破壊された錠前
新校舎二階・旧校舎に通じる扉前。
回廊の先にあるそこで地面に付着した赤い液体をしゃがみ込みながら観た合堂 朱愛羅は、険しい顔付きを取っていた。
「これは……ケチャップか?」
「いえ、残念ながら血です。それもまだ出血してから差ほど経過していません。まあ量を見たところ程度は軽いようですが」
それでも間違いなく血です、と巨体の男は断言した。
「……そうか、それは本当に残念だ」
合堂は地を這うように視点を移動させる。
他に血が滴った部分は無いのか、と。
その結果、どうやら血痕はここ一箇所だけらしかった。
今一度合堂はコンクリートに描かれた、円形状の血を観察する。
確かにまだ新しい。
表面が少し浮いているのは乾ききっていない証拠で、指先で触れればまだ付着すると思われる。
合堂はそれに向けていた視線を今度は前方へと変えた。
「強引な奴だなぁ」
旧校舎に繋がる入り口には、生徒たちが立ち入らないようベニヤ板の扉が設けられている。
決して頑丈とは言えないが、錠前が施されてしまえば一般の生徒ではまず入る事はできないであろう造り。
普段は工事関係者や職員が出入りする時に開けられ、帰る際には必ず施錠されている通用口。
その錠前が壊されていた。
それも鍵穴をどうこうしたのではなく、力尽くでU字型のツルを引き離したように先端が曲がっている。
合堂はここまでの材料だけで謎の血についてとりあえずの推理をする。
浮かんだ可能性は二つ。
錠前を破壊する際、うかつにもどこかを負傷したのか。
ここに至る以前に出血し、傷口を押さえてここまで来たのか。
今のところ、そのどちらなのか――どちらでもないのかは分からない。
「どうします? 教員達に知らせますか?」
「……いや、先生方も今はなにかと忙殺な時期だ。妙なことでその手を煩わせたくはない」
合堂は兜の鍔を押し上げ視界を広くし、錠前に向けていた視線を更に奥へと向ける。
関係者以外立ち入り禁止の場所。
普段は開かれるはずのない門扉がほんの少し開かれている。
そこから中を覗いてみる。
真っ暗で何も見えない。どうやら電気は灯されていないようだ。
「誰も、何も見ていないのか?」
合堂が隙間から奥を見据えながらも巨体の男に確認する。
「ええ、基本的にここは立ち入り禁止ですから」
「監視カメラの映像は?」
「まだ全容が分かっていませんからねえ。そもそもそれを確認するとなれば大事になるのは避けられないかと」
「ふむ……となると、やはり自らの足で探るのが一番、か」
合堂は何か考える間を空け、立ち上がった。その際頭の兜が擦れたのか、ぎしり、という軋みが鳴る。
「そうだな……三人付いてきて、後の三人は此処で待機。それで行こう」
自分に確認を取るかのように呟いた合堂。
「どうだ? 誰か一緒に来てくれる奴はいないか?」
振り返り、男連中に訊いてみる。
その問い掛けにはすぐ、俺が行きます、と一人の男が前に出た。
すると。
「待て、俺が行く」
一歩前に出た男の肩を別の男が掴み、その行動を制す。
それに続かんと、
「いや、俺が行く」「いやいや、俺が行く」「いやいやいや、俺が行く」
出遅れては駄目だと言わんばかりに、続々と他の連中が前へ前へと出てき始めた。
何せ合堂は彼等に取って紅一点な存在。
付き添っている理由も尊敬をしているというのが半分、もう半分は下心からくるものだ。
場にいた六人の男達はいつの間にか睨み合い、激しい口論を繰り広げている。
己が連れ添わんと仕舞いには拳で語り始め、醜い争いを繰り広げだす始末。
それを見た合堂の拳がぷるぷると震える。
始めこそ歯を食い縛り、怒りを堪えていたものの、
「神妙にせぬか!!」
あまりの醜さに我慢できず、思わず怒鳴ってしまった。
静まり返る男連中。
それを見た合堂はハッとし、我に返る。
そして咳払いで仕切り直し、
「皆の誠意、勇敢さはひしひしと伝わってきた。しかしながら、内輪揉めは良くない。そういう軋轢が一番危険なのだぞ。かの有名な関が原の戦いの二の舞にもなりかねない」
突如飛び出た突飛な例え。
なぜここでその話が出てくるのだろう? と言いたそうな面持ちの一同。
それに関ヶ原って……話を飛躍しすぎだ、と誰もが思っているのは間違いないが、誰もそんなツッコミを入れる事はなかった。
合堂は凍てつく空気など気にせず、発言を続ける。
「分かってはいると思うが、これは遊びじゃないんだ。我等が学び舎の風紀を守る。それはもう立派な職務といっても過言ではない」
胸ぐらを掴んだまま固まる者。取っ組み合い、柔道の押さえ込み状態のまま固まる者。頬を抓り合っている者。
皆一斉に目を開け、合堂の話に聞き耳を立てる。
「付いて来る者は私が決める。このままでは埒が明きそうにないからな。異論は無いな?」
男達は互いに目を合わせ、放たれた言葉を咀嚼する。
取っ組み合い、倒れこんでいた者は起き上がり、胸ぐらを掴み合っていた者はその手を払う。ほっぺを抓り合っていた連中も互いに最後の抵抗と言わんばかりに捻り放すと、合堂へと身を向けた。
そして渋々と言った感じに、承諾する。
姿勢を正し列を成すその様はまるで自衛隊の教官と兵士が点呼するようにも見て取れる光景だ。
よろしい、と言い、合堂は告げる。
「斉藤と鮫島、あとそれから渡辺は私に付いてきてくれ。それ以外は待機。――以上だ」
文句は言わせない、と言った具合の滑舌。
それには当然ながら納得する者、しない者が生まれた。
が、長が決めた事なら仕方がない。
仏頂面の残留者。
勝ち誇った面持ちの護衛者。
合堂は各々の反応など微塵も気にせず、旧校舎の方角へと身を翻した。
「よし、行くぞ」
威勢のいい合堂の声を受け、斉藤と渡辺が旧校舎への通路を遮断していた扉を開けた。
一年という歳月は結構なものらしく、開閉の際にぎぃ、ぎぃ、と不愉快な金属音が鳴り生まれる。
扉が開くと同時、漂うおがくずと埃が混じったような匂い。作業中は換気のため窓を開けてはいるようだが帰る時は防犯上閉めているらしく、匂いが若干こもってしまっているようだ。
おまけに夕暮れ時の旧校舎は光がほとんど無く真っ暗。
例え怖いものが苦手でない人間であっても恐怖を感じてしまうような、それほどまでに不気味な空間だ。
だがそんな事はお構いなしと言わんげの合堂。
臆することなく一歩を踏み出した彼女は、鮫島が手にしている懐中電灯の明かりを頼りに、不可視の奥へと進んで行った。
それを悔しそうに眺める負け組達。
徐々に暗闇へと溶け込むように、憧れの背と忌々しい背達が霞んでいく。
そこからは姑息な思惑を感じさせる会話だけが聞こえてくる。
「合堂さん。暗闇には何が潜んでいるか分かりません。離れては駄目です。もっと寄り添い、身を固めながら進んで行きましょう」
「おお斉藤、それはナイスアイデ……名案だ。ささ、合堂さん、もっとこちらへ」
「む? そうか」
暗闇を利用し、必要以上の接近を試みているらしかった渡辺と斉藤。
「――、ッ」
これに歯噛みし、職権濫用だ! と内心で叫ぶ居残り連中。
青春における恋の戦も、結局は策略家が得をするようだった。




