明るい兆し
全体を見渡せるようにと三階にある手摺りに肘を掛け、アテナはそこから望める景色を観察するように見下ろしていた。
丸型にくりぬかれた吹き抜けの下は食堂らしく、様々な人間模様が見て取れる。
友達と楽しそうに会話し放課後を満喫する者。
今後に活かす為か勉強をする者。
首根っこを掴まれ、席へと戻される者。
雫と龍樹。
アテナに取っては見知らぬ少女と見知った少年。
どういう訳か、龍樹は渋い表情で椅子に括り付けられようとしている。弱った彼は抵抗する素振りなど見せず、その様はまるで躾をする親と子のようだ。
そんな光景を見ても、特にこれといってアテナは反応を示していなかった。
面識はあるが所詮は他人。自分には関係ない――きっと今の彼女はそんな風に取っているのだろう。
現に、女には他にやるべき事がある。
褐色の男の捜索。
標的を探し始めて早三日。この辺りの立地などから徐々にその者を追い込んでいく事に成功し、ついに昼過ぎの捜索で見つけた。
偶発的だった初めとは違う出会いに敵は焦りを覚え、それこそ死にもの狂いの抵抗をしてきたものだ。
その標的は彼女からどうにかして逃げ出すと、街を転々としていき、そしてここへと入っていった。
門前には一応警備のような人間も立っていたがそれも正規の入り口に留まる。
現にアテナ自身簡単に侵入できたのだから、日本人のセキュリティに対する関心がいかに低いかが窺える。
たかだか一高校にそこまで気を遣う必要は無いという平和的な環境は、とても素敵な事ではあるのだろうが。
褐色の男が校内に進入してから結構な時間が経ってしまっている。
だが此処に一度逃げ込んだのは間違いない。
しかし広大な面積を誇る校舎だ。
もう逃げられた可能性も、残念ながら否定できない。
事がうまく運ばない苛立ちが全身を駆け巡っているのか、手摺りを握り絞める拳にも力が入るアテナ。
場所が場所だけに妙な事が起こるのを、彼女は危惧しているのだろう。
するとどこからともなく、褐色の男の探索を命じていた彼女の使いが、バタバタと羽根を羽ばたかせながら帰ってきた。
その鳥は主人の頭に乗っかった。
「……どう見付かった?」
以前として下の食堂を見据えるアテナはそう尋ねた。
羽根を労わる様に嘴で突いた後、鳥は答える。
「駄目だ。ある程度は当たってみたんだが、これだけ広いと絞りようが無い。あんま大胆に動けないしな。周りの連中も俺を見るたびに何人か騒いでいたし……つうか変なのに追いかけられた」
変なの? と言って眉を寄せるアテナ。
どういう意味か詳しく訊きたかったであろうが、
「ちょっとよろしいかな?」
後方からのその声に、アテナは思わず振り返る。
そこには異様な格好の人物を中心に、数人の男達が立っていた。
「おや? よく見れば異人ではないか」
やや驚いたらしかったそいつは、友好的な笑みを口元に浮かべ、
「你好」
そう言った。
「……合堂さん。どう見てもその者は華人ではないですよ」
隣にいた一人の男が放ったその言葉に。
なに、そうなのか、と本気でアテナが中国人に見えていたらしく、そいつは驚いたように身を竦めた。
「それは申し訳ない……では、」
そいつは勘違いに謝罪を挟み、
「Bonjour」
また、勘違いをした。
「……大丈夫よ。日本語喋れるから」
「何と! これは驚いた。しかもその流暢さ。これには黒舟来襲を彷彿としてしまっていた自分がとても恥ずかしい」
と言っても直接見た訳ではないのだがな、とそいつは当たり前のことを言うと、快活に笑った。
「……」
意外と発音の良かった外国語。
よく分からない例えを持ち出した彼女に対し、何だコイツは、と言いたげな間を空けるアテナ。
その者は会話もさることながら格好が的外れだった。
兜を被っていた。
それも昔の武士がしていたようなとても頑丈そうな一品。
サイズが少し大きいのか、影が眉間から上を覆い、わずかに垣間見える眼光が何とも不気味だ。
制服はこの学校のものなので一応は生徒なのだろう。
兜であまり顔は窺えないのだが、スカートを履いているので女のようだ。
アテナもそんな色々と奇抜な人物に思わず目をやってしまっている。
頭に位置取るパードリッジが、姐さん、変なのってのはこいつだぜ、とアテナに耳打ちした。
確かに変だ、と言いたげにアテナの眉がピクりと動く。
どうあれ、
「何か用かしら?」
一刻も早くこの状況を脱したいであろうアテナはそう訊いた。
ああそうか、と思い出したように言ったそいつはようやく呼び止めた理由を言う。
「うむ、私はこの学校の風紀を任されている合堂朱愛羅という者なんだが……申し訳ない。いくらその鳥が可愛いとはいえ、校内にペットの持ち込みは禁じられていてな。心中をご察っしするが、速やかに対応していただきたい」
「……そうなの、ごめんなさい」
合堂を見据え、無表情でアテナは謝った。
学校というものに通った事の無い彼女からすれば、それこそデパートのような感覚で場に足を踏み入れたのだろう。
いや、デパートであろうと基本的に日本ではペットは禁止なのだが、イタリア出身の彼女はそんな事情を知らない。
それでもルールはルール、仕方がない。
変な抵抗をして騒ぎが起これば失うものはあっても得るものはなさそうだ。
そう判断したであろうアテナは言われたとおり、場を後にしようと動き始める。
踵を返し、とりあえずの対策として、連中の目が届かない場所にまで移動しようと一歩を踏み出す。
「ところで」
合堂が何かを言い始めた。それによりアテナの脚が止まる。
もしかすればまだ何か問題が。
そう思ったであろう矢先、振り返った先にいる女は相変わらずの友好的な笑みでこんなことを訊いてきた。
「今君の頭に乗っているその鳥は何と言う鳥なのだ? 私は生まれて此の方数多くの鳥たちを見てきた。だがそんな愛嬌溢れる鳥を見たのは始めてだ」
話に出てくる鳥――パードリッジに合堂は見入っている。
その後も、どこで知り合ったんだ? 餌は通常のものと同じか?
等々。
兜から垣間見える少年の様な眩い視線が容赦なくパードリッジに注がれる。
「そんな探られると照れるじゃねーか」
沈黙が降り立った。
思わずパートリッジは喋ってしまった。
これには流石の合堂も驚きを隠しきれなかったようだ。
好奇心旺盛の笑みのまま、固まっている。
周囲にいた連中は、あの鳥今喋らなかったか? 等と、ひそひそ確認し始めた。
それはあまりにも舌滑が達者だったというのもあるだろう。
「……はて? 兜の所為で聴覚がくぐもっているのかな。私の見解が正しければ、その鳥、今喋らなかったか?」
思考がやっと追いついたのか、合堂も相変わらずの笑みで訊いてきた。
「……そうかしら」
とアテナはあえてお茶を濁した。
その対応を見るに、彼女としてはパードリッジに余計な事をするな、と不満を覚えているのかもしれない。。
別に鳥が喋ったという事実を肯定したところでなんら問題はないのだろうが、きっと妙な交流は避けたいところなのだろう。
ふと、朗報が舞い込んできたのはその時だった。
「合堂さん!」
ん? と一旦そちらに思考を切り替える名を呼ばれた女。
この場にいた者達とは違う別の男子生徒が、走ってきたのか息を切らし、膝に手を付いていた。
そして呼吸を整えると、合堂へと歩み寄る。周囲に聞えないようにする為か彼女の耳元に手で壁を作り、用件らしきものを伝える。
「(旧校舎に何者かが潜り込んだ痕跡が)」
何? と険しい顔付きになったらしかった合堂。
「何奴だ……現場の方々じゃないのか?」
「いえ、その可能性はもちろん視野に入れてますが、今日はもう上がってるみたいなんですよ。それに妙なところがありまして。立ち入らないようにと閉めていたはずの錠前に抉じ開けられたような跡があるんです。現場の人間なら鍵ぐらい持っているはず。ましてや破壊なんてのは」
その言葉を受けた合堂は顎に手を添え、思案する。
「ふむ、なるほど。確かに妙だな。彼らも一応は稼業の身。そんなずぼらな仕事はせぬ、か」
「えぇ、それに」
そこまでいくと、男はアテナの方に一瞥くれた。
よほどの秘密事項なのか。
ここから先は合堂に耳打ちするように、只でさえか細かった声をより一層小さくして話した。
「――、――、」
それを聞いた合堂は不審そうな面持ちを取った。耳打ちを聞くために前のめりになっていた身を引くと、状況報告をしにきた男の顔色を窺うように見て、
「……本当かそれは?」
わずかな訝しむ間を空け、そう言った。
こくっ、と首肯した男は詳しく説明する。
「まだ断定はできませんがほぼ間違いないでしょう。教員方に、はたまた警察をとおもいましたが、何も無ければ事ですので。その前に合堂さんに、と」
「……そうか」
考え事をしていたのか。
しばらくの沈思黙考を経た合堂は、なら、と力強く言い、アテナの方へと意識を戻した。
「少しばかり所用が出来た。とにかく、ここはペット禁止だ。反応を見たところ知らなかったようなので今回は忠告のみとさせてもらう。呼び止めて悪かった。では、これにて失敬」
合堂はそう言うと耳打ちをしてきた男子生徒に、行こう、と小さく言って、他の連中にも付いてくるよう促す。
そして。
促された男子生徒を先頭に変わり者の合堂、その他六名は、どこかへと走り去っていった。
まるで事件現場にでも行くような騒がしさで段々と遠のいていく合堂達。
そんな連中を見送った後、アテナは手摺りへと歩みなおした。
また下を俯瞰する。無表情なので、そこにはどんな心境があるのかは分からない。
「なんだって?」
アテナはパードリッジに確認を取る。パードリッジは声にやや弾みをつけ、
「ああ。どうやら、風向きは変わってきたみたいだぜ」
その内容を、アテナへと伝えた。
優れた聴覚器官を持つパートリッジには、さっきのやり取りが全て聞こえていた。
ひそひそと話したにせよ所詮は人間に聞こえる範囲。
闇夜の森林の中で獲物が鳴らす微々たる物音すらも集中すれば聞き取れる彼に取っては、更に密になったあの場面の内容を傍受する事など造作もない。
先刻の機密事項
『扉前に血痕が』
恐らく、彼女達はその言葉に心当たりがあるのだろう。
「追う、か」
「だな」
呟いたアテナに同意したパートリッジ。
一人と一羽は差し込まれた光に望みを馳せ、褐色の男を捜しに向かう。




