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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
蠢く危険
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食堂の闖入者

「……何だ?」


 龍樹は眉を寄せた。遠方のような身近なような、どこからかは分からないが、大きな音がした。心なしか地面も揺れた気がする。


「地震か?」


 いや、どちらかというと爆発みたいだった。

 龍樹は周囲に巡らせていた視線を、身支度を終え、立ち上がっている雫へと移す。

 彼女は上を見ていた。促されるように、龍樹もそちらへと視線を向ける。

 大部分はよく見えないが、二階が何だか騒がしい。龍樹は自然、目を細める。


(……何かちらりと見覚えのある冠が見えたような)


 と思った次の瞬間、二階から誰かが飛び出してきた。 

 その人物は通路からいきなり現れたかと思えば、勢いよく手摺を乗り越え、吹き抜けに身を投げた。

 それを目撃した周りの人間達は驚きから固まってしまう。

 龍樹だって例外ではない。

 二階と言えど、その高さは十メートル近くある。そんな場所から突然人が降ってくるという状況思考が追い付かず、呆気に取られてしまう。

 地上に降り立つ最中、垣間見えるその顔には見覚えがあった。

 褐色の肌に、スキンヘッド。

 そう。一昨日路地裏で出くわした、あの男だ。


「龍――ッッ」


 雫の声が発せられたかと思うと、ドガシャンッッ!! という轟音がその声をかき消す。

 二階から飛び降りた男は今しがた彼らが勉強をしていた机の上に降り立ち、その重量に机が耐え切れなかったのだ。


 何が起こったかは分かっている。

 しかし、何の躊躇いも抱かずにそれを瞬時に確認するなんて事は、少なくとも龍樹には出来なかった。


 それでも確認せねば。


 椅子に括り付けられながらも、視線をゆっくりと下ろしてみる。


 そこに広がる予想道りの光景。

 先程まで勉強道具が置かれていた机が真っ二つに折れ、原形を留めていない。

 そしてその断面部に横たわる――褐色の男。


 身の毛がよだった。体温が一気に下がっていくのが分かった。

 瞬時にその危険性を理解したであろう雫が声には出さず手招きで龍樹を呼ぶが、彼はそれにすら気付かず、驚愕の面で横たわる褐色の男を眺めている。

 もしかしたら飛び降り自殺だろうか?

 こんな場面でも龍樹が思いつくのは、至極短絡的な答えのみだった。


「が、く……そっ」


 強打したのか頭を抱えながら身を起こそうとする褐色の男。

 背中から無防備というあの落ち方でその程度で済むのだから、やはりこの男は普通じゃないと龍樹は唾をのむ。


 褐色の男が立ち上がる最中、その体重に耐えかねたおよそ机と呼べぬ、しかし机だった残骸達が小さな軋り音を発生させる。

 そして立ち上がった男の背丈を見て、龍樹は改めて委縮する。

 大きい。推定身長は百八十センチ後半。体格も良いせいでより大きく見えている部分もあるだろうが、それにしたって並々ならぬ迫力だ。


 もしかしたら、この男が生徒に怪我を負わせたという例の侵入者なのだろうかと龍樹の直感が働く。

 そう考えると、更なる戦慄が彼の全身を駆け巡った。こんなガタイの良い男に危害を加えられるなど想像するだけでも恐ろしい。

 そうならない為にも、一刻も早くこの場から逃げ出すのが最善だろう。

 

 だが次に現れた新たな恐怖によって、行動はまたしても鈍足化する。


 フワ~、と、それこそ風船のような浮遊具合で、異様なその化け物は視界に入ってきた。


「――ッ!!???」


 声にならない驚きとはまさにこの事だろう。


 人間でなければ、動物でもない。

 バランスボールほどの大きさを誇る身体の表面は爛れ、身体がボコボコと泡立っている。逆さまを向いた三日月目らしきものが六つあり、謎の白煙をまき散らすそれはおよそこの世のものとは思えないほどの醜怪で、これまで見てきたどんなものよりもグロテスクだった。 


「おい、早くこっちに来い!」


 龍樹からは褐色の男の巨体で見えないが、反対側にいる雫は我慢できず怒鳴った。

 こっちに来いだなんて、言われなくとも龍樹にだって分かっている。

 分かってはいるのだが……


 彼は今、椅子に括りつけられている。

 盗難防止の為に地面に固定されている、椅子に。


 雫は軽く結んだつもりだろう。現にそうだったと思う。

 だが龍樹自身でもどうやったのか分からないが、解こうとしている内に結び目がより一層固くなった。 

 知恵の輪は苦手分野だった。 

 雫はこのことに気付いているのだろうか? と龍樹は考える。


(いや、気付いていたって近付けないか。こんなどこぞのレスラーみたいな身体つきの、正体不明だけど明らかに危険人物そうな奴がいたのでは近付きようが――)


 考えが甘かった。

 褐色の男の後頭部に何かが投げ付けられる。

 大樹のような体に携わる顔がわずかながらも前のめりになり、顔に苛立ちが彩られていくのを鑑みるに、その投擲攻撃は結構効いたようだ。


 地面に落ちたであろうそれを確認した龍樹は、ピンときた。

 その正体は筆箱。何が入っているのか分からない、結構な固さを誇る物体。


 龍樹も威力は身を持って体験済みだ。

 なので、褐色の男の痛みも共感できないこともない。体の造りが違うといっても、後頭部は少なからず、他の部位に比べれば弱いであろうから。


 しかし、所詮は筆箱。

 人間一人を絶命させる事なんてもちろん出来やしないし、それで意識を断つことも出来やしない。


 後頭部を軽くさすりながら、褐色の男は首を捻り投擲者を確認しようとする。

 鋭く、怒りに満ちたその視線の先にいたのは、やはり千石雫という女だった。

 褐色の男に負けない眼光。ただ、上から降ってきたであろう褐色の男からすれば、どこの誰とも知らない人間に攻撃を受けたのと同じだ。

 例えそれが驚かせた事に対する怒りであろうと。

 褐色の男はそんな倫理の通用する世界の住人ではない。


(……またか、あいつは)


 自分の為に動いてくれたというのに、雫のその行為について龍樹はなぜか憤っていた。


 その苛立ちは理不尽なのかもしれない。

 いや、きっとそうなのだろう。


 自分の為に身を挺してくれているのに、この場合抱くのは感謝の気持ちのはず。

 だが感謝するどころか、今彼は雫に怒りを覚えている。

 なぜ逃げないんだと。


 龍樹は雫が好きだ。もちろん恋愛感情とかそういった意味ではなく、いち友達として。


 よく異性同士とのあいだでは友情は芽生えないという説を聞くことがある。

 それでもやはり、雫の人当たりの良さと面倒見の良さに昔からあてられてきた身としては、一種の思慮のようなものは抱いてしまう。


 これはだからこその憤り。

 天真爛漫、みんな友達精神。実に、大いに結構。それが千石雫という女の長所でもある。

 しかし完璧な人間はいないとはよく言ったものだ。

 己よりも他人を優先するという利他的なその性格の一端だけは、龍樹からしてみればどうしてもウィークポイントにしか思えなかった。

 出会った当初はそうでもなかったが……昔から色々とあったのだ。

 面倒事には関わるべきではないと言うくせに自分は積極的に首を突っ込んだり、道に迷っていたお婆ちゃんを目的地にまで送り届けて学校に遅刻したりと、どうも彼女は行き過ぎるところがある。


 ともあれ。そんなこんなで――またこれだ。


 周囲にいた生徒達は逃げるなり距離を置くなりと、なんらかの形で状況を把握しようとしている。

 方法は皆違うのだろうが、その意識は皆一致して褐色の男に向けられていることだろう。


 そしてそれはやがて、新たな闖入者に注がれたはずだ。


 頭上から何かが降り立ってくるのが分かったのか、それを瞬時に察知した褐色の男は身を後退させた。

 ダンッ! という音が、さっきまで褐色の男が立っていた場所――つまり、椅子に括り付けられている龍樹の前へと落下してきた。

 というより、背中から落ちてきた褐色の男と違い、厳密に言えばこちらは降り立ったと表現した方が正しい。


 憎いタイミングで現われる正義のヒーローが如く、全てを図ったかのような寝業師の如く、舞い降りたそれは――龍樹の見知った者だった。


 アテナ。金髪碧眼ツインテール。銀色の小さな冠を頭に携えた、根本的な部分は謎の不思議な女。 


 ゆらりと、

 屈んでいた状態から立とうとするアテナの顔を、龍樹はしげしげと見る。


 当のアテナは、褐色の男に視線を当てていた。

 睨みつけるでもない。ただ標的を視界に捉えているだけのそれは相変わらず面倒臭そうな、冷たそうな、綺麗な眼だった。


「いい機会だから見せてあげる」


 敵を見据えたまま、何かを呟き始めたアテナ。

 瞬時にそれは自分に対してのものだと、龍樹は悟った。


「私達が住む世界。お父さんが居る世界。あなたが知りたい、その世界」


 無の視線とは対照的に、相手は敵意満々でアテナを睨みつけていた。

 褐色の男は先程までとは比べものにならないほどの憎悪を顔に滲ませ、警戒心を包み隠さないその眼は、常人ならずとも圧倒された事だろう。


 それでもきっと、アテナは動じていない。

 二人の明確な関係は分からない。

 だが、この只ならぬ雰囲気を感じ取れば、それはおのずと分かる事なのかもしれない。


 ありふれた日常とは一線を画したその世界。

 数秒後、それを龍樹は身を持って、体験する事になる。

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