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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
蠢く危険
23/261

伝播する情報

新校舎二階。

大広間へと繋がる廊下を、乱暴な足音が木霊する。


(……何だあいつは?)


褐色の男は逃亡を図っていた。しかし、誰かが後を付けて来ている。


「待て!!」


 兜を被った妙な身なりの、女と思われる人物。

 まずい。褐色の男は率直にそう思った。

 走り去っていく廊下には生徒であろう連中ががちらほら居て、皆彼を見ると一歩下がるか、逃げ出していく。

 当然だ。

 こんな危険で出来上がったような者を見れば、誰だって恐れは覚える。

 そんな現状を確認した褐色の男は、思わず歯噛みする。

 もちろん怖がられて傷付いているのではない。

 目立ちすぎている。これでは見付かってしまう。

 正体不明の、あの女に。


(このままじゃ埒があかねぇ)


 相手も走りには相当な自信があるようだ。

 距離は縮まろうとはしないものの、その代わり広がろうともしない。

 要するに互角。後はスタミナの問題だろう。

 

 このまま行けば撒ける確信はあった。だがすぐにという条件が加えられると、考えるものがある。

 先程申した通り、彼に取っては時間を費やすのは都合が悪い。


 なら、

 思いついたのはたったの一つ。


 褐色の男は追跡者を葬ることにした。

 その腹積もりを実行すべく、身体を瞬時に捻り、追走者へと全面的に振り返る。


「!?」


 驚く合堂。

 逃走の足を止め、こちらを振り返った褐色の面には、悪巧みを思い付いたような笑みが張り付いている。


(何だ?)


 距離が徐々に縮まっていく。

 だが褐色の男の不適な笑みは揺るがない。それを見たところとても諦めたようには思えない。だとすれば一体……


 とあれこれ思考を巡らせていると、褐色の男が身を屈めた。

 それを見た合堂はぴんと来た。


(……なるほど、私と闘り合おうって腹か)


 女だと思って舐めているのだろう。

 なら好都合だと思った。

 合堂は柔道や合気道など、武道はひとしきり嗜んでいる。その技量はそんじょそこらにいる男子や不良には負けないほどで、彼女を女として甘く見て痛い目に合った連中は一人や二人ではない。

 流石に本格的な相手ともなると力で負けてしまうが、この際勝ち負けは別として、皆が起こっている事態に気付く時間ぐらいは取り繕えるだろう。

 などと、頭の中で戦闘態勢を始めていた合堂だったが、

 実際は違っていた。


 褐色の男は合堂が女だから見くびっていたのではない。

 ただの人間だから(・・・・・・・・)、見くびっていたのだ。


 しゃがみ込み、態勢を低くした褐色の男は――プレハブ板に五指を突き刺した。

 そして。


「うおおおおりゃぁぁっっっ!!」


 気合の咆哮と同時に、卓袱台を引っくり返す感覚で床を捲り上げる。

 それにより発生したプレハブ床の津波。


「なっ!?」


 地響きを伴いながら迫る災害。

 目前で広がる壮絶な光景に、合堂は驚き、畏怖を覚える。

 前進を止め、地に足を噛ませ立ち尽くす。

 どうにか回避する場所をと探すが、狭い空間にそんな場所はある訳も無く、下がろうともしなかった。

 いや、違う。避けても間に合わないと思考が判断したのだ。

 立ち向かう。

 心境は未だ驚愕だが、反射神経というやつだろう。

 防衛本能が働き、身体が勝手に動いた。

 合堂は右手に持つ竹刀に左手を添える。攻撃力に重点を置くため全身全霊で、雑巾絞りの要領で捻り込むように力を込める。そしてそれを後方に振りかぶり――襲いかかってくるプレハブの波へと放った。


 が、

 ズザザザザッ!! と、固いそれが合堂を飲み込んでいく。

 

 やはり所詮は竹で出来た武器。

 防具を付けた相手になら振るっても構わない武器などでは、災害規模の――人が生み出した攻撃は、到底防げなかった。

 合堂を巻き込んだプレハブの波は進むごとに威力を弱めていき、やがてその運動は消滅した。

 進行経路に彼女以外誰もいなかったのは、それこそ不幸中の幸いだろう。


「……ふん」


 鼻から漏れた一息。

 これでもう追跡はしてこないだろう。

 そう推測した褐色の男はグチャグチャになった前方に一瞥くれた。

 周りにいる何人かの生徒達が口を開けっ放しにし、戦慄いている。

 えらく目立ってしまった。

 だが、まだ叫び声を上げられなかっただけマシなのかもしれない。

 波に巻き込まれた人物は生きているかもしれないし死んだかもしれない。

 少なくとも無傷ではないはず。

 正直なところ、どっちでもいい。


「邪魔をするからいけないんだ」


 男に悪気など無い。

 哀れみくらいならあるかもしれないが、本当の戦場では殺るか、殺られるか。

 そこに男女平等や弱者救済などあってないようなものだ。


 だから褐色の男は安否の確認など当然の如く取らない。

 己の課せられた使命を守る為。自分の身を守る為。

 褐色の男は身を翻すと、一刻も早く人目から外れるため逃走を再開する。



「――ッ、何だこれは!?」


 少し遅れて、現場にやってきた斎藤と渡辺。

 床がグチャグチャになっていた。

 まるで嵐が通り過ぎたような惨状。

 近場には腰が抜けたように女座りで、困惑状態の女生徒がいた。


「おい、一体何があったんだ」


 渡辺が言い寄ったその時。

 瓦礫と化した場所から、生き埋めになっていた人物が起き上がってきた。 

 ガラガラと破片と破片が擦れ、彼女に被さっていたプレハブ床の残骸が零れていく。 

 その女は手に持つ、まるで花の様に開花してしまっている竹刀を不思議そうに見た。

 そんな彼女を、渡辺、斉藤は驚愕の顔付きで見る。


「あ、合堂さん!!」


 表情は窺えない。

 それでも分かる。

 こんな異様な兜を被った者など、日本中探してもそうは見付からないはず。

 一つの学校の中ならなお更だ。


「どうしたんですか!?」

 

 詰め寄る渡辺と斉藤。

 合堂は座り込みながら、ん? と、竹刀に向けていた視線を声の主に移す。

 まるで寝起きのような感じだった。


「おぉ、渡辺、斉藤、……どうしたんだ? そんな鳩が豆鉄砲を喰らったような顔して」


 頭でも打ったのか、記憶があいまいな様子の合堂。

 何言ってるんだこの人は、と渡辺と斉藤は苛立ちにも似た感情を抱く。


「どうしたんだじゃないですよ。一体何があったんですか? 褐色の男は?」


 褐色の男。

 渡辺が放ったその単語に、合堂はハッとし俊敏に立ち上がった。


「そうだ、こうしちゃおれん。一刻も早く奴を捕らえなければ」

 

 己が信念に従い、瓦礫で盛り上がった地面へと、一歩踏み出した時だった。

 立ち眩みが彼女を襲う。


「むっ、何事?」


 よろめく合堂。


「あ、合堂さん!!」

「――ッッ!? ……、」


 何やら渡辺と斉藤が騒々しい、と合堂はぼやける視界の中、不思議に思った。

 それに女生徒がこちらの顔を見るなりバツが悪そうな顔をした。

 一体どうしたんだろうと思っていると。


 視界が朱色に染まった。

 と同時に、鮮血独特の鉄臭い匂い。


 手で顔を拭ってみる。

 視界が開けた。

 が、すぐにまた紅くなる。


(……なるほど。どうやら出血しているようだ)


「すぐに保健室へ!」

 

 斉藤が言った。

 その声も正直聞き取りにくかったが、合堂は気丈に振舞う。


「大丈夫だこれくらい。軽いかすり傷だ」

「そんな訳無いでしょ! あっ、ほら、どんどん血が溢れ出てきてますよ」

「大袈裟だなぁ渡辺は、本当に大した事な――」


 平気だと言いたそうな笑みを取り繕う合堂だったが、ダメージは相当なものなのだろう。

 また、視界が揺らいだ。

 目前にあるもの全てが二重に見える。

 味わった事の無い感覚に、顔を顰める合堂。


「……何だ? お前等いつから影分身を使えるようになったんだ?」

「そう見えるのは意識が朦朧としているからですよ! 駄目です、なんと言おうと保健室には連れて行きますから」


 言った通り保健室へ運ぼうと、渡辺と斉藤は合堂に肩を貸す。

 が、合堂は真剣にそれを拒否しようとする。


「おい、やめろ。私はあいつを追わねばならん。早くこの態勢を脱せ、さもないと――」 

「黙っててください」 


 初めてと言ってもいい。

 今までなにを言われても反発一つしなかった渡辺は、その言葉に反論する。

 憧れの先輩の命に関わる今回ばかりは、分かりましたと了承する訳にはいかなかった。

 その気持ちは斉藤も同じようで、もし次に合堂が馬鹿げた事を口にしたら自分が言ってやると、険しい表情で彼女を見ていた。

 そんな彼らの強気な圧力に、合堂も思わず口篭る。

 シュンとする彼女に、渡辺は畳みかける。


「あなたが何と言おうと、連れて行くものは連れて行くんです。だいいち、そんな怪我で何が出来るんですか」


 その言葉には、斉藤も同感だ。


「合堂さんは休んでてください。あいつは俺達が何とかしますから」

「……」

 

 なにも言えず、俯く合堂。

 正直、立っているのも辛かった。

 身体のあちこちが痛い。

 血の量が尋常じゃない。

 兜の中が鮮血でごったがえっているのが、感覚で分かる。

 完全な力不足。

 己の力の過信が少なからず生んだなおざり。


(全く笑わせる。たかが学生達のいざこざしか対処できないとは……)


 合堂は憤る。

 普通ならそれで良い。

 むしろ、ここまでする必要は無いし――出来ない。

 彼女の中にある芯となった志は相当なものだった。

 もはや風紀委員とは肩書きだけのようなもの。

 本気で校内の秩序を守りたかった。

 外部からの危険すらも対処できる、そんな正義のヒーローにも似た青臭いものに、恥ずかしながら憧れていた部分もある。

 ちやほやではない。

 自分がみんなに携わったという痕跡が欲しかった。

 それが実際に本物の危険が現われるとこのザマ。


「……面目ない」


 消え入るような声で放たれた合堂の正直な気持ち。

 その言葉に、渡辺、斉藤は怒りを覚えた。

 合堂にではない。

 褐色の男にだ。

 憧れ、淡い恋心を持つ者をこんな無残な姿にしたムカつく奴。

 唇を噛み締める両雄。

 こんな弱気な彼女を見たくなかったのだろう。

 だが、我等がリーダーの、力が一番強い合堂がやられた、という事実は蔑ろに出来ない。


 それにあの現場。

 一体何が起きたのだろう? 

 と二人は考えるものの……。


 渡辺と斉藤はで自分達の肩を借りている合堂を見る。

 ぐったりしていた。体重が重い。きっと、力が入らないのだろう。

 あの奇天烈な場面の生い立ちを知るのに一番手っ取り早いのは、現場に遭遇した本人、または人間に訊くことなのだが……今は止めておこう。

 もっと優先すべきことがある。

 一にも二にも、一刻も早くこの人を保健室へと運び、治療せねば。

 そう思った渡辺と斉藤は、下校時刻でが少なくなった廊下を練り歩く。



□ ■ □ ■ □ 

 


 稀有な事柄ほど、出来事はいつでも伝播するのが早い。

 椅子に括り付けられ、机の上の悪魔の書(歴史の問題文)に向けていた視線を、龍樹は周囲へと巡らせた。


「何だ?」


 騒がしくなっていた。

 一つ一つは結構な音声なのだが、それ故に声と声が被さり、内容がくぐもってしまっている。


「侵入者が現われたらしい」


 その言葉に振り向く龍樹。

 声の主は机を挟んで座っている雫だった。

 何だか顔付きが険しくなっている。

 侵入者? と眉を曲げる龍樹。


「ああ、何でもその侵入者がうちの生徒を襲って怪我を負わせ、現在も逃走中らしい」

「ふーん」

「何だその気の抜けた返事は?」 

「いや、遂に我が校も現代社会が生んだ歪みとやらに直面したのかな、って思ってさ」

「……呑気なものだ」


 と溜め息混じりにボヤいた雫。

 そんな彼女の苦悩も知らず、龍樹は相変わらずの間抜け面で新しく買ってきたコーヒーを啜る。

 馬鹿な奴を見る目付きの雫は思わず訊く。


「将来の事といい、周囲への無関心といい、お前には危機感というものが無いのか?」

「危機感? 無いことも無いさ。明日の天気だって気になるし」

「大したものだよお前は」

「ありがとう」

「一応言っておくが、今のは皮肉を込めて言ったんだぞ」


 ともあれ、本当に辺りが忙しくなってきた。

 机に広げていた教科書を仕舞い、食べ終わった丼の器が載ったトレーを所定の位置に置きにいく生徒達。

 やがて校内放送。

 しばらくすると、教師も直接生徒達へと何かを言いにやってきた。

 丁寧な前口上の後に触れられた本筋のおおまかな内容はこうだ。


『校内に侵入者。全校生徒は速やかに帰宅するように』


 本来なら看過できない非常事態に、生徒達もパニックに陥ってもおかしくない状況。

 だがここの連中はデキた人間が多いらしく、慌てふためく者も中にはいるが、全体的に見てみれば皆割かし落ち着いて行動をしていた。

 それはあまり状況が呑み込めていないというのもあるだろう。

 そして龍樹もそれに倣うかのように、急いで出入り口に向かったりはしない。

 ただし、彼の場合は周りとはちょっと違う。

 的外れな思考回路を持つ彼は校内に侵入者が現れたという事が何を意味するのかに気付き、雫に覚られぬようにやついた。


「これは俺達も逃げなきゃなんねーんじゃないの?」

「……嬉しそうだな、龍樹」


 自分ではしていたつもりでも――言葉通り、つもりだけだったようだ。

 雫から龍樹へと注がれる軽蔑の眼差し。

 その女はやがて艶かしく微笑んだ。


「そんな嬉しそうな顔を見ていたら、是が非でもここから動きたくないな」

「……何てこというんだお前は。捻くれているにも程があるぞ」


 流石、イニシャルがS・Sな女。

 きっと正確もSっ気なのだろうと、龍樹はまたつまらない事を考える。


「冗談だよ」


 龍樹の反応を見て満足したのか、雫は机の上に広げた勉学用具を片し始めた。


「仕方ない、今日の分は明日に繰り越そう」


 ぼそっと、だが、龍樹にとってそれはあまりにも残酷だった。


「……マジか」


 マジだ、と言いながら雫は鞄に用具を押し込んでいく。

 うんざり、といった感じに、龍樹は抗弁する。

 今言うべきことではないのかも入れないが、こういうのはその場で対処しなければ後々面倒だ。


「繰り越しだなんて無理だよ。明日は今日の分だけでいいだろ。俺の脳は一気にそんな膨大な量の知識が収まる構造じゃないことぐらい、お前にだって分かってるだろ?」

「そうやって諦めているから覚えられないんだ。自分はダメな奴、そんな自虐観念は捨てろ。物事をハッピーに考えようじゃないか。それに、障害が立ち塞がったからとか、自分は木偶の坊だからとかで、歩むべきだった道を免除できる、なんてことは絶対ない。分かるか? 時間ほど平等なものは、この世の中に存在しないんだ」 


 木偶の坊、とは果たして自分は言っていなかった気がするが、と、龍樹は少し首を捻る。 


(まあいいか、あながち間違ってもいないだろうし)


 それにしても世の中を例えに持ち出してくるとは。

 相変わらずというか何というか。


「恥ずかしくないのか? そんなくさいセリフを平気で放つなんて」

「くさいセリフ? 別に私はそんなつもりないけどな。想った事を口にしているだけだ。それをお前がそう受け取ったのなら、それはそういう事になるのだけの話だ」

「……あっ、そう」

「そうだ」


 何の穢れも欲も無い純粋な心、なんてものは、人間である以上はまず持っていないとは思うが、それにしたってこの女には欠点が見当たらない。

 ま、無いことも無いのだろうがなと、皮肉気に捉える龍樹。

 何というか、隠すのがうまいなと思った。

 恋心ではない。

 尊敬でもない。

 単純に、凄いと思う。

 というか――生き方が上手だなぁ。


 きっとこういうところが秀才と凡才の違いなのだろう。

 目前で立ち上がり整理した鞄を担いだ雫を見て、龍樹はコーヒーをもう一度だけ強く啜った。

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