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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
動き出した脅威
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剛と柔

 暴力。

 人が人を殴る。

 誰しも経験はなくとも、見たことはあるであろうその行為。

 性別以前に、対格差からしてまさかとは思うが、それしか浮かんでこない。

 それにその女が普通でないことぐらい、どことなく感じてはいる。

 うまく思考が纏まらないながらも、龍樹は題の中心である者の名を呼ぼうとする。


「お、おい、アテ」


 ナ、という言葉尻を放つ前に、女は動いた。

 一歩を踏み出した時に初めて気づく、滑らかな移動。

 身を屈めながら褐色の男の懐へと、アテナは一気に距離を詰める。

 油断していた訳ではないのだろうが、特別警戒していた訳でもなかったのだろう。

 褐色の男の反応が遅れた。

 焦り、その生まれたミスを埋めようと無造作に拳を放つ。

 潜り込むように近づいてきた女へ打ち下ろすように、威力絶大の拳を振るった。

 凄まじい轟音が空間を揺らす。

 コンクリートがうがり、飛び散った破片が宙を舞う。

 

 すなわち、攻撃は当たらなかった。


 顔を強張らせる褐色の男。

 伸びきった腕はすぐには戻せない。隙が生まれてしまっている。


(まずい!)


 当然、女はそれを見逃さなかった。

 褐色の男の単調な殴打を、必要最低限、更には攻撃の初動を展開しながら躱わしたアテナは――放つ。


 グジャッ! という鈍い音。


 体重が前方へと向かっており、前のめり状態の男の鼻梁にアテナの拳が炸裂した。

 鮮血が飛び散る。

 褐色の顔が、強制的に反り返った。


(がッ……この女)


 ダメージは結構なものだった。

 しかしそれは単純な威力によるものではないだろう。

 鼻は鍛えられるといっても、他の部位に比べれば断然その防御力は劣る。強制的に目からしずくが落涙していき、後引くような痛みが奔った。

 人体の急所を初手から捉えたというその事実だけでも、やはりその者がかなりの腕達者であるのは間違いない。


 しかし、怯むことはない。


 褐色の男はめげずに次の一手に移る。

 天井に向けられた視線を落とす。

 敵はまだそこにいる。

 左拳に力を込める。

 手加減はしない。

 本気で人を壊せるその拳を、足を踏み込み、横殴りの格好で褐色の男は振るった。

 それを、アテナは屈んで回避した。

 バットが通過したような空振り音。

 また、焦る褐色の男。

 身を低くしたアテナはそのまま次の動作に入っていた。

 片手を地面に付け――倒立の格好になる。

 スカートが捲れようが気にしない。

 身を捻るように回転。不安定なその態勢での威力を底上げする為だ。

 金髪のツインテールが新体操のリボンのように舞う。

 そして二回転ほど周回したところで、アテナは地につけていた手を放す。 

 回転により生まれた質量。

 それを帯びた蹴りを、褐色の顔へと放つ。


「――ッ!?」


 何とか右手の甲を挟み、ガードには成功した褐色の男。

 途中、威力に負けそうになったが、やはり威力自体は大したことはないので問題はなかった。

 しかし、その軌道はまたしても急所である顎を狙ったものだった。

 先程の虚を突くような攻撃ならまだしも、逆立ちという条件下に置いても展開できる辺り。

 その並々ならぬ構成力と運動神経を目の当たりにして、褐色の男の心にわずかな焦りが芽生え始める。

 これまで戦ってきたどんな敵とも違う。この三日間と今のたった二発だけの攻撃でここまで知らしめられたその力量に、褐色の男の眼にも畏怖じみたものがにじみ出る。


 蹴りを防御されたアテナは、一旦距離を取っていた。褐色の男の手の甲を踏み台にし、四メートルほどの距離を。

 

 かと思いきや。

 すぐに動く。

 まるで休む暇は与えんといわんばかりに。


 低い体勢から高速で向かってくるそれは、褐色の男に取っては低空ミサイルとも見受けられるかも知れない。

 丸太ほどの足で、それを蹴り飛ばそうとする。

 避けられた。

 サッカーでいうところのトウキック。それをまた必要最低限な動作で横に躱わしたアテナ。

 褐色の男には許容の範囲内。

 その為に彼は、まだ拳の出しやすい体勢の蹴りを放ったのだ。

 右側に身を回避させた敵へと、そして放つ。

 利き腕の左拳。

 先刻同様の重たすぎる一撃。

 が、それも避けられた。

 なら、今度は右だ。

 左を振りかぶったときに生まれた反動を活かし、身を一度捻るようにして、足を踏み込んで女の顔面にヒット――した、と思った。

 実際は違った。

 確かに、拳には感触があるものの、何かがおかしい。

 それはまるで触れたものがすっぽ抜けるような不思議な感覚。

 少し遅れて。

 褐色の男の腹に強烈な鈍痛が広がった。

 口から胃液が吐き出され、内臓が圧迫されるような感覚が男を襲う。

 呼吸がうまくできないまま、攻撃を受けた腹を押さえながら数歩後退する褐色の男は、そして膝を付く。

 

(ば、馬鹿な……)

 

 過信する訳ではない。自分でも体格に恵まれている方だとは思っていた。ましてや体を鍛えていない一般人の攻撃などいくら受けても跳ね返すほどの防御力があると、褐色の男は経験則で知っていた。

 だというのに、今自分を襲っているのは強烈な痛みだった。

 ある程度の予想は出来ている。

 信じがたいが、これも筋力によって生まれた威力によるものではないのだろう。

 男に取って今回の敵はあまりにも相性が悪かった。


 カウンター。


 相手の向かってくる速度と重みが強ければ強いほど効力を発揮する――物理的な力が少なくても威力を生み出せる、アテナが得意とする戦闘手段。

 褐色の男の殴打を頬で感じ取った瞬間に、それがセンサーの役割を担い――身体ごと回転、その力を流した。

 そして独楽のように回転していた最中に右脚で地を噛み、急に運動を止めた事により発生した慣性の力を利用した強烈な左回し蹴りを、褐色の男の腹に叩き込んだのだ。

 向かってくる力と向かう力が手を取り合った一撃。

 前のめりになっているが為に、人間が無造作に行なっているという防御本能が働かないというやむをえない状態を利用し、狂いのないタイミング、柔軟な身体が可能にさせた、防御と攻撃が同時に出来る高等技術。

 理論上は可能だが、実現するのは非常に難しい、いわば空想ともいえる領域。

 今対峙する女は、それをモノにしている。


 とは言うものの、そこは女の力。

 すぐに痛みは退いていくはずだ。

 なので、休む間を与えてはいけない。


 アテナは畳みかける。

 上体を前に傾け、大きな一歩を踏み込む。

 一瞬で、痛みが退いてきたのか再度身構える褐色の男の懐に到達した。


「くそが! 図に乗るなよ!!」


 また距離を縮めてきた女に怒りないし怯え気味に咆哮した褐色の男は、両手を頭上で束ね、それをぶっきらぼうに地面へと叩きつけた。

 

 自然のものに比べれば陳腐だったが、間違いなく、人工的に地震が発生した。

 

 褐色の男を中心に、広大なクレーターが創作された。

 足場が不安定になった為に横倒れになった机や、まるで想像がつかない距離を飛んだ椅子達がその威力を物語る。

 短い悲鳴を上げ、遠いところで驚愕に染まる周囲。

 膨大な力を使った事により息を荒げる褐色の男。

 寸でのところで身を後退させたアテナ。


「……」


 アテナは辺りを見渡した。

 その視線の先には、早く場を去ればいいのに、いまだにその数は減ったようには見えない野次馬達がいた。

 次に面倒くさそうに目を細める。

 ただ、多分それは群がっている野次馬達に対してではないだろう。


 距離を置く辺りはまだ助かる。

 問題はいまだ動こうとしないある少年だ。


 アテナはそちらをちらっと見やった。

 視線の先にいる少年は呆然とし、固まっている。

 これだけの時間があれば、遠くに離れる事だって可能だったはず。

 空野龍樹という男は本当に鈍くさい、と事情を知らないアテナはそう取っている事だろう。


 野次馬。馬鹿。そして――


「面倒ね」

 

 ――褐色の男へと視点を変えたであろうアテナは、そうぼやいた。

 褐色の男は膝に手を付き苦しそうだ。

 ただし、それはダメージによるものでも、運動を催したからでもない。

 後方に浮遊する化け物の泡立ちが膨らんだかと思えば、ボコン、ともう一つの顔現れた。

 それが意味するのは、二体目を使用し始めたという事。


「やめときなさい。それ以上欲張ると呑まれるわよ」


 忠告のその言葉に、褐色の男は苦しそうにせせら笑った。


「何だ、怖いのか? それとも同情か……いずれにせよ、あれだけ面白いように攻撃がヒットすれば余裕も生まれる、か」


 だがな、と言った褐色の顔が引き締まった。


「舐めんなよ。俺だって生半可な覚悟じゃないんだ。リスクが怖くて悪魔と契約なんて結べるか……それによォ」


 身体から蒸気の様に噴き出る煙の量が増していく。


「これはお前が選んだ選択だ」


 ヒュン! という風切り音が空間を引き裂く。

 双方の間に位置取る机や椅子が車に撥ねられたように宙を舞い、意思を持ったかのように飛翔する。

 元凶は褐色の男。

 スキンヘッドの頭を先頭に、闘牛のようにアテナに突進を敢行する。

 地面を見据えながら距離を縮めるそれはまさに猪突猛進。


「なるほど」


 アテナは感心したような声を漏らした。

 人間というものは見えるものに敏感だ。

 ほんのわずかな――気にするべきではない動作にでも知らずと反応を示してしまう。

 が、ああやって下を見据えればその問題点は除去されるし、視点がぶれることなく、体幹も安定する。

 難点は前方が見えない事と避けられたときの応用が効かないという二点だが、その速度なら避ける動作に移る暇すら与えず、この距離なら目測を誤らせない自信が、褐色の男にはあるのだろう。

 思惑通り、標的へと衝突した褐色の男。

 

 ズザザザザザッッ! と、靴底をすり減らしながら、後方に退けられていくアテナ。

 

 それでも直撃は間逃れている。

 向かってくる褐色の男の双肩に両手を置き、一定の距離感を作っていた。

 しかし、勢いは止まらない。

 そのまま後退され続ければいずれ壁際へと到達し、比喩でもなんでもなくスクラップになってしまう。

 もちろん、そんな風になるのはアテナも御免だろう。

 押しやられながらも、男の肩に置いていた右手を下から後方へと放物線を描くように振りかぶった。

 そしてアテナは、褐色の男からいなすように間合いを取り、握り拳をアッパーの軌道で顔面へと叩き込んだ。

 前進してくる力に真正面から対峙しても敵わないことなど、彼女には分かっている。

 ならば、下からの力を加えればいいだけの話。

 突進の勢いが、止まった。


「――ッ」


 また、強制的に頭上を見上げる褐色の男。

 ガラス張りの天井から注がれる夕日が目に染みる。

 やっと治まっていた鼻血の再来。


(それが――どうした!)


 ぐんっ、とすぐに首を戻し、目前で腕を戻したばかりの女を視界に捉えなおす。

 その碧眼が自分を笑っている様に見えて仕方がない。


「ブッ殺す!!」


 右ストレート。――左に身をやり、避けられた。

 左フック。――屈んで躱された。

 右のローキック。――跳んで、伸びきった脚に手を置かれ――一回転を経由し、顔面に踵から蹴りが減り込まれた。


(――がッ、)


 脳が揺れた。

 視界がぐらつく。 

 脚がいつも通り踏ん張れなかった。

 千鳥足のようにまた数歩後退――自分ではしている自覚はないが、そうなっているらしい。

 二歩、三歩、四歩――ブンブンと顔を振り、ピントを戻す。

 褐色の男は呼吸を荒げながら敵の女を活目する。

 ブレザーのポッケに手を入れるその様は、手なんか使わなくても勝てるとでも言いたいのだろうか。 

 褐色の男を見据えている女の眼には、何の感情も現れていなかった。

 敵である男を圧倒的に圧しているにも拘わらず。

 暴力を行使している現状に悲観するわけでもなければ、己が五体満足でいる事に安堵や歓喜する様子もない。

 ただ、感情を持たないような、冷たく、厳かなその眼球が、褐色の男に焦点を当てる。


(……くそが)


 息を切らす褐色の男は歯噛みした。

 惨め、この上ない。

 相手は女。

 しかも華奢な、自分の力を持ちえれば触れただけで本当に折れてしまうんじゃないかと思うほど儚げな、その体躯。

 なのに、

 それなのに――このザマだ。

 触れられもしない、と褐色の男は憤る。

 更に、小悪魔的に首を傾げたその女は言う。


「随分と苦しそう」

「……うるさい」


 うだるような、あるいは苛立つような低い、消え入りそうな声を、褐色の男は漏らした。

 ダメージはある。

 しかしながら、どちらかというとそれは己の所為だった。

 その原因は彼女も認知している。

 どこか案ずるように、アテナは促す。


「もうやめときなさい。分かるでしょ、これ以上の争いは無意味。どちらに取ってもね」

「……うるさい」


 もう一度そう言った彼の脳内では、ある疑問が浮かんでいた。

 誰に言われた訳でもない。確信が持てる何かがある訳ではない。

 それでも感じる。


「さっきお前を殴ろうとした時、妙な感触があった。ありゃ例の風だろ? だが能力を使ったというのに、今お前の契約悪魔は姿を見せていない……ありゃ一体どういう原理だ?」


 その質問に女は答えない。

 それどころか、褐色の男を分析していたのであろう、独り言のように言葉を放つ。


「……焦りを窺わせる口調。憤りから生まれる殺意。安易な力の行使。鑑みるに、手を抜いている様には見えないわね」


 パタパタと羽ばたいてきた鳥が女の頭に着地し、言葉を継ぐ。


「ちうことは本当に下っ端か? おいおい勘弁してくれよ。遠路はるばる追いかけてきた、ってのに」

「駄目よ油断しちゃ。使い方はどうあれ、力自体は危険なものなんだから」


 どこか安堵を漏らしたようなパードリッジに切言し、アテナは自分の見解を言う。


「恐らく、授けられる力は『剛力』。筋肉の伸縮を促し、常人ではまず有り得ない筋力を発揮できる契約――となると、あの悪魔もよく見ると文献で見たことがあるわ」

 

 まあやっぱり細かい部分は違うけど、と例の球体の化け物を注視しながら、アテナは一応の補足を挟み、褐色の男に回答を求める。


「マルコの福音書第五章等に登場する悪霊レギオン。それがあなたの契約悪魔ね」


 男はすぐに答えなかった。

 だが、やがてゆっくりと、もったいぶるように、その口を開く。


「ふん、そっちは答えないのにこっちが答えるのは癪だが……そうだ」


 ただでさえ太かった両腕がボコボコと不自然に膨張していく。それに同調するように、後方の化け物からも泡のようなものが腫れ上がっていた。

 男は凶悪な笑みで後方の化け物に親指をさした。


「レギオン。お前の言う通り、それが俺の契約悪魔だ。まあ個人名じゃないらしいがなぁ……で、その口振りだと知ってるみたいだな。こいつの逸話を、こいつが何で構築されているのかが。まあ本質はそれじゃねぇ。民間説話ってのはその曖昧さ故、いつも誇張、歪曲、派生されて伝えられるもんだ。……人の怨念の集合体。一般的にそう狭義されてる部分もあるみてぇだが、どうもそれも違うらしい」

「……」


 訊いてきたくせに、女は何も示さない。

 驚きも躊躇いも慄きも。

 苛立ちを覚えるものの、褐色の男は喋りを続ける。


「これは欲の塊なんだよ。希望、厚意、憎悪――こうしたい、ああしたいという欲望がこいつらの根源となっている。分かるか? そんな卑しいものにはあまり頼りたくねえし――頼っちゃられねぇんだよ」

 

 乱暴な懇願。

 褐色の男はそれに対しての相手の顔色を窺う。

 が、いまだその思考が分からない。

 能面を被っている様に、その表情に変化がみられない。

 ようやくという様な時間を経て、女は色素の薄い唇をゆっくりと開ける。


「どうする?」


 しかし、それはまたしても男を苛立たせるものだった。


「一応は仲間みたいだし……なんか知ってるだろ。それほど大したものは得れそうにないが、ないよりはマシだ。芋蔓に期待しよう」

「……あなたもそう思う」


 アテナが喋り相手に選んだのは自分の頭に位置取る鳥だった。

 つまり、褐色の男の語らいはまたしても流された。無視された。


「……」


 コケにされた居た堪れなさが脳内を駆け巡る。 

 内容は一端しか聞き取れなかったが、自分を侮辱したのは間違いないだろう。

 再三、舐めやがって、と褐色の男は歯噛みする。

 それでも、そうされるほどの力の差が空いてしまっているのも、また、確か。

 怒りが込み上げてくる。

 おかしい、と今の劣勢な戦況に矛盾を覚える。

 頭の血管が沸騰する感じ。青筋の量も、白煙の量も、次第にどんどん増していく。

 殺意殺意殺意殺意殺意。

 そんな怨恨のみで構成されたような眼球。

 すなわち。


「呑まれかけている」


 その通りだった。


「馬鹿ね。本人が気付かないから厄介なんじゃない」


 思わず漏れた謗り。

 まるで遠くのものを見るように、アテナは目を細める。

 煙の量は尋常じゃない。

 それこそ火事でも起きたのではないかと連想させる程だった。

 これには周囲もかまびすしい反応をみせていた。

 場を去っていくであろう足音達。

 遠のいていく声達。


 彼女に取ってはそれで良かった。


 周りへの飛び火を考慮しながら闘っていたさっきと違い、そっちの方が、やりやすいはずなのだから。


「……気ぃ付けろ、こっからだぜ姐さん」

「分かってる」


 煙は辺り一帯を蹂躙していく。

 褐色の男の症状も段々ひどくなっていく。

 

 そんな中変わらない無表情の女はただ、その様子を探る。

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