お前の風で何とか出来ないのかよ。あの邪魔なツタを一掃するとかさ」

「それはとうに気付いている事」

 龍樹にとっての会心の閃きに、どこか言葉を濁すアテナ。

「きっと駄目よ。あれだけのインタラクションが――簡単に言えば、日本の故事でもあるでしょ、三本の矢というのが。その強固さは相当なはず。私の能力でも道を拓くまでは至れないと思う」

「……そうか。じゃどうすんだよ」

「そうね。少し恐いと思うけど、なるべく私から離れないで」

「……? どういう意味だ?」

 眉を寄せる龍樹。邪魔にならぬようこの場から去る方向で話は進んでいると思っていたのに、それでは間逆の答えである。

 そんな彼に、平然とアテナはこう告げた。

「そもそも逃げる必要なんてないのよ、私が守るんだから」

「……」

 カッコイイ、と龍樹は思った。

 もうしがらみとかそんなもの一切合切関係なく、この女はマジで渋すぎる。

 男なら惚れていたところだ。

 もちろん、そっちの気じゃなくて。


「言ってくれるじゃない」


 この空間では、声がよく響く。

 その発言を聞くに、相手さんにアテナのカッコイイ言葉は届いていたようだ。

 アテナは相変わらず敵を見据えている。その後頭部に当てていた視線を龍樹は、前方へと移す。

 先にいるのは紫髪の女。

 距離はおよそ十メートルくらいだろうか。

 並みの龍樹の視力ではその表情は薄っすらとしか窺えないので、笑っているのかどうかは分からない。

 女は発言を続ける。

「昨日の一戦でそんな口を利けるんでしょうが、言ったでしょ、今は状況が違うの。あの時は互いの手の内が把握できてなかったし場所も得意不得意があったけど、今は違う」

 昨夜の交戦状況を知らない龍樹にとってはなんのこっちゃ分からないが、

 そう、足場の悪い高層でなんの考慮もなく闘えた昨日と今とでは、確かに違う。 

「動きが制限されるこの狭隘な環境で、弱者を二人も守りながら私に勝てるかしら」 

 先に述べた通り表情は窺えないが、微笑しているのは声を聞けば分かった。

 対し、

「昨夜と違うのはそちらも同じ」

 アテナは冷静に言葉を返す。

「まず昨夜と同じあなたなら有無を言わさず攻撃に打って出たはず。先の闘いで結局私はツタそのものをどうにか出来た訳ではないからね。それが出来ないのは操れるツタの本数が減少したから――つまり」

 高所の戦闘で得た情報を頼りにしているであろう、アテナは言う。

「壊されたあのピアス、いや、この場合『種』というのかしら、あれの代替は安易に仕立てられないみたいね」

「……本当に仕事熱心」

 表情は窺えない。しかし、今度は一転、不快そうなのは声を聞けば分かる。

 悪条件なのは、こちら側だけではないようだ。

「準備は良い?」

 龍樹達にそう言って、軽い柔軟体操をし始めるアテナ。彼女の柔軟性はかなりのものらしく、常人ではおよそ出来ないような体勢を取りながら、柔肌(龍樹の予想)の身体の至る所を更にほぐしていく。

 もちろんそれは、これからおっぱじめるであろう戦闘の為だろう。

 屈伸運動をし、指の関節を鳴らしたアテナは、

「なるべく私から離れないように」

 龍樹達にもう一度、そう言った。

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